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20*知る側と知りたい側

 はっと目が覚めた時には、ベッドの上で寝ていた。

 ロゼフィアはゆっくりと起き上がる。


 ついうたた寝していたと思えば、思ったよりも寝てしまっていたようだ。救護室にある時計を見れば、あれから数十分は経過している。疲れていたとはいえ、まさか本当に寝てしまうとは。よっぽど疲れていたのだろう。つい安心してそのまま寝てしまっていた。ふと隣を見れば、ジノルグがいる事に気付く。


 彼は首を曲げて下を向いている。

 動かないところを見れば、どうやら寝ているようだ。


 常に姿勢を正して傍にいる姿しか見た事がないため、なんだか新鮮だ。しかも足を組み、腕も組んでいる。その状態で寝られる事もすごい。足を組むのは皆よくやりがちだが、身体の骨の位置が歪んでしまうため、本当は良くない。そんな専門的な事を考えてしまいつつも、ロゼフィアはそっとジノルグに近付いた。


 下から覗き込むと、目を閉じた顔が見える。


 あまり顔をまじまじと見た事はなかったが、端正な顔立ちだ。真面目な顔しか見た事ないが、逆にそこが彼の良さでもあるかもしれない。強いし真面目だし、見合い写真がたくさん届くというのも頷ける。確かに周りが放っておかないだろう。


(まぁちょっと強情なところはあるけど……)


 思わず苦笑してしまう。


 ふとロゼフィアは、ジノルグの髪色に目がいく。自分と同じように染めたのだろう。いつもは黒色なのに、焦げ茶になっている。若干茶色かかっているところを見ると、自分と同じく全部は染まらなかったのだろう。元々互いに色合いが強い髪色なので、無理もない話だ。髪色を変え、そして仮面もつければ誰か分からない。実際誰だか全く分からなかった。ロゼフィアはまじまじと髪と顔を見比べる。


「……あんまり似合わないわね」


 ぽつりと言葉に出してしまう。


「悪かったな」


 動かないままに声だけ聞こえ、驚いて身を引く。

 するとゆっくりとジノルグが顔を上げた。その顔はちょっと不機嫌そうだ。


「お、起きてたの?」

「無遠慮な視線を向けられたらな。言っとくが俺は騎士だぞ」


 普段から殺気だった人を相手にしている。これくらいの視線で気付けるなんて、もはや職業病といってもいいかもしれない。納得しつつも、ジノルグだからこそより敏感に反応できるんじゃないかと思ってしまった。


 ジノルグは小さく溜息をつく。


「俺だって好きで染めたわけじゃない。レオンが勝手にしたんだ。ロゼフィア殿こそ、なんだその色」

「なっ、」


 今度は自分に矛先が来た。

 さすがにこれは抗議する。


「私だってアンドレアが勝手に……! ちなみにこれは銀よ!」

「銀? どう見てもくすんだ色じゃないか」


 確かに銀というより灰色に近い。まるで灰かぶりのような色合いになっている。が、そんな事言われなくても分かってる。むしろ自分が一番分かっているのだ。


 思わず声の音量を上げてしまう。


「元々が紫なんだからそりゃあ綺麗に染まるわけないじゃないっ! 私だってなんで銀なんだと思ったわよ!」

「そうだな。元の色の方が似合う」

「そっ……れは、ありがとう」


 また追加で何か言われるかと思いきや、褒められた。

 むしろここは素直に喜んでいい場面なんだろうか。


「『紫陽花の魔女』だしな。その髪の色と瞳の色が一番似合う」

「……似合うというか、この色が元々なんだけだど」

「だからそれが良いって言ってるんだ」

「はぁ」


 ジノルグの言葉は、たまにどう反応したらいいか分からなくなる。


「それならジノルグも、いつもの髪色の方がいいわね」

「そうか?」

「ええ。ジノルグらしいわ」


 すると相手は苦笑する。


「それはどうも」


 喜んでいるのか微妙な顔だ。

 だがちょっと照れているようにも見えた。


「そういえば、私からの質問に答えてもらってなかったわね」


 寝てしまう前はなぜ自分を助けたのか、と咎められた。だがその前の質問に答えてもらってない。なぜジノルグがここにいるのか。もっと詳しく聞くなら、なぜそんな髪色をして仮面をつけていたのかも知りたい。するとジノルグはすかさず「答える前にロゼフィア殿が寝たんだろう」と言ってきた。いちいち細かい。


 ジノルグは一度息を吐いた。


「殿下に頼まれたからだ。隠れてロゼフィア殿を見守れと」


 薄々そんな気はしていたが、やはりそうだったのか。ここに来る前は人込みは苦手だし誰かと一緒なのも嫌だった。今では慣れた事もあってそこまで感じなくなったが、それでもアンドレアが気にしてくれたのだ。さすが長年の友人だけある。わざわざ髪色を変えたり、顔全体を隠す仮面を選んだのも、おそらく自分の事を思ってだろう。


「あの方は、ロゼフィア殿を姉のように慕っているからな」

「本当に、ありがたい事ね」


 ぽつりとつぶやいてしまう。


 何かしてもらう度に感じる事だ。

 自分に魅力があるとも思わないのに。


「卑下するなよ」


 何か言う前にきっぱりとジノルグに言われてしまう。見れば真剣な顔をしている。目を逸らさないその眼差しは、意志の強さが見て取れる。自然とこちらもその目に惹かれてしまう。


「ロゼフィア殿が思っている以上に、ロゼフィア殿の良さを周りは知っている。だから自然と慕うようになるんだ。自分を卑下する必要はない」

「別に、今はしてな」

「心の中ではちょっと思っていただろう」

「…………」


 心の中まで見透かされるのか。どうしてこの人はそんな事まで分かってしまうのだろう。確かに少しはそう思ってしまった。自分には何もないのに、どうしてだろう、と。そんな事を考えても仕方ないのだが、それでもその理由が自分では分からないのだ。いやでも考えてしまう。


「これから俺がロゼフィア殿の良さを見つけては褒めていく。そう言っただろう?」

「え、そんな事言った?」


 全く身に覚えがないのだが。

 すると相手は分かりやすく顔を歪ませた。


「覚えてないか……」

「え、嘘。本当に? いつ言ったの?」

「いい。変なお菓子を食べた後の話だからな。覚えてないのも無理はない」


 思わず顔が赤くなる。


 あの時か。あの時は自分が何をしたのかも覚えていない。サンドラに散々茶化されたが、おそらくジノルグにも迷惑をかけた事だろう。勝手に寝だした後も運んでくれたらしいし。挙句の果てに話した事さえ覚えていないなんて。赤かった顔が、今度は青白くなっていく。


「ごめんなさい。覚えてないなんて」

「いや、そこまで気にする事じゃない」

「でも……」


 するとジノルグは思い切り溜息をつく。

 そして急にほっぺをつねってきた。


「うあっ?」

「ふっ」


 急過ぎて変な声が出てしまう。

 すると思い切りジノルグに鼻で笑われてしまった。


「ちょっ、笑わないでよっ!」


 だが顔を背けて身体を震わせている。

 よほどツボに入ったらしい。


 しばらくしてから、ようやくこちらに顔を向けてくる。


「ロゼフィア殿」

「…………」

「悪かった。そっぽを向くな」

「……なに」

「さっきのは悪かった。ただ笑ってほしかったんだ」

「結果的にジノルグが笑ってたけど」

「根に持ってるだろ」


 このやり取りは前にもしてる。

 長引かせるつもりはなかったので、大人しく聞く事にした。


「ロゼフィア殿は優しい人だ。人の気持ちに寄り添おうとする」

「そんな事」

「だがそうやって自分はできてないと言い張る」

「……だって、そんな事ないわよ」


 自分より優しい人なんていっぱいいる。


 それに自分はそんなに優しくない。自分の事しか考えられない時だってある。そんな人が本当に優しいと言えるのか。優しいのは支えてくれるサンドラやアンドレア、そしてジノルグのような人に使う言葉だと思う。


 するとジノルグは強い口調になる。


「それはあくまでロゼフィア殿(・・・・・・)が感じている事だろう? 大事なのは相手(・・)がどう感じたか、だ」

「……それは」

「感じ方なんて人それぞれだ。だが相手がそう感じたなら、ロゼフィア殿は優しいって事になるんだ。相手から褒められた事は、素直に受け止めていい」

「…………私はそんなに、素直じゃない」


 素直な人なら誉め言葉も叱責も真っ直ぐ受け止められるだろう。でも自分はそんな事できない。色々と考えてしまうし、違うと思ってしまう。言うのは簡単だ。でも考えを変える事は難しい。


「そうだな」


 あっさりと言われる。

 逆にあっさり過ぎてがくっとなりそうになる。


「そうだな、って」

「簡単な話じゃない事は俺も分かっている。ただ、知ってほしかったんだ。褒めた事を否定されるのは寂しい事だと」


 少しだけ遠い目をされる。確かに、そう思ってしまう事は周りの人にとっても失礼な事になるかもしれない。せっかく自分の事を思って言ってくれたのに。


「……そうね」

「ああ」

「ジノルグ、ありがとう」


 自然と出た言葉だった。


 すると彼は一瞬目を大きく見開く。

 だがすぐに、ふっと笑った。


「俺にとってもロゼフィア殿は、何者にも代えられない存在だ」

「……それって」

「そういえば気になる事がある」


 急に話題を変えられた。


 上手くはぐらかされたような気もしたが、でも大事な事を教えてもらった。ジノルグにそう言ってもらえただけで、どこか安心感も生まれたようだ。ロゼフィアは頭を切り替え、話を聞いた。


「なに?」

「殿下の事だ」

「そういえば……アンドレアもドレスを着ていたけど、会場にはいなかったわね」


 最初は自分だけ会場に連れていかれた。

 だがちゃんとドレスを着ていたし、参加しないとは考えにくい。


 するとジノルグも小さく頷いた。







「ロゼフィア殿。あれを見ろ」


 会場のドア付近にいながら、言われた通りロゼフィアはそっと中を見た。するとそこには、見た事がある黒い仮面を被った人物がいる。他の参加者よりも豪華なその仮面に、オグニスである事は一目瞭然だった。ロゼフィアはなぜここにオグニスがいるのか驚いたが、彼の傍にいる人達にも驚いた。なぜかレオナルドとアンドレアの姿がある。


「え、どういう事? アンドレアはいつの間に」

「レオンから聞いた話だが、どうやら城下で二人は会ったらしい。お互いの素性は隠しているようだ」

「そ、そう」

「ちなみにレオンはオグニス殿の正体に気付いている」

「え、だって正体を知ってるのって」


 その場に呼ばれた自分とジノルグ、そしてキイルだけのはずだ。


「あいつは情報通だからな」


 どこか釈然としない様子でジノルグが言う。


「ああ、なるほど……」

「しかもどこで情報集めているのか、問い詰めてもかわすからな」


 これには思わず苦笑してしまう。


 しかし、情報通ならば何も言えない。それにおそらくレオナルドも互いの素性を明かしたりはしないだろう。ひとまずいい機会という事で、ロゼフィアはジノルグと一緒に観察を始めた。




「それでは、俺はこれで」


 レオナルドがそう声をかけ、その場からいなくなる。

 実はアンドレアがオグニスを連れてくるよう頼んでおいたのだ。


「来てくれてありがとう」

「こちらこそ、招いてもらって」


 オグニスは口元を緩める。

 そしてレオナルドが向かった先を見つめた。


「先程の騎士、とても礼儀正しかったよ。優秀な騎士が多いんだな」

「後で彼にも伝えておくわ」

「ああ、ぜひ。……それにしても、まさか仮面舞踏会に招待してくれるとはね」


 新鮮そうに周りを見渡す。

 アンドレアも同じように見た。


 参加者だけでなく、給仕を任されている者や演奏している人、そして騎士でさえ仮面を被っている。城下で一緒に歩いていた時は、周りの人達は物珍しそうにオグニスを見ていたが、今は一人もいない。皆、仮面を被ってそれぞれ自由に楽しんでいる。


「見た目を気にしなくていいでしょう? 元々はただの舞踏会だったんだけど、私がオーナーに提案したの。思ったより皆も楽しんでくれているようでよかったわ」


 お店に貼られていたのが、舞踏会のポスターだったのだ。よく貴族だけが参加するものもあるが、今回は誰でも気軽に参加しやすいものだった。そこに仮面を被るという要素が加わる事により、さらに互いの素性や身分を気にせず参加できるようになった人達もいる。結果オーライだ。


「少しは楽しんでもらえるかと思って」


 そして、少しでも仮面を被っているオグニスの気持ちが分かりたい、と思った。相手に表情を伝えられないからこそ、相手を不安にさせないように気を遣って話さないといけない。今は互いに仮面を被っているわけだが、表情で相手に伝えられない難しさを痛感する。伝えられるのは声のトーンや身振り手振りくらいだ。


 彼はいつも苦労しながら相手と話しているのかと思うと、少しだけ胸が痛くなる。だが、それを自分の口で言うべきではない。別に今回の舞踏会だって、オグニスに言われたからじゃない。アンドレアが自分で考えて招待したのだ。余計な事を言うのは、ただの自分のエゴだと分かっていた。だからせめて少しでも、彼が気楽に楽しんでもらえたらと思って招待したのだ。


「じゃあ早速」


 オグニスは手を出してきた。


「踊っていただけますか?」


 優雅に誘ってくれる。

 アンドレアは微笑んだ。


「喜んで」


 すでに多くの人も踊っており、二人もその輪の中に入った。王女なので踊りは習っていたのだが、オグニスも習っていたのか、とても上手い。リードもしてくれるため、あまり気を遣わずに踊る事ができた。物腰も柔らかく、踊りも上手で、レバレンス王国の使者とは聞いているが、もしかしてそれなりに地位の高い人なのかもしれない。オグニスがどういう人なのかははっきり分からないが、聞いてもいいのなら、もっと彼の事を知りたいとまで考えるようになった。


「アンドレア」


 はっとする。

 名前を呼ばれたのに気付いていなかった。


「なに?」

「僕のために、ここまでしてくれてありがとう」

「これくらい……え? 待って。今なんて」


 思わず顔を凝視する。

 するとふっと笑われた。


「アンドレア、と」

「……どうして」

「城下で会った時から気付いていた。陛下が写真を見せてくれたからね」


 顔が熱くなる。穴があったら入りたいとはこの事か。

 むしろ仮面で顔が隠れてありがたいとさえ思ってしまった。


 父であるリチャードとよく言い合いはするものの、普段はそれなりに仲良しだ。しかもリチャードはいつもアンドレアの写真を持ち歩いている。それを相手に見せた事も恥ずかしいのだが、正体が分かっている上で知らないふりをされていた事も恥ずかしかった。


「どうして、今になって」


 このまま何も言わずに済む事だってできたはずだ。それなのになぜこのタイミングで言うのだろう。しかも踊っている手前、逃げる事だってできない。なんとなく視線も逸らしてしまう。


「態度がどう変わるのか見てみたかった。王女としての君と、城下の娘として君、何か違いがあるのかなと思ったんだ。最も、君はそのままのようだけどね」

「……私を観察してたって事?」

「そうだね。興味もあった。この国の王女はどんな人なのかって。陛下からも君の話はたくさん聞いていたし」


 ここにいないリチャードに文句の一つも言いたいところだ。

 勝手に人の事をぺらぺらと話すなんて。


「他の姫よりおしとやかさはない気もしたけど、むしろいい君主になれると思った。意志が強くて頭の回転が速い。それに行動力もある。それだけじゃなく、人を気遣える優しさもあるしね。王女としてだけでなく、人としても魅力的だ」

「ありがとう……」

「アンドレアにも、出会えてよかった」

「……それは、もう帰るって事?」

「さすが、よく分かったね」


 感心するように言われる。

 だがアンドレアにとってはそれどころじゃない。


「遠国だから、次会えるのはいつか分からないわよね?」

「そうだね」

「出会ったばかりなのに。私まだ、あなたの事何も知らないわ」


 相手は自分の事を知ってくれた。褒められて嫌な気はしないし、嬉しかった。だが、自分はまだ相手の事を何一つ分かってない。知りたい事が、たくさんあるのに。


 するとオグニスは静かになる。


 踊りも丁度終わり、皆も散り散りに移動し始めた。会場の真ん中で、アンドレアとオグニスだけが取り残されそうになる。オグニスは繋いでいた手を握りしめたまま、どこかへ向かって歩き出す。アンドレアも、そのまま連れていかれた。


「ねぇ」


 暗い中、それでもどんどん前へと進む。

 向かった先は、中庭だ。街頭もないので、かなり暗い。


 お互いの顔が微妙に見える辺りで、足が止まる。

 そしてオグニスはそっと手を離した。


「僕は明日の夕刻、国に帰る。そこで君に二つ、お願い事がある」

「え……?」

「一つは君の側近だったという騎士と剣で戦いたいという事。陛下に強いと聞いたからね」


 おそらくジノルグの事だ。

 それは別に構わないので、「え、ええ」と返事をする。


「二つ目。僕の国では互いの頬を合わせる挨拶があるんだ。それを君としたい」


 目をぱちくりさせる。


 国の文化は違うというし、勉強していてそんな文化がある事は知っていた。だがまさかそれがレバレンス王国の文化とは。確か互いに頬を擦りつけるように合わせるやり方だったと思う。


「いいけど、どうしてそれを私と?」

「他の国の人からすればちょっと抵抗がある挨拶かもしれないけど、君はどうかなと思って」

「別に、それは大丈夫だけど……」

「その代わり、君にも二つ、僕の秘密を教えるよ」

「えっ」

「一つは明日教える。もう一つは、この仮面の下がどうなっているのかを」


 もしかして見せてくれるのだろうか。

 思わず喉を鳴らしてしまう。


「手で触れていい」

「……え、手で?」

「さすがに見せる事はできないけど、手なら」


 一瞬だけ期待してしまったが故に、ちょっと残念に感じてしまった。だが、触れられるだけ大きいかもしれない。アンドレアはすぐに自分のつけている仮面を外す。そして目を閉じた。先に自分で行動する事で、相手に従う意志を伝える。するとオグニスも理解してくれたのか、ゆっくり自分の仮面に手をかけた。

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