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17*仮面の青年

「いやぁ、遠方はるばるよく来てくれたな」


 嬉しそうに声を上げたのはチャールズだ。


 ここは謁見の間。チャールズは王座に座っていた。王座はふかふかの上質の良い皮で作られており、細かい模様などが彫られている。普通の椅子とは別格だ。


「久しぶりにお会いできて、とても嬉しく思います」


 丁寧に片足をついて頭を下げたのは、黒い仮面をつけた青年だ。顔全体ではなく目の辺りだけを隠しているが、その表情はよく分からない。口元はほころばせているので、久しぶりの再会に喜んでいるようにも見えた。彼こそがレビバンス王国の王子である。


「そこまでする必要はない。さ、椅子に座ってくれ」

「いえ。私はあくまで使者ですので。お気遣いなさらないように」


 そう。彼は王子ではあるが、今回は使者(・・)として来た。というのも、アンドレアに警戒されないためだ。それは分かるのだが、あの仮面をつけている時点で逆に警戒されないだろうか。端っこの方でジノルグと一緒に待機していたロゼフィアは、ついそんな事を考えてしまった。


「ロゼフィア殿、顔に出てる」


 小声でジノルグに忠告される。


 はっとして真顔に戻す。

 どうやら訝しげな様子で見てしまったらしい。


 門で王子を見た後、すぐにロゼフィアとジノルグは城に戻った。まずはチャールズに挨拶に来る事が分かっていたからだ。しかしまさか自分達も謁見の間に入れるとは。部屋の外で待機かと思っていたのだが、どうやらチャールズの配慮らしい。ここでも彼をじっくり観察しろ、という事だろうか。観察どころか、顔もよく見えないのに。


「魔女殿は素直だな」


 同じく傍に並んでいたキイルにも言われる。


 また顔に出していたらしい。隣に挟まれている二人に言われると、少し居心地が悪くなる。だが、それが自分の素直に思った感想でもあるし、誤魔化すのは苦手なのだから仕方ない。


 すると王子もこちらに気付いたのか、顔を向けてくる。


「こちらの方々は?」


 優しい声色で聞いていた。

 するとチャールズが頷きながら紹介してくれる。


「騎士のジノルグと魔女のロゼフィアだ」

「この方が……。確かアンドレア姫のご友人だとか」


 王子はゆっくりと立ち上がり、近づいてくる。


「初めまして。レビバンス王国のオグニスと申します」

「は、初めまして。ロゼフィアです」


 頭を下げてくれたので、慌てて同じ動きをする。

 本来なら自分よりも身分が上の人だ。


 するとオグニスは小さく笑う。


「とても真っ直ぐですね」

「え?」


 聞き返すと同時にジノルグが一歩前に出た。

 そして軽く手を出し、ロゼフィアを隠すようにする。


「あなたの騎士は」


 ジノルグの方を見ながらオグニスは言った。


 自分の事を言われているのかと思っていれば、ジノルグの事を言っていたようだ。だがロゼフィアは、ジノルグの行動に少し焦る。相手が王子であるのに、彼は無遠慮に睨みつけていたのだ。相手は客人でもあるし、失礼ではないだろうか。


 だがオグニスは気にしない様子だった。


「警戒されてますね」

「彼女は俺の護衛対象なので」

「なるほど。賢明な判断です」


 納得するように頷き、少し距離を取った。

 どうやら理解してくれたらしい。


 王子という身分であるのに、下の者にも敬意を払う事ができるなんて。しかも明らかにこちらが失礼をしてしまっているような状況なのに。ロゼフィアは相手が温厚でほっとした。もし短気な人だったらどうなっていた事か。


「本質が同じ人は惹かれ合うと言いますが、本当のようだ」

「え」


 思わず聞き返すが、オグニスはその場から離れる。

 そしてチャールズに再度目を向け、話を進めた。


「色々とお話をしたいところですが、まずは城下の様子を見させていただいてもよろしいでしょうか」

「ああ、もちろん構わない。じっくり見てくれ。共にはキイルをつけよう」


 チャールズに指示され、キイルは敬礼をして反応した。キイルなら何かあってもすぐに対処できるし、適任だろう。だがオグニスは、首を振る。


「ありがたいお話なのですが、一人で回りたいと思っています」


 これにはチャールズは目をぱちくりさせる。


「いいのか? 慣れない土地であろうに」

「もちろん案内していただけるとありがたいですが、自分の足で歩きたいのです。知らない場所だからこそ、分かる事もあるでしょう」


 するとチャールズは何かを思い出したのか、ふっと笑う。


「そういえばお前はそういう奴だったな。いいだろう」

「ありがとうございます」


 始終オグニスは、丁寧にこの国の王と対していた。


 ロゼフィアはそれを見ながら、王子なだけあってしっかりしているなと思った。自分が王子だからといってえばる事も媚びる事もせず、礼儀正しい。アンドレアも王女としてしっかりはしているが、まだまだ子供っぽいところがある。思ったより相性がいいのかもしれない。


 ひとまずこれから城下に向かうという事で、ロゼフィア達も一旦その場を引いた。数日はここに滞在するらしいので、その間でも色々と接触できるだろう。ひとまずいい人そうだという点で、安心しきっていた。







「…………」


 チャールズやオグニスがまだ談笑している頃、それを望遠鏡で見ていた人物がいた。長い金髪を翻し、気の強そうな瞳を持つ少女だ。城の屋上で望遠鏡を使って見ていたのだが、気に入らないのか、むすっとした顔をしている。そしてすぐにその場から歩き出し、何事もなかったように城内を歩いていた。


「姫様!」


 するとどこからともなく声を上げて近付いてくる人物がいた。亜麻色の髪をきちんと結い、他の使用人と同じ黒の制服に白いエプロンをしている。それを見た瞬間、アンドレアはうんざりした顔になる。だが自分のお目付け役であるカティ・ローテスは、眉をきりっと上げてお説教モードに入っていた。


「一体どこに向かわれたのかと。私がいない間に勝手に部屋から抜け出さないでください」


 カティは髪と同じ色の瞳をこちらに向けてくる。

 だがアンドレアは無視して部屋まで歩き続けた。


「姫様。聞いておられるのですか?」

「聞こえているわよ。そんなに大声出さないで頂戴」

「ですから一人で行動するのはおやめ下さいと何度言えば。あなたは仮にも王女なのですよ?」


 部屋に入れば、すぐにアンドレアは衣服が入っているクローゼットに向かう。カティはお説教を続けたまま、同じようについてきた。今アンドレアが何をしようとしているのかも気にせず、ぺらぺらと口を動かしている。むしろよくここまで言葉が出てくるものだ、と思いながら、アンドレアは手を動かしていた。


「王女たるものどんな時でも顔色を変えずに……姫様? その格好は」


 いつの間にか普段着ているドレスを脱ぎ、軽装になっているアンドレアの姿にカティは唖然とする。町の者がよく着ているような木綿素材の服に、その上から身体全体を隠すために布のようなものを被っている。身体と顔がすっかり隠れていたのだが、カティはそれを見て気が付いた。


「まさか、」

「そのまさかよ」

「いけませんっ! 勝手な外出は王に禁止されているはずです」

「何よ今更。もう何度もお忍びで出ているじゃないの」


 アンドレアは呆れた物言いになる。


 そう。禁止はされているが、これまで何度もお忍びで出ている。ちゃんと計画も練って行くルートだって頭に入っている。今更駄目だと言われてもはいそうですか、と素直に聞き従うわけがない。


「それはジノルグ様がいらっしゃったからですっ! 今のあなたには護衛がいないのですよ!?」


 カティは断固として拒否する。


 確かにジノルグが側近としてついてくれている時によく出ていた。ジノルグと一緒の時は良かったものだ。護衛をしてくれるし、お忍びで城下に出ても特にお咎めはなかったし。しかも秘密にしてくれる。あれほどこちらの望みを叶えてくれる騎士もいない。お目付け役のカティには、さすがに城下に出る事は伝えるようにしていた。まぁ八割方ジノルグが説得してくれたのだが。


「一人じゃないから許していたところもありますが、護衛もつけずに行くのでしたら認めるわけにはいきません。もう少し自分の立場をわきまえて下さい」

「…………」


 確かに今は側近をつけていない。側近といっても、自分には元々カティがいるので必要なかった。だが頼もしい騎士だと、父に紹介されてジノルグを側近につけていたのだ。いてくれて正直助かった面はあった。真面目だし優秀だし、何かあった時も助けてくれた。何より理解をしてくれる騎士だった。だが一緒にいる期間が長くなって、彼を必要としている人は別にいると分かった。いや、彼自身(・・・)が、きっと彼女を必要としているのだろう。


 アンドレアは静かに言った。


「カティ、私だって自覚はしているわ」

「でしたら」

「でもね、私は……っ。い、いたた……」

「姫様っ!?」


 急にアンドレアは腹部を押さえ、その場に縮こまる。カティは慌てて近寄ったが、アンドレアは苦しそうな表情をするばかりだ。ただ事ではないと悟ったのか、「す、すぐに誰か呼んできますっ!」と部屋から飛び出す。アンドレアはしばらく顔を歪めたままでいたが、カティの足音が聞こえなくなったのを見計らって、ゆっくりと立ち上がる。


「相変わらずちょろいわね」


 話の途中でお腹が痛いふりをする。ふりをする事自体は見抜かれないか心配だったが、作戦は成功したようだ。アンドレアはそっと部屋の外を確認する。誰もいないのが分かると、速足で進みだす。


(カティ、いつか変な男に騙されないといいけど……)


 厳しいところもあるが、普段は優しくて心配性な人だ。だからこそ上手い言葉で騙される事がないか心配になってしまう。だが今はそれよりも、先程の事でいらいらしていた。


(まさか使者を呼んでいたなんて。城にいたんじゃ、顔を合わせるかもしれないわ)


 望遠鏡で見ただけなので、何の話をしているかまでは分からなかった。だが青年がつけていた仮面に刻まれている紋章に、見覚えがあったのだ。各国で使われている紋章辞典に載っていた。確かあれは、レビバンス王国のもの。つまり、その使者なのだろう。ここ数日、チャールズがレビバンス王国の話を出してきた理由も頷ける。


(お父様ったら、また私に内緒で勝手な事を。私だって勝手にするんだから……!)


 丁度勉強漬けの毎日で身体がなまっていた。

 久しぶりに活気のある城下に遊びに行けるとなれば、少しは気分も上がるはず。


 その期待を込めて、アンドレアは顔を上げた。







「………………」

「これ、美味しい」


 アンドレアが無言でいる中、隣で仮面を被った青年が嬉しそうな声を上げる。彼が手に持っているのは、城下でも一、二を争うほどに有名な洋菓子店で作られたまろやかミルクプリンだ。たまたま歩いている時に残りの数が少ないという宣伝を聞き、青年が入って行ったのである。


「君は食べなくていいのか?」

「ええ……」


 丁重にお断りする。

 すると青年はゆっくりとプリンを味わっていた。


(……なんでこんな事に)


 アンドレアは顔を覆っている長い布の端を握った。

 まさか会わないだろうと思っていた人物に会うなんて。




 事の発端はアンドレアがとあるお店に寄った時の事だ。

 ガラス玉を売っているお店だったのだが、明らかに偽物と思われるものだった。


「これ、違うわ。値段はもっと高いはず。こんな手頃に手に入るものじゃないわ」

「へっ、うちでは安く仕入れたんだよ。この安さが好評なんだぜ?」


 亭主は自慢をするかのように鼻を鳴らす。

 だがアンドレアはそのガラス玉を手に取った。


「もっと重いはずだし、透かして見れば色も濁っているわね」

「ああん? なんだい嬢ちゃん。ケチつけよってのかい!」


 強面の顔がさらに怖くなったが、アンドレアは無視をして思い切りガラス玉を地面に投げる。ガラス玉は割れるかと思いきや、何度も跳ねた。拾って見てみれば、微妙に傷だけ入っている。だが普通のガラス玉なら割れるはずだ。それだけ繊細なものだし、扱いにも注意しないといけない。


「これ、合成樹脂でしょ。いい加減に認めなさい」

「な、お、おめぇ、調子乗ってるんじゃねぇぞっ!」


 断言したせいか、亭主は真っ赤な顔をして怒り出した。城下で売っている店の中には、こうやって「偽物」を売っている場合がある。特に高価な物や珍しい物は見分けがつきにくく、購入者も本物だと思って買ってしまうのだ。だが、それをみすみす見逃すわけにはいかない。


 王女なので他の国から贈り物として高価な物をもらう事がある。目利きくらいはできるようにと、勉強しておいたのだ。そしてこのように偽物を売って金儲けしようとする人達を取り締まっていたりする。ジノルグがいた時はそのまま捕まえるのだが、あいにく今は一人だ。上手くここを乗り切らないといけない。女だからといってきっと舐められているだろうし、だからといって他の騎士に助けを求めたりしたらお忍びで来た事がバレてしまうし。


 どうしようかと考えているうちに、亭主に腕を掴まれた。


「このっ、」


 殴られると思い、思わず目を閉じる。

 すると「いて、いててえええっ!!」と断末魔が聞こえた。


 そっと目を開ければ、亭主の腕を絡ませて取り押さえている人物がいる。それを見てアンドレアは唖然とした。なぜならその人物は、先程城に来ていたはずの仮面の青年だったからである。彼はどこからか紐を取り出し、亭主の腕に巻き付け、身動きが取れないようにする。そして騒ぎで駆けつけた騎士に預けていた。


 しばしアンドレアは茫然と見ていたが、改めて顔を深く隠す。ただでさえ目立つ金髪は出さない方がいい。そうこうしているうちに、仮面の青年はわざわざこちらに戻ってきた。優しく声をかけてくれる。


「怪我は?」

「いえ。ありがとうございます」


 何でここにいるのか、という思いと、まさか助けられるなんて、という思いがごっちゃになる。だが助けてもらったならお礼は言わないといけない。とりあえず無難に礼だけ言い、その場を去ろうとした。


「待って」


 すると呼び止められる。


「……なにか」

「君、上流貴族だろう?」

「っ!?」


 貴族どころか王族ですけど、なんて返す事などできるはずもなく、アンドレアは振り返った。相手は仮面を被っているので表情が見えない。それがなんだか悔しかった。すると睨んだのが分かったのか、相手は「ああ」と弁解した。


「すまない。言い方が良くなかったね。ガラス玉なんて市場では滅多に手に入らない。だからどれが本物でどれが偽物か区別できる人は少ない。でも君はちゃんと見破った。普段目にする機会がある身分なのかなと思って」

「……それが、なにか」

「ただ純粋に、すごいと思った」


 そう言いながら口元を緩めた。

 どうやら褒めてくれたらしい。


 仮面をつけた怪しい人に褒められても素直に喜べる方ではないのだが、一応お辞儀はしておいた。褒めてもらったのだから感謝はする。


「それで、君は」

「一番人気のまろやかミルクプリン! あと数個で完売ですよ~! いかがですかー!」


 青年の声に覆いかぶさるように、洋菓子屋の店員が声を張る。それを聞いて青年は反応し、「行こう」と連れていかれた。そして無事に買えたプリンを、青年は美味しそうに食べているわけである。


「あの、私」

「そういえば自己紹介がまだだったね。僕の名はオグニス。君は?」

「……アリア」


 話を聞いてもらえるような状況じゃなかった。まんまとオグニスのペースに乗せられ、名前を名乗る。最も、本名を言えるわけもなく、無難に偽名だ。


「アリアか。それで君は、お忍びで来たの?」


 思わずむっとする。

 なぜ初対面の人にそこまで教えないといけないのか。


「身体全体を隠すような格好をしている。バレないようにするためだろう?」

「……それが?」


 核心をついてくる言い方に、だんだん腹が立ってきた。見た目的に年上のようだが、自然と敬語も外れてしまう。だがオグニスは気にしないようだ。そのまま言葉を続ける。


「護衛がいないところを見ると本当に一人で来ているんだな。丁度僕は他国から来たばかりで、今日は城下を回ろうと考えていたんだ。君なら城下にも詳しそうだし、よければ案内してほしいなと思って」

「私が? 案内をしてほしいなら他を当たって。私も久しぶりの城下なの」


 実際そうだし、案内をしてくれる優しい人は大勢いる。こちらは久しぶりに城下に来た。久しぶりだからこそ、楽しみたい。それなのに、こんなにも鋭くて怪しさ満点の使者と一緒に回るだなんて、考えたくもない。


「でも一人だと危ない目に遭うかもしれないし、もしかしたら連れ戻される可能性もあるんじゃないか?」

「…………」


 なんでこんなにも鋭いんだ。

 それがオグニスにとってどうだと言うのだろう。


「俺と一緒なら何かあっても庇う事ができる。それに君はとても賢そうだ。頭の良い女性と話してみたいと思っていたからね」

「……そう。それはそれは光栄な事ね」


 アンドレアはにやっと笑う。


 先程までは一緒に回るなど絶対嫌だと思っていた。だがひらめいた。むしろ一緒にいる事で、彼の事を知ればいいんだ。そして仲良くなれば、王子の事も話してもらえるかもしれない。これは一種の外交とも言える。勉強してきた事は実践に生かさなくては。アンドレアは大きく頷いた。


「いいわ。私が案内してあげる」

「ありがたい。よろしく頼むよ」


 オグニスもにこやかに言ってくれる。

 その仮面の裏で何を考えているのかは、まだ分からない。

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