32*知らぬ間に注目の的
「見えてきたな」
先頭を走る騎士が声を上げる。
ロゼフィアも目を向ければ、白い大きな城が見えてきた。
いつの間にか雲も晴れ、青い空が顔を覗かせる。
それがより城の美しさを際立たせていた。
色合い的に積もっている雪と同化しているが、敵に城の位置を特定されないようにするためらしい。当時の国王はそういう点を気にしていたようだ。今では一種の名物になっている。
一向は速やかに城の中に入る。
門番に話を付けたクラウスは、皆を引き連れながら中央にある噴水まで歩いた。見れば噴水の水は静かに音を立てており、この気温であるというのに凍っている様子はない。しばしそれに目を取られていると、ある人物がこちらに向かって歩いてきた。
「よくいらっしゃいました」
温かい笑みで迎えてくれたのはこの国の騎士のようだ。
彼が着ている軍服はこちらと違い、青が強めの紺色を基調としている。それだけでなく、温かそうな上着も羽織っていた。軍服だけでも、国の文化が出ている事が分かる。
「私はオグニス殿下の側近、ダビト・サリバンと申します。ここまでの道のり、辛かった事でしょう。我が国から様々なもてなしをさせていただきます。まずは……」
ちらっとこちらを一瞥する。
そして苦笑した。
それもそのはず。ここまでの道のり、全くと言うほど天候に恵まれなかった。雹は降るわ、雹が止んだと思えば雪に変わるわ、最後は雨。防寒服が若干重い。そして皆、微妙に疲れた顔をしている。
「温かいお湯に浸かって下さい。大浴場がありますので」
ダビトのありがたい言葉に、思わず皆、安堵の声が出た。
「ああ、あったかい……」
湯に入り、ロゼフィアは無意識に呟く。
するとサラがくすっと笑った。
「本当に。気持ちいいですね」
大きくて広い浴場だ。百人ほどが入れるであろう規模で、真ん中に口から湯の出る獅子の像がある。寒い国だからこそ、毎日のように大勢の者が入るらしい。誰でも気軽に入れるよう、大浴場は常に解放されているようだ。内部はほどよく装飾が施されている。
「さすがにこんな大きな浴場、うちにはないわね」
アンドレアも周りを見ながら感想を言う。
視点が違う辺りはさすが王女だ。
「そういえば、大丈夫でしたか?」
急にサラに聞かれ、きょとんとする。
何がだろう。すると相手は遠慮がちに言葉を続けた。
「雹が降ってきた時、色々あったようですから……」
一瞬言葉に詰まる。
すると目ざとくアンドレアが近付いた。
「どういう事? 何かあったの?」
「いや、別に。何もない」
すぐに否定する。それ以上は何も言われたくなかったので、知らんぷりを通す。するとアンドレアが指でサラを呼ぶような仕草をした。サラは一瞬迷ったが、こちらが何も反応しない事が分かり、こそっと耳打ちする。するとアンドレアは分かりやすいようなリアクションを取りつつ、ちらっと見てくる。
「私が知らない間に大変だったみたいね」
「……ほっといてよ」
思わず口元を湯の中に隠す。
お行儀が悪いが、ぶくぶくと口を動かして抵抗を示した。
するとサラはくすくす笑いながらフォローする。
「レオナルド殿も失礼ですよね。わざわざ笑う事ないでしょうに」
「そこが彼らしいと言えばらしいけど」
アンドレアが半笑いになる。
さすが王女、それぞれの騎士の事を分かっている。
「それにあのジノルグ殿に抱きしめられたら、どきっとしますよね」
どきっとした。サラの言葉で。
「まぁ憧れるわよね。ジノルグは騎士の中の騎士って感じだもの」
「けっこう人気も高いらしいですよ」
「あらそうなの? でも女性騎士からはそんな声聞かないけど」
「厳しい面が怖いと感じる人もいるようで……他の方々からはよくお名前を聞きます。他国の騎士からも羨望の眼差しを集めているとか」
「そういえば、アトラントス王国の使者が来た時、ジノルグの事を褒めていたわ」
「意外と他国に騎士の事も伝わっているんですね」
いつの間にか話が弾んでいる。
そんな二人をよそに、ロゼフィアはいつの間にか口を動かすのを止めていた。耳には二人の話が入ってくる。どうやらジノルグの人気は自国のみならず他国でも高いらしい。薄々そうだろうなとは思っていたが、ここまでだとは。こうして第三者の口から聞くと、意外と衝撃を受ける。何に対して衝撃を受けているのか自分でも分からないが。
(……別に、私には関係ないし)
二人は話に夢中のようで、ロゼフィアの事はお構いなしだ。ロゼフィアはまた口を動かす。目の前で生まれては消える泡を見つつ、ぼんやりとしていた。
「生き返るなぁ」
騎士達も、温かいお湯を満喫していた。
「にしてもすごい雹だったな」
「とりあえず無事に着いて良かった」
ほっとするようにそんな話をしている。
道中誰も怪我がなかった。それだけで一安心なものだ。
ジノルグも湯に浸かる。
いつの間にかかじかんでいた手が動くようになった。
「なぁジノルグ」
するとクラウスが近付いてきた。
急に何だろうと思えば、開口一番にこう言われる。
「魔女殿は優しいな」
「…………?」
目をぱちくりさせる。
確かにそれは疑いようのない事実だが、なぜその言葉が今出てくるのだろう。確か二人が出会ったのは昨日が初めてだ。その間に、ロゼフィアの優しさを感じる出来事があったんだろうか。
「惚れ薬は作ってないのか、って聞いたら、『あるけど作らない』って言われてな。ちょっと冷たい人なのかと思ったが、普通に考えたら作らないよな。俺のためにも言ってくれたんだなって、後から気付いたんだ」
少し恥ずかしそうに頭を掻く。
こちらからしたら注目するのはそこじゃない。
騎士という立場であるのに、何という事をお願いしているんだ。
すると他の騎士達も近付いてきた。
「紫陽花の魔女の話か? ほんと綺麗だよな」
「殿下と並んでも見劣りしないもんなぁ」
「ジノルグもそう思うだろ?」
ゆっくりと湯を楽しむつもりだったのだが、口々に言われる。今回同行している騎士は自分よりも歳が上で先輩だ。何も答えないわけにもいかないので、とりあえず口を開いた。
「そういうのは、本人に伝えるべきだと思いますが」
すると一斉に笑われる。
「さっすがジノルグ、真面目な回答だな」
「そう言って、本当はお前も綺麗だとは思っているんだろ?」
にやにやしながら断定した言い方をされる。
ジノルグは何ともいえない顔になった。
影で誉めるのは別にいいと思うが、それは本人に伝えてあげるのが一番良いのではないだろうか。とはいえ、ロゼフィアの事だから褒めても素直に受け取らないだろう。現に似たような事を言っても、ちっとも嬉しそうな顔をしてくれない。
「ちなみにうちの班にファンいるぜ」
「うちのとこもだ。しかもお手製クッキーをもらった事がある」
「は? なんだよいつの間に!? ちなみにそのクッキーは?」
「全部俺達の腹の中ですー」
「この野郎、そういうのは皆に分け与えるもんだろうがっ!」
騎士の一人がクッキーをもらったという騎士にお湯をかける。するともろに顔に当たり、「なんだよお前やんのかっ!」とお互いに湯をかけまくっていた。とりあえずそれ以外の騎士はそそくさとその場を離れる。ジノルグもそっと逃げるが、急に肩に重さがやってくる。もう一人の先輩騎士だ。
「なぁジノルグ。実際のところはどうなんだよ」
「……なにがですか」
この後の質問は容易に想像できた。
だがこの答え方しかできないのは相手が先輩だからだ。
「あんな綺麗な護衛対象と傍にいたらどうにかなるだろ」
「……人を見た目だけで判断するのはいかがなものかと」
「あっはっは!」
勢いのまま何度も肩を叩かれる。服を着ていないのでもろに当たった。力が強いのは騎士であるし鍛えているからだろうが、地味にじんじんとする。そこはもう少し配慮してほしいのだが。
「そんな事は分かってるよ。俺も手当てしてもらった事がある。素敵な女性だよな」
「あとクッキーも上手い!」
タイミングよく先程の騎士が声を上げる。
「手当ても上手い!」
もう一方の騎士も言い出した。
意外と手当てしてもらった騎士は多いようだ。
「優しい!」
クラウスまでもがノリ出した。
にこにこして楽しそうにしている。
正直ここは相手に会わせるタイミングではない。
勘弁してほしい。
「ま、ロゼ殿の良さは何もお前だけが知ってるわけじゃないって事だな」
いつの間にかレオナルドが隣に来ていた。
そしてこちらを見てにやっとする。
「で?」
聞かれる。
「……で?」
「俺達にも知らないロゼ殿の良さは他にもあるんだろ?」
「な、四六時中一緒なんだろ? もっと話聞かせろよ」
「ツンデレな印象だけどデレた時どうなんだ?」
「お前しか知らない顔あるだろ絶対」
「………………」
この雰囲気に耐え切れなくなり、ジノルグは奥の手を使う事にした。すぐに先輩騎士の腕を振り払い、息を思い切り吸って湯の中に入る。湯は疲労回復の入浴剤が入っているらしく、少し濁った白色をしている。なので湯の中に入ってしまえば、姿は見えない。逆に言えば、相手の姿も見えないわけだが。
「あ! あいつ逃げやがった!」
「捕まえろ!」
よっぽどそういう話題に飢えているのか、先輩騎士達も泳ぎ始める。ここに着いた時は疲れた顔をしていたというのに、湯のおかげでもう元気だ。むしろ疲れからテンションが上がっているのかもしれない。レオナルドは一人、傍観する事にする。ジノルグの事だ、そう簡単に捕まらないだろう。
すると予想通り、ジノルグはまるで海を泳ぐ魚のようにすいすいと先輩達の手から逃げていた。別のところで顔を出せば、またすぐに湯の中に隠れてしまう。捕まえる方は「待てこの野郎ー!」と大声を出しているものの、その動きはぎこちない。ジノルグの一人勝ちだ。
後半からは疲れたのか、諦めて湯に上がる。
レオナルドも同じく、先に浴場から出る事にした。
しばらくして、しんと辺りは静まり返る。誰もその場にいない事が分かると、ジノルグはゆっくりと顔を出し、立ち上がった。濡れた髪をかき上げ、頭を左右に振る。そして盛大な溜息を一つ吐いた。
「「あ」」
タイミング良く男性陣と女性陣は鉢合わせになる。
皆、予備で持ってきていた服に着替えていた。
サラを始め、騎士はちゃんと軍服に身を包んでいる。見ればジノルグはまだ出ていない様子だった。ロゼフィアは少し迷ったが、すぐに持ち運んでいた袋の中からある物を取り出す。そしてその場にいた騎士達に手渡した。
「ロゼ殿、これは?」
レオナルドが代表してか聞く。手渡された丸いケースの蓋を開ければ、軟膏だった。何に使うのか分からない。他の騎士達も同じ気持ちなのか、首を傾げていた。
「しもやけの薬よ。寒いからなりやすいと思って」
事前に作っておいた薬だ。特に手足は冷えやすい。普段しもやけにならない人でも、環境が変われば(特にこんな寒い国にいれば)なる可能性は十分ある。ちなみにしもやけの薬でもあるが、乾燥を防ぐ効果もあるので使いやすいはずだ。
すると皆は納得して、早速使ってくれた。
どちらかと言えば女性の方がよく使う物で、男性陣からしたら珍しいようだ。塗りながら「慣れない」なんて言葉も出している。だが反応はいいので、ほっとする。一応作っておいて良かった。
しばらくしてから、ようやくジノルグも出てくる。
こういう時、一番に出そうなイメージだが。少し意外だ。
「部屋を用意して下さっているみたいです。向かいましょう」
事前にダビトが言ってくれたようだ。
クラウスに続き、皆が歩いて行った。
「あ、私、ジノルグと少し遅れていくわ」
まだ薬を渡していなかった事もあるので、そう伝える。
しばし二人きりになった。
「別に一緒に行ってよかったが」
ジノルグが皆の後ろについて行こうとする。
ロゼフィアは慌てて軍服の裾を掴んだ。
そしてすぐに薬を渡し、手短に説明する。
相手は物珍しそうに薬を見る。
その手が目についた瞬間、ロゼフィアは思わず掴んだ。
見れば手の表面の内部が赤くなっている。あかぎれだ。
しかも指の所々がしもやけになっている。
「もうできてるじゃない」
慌ててジノルグの手から薬を奪い取った。そして自分の手につけ、相手の手を包むようにして薬をつける。患部を見ながら、どれほどの症状か、ロゼフィアは確認しながら塗り続けた。
「ちゃんと湯の中で手を揉んだ?」
「いや」
「なんでしないの……!」
血行が悪くなっているのだから、湯の中で患部を揉む事は大切になってくる。むしろ一番やりやすい方法だ。だがおそらくジノルグ自身、しもやけの事に気付いていなかったのだろう。いや、むしろ無頓着な気がする。それに、おそらくこれはジノルグだけのせいじゃない。
(私を庇ったから……)
ここに着くまで、ずっと抱きしめてくれた。
それは馬から落ちないようにしただけではない。肩に置いていた手はいつの間にか頭の上に置かれ、まるで庇うようにしてくれていたのだ。おそらく、雹にあまり当たらないように。
しばらく無言になる。
その間も、手だけは動かした。
するとジノルグが口を開く。
「そういえば初めてだな」
「え?」
「ロゼフィア殿に手当てされるのは」
どことなく嬉しそうに見えた。
いや、疲れ目かもしれない。
「……だって、全然怪我しないじゃない」
「するのも悪くないもんだと思った」
「そんな事は、」
「他の騎士達も言っていた。手当てが上手い、優しい、クッキーが美味しい、と」
「……ちょっと、何の話?」
性格や料理の腕は今関係ないと思うのだが。
「差し入れしたらしいな。俺も食べてみたい」
「あ、あれは、研究室の皆で作ったのよ。作っている時にたまたま会って」
「俺の分はなかったが」
「私はちょっと手伝っただけよ。ほとんど皆が作ったから」
「美味しかったと聞いた」
「だから私だけじゃないから……」
言いながら少し面倒くさくなってきた。
別に誰が作ろうがクッキーはクッキーだと思うのだが。
「分かったわよ、今度作るから」
「そうか。楽しみにしてる」
あっさりと頷かれる。
本当に、何を考えているのかよく分からない。
しもやけの症状は初期段階のようだ。何日かすれば良くなるだろう。ただ、滞在が三日なら、帰る時にまたしもやけになるかもしれない。自国はここより温かいし、そこまで心配する事もないかと思って手を離す。と、急に手を掴まれた。
「?」
「ロゼフィア殿の手は小さいな」
「……男女じゃ、大きさも変わるわよ」
小さいと言われるほどの小ささでもないと思う。だが相手は聞く耳を持たずに手を合わせてくる。比べてみると確かに自分の手は小さかった。そのままジノルグが指を曲げれば、すっぽり隠れてしまいそうだ。先程まで普通に触れていたが、改めて手を合わせると触れたところが温かい。いや、熱い。
「も、もういいでしょう。そろそろ行かないと」
こうしている間にも、皆が待ってるかもしれない。
ロゼフィアはジノルグの手から逃れるように腕を引く。
と、いつの間にかこちらをじーっと見ている銀色の瞳の女性と目が合った。
彼女は長い銀髪を頭の高い位置に結んでいる。
見れば軍服だ。もしや女性騎士だろうか。
女性はこちらと目が合うと、はっとするように手を口で押えた。
「すみません、お邪魔でした?」
「そんな事ないからっ!」
むしろいたならさっさと言ってほしい。
一体どこからどこまで見られていたのか。
すると女性はにこやかに笑い、手を差し出した。
「レビバンス王国で騎士をしております、マリー・フェルトンと申します。お二人の事はオグニス殿下より伺っております。言付けを頼まれ、参上致しました」
どうやら気さくな女性騎士のようだ。挨拶され、ロゼフィアもそれに返して手を出す。するとそのまま引っ張られてしまう。
「わっ」
マリーの胸元に飛びつく形になるが、彼女は器用に受け止める。
そして耳元でこんな事を言ってきた。
「ジノルグ殿とは恋人同士なのですか?」
「!? ち、違うっ」
慌てて即座に否定する。
すると彼女はすぐに身体を離し、にこっと笑う。
「なんだ、そうなのですか。それはそれは、」
一瞬だけ、真面目な顔になる。
「よかったです」
(……え?)
「今から一時間後に謁見室に皆様をご案内いたします。それまではお部屋でのんびりお過ごし下さい」
先程と同じ、屈託のない笑みを向けられる。
そして彼女はそのまま、部屋に案内してくれた。
その道中、ロゼフィアは放心状態になる。
ジノルグに声をかけられたりしたが、返事ができなかった。
(よかったって……なにが?)
彼女の一言が、なぜか気になって仕方がなかった。




