30*護衛騎士の意志
本日は二話更新します。本日一回目の更新です。
「はい」
アンドレアが白い小さい箱を持ってくる。
両手に乗せて丁寧に見せてきたその箱の中には、銀色に光る笛があった。
「これが騎士に与えられる笛よ」
「形は一緒なのね」
「ええ。名前も入っているわ」
「名前?」
「ロゼフィアの名前よ」
アンドレアは、ふふ、と笑う。
確かによく見れば、自分の名前が彫られていた。
笛は真新しいようで、光に反射して輝いている。
とても綺麗だ。そこに自分の名前があるというのは、少し気恥ずかしい。
ロゼフィアはそっと笛を手に取る。
そしてジノルグに向き直った。
「お互いの笛を交換する」事で正式な関係になれるのだと聞いたが、まさか王女の手から笛をもらうのが伝統だとは。そして護衛対象が笛を受け取り、それを騎士の首元にかけてあげないといけないなんて。それを知った時は、そんな面倒な事しなくても王女から騎士に直接渡したらいいんじゃないかと思った。
少し緊張しつつも、そっとジノルグの首元に笛をかけてあげる。身長差はあるが、わざわざ目線を合わせてくれたので、首にかける事自体は難しくなかった。無事に笛が行き渡ったのを見て、アンドレアは微笑む。そして、形式的な言葉を述べた。
「これで、ジノルグ・イギアをロゼフィアの正式な護衛騎士と認める。騎士としての誓いを決して破る事はないよう」
「御意」
手を胸に当て、ジノルグは答える。
後半の圧のある言葉に、思わずロゼフィアも背筋が伸びた。
「意外としっかりしたものなのね」
思わず気が抜けてそんな言葉が出る。ただ笛を受け取って渡すだけなのに、地味に疲れた気がする。それはきっと、あの何とも言えない緊張感のせいだろう。とはいえ、アンドレアもジノルグも落ち着いていた。自分がああいう場に慣れていないだけかもしれない。
ロゼフィアは首元にかけている笛を取り出し、左右に動かす。この笛は騎士団に入隊した時からもらったものらしい。だからか、それなりに年季が入っており、所々傷がある。思えばいつも身に着けているが、こうしてじっくり見るのは初めてかもしれない。
隣に目を向ければ、同じようにジノルグも笛を見ていた。
穏やかな表情をしている。
「まるで」
「うん?」
「ロゼフィア殿が傍にいるみたいだな」
「え」
言われた事を心の中で復唱してしまう。
頬に熱が帯びる前に、慌てて言った。
「私はここにいるじゃない」
「確かにな」
ジノルグは小さく笑う。
それ以上は特に深入りされずに済んだ。
「無事に終わったな」
いつの間にかヒューゴがやってくる。
実は先程のやり取りでも傍にいた。
城のある一室を借りて行ったのだが、彼がここにいるのが不思議だ。昨夜ジノルグから詳しい話は聞いていたが、まさかヒューゴから提案してくれるなんて。てっきり反対されるだろうと面食らったものだ。
笛の受け渡しの間は静かに見ているだけだった。終わったら終わったで何か言われるんじゃないかとひやひやする。するとヒューゴは、ジノルグに声をかける。
「少し魔女と話したい。席を外してくれるか」
「嫌だ」
「「…………」」
思わずヒューゴと一緒で無言になる。
ここまではっきりと言い切る人がいるだろうか。
「いいだろう別に。意地悪するつもりはない。ただ言いたい事があるだけで」
「目を離すわけにはいかない」
「そこまで警戒するか。レオナルドの時は二人きりにしてるじゃないか」
いらついたのか、ヒューゴが声を荒げる。
これではどっちが年上か分からない。
「あいつはロゼフィア殿に対して悪意がない」
「俺はあると?」
「そうは言ってない」
それはあると言っているようなものだと思うが。
「ま、まぁまぁ。私は大丈夫だから」
きっと自分の事を心配してだろうと思い、助け船を出す。初対面の時はかなり痛い事を言われたが、その後は特に言われていない。先程も普通に見守ってくれていただけだ。
「じゃあ距離は取る。だが目は離さない」
「「…………」」
結局どっちが言ってもそこだけは譲れないらしかった。
「……本当にジノルグに何もしてないのか?」
ヒューゴが訝しげな表情で言ってきた。今二人は部屋の隅にいる。距離を取っているジノルグはこちらを見つめている。一向に他へは視線を動かさない辺り、徹底していた。その視線を受けつつ、「するわけないでしょ」とロゼフィアは半眼になりながら答えた。ジノルグの態度に自分が影響を与えているとはとても思えない。護衛をしたいと言われた時からそれは不思議に思っていた。
「まぁいい」
ヒューゴは腕を組んだ。
声だけは聞かれたくないのか、小声だ。
「笛を与えたという事は、ジノルグを護衛騎士に認めたわけだな」
「……そうだけど」
「今まで認めていなかったようだが、どういう心境の変化だ」
いや、数日しか知り合っていないのにその質問はどうなのだろう。護衛を拒んでいた時の事はよく知らないはずだ。初対面の時からどこか上から目線な物言いだと思っていたが、そこは健在か。
「別に、前からそう思っていたから」
ロゼフィアは無難に答える。
これは本当だ。いつ頃かは自分でもよく覚えていない。いつの間にかジノルグが傍にいる事が普通になった。そして、それを拒んでいる自分がいなくなった。むしろ立派なジノルグの傍にいて、恥ずかしくない自分でいたいと思うようになった。ジノルグの家族に会った事も影響しているのかもしれない。
「なるほどな。まぁ、精々守られたらいい。ジノルグに守られたいと思う者は大勢いる」
確かに。騎士としても人としても立派なジノルグの事だ。
あのアンドレアの側近だって勤めていたわけだし。
すると急にむっとされた。
「なんだその神妙くさい顔は」
「え?」
「ジノルグだぞ? あのジノルグが護衛騎士になったんだからもっと喜べ」
「えっ。あなた最初は反対してたんじゃ……」
「魔女が守られないといけない立場になったから反対していないだけだ。言っておくが、まだ認めたわけじゃない。勘違いするなよ」
「……あなた本当にジノルグの事が好きよね」
怒るどころか呆れるレベルだ。
出会った当初からそれは薄々感じていた。
全てはジノルグのため、というほどジノルグの事を大事に思っている。それは昔からの付き合いなのもあるだろうし、騎士として先輩なのもあるだろう。きっとジノルグの事が可愛くて仕方ないのだ。
「当たり前だろう。むしろ嫌いになる理由がない」
さも当然、という言い方に若干引く。
こうもはっきり言えるところは二人の共通点でもある。
やはり一緒にいると性格も似てくるんだろうか。
それとも元々似ているだけなのだろうか。そんな事を思わず考えてしまった。
「魔女も好きだろう」
「? 何が?」
「ジノルグの事だ」
「好き……?」
言われて首を傾げる。
正直、自分ではよく分からない。
人として尊敬している部分はあるが、それは「好き」という事になるのだろうか。そもそも、「好き」の定義とは何なのだろう。ヒューゴを見ているとジノルグに対する思いが熱いくらいに伝わってくる。だが、自分もそこまでの思いがあるのか、と聞かれれば、きっと違うと答えると思う。
するとまたむっとされた。
「ジノルグの事が好きじゃないだと?」
「いや、まだ何も言ってな」
「老若男女問わず好かれている奴だ。そんなジノルグを嫌いなどと言ったらただじゃおかないぞ」
「……いや、別に嫌いじゃ」
「じゃあ好きなのか」
「それは」
「どうなんだ。はっきりしろ」
やかましい、とこの場で言えたらどんなにいいだろうか。だが相手が相手だ。きっとその倍の言葉が返ってくるに違いない。だがロゼフィアは迷った。分からないものは分からない。大体そんな事、考えた事がない。だから答えようがない。気付いたが、ヒューゴは結構面倒くさい性格のようだ。
すると急に部屋のドアが開いた。
「ロゼ、ちょっといいかしら……ってあら?」
アンドレアが中に入ってくる。
背の高い騎士も連れていた。
こちらとジノルグを交互に見てくる。
そして何度も瞬きをした。
「これはどういう状況なの?」
確かに部屋の隅で話すロゼフィアとヒューゴ、そしてそれをじっと見つめながらも距離を取るジノルグを見れば、何事かと言いたくなるだろう。これ幸いと思い、ロゼフィアは近寄った。
「ちょっと話していたの。それよりどうしたの?」
笛を渡してくれた後、一旦退席したはずだ。
何か言いたい事があったのだろうか。
すると彼女はにこっと笑う。
「一緒にレビバンスに行きましょう」
「…………え? 待って、今何て言ったの?」
「だから、一緒にレビバンスに行きましょうって」
ロゼフィアは目を白黒させる。
言っている意味が分からなかった。
「あの、レビバンスってもしかして北国の?」
「ええ。それ以外に何があるの?」
「だってそんな……今からちょっと出かけましょうみたいなノリで言われても……」
北国な事もあり、ここからだとだいぶ距離はある。伝令役の騎士が馬を走らせて行くならまだしも、王女であるアンドレアも行くとなるとさらに道は過酷じゃないだろうか。一年中雪が降っている。普通の道と違い、きっと滑りやすいだろうし、だいぶ着こまないと凍え死ぬだろう。
「あら、前々から行く事は決定していたわよ? 準備もできているし、騎士も多めに連れて行くし、何も問題ないわ」
「……待って。だいぶ前に決まってって、私が聞いたのは今なんだけど?」
「そりゃあ今言ったもの」
前にも似たようなやり取りをしたような気がする。
ロゼフィアは頭が痛くなった。
「あのねアンドレア、そんな事知らないから私全然準備してないわよ?」
「だから今から準備すればいいでしょう? 心配しなくても明日の朝に出発よ。今日中には準備もできるはずだわ」
「……ちなみに滞在期間は?」
「三日くらいかしら。足りない物があるならオグニスが準備するから大丈夫、って」
溜息をつきたくなるのをぐっと堪える。
アンドレアがオグニスと手紙のやり取りをしているのは知っている。だからこそ、良好な関係を築けているのは微笑ましい事だ。しかもアンドレアはいつかレビバンスに行きたいと言っていた。有言実行な彼女の事だから、それはすぐに果たされるだろうとは思っていた。だが、そこに自分も行く理由がよく分からない。むしろ邪魔になるのではないだろうか。
そう伝えれば、顔を横に振った。
「そんな事ないわ。オグニスが会いたがっていたもの。もちろん、ジノルグにもね。あの時の再戦をしたいとも言っていたわ」
「……分かった」
レビバンス王国の王子がそう言うのであれば、行かないわけにもいかないだろう。それにアンドレアに何を言っても予定を変更しない事は分かっている。それは花姫の時に十分理解した。だからここは素直に頷いておくのが自分のためでもあると思う。拒めば拒むほど、アンドレアはより巧妙な手で捕まえてくるのだから。
すると相手は、花が咲いたかのような笑みを浮かべる。
「良かった! ロゼなら承諾してくれると思っていたの」
「……いや、無理やり承諾したようなものだけど」
「でも断りのセリフは一言もなかったわよ? ロゼも前と変わったわね」
それを言われるとそうかもしれない。
ただでさえ近くに、拒んでも傍にい続けた騎士がいるのだから。
何を言われても意志を変えない強さはあったはずなのに、自分よりもさらに意志の強い人が現われたらこちらが折れるしかないのだ。まぁでも、レビバンス王国に行くのは嫌ではない。オグニスが会いたがってくれるのなら、会いたいと思うし話もしたい。きっと優しく、仮面の向こう側で微笑んでくれる事だろう。王子という立場でありながら、とても謙虚な人だから。
と、そこでアンドレアの後ろにいた騎士と目が合う。
「そういえば、その人は?」
「ああ、紹介が遅れたわね。私の新しい側近よ」
すると先程の背の高い騎士が、こちらに近付いてくる。
切れ長で青色の瞳に、焦げ茶色の髪は整えられていた。
「クラウス・ギュプシだ。よろしく」
近くに来るとより高さを感じる。
自分より頭一個分は軽く超えているんじゃないだろうか。
少し威圧的にも感じたが、顔つきは穏やかだ。
歳はジノルグよりも少し上に見える。
同じく挨拶をした後、すぐにアンドレアに目を向けた。
「側近なんていつの間に?」
確か前はジノルグが側近だったはずだ。そしてその後も特に側近をつけるという話は出ていなかったはず。するとアンドレアは困ったような顔をした。
「前にオグニスが来た時、お忍びで城下に出ていた事をお父様にバレてしまったの。せめて新しく側近をつけなさい、って、泣かれてしまってね」
これにはロゼフィアも渇いた笑いになる。威厳ある王でありつつも娘に弱いチャールズの事だ。もしもの事があったら気が気でないのだろう。確かに王女であるのだから、ちゃんと護衛はつけるべきだ。お忍びをよくしている事はジノルグから聞いていたが、遂に王の耳にも届いてしまったか。
「ジノルグとヒューゴは話があるから少し残っていて。その間、ロゼの傍にはクラウスがいて頂戴」
皆が一斉に返事をした。
「ロゼフィア殿も連れて行く事にしたのですね」
二人がいなくなったのを見計らって、ジノルグが言う。
するとアンドレアはにっこり笑った。
「さすがね。気付いていたの?」
「はい」
アンドレアがレビバンスに行く事は知らなかったものの、行くだろうという事はジノルグも予想していた。遠い国に行く場合、その道中何事もないように事前に日程は組まれる。そして、もしロゼフィアも連れて行くつもりだったなら、もっと前から言っているはずだ。つまり、元々は連れて行くつもりはなかった。
「自国であんな事があったなら、いつまた何が起こるか分かったものじゃないわ。だから一旦レビバンスに避難する。元々訪ねる予定ではあったけどね。まさかロゼを狙う輩も、北国に行くなんて思わないでしょう」
話を聞いていたヒューゴも頷く。
「その間に俺は、できるだけ多くの情報を集めるように致します」
「ええ、頼りにしているわ」
「それでは」
最敬礼をした後、そのまま彼は部屋を出る。
行く途中で目だけ合図され、こちらも目で返す。
言葉でなくても、相手の言いたい事は分かる。
「ジノルグ」
名を呼ばれ、アンドレアに顔を戻す。
いつになく真剣な顔つきになっていた。
「あなたはロゼの正式な護衛騎士になった。なら……分かっているわよね?」
「はい」
迷いなく答える。
本当の意味で護衛騎士になった。
それはつまり、一生をかけて守るという事だ。