11*おかしなお菓子を皆で
「ああ、そうだ。先にロゼに紹介したい人がいるんだけど」
「紹介したい人?」
早速中の案内をしてくれるのかと思いきや、サンドラにそんな事を言われる。サンドラが紹介したい、というなんてよっぽどだ。右腕で助手であるニックはすでに知っているし、誰の事だろう。
するとドアがノックされた。
「失礼します」と言いながらある女性が入ってくる。
「室長、至急確認していただきたい書類があるのですが……失礼しました。お話し中ですか?」
入ってきたのは長い銀髪を一つにまとめ、青銀色の瞳を持つ背の高い女性だ。目はぱっちりしており、鼻も高い。とても美人だが、口は結んでおり、にこりとも笑っていない。その表情はまさに「無」。サンドラに用事があったようだが、すぐにこちらに気付いたのか、その場を去ろうとする。
「ああ、丁度良かった。君を待ってたんだよ、ノアくん」
サンドラはにこっと笑う。
そしてこちらに向かって紹介してくれた。
「彼女はノア・セシリー。私のもう一人の助手だよ」
「サンドラの?」
もう一人助手がいたのは初耳だ。
いつも傍にいるのは大抵ニックのはずだが。
「そう。少し前から働いてくれてるんだ。他国出身なんだけど、実力が認められてね」
「お初にお目にかかります。紫陽花の魔女、ですよね?」
ノアは興味深そうににこっと笑ってくれた。
笑うと美が引き立つ。ちょっとどきっとした。
「ノアくんの国は魔術師が大半らしいんだ。だから魔法とかにも詳しいんだよ」
魔法を使う国があるという事に驚く。なんとなく知ってはいたが、ここよりだいぶ遠い距離にあるはずだ。だからどこか夢物語のように考えていた。だが実際その国の人を目の前にすると、少し緊張してしまう。
「魔女にお会いできる事、楽しみにしていました」
「そんな、私はただ知識があるだけで……」
これには苦笑してしまう。
ノアの国では魔法が当たり前というのなら、魔女の存在もそんなに珍しくないだろう。だが自分は魔法が使えるわけじゃない。なので勘違いされていないか少々不安になる。するとノアは頷いた。
「存じ上げています。文献に書かれている『魔女』の説明では、『魔法が使える女性』のみならず、『薬学の知識に長けた女性』という表記になっています。紫陽花の魔女はそちらなのですね」
どうやらノアの祖母は司書らしく、幼い頃から色んな文献を読んできたようだ。理解をしてもらえる事はとてもありがたい。たまに薬を買いに来るお客さんの中でも、「魔女っていうくらいだから魔法が使えるんじゃないの?」と聞かれる事がある。そうじゃない、とは伝えるが、なかなか理解されない。だからノアのような存在は大きい。
すると隣にいたサンドラが器用にウインクしてくる。自分の助手だから、という理由だけでなく、こちらの事を気遣って紹介してくれたのだろう。持つべきものはやはり友人だ。
「そういえばノアくん。書類って?」
「あ、その事なんですが」
コンコン。
「失礼します」
入ってきたのはニックだ。
これでサンドラの助手がそろったわけだが、ノアはすぐに顔色を変える。いや、元々あまり表情を出さない感じのようだが、明らかにニックに対して嫌そうな顔をした。そしてそのまま彼に近寄る。
「ニックさん。この書類の担当はあなたでは?」
「あ、この書類ここに。午後に確認しようと」
「提出期限は確か明日のはずです。なら午前中にすべき事ではないのですか?」
「でも、午前中は室長がロゼさんと」
「いつまでも執務室にこもるわけではないでしょう。お話が終わった少しの時間でも確認をお願いする事は可能なはずです。違いますか?」
「今日中にはちゃんと」
「普通の書類ならばいいですが、今回は重要書類で、しかも室長の印も必要です。室長がいつ外に駆り出されるか分からないんですから、早めのうちにもらうのが」
どんどん話がヒートアップしている。しかもどんどんニックが落ち込んでいくのが見て分かる。いつもなら右腕としてきびきび動いているはずなのだが、こんなにも追い込まれている彼の姿を見るのは初めてかもしれない。ロゼフィアは少しだけ唖然としてしまう。ノアの方が後から入ってきたはずであろうし、おそらくニックの方が立場的にも上のはずなのだか。
だがサンドラは楽しそうに二人の様子を眺めている。
そしてこそっと耳打ちしてきた。
「なぜかノアくん、ニックくんに厳しいんだよねぇ。まぁ彼女の言い分は正論だから何も言えないんだけど」
確かに正論を言われたら勝てないだろう。しかもこのような事は日常茶飯事らしい。同じ助手であり仲間であるはずなのに、どこか先行きが不安だ。ニックもしっかりしてはいるが、ちょっと抜けているところもある。ノアからすれば注意したくなってしまうのだろう。
しばらく二人で眺めるが、話はなかなか終わらない。
するとサンドラはこんな事を言いだした。
「そういえばいただき物のお菓子があるんけど、ロゼも食べるかい?」
「え、この状況でお菓子?」
「お菓子があれば誰だって笑顔になるだろう? 丁度いいからクリスとジノルグくんも呼ぼう」
「呼ぼうって……そもそもどこにいるか分からないのに」
研究所内は建物自体が大きい事もあって、とても広い。いくら近くにいるとしても、探すのは億劫だ。これが例えば場所を移動するとか、何か仕事をするとかなら呼ぶ必要もあるが、お菓子を食べるくらいで呼ぶのもどうなのだろう。するとサンドラは気にせず、胸元からある物を取り出す。
「あ、それって」
気付いて声をかけてしまう。
それはロゼフィアも持っている笛だった。
「ああ、クリス用の笛だよ。確かロゼも持ってるんだよね?」
「持ってるけど、」
ロゼフィアが言い終わらないうちに、サンドラはその笛を吹く。短く息を吹き入れたような感じだ。やっぱり音が鳴らない。鳴らないが、サンドラはすぐにその笛をまた胸元に戻した。
「え、そんな短く? しかも一回?」
「十分だよ? これで分かるはずだから」
すると数分経たないうちに、ドアが開く。
見ればクリストファーだった。慣れた様子で普通に入ってくる。
「ほら、ね? 私は音の長さで使い分けてるんだ。ちょっとした用事の時は短く、何かあった時は長めに吹くようにしてる」
さすが、自分より護衛騎士がいる期間が長いだけある。そのやり方なら、自分も相手も分かりやすい。自分もそうやって使い分けてみようか。そう思いつつ、疑問が浮かぶ。
「……そもそもどうやって音が聞こえてるわけ?」
音は鳴っていない。
鳴っていないのになぜ分かるのか。
するとサンドラに苦笑される。
「科学班が作ったお手製らしいんだけど、詳しい事は秘密なんだよねぇ。とりあえず人によって細部まで聞こえる音って、地味に違うらしいよ。それを上手く活用したみたい」
音が違うから、一人一人笛も違うわけか。
「じゃあ、騎士には音が聞こえてるって事?」
「そうだね。それに元々音が鳴る笛だったら、敵にも自分の位置を教えているようなものだからね。そんな事にならないように、騎士だけに聞こえるようにしているらしいよ」
「へぇ……」
じゃああの時も、ジノルグには音が届いていたのだろうか。鳴っていないと思って何度も鳴らしてしまったが、もしかしたら彼にとっては少しうるさかったのかもしれない。聞こえている本人でないと聞こえているのかさえも分からないので、注意が必要だなと思った。ロゼフィアも短く笛を吹く。
するとしばらくしてからジノルグがやってきた。
「どうした?」
部屋に入れば大勢いたからだろう。
少し面食らったような顔をしていた。
するとサンドラが手を叩く。
「さーて揃ったね。じゃあ皆でお菓子を食べよー!」
呑気なサンドラに、皆が一瞬唖然とする。
だがクリストファーだけ目ざとく眉をひそめた。
「……おい、そのお菓子って」
「さぁさぁ皆どのお菓子がいいかな?」
気にせず持ってきたのは、大きい箱に入ったお菓子達だ。種類も豊富で、チョコレート、クッキー、マシュマロ、キャンディー、何やら棒状のものもある。見た目も色とりどりで可愛らしく、甘いもの好きの女性には喜ばれそうな感じだった。圧巻しつつもロゼフィアとノアは声を上げる。男性陣は微妙に引いていた。
「じゃあそうだなぁー……。はい、ニックくんにはマシュマロ」
「え、あ、ありがとうございます」
真っ白いふわふわのマシュマロを渡され、ニックは受け取る。本人がそれを食べたかったのかは置いておいて、上司の言う事は聞こうと思ったのだろう。少し迷いながらも、そのマシュマロを食べ始めた。
「どう? どう?」
サンドラはただにこにこしている。
「まぁ、普通のマシュマロですね」
特に美味しいわけでもないらしい。
首を傾げながらニックは食べている。
「そっかそっかぁ。じゃあニックくん、ノアくんに何か言いたい事あるんじゃないの?」
「え?」
いきなりもう一人の助手の名を出され、ぽかんとする。
だがニックはノアを見た。マシュマロを呑み込むと、口から言葉が滑り込む。
「あります」
周りが一瞬どよめく。
「お! なにかななにかな?」
「俺……」
ニックはノアの目の前に立つ。ノアは少し警戒するような表情をしていたが、それでも負けたくないのか、目線は合わせたままだった。一体何が始まるのだろうと、他の皆も見守る。するとニックは、大きな声で叫んだ。
「室長の右腕の座は渡しませんから!」
「「「「…………」」」」
「はい?」
ノアだけ片眉を動かして聞き返した。
「確かにあなたは頭がいいし美人だし皆からの信用が厚い。でも俺だって、室長の助手になるのが簡単だったわけじゃない。それなりの努力をしてここまで来ました。だから、最近来たばかりのあなたに負けるわけにはいかないんです。しかもあなたはいつも正論をぶつけてきますが、正しい事をただ言ってくるだけでなくて、もっとこっちの気持ちも考えて」
「なるほど。つまり、」
話し出したら止まらないニックの言葉を、ノアは無理やり止めさせた。そしてふう、と一旦息を吐く。にこっと美しい笑みを浮かべた後すぐ、ぎろっとニックを睨んだ。
「宣戦布告というわけですか」
「え、えと、」
「分かりました。ニックさんがそこまでおっしゃるなら私も」
「はーいストップー」
また長くなりそうだったので、サンドラが止めた。
そしてお菓子の箱についていた、小さい紙切れを読み上げる。
「『自分の気持ちをずばっと言いたい時におすすめ。正直薬入りのマシュマロ』。うん、なかなか効果があったね~」
「え、ちょっとサンドラ。何その聞き捨てならない名前」
「はいじゃあ次行ってみよー」
「ちょっと」
無視されて進んでしまう。
今度はクリストファー、ジノルグ、ノアの三人に赤いキャンディーが渡された。包み紙に入っていたキャンディーだが、見た目は普通のキャンディーだ。さっきのニックの件があったからか、三人とも妙に緊張した面持ちをしている。だがサンドラはあっさり言った。
「大丈夫だよ。身体に害はないし何かあっても解毒剤あるし」
さらっと言い切った。だが効果は一定時間らしく、ニックはすでに元の状態に戻っていた。いつも散々ノアに言われている様子なので、これで少しは自分の気持ちをすっきり言えたのかと思いきや、今は少し落ち込んだように沈んでいる。どうやら本人に言うつもりはなかったようだ。
とりあえず三人は一列に並ばされた。クリストファーの前にはサンドラ、ジノルグの前にはロゼフィア、そしてノアの前にはニックがいるような状態だ。なぜこんな状態にされた分からなかったが、三人とも首を傾げながらも普通にキャンディーを舐め始めた。しばらく経っても何も起こらず、普通にキャンディーを舐め続けている。
「何も起こりませんね」
「普通にうまい」
「苺味ですね。美味しいです」
三人とも満足そうだ。
普通にお菓子として美味しかったらしい。
それを見ていたサンドラは、首を傾げて「あれー? おかしいなぁ」と言いながら紙切れを見ている。思わずロゼフィアもそっと見たが、そこにはこんな風に書かれていた。
『苺味は恋の味。気になるあの人が振り向いてくれるかも。媚薬入りキャンディー』
「ちょ、なんてもの食べさせてるの!?」
ぎょっとして叫んでしまう。
わざわざ三人正面に立たせたのもそのせいか。
正直薬とはわけが違うレベルだ。
「大丈夫だよロゼ。どうやらこの三人には効いてないみたいだし」
「そういう問題じゃないでしょ! 三人とも早く! それ吐き出して!」
慌てて口から吐き出すように指示する。
だがクリストファーがごくん、と唾を鳴らした。
「あ、呑んだ」
「もうないです」
「かみ砕いた」
他の二人ももう口の中にないらしい。
思わずがっくりしてしまう。
だが見れば確かに三人とも何も変わりない。もしかして効果はなかったのだろうか。媚薬なんてあてにならない薬だ。人の心は薬なんかに惑わされるわけがない。ロゼフィアはちょっとだけほっとした。
「じゃあ次はロゼだね~」
サンドラはこっちの気も知らず楽し気に笑う。
どうせ自分も食べさせられるんだろうなと思っていたので、顔が引きつった。
「はい、これ」
渡されたのはチョコレートだ。
四角い一粒サイズだった。
一体何の薬が入っているんだろうと思いつつ、媚薬入りよりはましだろう。ロゼフィアはゆっくりチョコレートを齧った。味は普通にチョコレートで、美味しい。中に何か入っており、甘い味がした。
そして呑み込む。
最後まで何か起こるわけではなかった。
「なんだロゼも何もなしかー」
ちょっと残念そうにサンドラが紙切れを見る。
「えーとなになに。『楽しい気分を味わいたい。人に甘えたい時におすすめ。酔っ払い風チョコレート』」
「……ふ、」
急に鼻で笑うような声が聞こえた。
誰が言い始めたのか、皆が辺りを見回す。
「ふ、ふふふふふふ」
「……あ、紫陽花の魔女?」
ノアが名を呼ぶ。
よく見れば、ロゼフィアは下を向いていた。
「ロゼフィア殿」
思わずジノルグが近寄った。
だがロゼフィアは思い切り手を払いのける。
「さわらないでよばーか」
「「「「…………」」」」
よく見ればロゼフィアの顔がほんのり赤くなっていた。しかも瞳はとろんとしており、涙腺が緩んでいるのが分かる。歩く度に身体がゆらゆらと揺れ、少しぎこちない。
「おいサンドラ。もしかしてそのチョコ、酒入りか?」
クリストファーが焦って聞く。
だがサンドラは冷静だった。
「いや、成分的には入ってないね。酔っ払い風、って書かれてるくらいだから、酔っ払いみたいになるチョコって事でしょ」
「でもあのままにはしておけません。すぐに救護室に」
「俺、空きがあるか確認してきます」
「そうだね。二人ともお願い」
「いーやー! はなしてよー!」
助手達が動いた後、ロゼフィアの叫ぶ声が聞こえてくる。見ればジノルグがどうにか救護室まで運ぼうと、ロゼフィアを抱き上げていた。だがロゼフィアは嫌がって反抗し、ジノルグの髪を引っ張ったり顔を引っかいたりしている。酔っ払いというよりは子供のようだ。
ジノルグは少し苦戦していたが、すぐに手を動かしてロゼフィアの首元に衝撃を加えた。すると糸が切れたようにロゼフィアは目を閉じ、身体をジノルグに任せる。どうやら気を失ったようだ。
「このまま部屋まで運びます」
「うん、頼むね」
ジノルグはロゼフィアと共に部屋を出た。
静かになった部屋で、サンドラは息を吐く。
それに対してクリストファーは、怪訝そうな表情になる。
「なんであのお菓子を食べさせたんだよ」
まるであのお菓子の正体を知っているかのような口ぶりだ。いや、知っていると言っても過言ではない。なぜならクリストファーは、届く度にあのようなお菓子を食べさせられるのだから。
「なぜって……実験しないと、正確なデータは出ないだろう?」
サンドラは悪びれる様子もなく答える。
そう、あれは普通に売られているお菓子ではない。おかしなお菓子だ。このお菓子を作った人物から、人体実験をしてほしい、と依頼されたのだ。その人物とももう付き合いが長い。実験をする代わりにこの辺りでは取れない珍しい薬草などをくれるため、サンドラは依頼される度に協力している。
「それにしてもキャンディーはちょっと予想外だったなぁ」
実験結果を紙に記入する。いつもはどのお菓子も大抵効くのだが、今日は珍しかった。このおかしなお菓子を作った人物の腕は確かだ。だから効かない事なんてない。時間差はあったものの、ロゼフィアだって結局あの状態になった。三人中、三人も効かないのは珍しい。
するとクリストファーは紙切れを見る。
一番下に書かれている文字を見て、鼻で笑った。
「なるほどな」
「うん?」
「いや、なんでもない」
持っていた紙切れを隠す。
そこにはこう書かれていた。
『ただし媚薬は、愛すべき人の前には効かない。なぜならその人をもう愛しているから』