29*魔女の存在
少しだけ内容を付け足したり訂正しました。
そこまで大幅は変更はありません。
だいぶ遠ざかっただろうという場所まで来て、はたと我に返る。
(……なにしてるの、私)
思わずがっくり来る。全身の力が抜けた。
ジノルグはこちらの気を遣ってくれただけなのに、勝手に思い出しては勝手に逃げ出すなんて。しかも今はそれどころじゃないというのに。ロゼフィアは無意識に自分の両腕をさする。
初めてああいう現場に出くわした。二人共こちらの事はお構いなく、二人の世界に入っていた。愛……の力というのはそれほどまでにすごいのだろうか。だが、すぐに首を振る。分からない。きっと自分には分からない事だ。だから、これ以上この事を考える必要はない。自然と頭も冷めてきた。
「ねぇ、そこのあなた」
と、急に声をかけられる。
振り返れば、栗色の長い髪を持つ女性だ。
すると女性の方が何かに気付いたようだった。
すぐに足先を後ろに向ける。
「どうやら人違いだったみたい。ごめんなさい」
「待って」
今度はロゼフィアが呼び止める。
「……なにかしら」
「どうしてドクラロットを持っているの?」
「…………」
女性は黙り込む。
そう、相手が気付いたように、ロゼフィアの方も気付いた。微妙なにおいに。彼女が声をかけて来た時に、植物の渇いた、そしてドクラロット独特のにおいがしたのだ。しかも薬品のかおりもする。間違いない。この女性は薬学に長けている。
すると女性はゆっくりと顔を合わせてくる。
口元には笑みを浮かべていた。
「驚いたわ。まさか魔女がここにいるなんて」
「っ! 私の事を知ってるの?」
髪色と瞳の色は珍しいが、今は仮面をつけているので髪しか出していない。それなのにすぐに紫陽花の魔女だと分かったのか。一体何者なのだろうと身構えたが、彼女はあっさりと両手を出した。
「悪いけど、あなたに付き合うほど私も暇じゃないの。さようなら」
そしてそのまま来た方向を戻り始めた。
あまりにあっさりとした言動に唖然としつつ、慌てて追いかける。
このままはいそうですか、と逃がすわけにはいかない。
「待っ……」
すると女性の方が先に動いた。
ロゼフィアの腕を掴んだと思えば、壁に背中を押し付けられる。
勢いのまま咳き込みそうになるが、首元には小型ナイフを向けられていた。
先程の女性はもう笑っていない。
琥珀色の瞳でこちらを睨んでいる。
「――ここで殺されたいの?」
「なんでこんな事を」
「ああ、魔女を実験にするのもいいかもしれないわね」
こちらの話を聞かず、勝手に話し出す。
「なにを」
「薬の知識がある人ほど、実際自分がその毒物にどれほど耐えられるのか……試してみたくない?」
ロゼフィアはぞっとした。
相手の声色は優しいものだった。
だがその言葉は残酷なものだった。
女性は器用にナイフの柄の部分を口にくわえる。
そして空いた手で腰についているポーチから何かを取り出した。小瓶のようだ。
中身は黒い。真っ黒の液体だ。
何が入っているのか瞬次には分からなかった。
彼女は微笑む。
「私、幸せそうな人の歪んだ顔を見るのが好きなの」
そしてその小瓶を顔に向けてくる。
ロゼフィアは恐ろしくて声も出なかった。
と、その時、彼女が急に視界から消える。
「きゃあっ!」
そして叫び声が聞こえた。
見れば彼女は後ろに倒れている。
小瓶は床に落ちて割れ、黒い液体も赤い絨毯の染みになっていた。
ロゼフィアは思わずその場に座り込む。
身体が小刻みに揺れ、思ったより恐怖を感じていた事が分かった。
「ロゼフィア殿!」
見れば焦った顔をしたジノルグがいた。
どうやら助けに来てくれたらしい。女性に足を引っ掛け、後ろに転ばせたようだ。わざわざ腰を折って目線を合わせてくれる。
「大丈夫か」
ロゼフィアは頷く。
今はそれだけしかできなかった。
「……ふ、ふふ」
不気味な笑い声が聞こえる。
はっとしてジノルグはロゼフィアを背中に隠した。
倒れていた女性は、ゆっくりと立ち上がる。
「同じはずなのにこうも違うなんてね」
「……え?」
「覚えときなさい、紫陽花の魔女」
女性はすっと人差し指を向けてくる。
その爪は真っ赤に染まっていた。同じく血のように赤い唇を動かす。
「魔女は狙われている。あなたもね」
「どういう意味だ」
何も言えないロゼフィアに代わってか、ジノルグが聞く。
すると彼女はジノルグに首を動かした。くすっと笑う。
「あなた、騎士? ふうん。ここの魔女は幸せ者ね。傍にいてくれる騎士様がいるなんて」
「質問に答えろ」
「でもあなたはこの子を守れない」
「……なに?」
「魔女は守れないのよ」
相手の様子がおかしいと思い、ジノルグは瞬時に動いた。
彼女を捕まえようと手を伸ばす。
だが女性は薄笑いを浮かべたまま、右手をくるっと動かす。
するとその姿はみるみるうちに光の粒となり、消えた。
その場に残っているのは、割れた小瓶の破片だけだ。
「なんだ、あれは」
ジノルグが呟く。
ロゼフィアは無意識に言葉にしていた。
「……魔女」
「え?」
「彼女も魔女なんだわ」
ロゼフィアとジノルグは一度ヒューゴ達のところに戻った。その間にも二人は動いてくれ、クラブのとある部屋から大量のドクラロットを見つけたようだ。各自一人で行動していると、声をかけられたらしい。声をかけてきた人物について行く先にドクラロットがあった。
声をかけてきた人物達は、首謀者というよりは雇われだったようだ。ヒューゴとサラが騎士だと明かし脅しても、頼まれただけだから詳しくは知らないと泣きながら言われたらしい。とりあえずその者達の身柄は確保し、ロゼフィア達もこちらで起きた事を共有した。
「「魔女?」」
ヒューゴとサラは口を揃える。
「つまり、今回の事件はその魔女が起こしたかもしれないって事ですか?」
「その可能性が高いと思う」
サラの問いに、ロゼフィアは頷いた。
彼女は確かにドクラロットを持っていた。そして薬品のかおりがした。実際に小瓶に何か液体を入れていたし。あの後少し薬品の中身を調べたが、毒が入っているのは間違いない。もしかしたらドクラロットかもしれないが、それは詳しく調べてみないと分からない。
「しかし、なんで彼女が魔女だと思ったんだ?」
「魔女の事をよく知っていたから」
するとヒューゴは首を傾げる。
ロゼフィアの答えが理解できなかったのだろう。
だが本当に彼女は「魔女」の事をよく知っていた。
何度も「魔女」という言葉を使っていた。
「それに、特定の薬草に詳しかった」
ロゼフィアは大体なんでも知っているが、魔女の中には特定の薬草に詳しい人もいる。特定の知識だけ持ち合わせている魔女は珍しくはない。彼女は毒草に詳しい様子だった。それに、最後は光の粒となって消えた。おそらくあれは魔法の類だろう。それも扱える魔女だったという事だ。
するとサラは目を丸くする。
「え、魔女って……他の国にもいるんですか?」
「いるぞ」
ロゼフィアが答える前にヒューゴが言う。
彼は他国との交流が多い。だから分かるのだろう。
「彼の言う通り、魔女は他の国にもいる。ただその存在を知られているかは……国による」
「えっ」
「「…………」」
驚いたサラに対し、二人の騎士は黙って聞いていた。
「魔女の扱いは国によって違う。いないものとして扱われる場合もあれば、重宝される事もある」
「紫陽花の魔女は重宝されているな。アンドレア殿下からも信頼を勝ち取っているわけだし」
ヒューゴの皮肉だ。だがいつもの棘がある感じではない。どこかこの少し和らげようとしている様がも伺える。どうやら気を遣ってくれているらしい。ロゼフィアは少し苦笑した。
「だから魔女は一人でいる事が多い。その方が効率がいいって事もあるけど……」
その先は言えなかった。
だが静かになったロゼフィアを、誰も咎めなかった。
きっと察してくれたのだろう。
一人でいるのは、一人が好きだからじゃない。
一人でいる状況にさせられたからだ。
あの魔女は、同じなのに違うと言った。
同じなのは魔女である事。
違うのはおそらく……自分との境遇だろう。
彼女の事を思うと、一概に全て悪いと思えない。
「……だが、彼女の行為は許されるべきじゃない」
ジノルグの言葉に、はっとする。
そうだ。彼女のせいですでに三人は亡くなってしまった。
人の命を奪っていい理由にはならない。
「今日の事を騎士団に報告しよう。とりあえず紫陽花の魔女は休んだ方がいい」
「え? 私も一緒に」
「顔が青白い。先に研究所に帰れ」
ヒューゴが真顔でそう言う。
行く前に散々色々言ってきたというのに、妙に優しい。それほどまでにひどい顔をしているのだろうか。だが、確かに少し疲れていた。この事件に「魔女」も関係していた事も大きい。素直に頷いた。
「ジノルグは俺と一緒に騎士団に来い。サラ、お前は送ってやれ」
「はい」
サラがそっと背中に手を置いてくれる。
その手が温かくて、ロゼフィアは少しだけほっとした。
「……まさかここに三人も来るとはな」
「夜分遅くに大変申し訳ございません」
少し驚いた様子を見せたチャールズに対し、キイルは頭を下げる。
その後ろには、同じく頭を下げたジノルグとヒューゴの姿があった。
「いい。何があった」
中隊長のキイルに他国で活躍するヒューゴ、そして騎士団の中でも有数の剣術の達人であるジノルグが揃ってくるとはただ事ではないと感じたのだろう。チャールズは真面目な声色で聞いた。
「はい。まずは先程の事件について報告させていただきます」
「ああ」
ジノルグとヒューゴが内容を伝える。
犯人が他国の魔女かもしれないと伝えると、渋い顔になった。
「それともう一つ。私の方から申し上げたい事がございます」
ヒューゴが一歩前に出た。
「なんだ」
「最近、『魔女』に関する噂が各国で出ております」
「「!?」」
これには傍にいたジノルグとキイルも驚いた。
そんな話、ヒューゴが帰国してから一度も聞いていない。
チャールズはただ黙って聞いている。
「噂は様々です。ただ共通しているのは、どの魔女も『悪い魔女』であると」
「悪い魔女?」
「はい。『呪い殺そうとしている』、『毒薬ばかり作っている』、『誑かそうとする』、『この国を乗っ取ろうとしている』……などという噂ばかり出ております」
「……ヒューゴ。お前さん、もしかしてその噂があったからロゼ殿を嫌っていたのか?」
キイルがここで言葉を挟む。
なぜヒューゴがこれほどまでにロゼフィアの事を毛嫌いしていたのか、キイルを始め周りの騎士達は不思議に思っていた。とりあえず、それがジノルグのためにならないと思っている、という事は分かっていたのだが、もしやその噂が大きな原因か。
するとヒューゴは一旦無言になる。
そしてまた口を開いた。
「それは否めません。ですが、一番は魔女がどうとかではなく、ジノルグの護衛対象だった事に腹を立てておりました」
隠す事なくはっきり口に出すところはジノルグと似ている。
キイルとチャールズは苦い顔をしつつ聞いていた。
そして話はまた元に戻る。
「とにかく、各国でそんな噂があるからこそ、自国でもこのような事件が起こったのかもしれません。ですから、手を打たねばなりません」
ヒューゴの言葉に、一斉に大きく頷いた。
「なぜ、あんな話を今したんだ」
話が終わった後二人きりになり、ジノルグが聞く。
「事件に魔女が関わっていたなら、話すのは当然だろう」
「帰ってきた時にそんな事は言ってなかった」
「ああ。まずは気になったんだ。自国の魔女は悪い魔女なのかどうかを」
ヒューゴは悪びれる様子もなく答える。
そしてふっと笑った。
「悪くない魔女だな」
どうやらヒューゴにもロゼフィアの良さは伝わっているらしい。
あんなにも敵意をむき出しにしていたというのに。
「だからジノルグ、お前が守ってやれ」
「……認めてくれるのか?」
「本当は認めたくはない」
ばっさり切り捨てる。
遠慮がない言い方なのがさすがヒューゴだ。
「だが、むしろ守らないといけない状況になった。しかも彼女は狙われているらしいしな。これからがきっと大変になる」
「どんな状況になろうと、俺が守る」
「即答なのがお前らしいな」
さすがのヒューゴも笑ってしまう。
そしてすぐに顔を引き締めた。
「俺も明日の昼には出発する」
「? 数日は留まると」
「そのつもりだったが、そうも言ってられない。早めに情報を集めるに越した事はない」
どうやら自ら他国を巡って魔女に関する情報を集めるつもりらしい。仕事に真面目なのは昔からだ。そして、すぐに行動を起こすのも。ジノルグは素直に感謝した。
「ありがとう」
「いい。お前のためだ」
「そこはロゼフィア殿のためじゃないのか」
「そう言ったらお前達を認める事になるからな」
鼻で笑われる。
どうしても完全に認めるわけではないらしい。
そこは素直じゃない。
「ああ、そうだ」
ヒューゴが今気づいたかのような声を上げる。
「お前達、正式な関係にはなっていないだろう」
確かにロゼフィアの護衛騎士ではあるが、それはジノルグが勝手に行っているようなものだ。もちろんアンドレアには許可をもらっているし、ロゼフィアを守る意志もあるし、問題はない。ただ、まだ「正式」には護衛騎士になっていなかった。なぜならロゼフィアがまだ許してくれていないからだ。いや、正確には許してくれないというか正式に結んでいないだけな気もする。
だがそれは誰にも言っていない。
むしろ周りは関係を結んでいるとばかり思っている。
そう言うと、ヒューゴは呆れるような顔をした。
「正式な関係になったらお前も笛を持つはずだろう。それなのに紫陽花の魔女しかお前の笛を持っていない。俺からすればすぐに分かったぞ」
そう。実は、護衛対象に笛を渡せば良い、という話ではない。逆に護衛対象からも笛を渡してもらうのだ。護衛騎士の名が入った笛を護衛対象へ。そして護衛対象の名が入った笛を、護衛騎士が持つようになる。笛を持つ理由はもちろん居場所を知らせるためだ。一見騎士にはいらないようにも見えるが、笛を贈るのも意味があるらしい。確かそれが何だったかまでは忘れてしまった。
「俺がいる間には結んでくれよ。折角ならその姿を見たい」
そんな事を言われてしまう。
思わずジノルグも小さく笑った。
そんな事まで気にしてくれるという事は、ほぼ認めてくれているようなものだ。ヒューゴの真意は分からないが、きっとそうだろう。それに、これからロゼフィアのために力を貸してくれる。口では色々と言っていたが、なんだかんだ世話役な騎士だと言っていい。
するとさすがに笑い過ぎたか、怪訝そうな目で見られる。
笑いを押し殺した後、ジノルグはこう言った。
「ロゼフィア殿が許可してくれたらな」