31*想う者、想われる者
本日二回目の更新です。
「……」
「…………」
「…………」
「………………」
アンドレアに言われ、ロゼフィアとクラウスは別室にいた。そこまで長い話ではないだろうが、この無言の重圧が地味に辛い。というか、どうやらこの騎士はあまり話さないようだ。
(こういう時って私から話しかけた方がいいのかしら……)
最近になって色んな人と話したり接点を持つようになったものの、ここまで無言が続く事はないかもしれない。なぜなら大抵は相手の方から話しかけてくれるからだ。だがそれにいつまでも甘えるわけにはいかない。
(ここで殻を破っておかないと)
よし、と心の中で気合いを入れてから、ロゼフィアは口を開いた。
「「あの、」」
まさかの声が被る。
このパターンは考えていなかった。
「あ、えと、そ、そっちからどうぞ?」
慌ててそう答えれば、クラウスは驚きつつも頷く。
そして一呼吸置いてから、こんな事を言いだした。
「魔女という事は……惚れ薬とかも作っているのか?」
「……は? まぁ、そういう薬もあると言えばあるけど……」
急に何の話だろう。その質問から会話が始まるなんて。
もちろん色々な薬の知識はある。だから作れない事はない。だが、そういう薬はあまり実用的ではないし、良いものではないとロゼフィアは考えている。よっぽど何かある場合ならそういう薬を作る事もあるが、今のところ作って人に渡した事はない。ヴァイズも惚れ薬という名のおかしなお菓子を売っているが、あれは効果が薄いものだ。だから適応する時間も短いし、悪戯程度で済む。
だが、ロゼフィアが作ると訳が違う。
効果が強すぎて危険を伴う事もあるのだ。
「でも私は作らないわ」
きっぱりと伝えておく。
これはクラウスだから断るのではない。
例え旧知の間であるアンドレアに言われても作らないだろう。
すると相手は少しだけ残念そうな顔をする。
「そうか。まぁそうしてまで人に好かれるものじゃないよな」
「……誰か、好かれたい人がいるの?」
表情からして、そんな気がした。
するとクラウスは息を呑む。
「驚いた。さすが魔女殿だな。そんな事も分かるのか」
「いや、顔に出て」
「その通りなんだ。俺には好いている人がいる」
「え。それって」
誰、と聞こうとするとタイミング良くドアが開く。
赤い髪を揺らしながら入ってきたのは、サラだった。
ロゼフィアは彼女を見て声をかけようとする。
と、それよりも先にクラウスの方が「サラ」と声をかけた。
「ああ、クラウス殿もいらっしゃったんですか」
「殿下に待っておくよう言われてな」
「そうだったんですね」
他愛もない会話をしているようだが、どこかクラウスがそわそわしているようにも見えた。ロゼフィアはもしや……と思っていると、サラが近寄ってくる。
「ロゼフィアさん」
「えっ、な、なに?」
考え事をしていたので、反応が遅れた。
だがサラは特に気にせず言葉を続ける。
「私もレビバンス王国に付き添いとして行くんです。ですから挨拶をしておこうと」
「サラも行くの? それは安心ね」
アンドレアが騎士を連れて行くと言っていたが、ただでさえ女性が少ない。そこにサラもいるという事は、頼りにもなるし、何かあっても同性だから手伝ってもらえる。ありがたいと思った。
「そう言ってもらえると私も嬉しいです。そういえば、クラウス殿とはいつ知り合いに?」
「ついさっきよ。アンドレアが紹介してくれたの」
「そうだったのですね。ですが、実は一度会っているのですよ」
「え?」
「花姫の時に。彼は私の相手役だったんです」
言われて目を丸くする。
あの時サラを不機嫌そうに呼んでいた騎士だったのか。
正直自分の事で精一杯で、周りの事はあまり見えていなかった気がする。
サラは小さく笑う。
「もうだいぶ前の話になりますね。覚えてなくて無理もないと思います」
「ちょっと不機嫌そうにしていたのは覚えているけど」
するとさらに笑みを深くした。
「そうですね。私が急にいなくなったので焦ったみたいですよ。キイル殿から話は聞いていたようでしたが、無事に戻ってくるのかも分からなかったみたいで」
「おいサラ、もうその話はいいだろう」
恥ずかしいのか、若干クラウスの顔が赤くなっている。
なるほど、心配で少し機嫌が悪かったのか。
「では私は先に失礼しますね」
「ええ。また」
サラは微笑んだまま、部屋を出て行く。
ドアが閉まった後、クラウスは気が抜けたように椅子に座り込んだ。
「好いてほしい人って、サラの事だったのね」
すると相手は椅子からずり落ちそうになる。アンドレアの前では落ち着いていたというのに、今の状況は少し騎士に似つかわしくない。少し滑稽にも見えてしまったが、さすがに失礼なので口を閉じておいた。
「なっ……さ、さすがだな魔女殿。やはり人の心が読め」
「あなたが分かりやすすぎるのよ」
さすがにきっぱり伝えておく。
これが魔女の魔法だなんだと騒がれるのは堪らない。
「……そんなに、分かりやすいか」
「ええ。サラに気付かれるのも時間の問題だと思うけど」
「……」
クラウスはゆっくりと座り直す。
両拳を握り、自分の膝の上に置いた。
「多分、バレているんだ」
「え」
「だが、気付かないふりをしているんだと思う」
「…………」
これはどちらで捉えたらいいのだろう。
良い方に言えばいいのか、悪い方に言えばいいのか。
とりあえずロゼフィアは黙って聞いていた。
「俺は六年前、サラの護衛をしていた」
「え。騎士同士で?」
「いや、サラは伯爵令嬢だ。その当時、サラの父と俺の父が知り合いだった事もあって、護衛をしてほしいと頼まれた」
聞けば「護衛騎士」とはまた違うらしい。必要な場合にのみ護衛をしていたようで、式典であったりパーティーであったり、重要な場に出席する場合のみ呼ばれたようだ。当時クラウスは二十二歳。それなりに騎士として立派になった時期であり、真面目に仕事をこなすところが評価されたらしい。現に今も王女の側近をしているのだから、それなりの実力の持ち主だろう。
「……だが、ある日サラから言われてしまったんだ。『もう守られたくない』と」
「え……」
「そしてサラは騎士になると言い出した。両親は反対したが……それでも、サラは騎士になった。当時長かった髪も、ひと思いに切ったんだ」
今は短い髪が彼女のトレードマークみたいなものだが、実際は長かったのか。確かにあの艶やかな赤い髪は、長いとより映えるだろう。それにしても、まさか令嬢だったとは。だが言われて物腰の柔らかさや丁寧さに気品を感じる。しかし令嬢が騎士になる、というのはあまり聞かないだろう。さすがに驚いた。
「そして士官学校を卒業して、俺とも再会した。……だが、どこか他人行儀になっていた」
「? でも、普通に接してくれてるじゃない」
花姫の時はほんの少しのやり取りしか見ていないので、そこまで覚えていない。だが、その時も普通に話していた気がする。現に今だってそうだ。敬遠しているようにも、距離を取りたがっているようにも見えない。ただ同じ騎士として、仲間としての対応だったと思うが。
「そう、そこが問題なんだ」
「え?」
クラウスは急に立ち上がる。
「俺に守られるのが嫌だから騎士になったのは分かる。だがその後が分からない。分からないほど普通なんだ。家族とも仲良くやっているようだし、他に護衛をつけているわけでもないし」
護衛をつけていないのは自身が騎士だからだろう。おそらく自分の身は自分で守る、という意志があるんじゃないだろうか。などというツッコミはこの際しない方がいいな、と思ってロゼフィアは黙っておく。
「俺は変わらずサラが好きだ。昔は可愛らしいお嬢様って感じだったが、今や騎士として凛として仕事をしている姿にも惚れている」
急に告白大会らしきものが始まった。
聞いているこっちが恥ずかしくなるくらいだが、クラウスは真剣だ。
「だからサラの気持ちが知りたい。あの時どう思っていたんだとか、俺の事は嫌っていないのかとか」
「別に嫌ってはいないと」
「そんなの分からないだろう。仕事上の付き合いだと思って割り切ってるだけかもしれない」
普通に否定され、ロゼフィアは少しげんなりする。
ここの騎士達は皆、真っ直ぐすぎやしないか。
「だから聞きたいんだ」
「……なら聞いたらいいんじゃ」
「だがそういう話に持っていこうとすると、サラは必ずかわす」
「……じゃあ待ってあげ」
「待った。十分すぎるくらい待っている。むしろいつまで待ち続ければいいんだ……!」
「…………」
もはや言葉も見つからない。
早くアンドレアとジノルグが来てほしいと思った。
するとクラウスはこちらに目を向ける。
「魔女殿」
「!? な、なに」
素早く近付き、丁寧に片膝をつ床につける。
「サラに聞いてくれ。俺の事をどう思っているのか」
「……は!? そんなの、私が聞いたからって答えてくれるとは」
「頼む。サラは魔女殿と仲が良い。だから話してくれるかも」
「でも」
するとクラウスは苦しそうな表情になる。
「このまま待ち続けるのはもう無理だ。俺だって手は尽くした。周りにも協力してもらったりした。それでも、サラは何も言ってくれない。だから魔女殿、もうあなたしか頼る人がいない」
必死な様子に、どぎまぎする。
さすがにここまで言われると、相手が困っているのは分かる。
「ずっと何も言われない気持ち、魔女殿には分かるか?」
「っ……」
この言葉はロゼフィアを揺らせた。
そしてこの時、ジノルグの顔が浮かんだ。
何も言わない。それはこちらのためを思ってかもしれないが、それでも何も言われなかったのは辛かった。見合いの事も、あの時何を考えていたのかも。ジノルグの親族のおかげで、お互いに腹を割って話す事ができたが、クラウスはそれさえもできないのだ。
話を聞いていると、その年月はあまりにも長い。
「……分かった。それとなく聞いてみる」
言葉は自然に出てきた。
クラウスはきっと藁にも縋る思いなのだろう。
サラがどう思っているかは分からないが、何もやらないよりやった方がいい。
「本当か!?」
クラウスの顔が一気に晴れる。
「でも、あんまり期待はしないでね」
「ああ、いい。それでいい。ありがとう!」
本当に嬉しいのか、万歳までしている。
思わず苦笑してしまうが、可愛らしいとも思った。
そして、ここまでして相手の事を想えるのが、どこか羨ましくなった。
息を吐けば白い。
それはどの国の冬であっても変わらないだろう。だが、今から向かう国はここより北の方角にあり、想像以上の寒さだ。こうして馬に乗って向かっている最中でさえ、冷気が頬を遠慮なく刺してくる。
ちなみにロゼフィアはフード付きの羊の毛が入っている防寒服を着ていた。もこもこしており、全身に羊がくっつていくれているような気分だ。だがフードを被っていても顔は出ているし、手先などは手袋をしていても氷のように冷たい。これだけ温かい格好をしていても、外の気温の方が低いのだろう。地味にぶるぶる震えていると、近くで馬を走らせるレオナルドが声をかけてくれた。
「大丈夫か? ロゼ殿」
「な、なんとかね」
話すと寒いのか歯が鳴る。
すると苦笑された。そしてちらっとロゼフィアの後ろ側を見る。
「そんなに寒いならもっと引っ付いてもいいと思うけどな」
「……別にそこまでじゃないから」
丁重にお断りしておいた。
ロゼフィアはいつものようにジノルグの馬に乗っている。お互いの背中と胸が当たっているわけなので、その部分は微妙に温かかったりする。だが、引っ付くのは無理だろう。背中をジノルグに預けている状態だ。位置的に難しい。しかもそうしたらしたで、ジノルグも動きづらいはずだ。
そう思いつつ、ちらっと顔を上げる。
ジノルグは前だけを見て馬を走らせている。ぶれない視線はいつもの事だ。だがそれよりも、この寒さで平気そうな顔ができるのがすごい。レオナルドを始め、他の騎士達は遠慮なく「寒い」と言葉が出ているというのに、それさえもない。レオナルドも思ったのか、小声で「同じ人とは思えない」と呟いていた。
「それにしても、レオナルドも来る事になってたのね」
「ははっ、それは俺も驚いてるよ」
どうやらアンドレアに言われての付き添いらしい。人数が多いに越した事はないが、ほぼ知っている騎士ばかりだ。もしかしたら配慮してくれたのかもしれない。
「やばい。雹だ!」
先頭を走る騎士の声が聞こえた。
え、という暇もなく、急に白い粒ようなものが降ってくる。よく「バケツをひっくり返したような雨」という表現があるが、この場合は「バケツをひっくり返したような雹」になるのだろうか。瞬く間に降っては遠慮なく頭や身体に打ち付けてくる。少しならまだしも、これが大量になると痛い。まるで凶器だ。
「ロゼ殿はすぐ殿下の馬車に」
「いや、いいわ。だって座るスペースないだろうし」
レオナルドの言葉にすぐに返す。
アンドレアも馬で行くと駄々をこねたようだが、チャールズが許可しなかったようで、一人だけ馬車に乗っている。しかも献上品なども大量に乗せているため、ぎゅうぎゅうの中で座っているのだ。おそらく身動きも取れないだろう。
雹に当たるのは痛いが、他の騎士も同じ目に遭っている。
だったら少々の事くらい、我慢できる。
すると急にジノルグが馬を止めた。
「?」
「ロゼフィア殿、座る向きを変えてくれ」
「え? 何で?」
「そうすればあまり雹に当たらなくて済む。早く」
「わ、分かった」
実際はよく分かっていないのだが、ジノルグの言う通りにすれば大丈夫だろう。なのですぐに座る向きを変えた。……が、案外変えない方が良かったのかもしれないと思った。
「……おいジノルグ」
傍で同じく馬を止めたレオナルドが、微妙な顔をする。
どうやら彼もロゼフィアと同じ考えのようだ。
なぜならお互い向き合っている状態になっている。しかもこれでは背中側から馬は進む。つまり、着くまで後ろ向きの状態が続くという事だ。馬の上も慣れないのに、恐怖しかない。不安だから、それとも寒さ故か、身体が震えた。
「位置を変えるならロゼ殿は後ろに乗せた方が良かっただろ」
確かにそれでも良かったかもしれない。
いや、もうさっきの位置でも良かったような気がする。
「それだとずっと腰に手を回さないといけなくなる。まだ距離はあるし、ロゼフィア殿の体力が消耗される」
意外とちゃんとした理由があったようだ。
「ジノルグ! レオン! もういいか!」
そうこうしているうちに、先頭の騎士が声をかけてくる。
これ以上待っていたらよりひどくなるからだろう。
二人は返事をし、すぐに馬を走らせる。馬が動いて思わず後ろに倒れそうになるが、ジノルグの腕が伸びた。そしてそのまま手は自分の腰に回る。
「ほぉ、なるほどね」
それを見ていたレオナルドが意味深に言う。
口元が若干緩んでいるのが分かった。
「ちょ、ちょっとジノルグ!」
慌てて声を張る。
「なんだ」
「片手じゃ危ないわよ! 私の事は離していい!」
正直今はこの体勢でいる事はどうでもいい。それよりも、片手で馬を走らせている事の方が恐ろしい。ただでさえ後ろ向きなのに、何かあったらどうするのか。
するとジノルグは冷静に返す。
「そうしたら落ちるだろう」
「落ちないわよ!」
「別に片手でも問題ない」
ちらっと顔を後ろに動かせば、馬はジノルグの意志通りに動いている。元々愛馬であるし、ジノルグ自身の優秀さを考えれば心配ないのかもしれない。だが後ろを見たせいか、思ったよりスピードが出ている事に気付き、恐ろしくなった。
「お願いだから離してっ!」
さらに声を大きくする。すると耳元で叫ばれたせいかジノルグは顔を歪め、手を離す。腰にあった重みが消え、身体が軽くなった気がした。と同時に、支えてくれるものがなくなり、身体がぐらっと揺れる。
「ひゃっ!」
慌てて目の前のジノルグに抱き着く。
腕や手を支えにしたくても、邪魔になってしまう。
だから胸に飛び込むような形になるのは無理もない。
すると隣でちょっと大きめな笑い声が聞こえた。
見ればレオナルドが笑いを堪えようと手で押さえている。
思わず声が大きくなった。
「っ、ジノルグっ!」
呼んだからって何かなるわけじゃない。
それなのに名前を呼んでしまった。
するとジノルグは瞬時に腕を動かす。
引き寄せるように肩を抱いてきた。ぴったりと身体が引っ付く。
「大丈夫だから、少し我慢してくれ」
こちらを安心させるような声色だ。
肩に置いている手を、優しく二回ほど叩いてくれる。
ロゼフィアは小さく頷き、そのまま胸に顔を隠した。
雹の勢いが増す。
それに合わせ、馬はどんどん加速する。
寒さや痛み、恐怖などの感情があったが、それはどこかに消える。
今は何より、赤くなった顔を誰にも見られなくてよかったと思った。




