33*真っ直ぐな騎士同士
「アンドレア」
「オグニス!」
二人は互いに名前を呼ぶと、駆け寄った。
そして頬を合わせ、レビバンス王国式の挨拶を行う。
「よく来てくれた。寒かっただろう」
「温かい湯に浸かったから元気になったわ。ありがとう」
アンドレアが礼を言うと、オグニスは微笑む。実際は仮面をつけているので、口元だけで微笑んでいた。もしかしたら、目尻も下がっているのかもしれない。相変わらず仮面をつけているようだが、それ以外は以前と変わらず元気そうだ。アンドレアへの挨拶が終わると、こちらまでわざわざ近付いてくれた。
「久しぶりだな。ロゼフィア殿。ジノルグ殿」
「またお会いできて光栄です」
「私もだ。ジノルグ殿、ぜひまた手合わせ願いたい」
「喜んで」
即答で答えたジノルグに、オグニスは嬉しそうに握手を求めていた。気品があり、誰に対しても礼儀正しい王子だ。他の騎士達にも労いの言葉をかけてくれる。
「夜には多くの来賓が来られるから紹介しよう。だが無礼講だ。あまり固くならないでいい」
どうやらアンドレアのために夜会を開いてくれるようだ。
無礼講と言われつつ、きっと豪勢なのだろう。少しだけ気が引けてしまう。
「もちろん、ここの騎士達も参加する。良ければ色々と話を聞かせてやってくれ」
傍についていたマリーが一歩前に出て一礼する。
顔はにっこりと笑っていた。
ロゼフィアは目の前にある鏡を見ていた。
そこにいるのは清楚な白いドレスを着た自分。シンプルなデザインだが、所々にきらきらと輝くビーズが引っ付いている。薄化粧もしてもらい、髪も上げてもらった。いつもはただ下ろしているだけなのだが、編み込みまでされている。ドレスの準備から全てオグニスが手配してくれたのだ。
小さく溜息をつく。
こんな風に着飾る機会はこれまでにもあった。以前までは何で自分がこういう場に参加しないといけないのか、と思っていたが、最近は慣れたものだ。むしろ綺麗にしてもらっているのだから、ありがたい。少しは自分にも自信がつくというものだ。だが、今気になるのはそこではない。
(……あの言葉、どういう意味だったのかしら)
オグニスとの謁見時、マリーは特に接触はしてこなかった。それ以外に何か言われたわけでもないし、気にする必要はないかもしれない。だが、気になる。ずっと頭の中で考えてしまう。
……いや、本当は分かっている自分もいた。だが、憶測で考えるのは良くない。自分の考えが必ずしも当たっているとは限らないし、手っ取り早く聞いた方が早いのだろう。だが、あれがどういう意味なのかと聞いたとして、マリーから逆に質問されるのが怖かった。「どうしてあなたがそれを気にするのか」なんて返されたら、答えようがない。だって自分でもなぜこんなに気になるのかよく分からないのだから。
ロゼフィアは首を振る。
これから夜会だ。いつまでもこんな気持ちでいたらいけない。アンドレアの友人として、自分も紹介されるのだ。だからこそ、堂々としていなければ。堂々と、ジノルグの隣にいなければ。以前本人に宣言した。隣にいても恥ずかしくない人になる、と。言ったからには、ちゃんと実行したい。
そう決意していると、ドアがノックされる。
「ロゼフィアさん。とても綺麗です」
目を細め、そう褒めてくれたのはサラだ。
いつもは謙虚して否定するが、控えめにお礼を伝えた。
ふと、相手の格好に目を丸くする。彼女は軍服のままだ。確かオグニスがドレスの用意をしてくれているはずだが。
目線で気付いたのか、苦笑される。
「ありがたいお話でしたが、遠慮させていただきました。私は騎士ですから」
「でも、他の女性騎士もドレスを着るって」
「私は客人としてというより、付き添いですから。それに、あまりドレスは好きじゃないんです」
「そうなの? ドレスを着るのは慣れていそうなのに」
伯爵令嬢であるサラなら、きっとこういう場に何度も出席しているはず。むしろどんな風に振舞えばいいのか教えてもらいたいと思っていたのだが。
すると相手は何度か瞬きをする。
「なぜ、知っているのですか?」
「え? ……あ」
はっと手で押さえる。
直接的な表現ではなかったものの、これではサラの身分を知っている発言になり兼ねない。慌てて誤魔化そうとするが、上手い言い訳が出てこなかった。つくづく嘘を付けないのは不便なものだ。
サラは少し困った顔になりつつ、口元を緩ませた。
「クラウス殿ですね?」
「ご、ごめんなさい……」
「いえ、ロゼフィアさんが謝る事ではありません。何か言われました?」
(目ざとい……!)
確かにその通りだ。サラがクラウスの事をどう思っているのか、聞くように頼まれている。が、このままそれを聞くのは間違っていると分かっていた。あくまでもさりげなく聞くようにしなければ。でないと、きっとサラは答えてくれないだろう。本人に対して露骨にその話題を避けているらしいから。
「その様子だと、全て聞いたようですね」
「……ええ、まぁ」
どこまでが全部なのか分からないが、一応頷く。
あんなにも力強くクラウスは話してくれたので、ほぼ全部だとは思う。
サラは少しだけ息を吐く。
「クラウス殿の気持ちには気付いているんです」
あ、やっぱり、と言いそうになって口を閉じる。
正直な感想はいい事だが、失礼に値するかもしれないので自重しなければ。
「ですが……今はまだ、応えるつもりはありません」
「えっ、どうして?」
「もっと立派になって、女性騎士としても周りから認められるようになってから、応えたいと思ってます」
「立派って……サラは十分立派だと思うけど」
主に潜入する場面でサラは活躍している事が多い。またその場には、キイルや名のある騎士がよくいる。クラウスの言葉を借りるわけではないが凛としているし、騎士としての仕事は全うしているように思う。今回だって、女性騎士ではサラだけが同行している。それだけで十分認められるほどの功績を残していると思うが。
そう伝えると、首を振られた。
「クラウス殿は今や殿下の側近。元々実力を買われてキイル殿と同じ中隊長もされています。その点、私は認めていただける機会は増えましたが、まだ足りないのです。その隣に立てるほどの騎士にはなっていません」
はっきりと言い切ったサラの顔は、真っ直ぐなほどに前を見ていた。それを見たロゼフィアは微笑む。やはりサラも騎士なのだ。自分の中にある、誰にも譲れない強い意志がある。本当に、真っ直ぐでぶれない。
「サラはクラウスが好きなのね」
無意識のうちに呟いていた。
すると、一瞬で彼女の頬が朱色に染まる。
いつも落ち着いている印象を受けたが、やはりサラも若い。
珍しく照れた姿に、こちらは微笑ましくなる。だからこそ、言いたくなる。
「クラウスには……本当にまだ言わないの?」
すぐに相手は顔を曇らせた。
「私の中で決めていた事なんです。立派になった暁に、クラウス殿に伝えると」
「そうね。でも……伝えた上で、待ってもらう事とかはできないの?」
まだ立派じゃないと思っていたとしても、クラウスからすれば待つ事さえも辛いと嘆いている。お互い両想いなのだから、先に想いを告げてしまってもいいのではないだろうか。そうすればクラウスも、想いを知っているが故に待つ事ができるのではと思う。彼はとても一途な人だから。
「……それは、少し不安が」
「不安?」
まさかサラの口から不安という単語が飛び出すとは思わなかった。クラウスは騎士としてとても立派であるし、何が不安だと言うのだろう。
「クラウス殿はああ見えて少し子供っぽい所があるので……。公私混同しないか、少し不安なのです」
「ああ……」
それは即座に否定できなかった。
昨日出会ったばかりだが、確かにあの騎士は子供っぽいところがある。サラの想いを初対面に遠慮せずぶつけるし、それでいてサラの態度にすごく落ち込むし、協力してあげると言えば万歳をして喜ぶし。ちょっとオンオフの差が激しい、とでも言えばいいだろうか。だが。
「正直このままの方が仕事に支障をきたすと思うけど」
ばっさり切る。
クラウスはそれほどまでにサラの事が好きで気になっている。今は側近としての仕事をきちんとこなしているか、仕事時に発狂し出すのも時間の問題だと思う。ならば気持ちを伝えた上で待ってもらう方がずっといい。ちゃんと待てるのか少し微妙だが、相手がサラだ。サラならきっと大丈夫な気がする。
すると苦笑された。
「確かにそうですね。最近のクラウス殿は目も当てられませんから」
「あ、やっぱり?」
「話題を避けると、分かりやすく眉が下がるんです」
容易に想像できてしまった。
やはり彼は子供っぽい。良く言えば素直、だろうか。
しばらくしてから、サラは穏やかな表情になる。
「……そうですね。気持ちを伝えた方が早いかもしれません」
「ええ、それがいいと思うわ」
「今は殿下に申し訳が立たないので……帰国した時にでも」
そこはちゃんと配慮するらしい。きっとアンドレアの事だから気にしないだろうが、騎士として主人に忠誠を尽くしているからだろう。
その思いを汲み取り、ロゼフィアは大きく頷いた。
「あなたがアンドレア王女。これはとても麗しい」
「お褒めに預かり、光栄です」
アンドレアはオグニスと一緒に来賓の方々に挨拶していた。
もちろん側近であるクラウスも傍にいる。そして友人としてロゼフィアと、護衛騎士のジノルグも一緒にいた。多くの人を呼んでいたらしく、忙しなく挨拶は続く。ロゼフィアもどうにか笑顔を見せつつ対応した。そしてちらっとクラウスの方を見る。
彼は昨日と変わらず、側近として丁寧に来賓の方々に挨拶をしていた。まだ発狂する様子はない。いや、そうならないだろうと信じているが。だが帰国するまでまだ後二日はある。クラウスにお願いされている身でもあるし、出来る事ならサラに聞いてあげた事だけは伝えたいと思っていた。
来賓の挨拶はまだまだ続く。長いな、まだかな、と心の中で思いながら、ロゼフィアは挨拶を続けた。若干そわそわしてしまったのは、この際許してほしい。そして挨拶が一通り終わったタイミングを見計らい、アンドレアに声をかけた。
「ねぇアンドレア。ちょっとクラウスを借りたいんだけど」
「え? どうして?」
「お願い。少しでいいの。その間、ジノルグが傍にいればいいし」
するとジノルグが分かりやすく眉を寄せる。もちろん、ジノルグにはそんな話はしていない。むしろサラとクラウスの事であるし、他の人に話すのはサラの約束を破る事になる。だからジノルグにどんな顔をされようが怖くない。するとアンドレアはくすっと笑った。どうやら察してくれたらしい。
「何かわけがあるのね?」
「ええ。大事な事なの」
「いいわ。でもちょっとだけよ? じゃないと多分、あなたの護衛騎士はもたないから」
ちらっと顔を見れば、ぎょっとする。
あからさまに不機嫌な顔をしていた。何も言わないのがよっぽど気が障ったか。
「わ、分かった。戻ったらちゃんと説明するから」
ははは、と乾いた笑いをしつつ、クラウスの背中を押す。
クラウスは戸惑いつつも、一緒に来てくれた。
「魔女殿、一体どうし」
「サラに聞いたわよ」
歩きつつそう伝える。するとクラウスは「え?」と間抜けな声を出す。この騎士、やる時はやるようだが普段はけっこうのんびりしているのかもしれない。
改めて伝える。
「サラに聞いたの。クラウスの事をどう思ってるか」
「えっ、そ、それで、なんて」
「まだ応えるつもりはないって」
「…………」
黙ってしまった。
予想してたのか、それでもショックだったのか、どこか落ち込んだ様子を見せる。先程まできりっとしつつ来賓者達と挨拶していたのに、今じゃ大違いだ。ちょっと情けない。ので、思い切り背中を叩いた。するとびくっとしつつ背筋が伸びる。そして、もっと伸びる言葉をかける。
「でも帰国したら、伝えるって」
「え……」
「あと少しの辛抱ね」
思わず微笑む。するとクラウスは、感激するように大きく頷いた。両手でガッツポーズまで決めている。返答がどうなるかなどはこの際気にしないのだろう。ずっと待ち続けたからこそ、サラの言葉で聞きたいのだ。
そして急に顔を上げた。
「よし、サラに会いに行こう」
「え?」
「きっとその辺に」
「ちょ、ちょっと、今は言わないわよ!?」
するとクラウスは笑い出す。
まるでロゼフィアの言葉がおかしいと言っているかのように。
「いいんだ。ただ顔を見たくなっただけだから」
これを聞いてロゼフィアは少しだけ呆れてしまう。本当に、どれだけサラの事を好きなのだろう。こうも恥ずかし気もなく言えるクラウスはすごい。
「魔女殿も行こう」
「え? いや、私はお邪魔……」
「いいから、早く」
いやどう考えても自分はいらないだろう。そうツッコもうと思ったが、腕を引っ張られる。身長があるせいかクラウスの腕は長く、しかも思い切り引っ張ってくる。まるで風に連れていかれている気分だ。クラウスは気にしていないのか、「はははっ」と上機嫌に足を進ませる。
とりあえずロゼフィアはついて行くのに必死だった。
「ロゼが心配?」
二人が歩き出してからも、ジノルグはその方向を見ていた。
アンドレアが気付いて声をかければ、顔を戻す。
「護衛騎士ですから」
「……相変わらず事務的な言い方ね」
少し方眉を上げられる。
傍にいたオグニスは小さく笑った。
「心配なら、ついていった方がいい」
「ですが、」
「傍には私がいる。それにこの後、ダンスを申し込むつもりだったしね」
言いながら、アンドレアの正面に立つ。
そしてすっと手を差し出した。
「まぁ。あの時以来ね」
くすっと笑いながら、その手に自分の手を重ねた。
二人はしばし見つめ合う。
「……お邪魔なようなので、退散させていただきます」
一言だけ断りを入れ、ジノルグは歩き出した。
いくら元側近の立場とはいえ、二人の邪魔をするような無粋な事はしない。それにオグニスには信頼を寄せている。王女としての知性と威厳を持ち合わせているとしても、彼女はまだ十八歳だ。オグニスのように優しく、どんな事でも理解を示してくれる人が傍にいれば、きっとアンドレアにとってもいいだろう。
前回自国に来てくれたが、ジノルグから見てもオグニスは良い王子……いや、良い人物だと思った。だから安心して任せる事ができる。それにわざわざダンスの話題を振ったのも、おそらく自分達のためというよりは、こちらに気を遣ってくれたのだろう。
せっかくもらった機会だ。
ジノルグは無意識に足を早めていた。
「……で、ここどこなの」
人の波に埋もれながら、ロゼフィアは思わず呟いてしまう。
いつの間にかぽつんと一人でその場に立っていた。
クラウスに連れられ、無事にサラを見つける事ができた。
が、クラウスはサラに会えた嬉しさか、こちらの存在を忘れて走って行ってしまったのだ。ロゼフィアからすれば、邪魔にならないように距離を取って見守ろうかとは思っていたのだが、まさか取り残されるとは。しかも多くの人が招待されているらしく、いつの間にかその波に埋もれてしまった。結果、今だ。
(一人でいるのは別にいいけど、この現場をジノルグに見られた時が怖いわね……)
きっとなぜ一人なんだと怒られるだろう。怒られるのは嫌だ。むしろ取り残したクラウスを怒ってほしい。こういう時、タイミングよくレオナルドが通ったりしないだろうか、と思いながら辺りを見渡す。が、周りは知らない人達ばかりだ。同行しているはずの騎士の姿さえない。
(むしろこの人数で見つける方が無理か……)
とりあえず、どこかに行けば誰かには会えるだろうと安直な考えになる。というか、考える事自体少し疲れてきた。皆楽しそうに談笑している。その中をかき分けるだけで大変そうだ。
(よし)
どうにか気合いを入れて、進もうとする。
「――紫陽花の魔女殿?」
と、ある人物に声をかけられた。




