なの子
「大怪我したっていうから心配したんだぜ。」
「まあ、アトさんらしいといえばそうかもね。」
「心配して損した。」
「ペタくん、心配してくれてたのね~。優しいわね~。」
「な、違う。いや違うわけじゃないけど。」
アトさんが大怪我をしている。
そう聞いて教会に来た私とペタは、そこにいたイクサさんのペースにすっかり飲まれて、のんびりそんな会話をしていた。
―*―*―*―*―*―*―*―
あのナノマシンの衝撃の告白の後、すぐにペタは目を覚ました。
まあ、顔面を地面に打ち付ければペタでなくても目は覚める。そして残念ながら槍を突き立てられたことまでは覚えていた。
しょうがないので、その槍は深くは刺さってなかった。私はそのゴブリンを追い払った上に秘蔵のポーションで治療までしてやったのだから感謝しなさい。この先一か月は私の奴隷ね。と捲し立ててやった。
こういうのはもう、勢いだ。
「目が覚める前に柔らかい感触があったような……」とか言い出したので、記憶が飛ぶように強めにペタの頭を叩いておく。
「立てるんだったらさっさと行くわよ。」私はとにかく急いであの場所を離れた。
その後は特にモンスターとの遭遇もなく、テラさんと再会することが出来た。
テラさんは一人で私の知らない人達のパーティに参加していて、私とペタだけでゴブリン1匹とコボルト1匹を倒し、さらにゴブリン1匹に重傷を負わせて追い払ったというと、びっくりした後で、すごく褒めてくれた。
それから「アトの野郎が大怪我をしたのでイクサを付き添いにして教会まで下がらせた。」という話をしてくれた。「アトさんは女の子なんだから野郎なんて言っちゃダメ。」と怒ってみせたあと「私もテラさんと一緒に戦う。」と主張したのだけど、なんといっても見た目は満身創痍で「いいからお前たちも教会に下がれ。」と頑として譲らなかった。
まあ怪我はともかく実際ひどく疲れてはいたので、テラさんの主張を受け入れることにして冒頭に繋がる。
―*―*―*―*―*―*―*―
「まあでも、アトさんはやっぱり戦闘には参加させられないわね。」
「本人はきっと、いざとなったら私が!とか思ってるぜ。」
「アトさんは戦わなくてもいいのにねぇ~。」
「おう、俺がアトさんを守ってやるぜ。」
年上なのに、お姉さんキャラのハズなのに、年下の少年少女の庇護欲を掻き立てるアトさん。
「それで、イクサさんはここで司祭さんのお手伝いですか?」
「そうなの~。今はあらかた終わってるけど、さっきまでは順番待ちの列が出来てたのよ~。」
もうすっかり、お茶でも飲もうかという雰囲気になってしまっている。
外ではまだ戦闘が続いているし、散発的に怪我人も来ていて、司祭のおっさんとなぜか回復魔法の得意な鍛冶屋さんの二人で対応してる。教会だからか、ここはマナが多い。
臨時の治療院と聞いて野戦病院のようなものを想像したけど、魔法のおかげで治療されてすぐ戦線復帰するので、怪我人があふれてうめき声がそこかしこから、なんて状況にはならないみたい。ここには治療に時間のかかる重傷の人だけが残っている。
というか、重傷なのはアトさんだけだ。
「でもさ、アトさんはやっぱり魔法使いなんだね。」
「結局は失敗してるけどねぇ~」
「でも炎は出たんでしょ?」
「大きかったわ~。急にあんなに大きな炎が出たら、アトさんでなくてもパニックになるかもねぇ~」
そう、モンスター襲来のとき、剣をとって一緒に戦おうとしたアトさんをテラさんが強く止めて、それでも何かしたいと思ったアトさんが慣れない攻撃魔法を使って自爆したというのが大怪我の真相のようだ。
まったくもって、アトさんらしい。
イクサさんは、そんなアトさんをフォローするように「魔法は繊細なのよ~。」と言っている。アトさんとは別の意味で魔法使いらしくない、おっとり大雑把なイクサさんが言うと意味深だ。
そうこうしているうちにシスター(おばあさん)が本当にお茶と切ったリンゴを出してきた。
みると司祭さんと鍛冶屋さんも一息ついてシャクシャクとリンゴをかじっている。聞こえてくる笛の音も「がんがん行こうぜ」ばかりだ。今夜やって来たモンスターは、もうほとんどが倒されたか逃げるかしたんだろう。今更私たちが戦場に戻ってもあまり意味はなさそうだ。
「ところでさ、自分で出した炎で自分が火傷するってどうしてそんなことになっちゃうんだ?」
「それは、自分が振った剣で自分が傷つくこともあるのと同じね~。自分の武器だからって自分に対して安全ってことじゃないでしょ~。」
「ああ、そういうもんか。」
そんな他愛もない話でお茶を飲みながら、私は心の中で例のナノマシンの集合意識だか擬似人格だかに呼びかけてみるが、応答はなかった。
しょうがない、本体と思われるあの紙を回収しようと私はペタに声をかける。
「ペタ。もう脇の傷は痛まないんでしょ。だったらそろそろ私の腰帯返して貰おうかしら。」
「お、おう。」
ペタがなぜかちょっと赤くなって、私の腰帯を解く。
ナイフで切り裂いた服の隙間から傷のあった場所が見える。
「おお、すげー。傷跡すら残ってない。ずいぶんいい薬だったんだな。」
「そうみたいね」
「槍が刺さっていたとは思えないわね~。」
「手持ちのを適当に使ったんだけど、ものすごく当たりだったみたいね。ペタにはもったいなかったわ。」
これは予め考えておいた言い訳だ。
家内制手工業のこの世界では、物の品質が安定していない。
特に薬は、正確に計量できる道具が少ないため品質にひどくバラつきがあった。
それ故に高い値段でもあまり効かないこともあれば、安くてもあっという間に傷口が塞がることもある。そういうわけなので、今回の超回復は運よく当たりポーションだった、ということにしたのだ。
「ペタちゃんのお肌はスベスベね~。」
「イクサさん、発言がオバサンっすよ。」
言っておくけど、私はペタのカラダを見たからってどうってことないからねっ。
「何だよ。お前まで見るなよ。」と言いながらペタは私の腰帯を畳んでくれている。しかし、貼ってあった筈の紙が見えない。
「ペタ、紙が挟まってなかった?」
「紙?」
「ペタは気絶しててポーションを飲めなかったのよ。だから傷口に塗ったんだけど、そのまま振りかけてもすぐに流れちゃうから紙に染み込ませて貼ったの。」
「紙なんてなかったぞ。」
「そう。」
「なんだ、大切な紙だったのか?」
「そういうわけじゃないんだけど、あの遺跡で見つけた紙だったのよね。」
そう言いながら私は周囲を探したが紙は見つからなかった。あの紙がナノマシンの本体だとすると、さらに詳しい話を聞きたければ紙を探すしかないけど・・・
「ほらよ。」
ペタがきれいに畳んだ腰帯を差し出してきた。考え事をしながら受け取ろうと手を伸ばし、互いの指先が少し触れる。
その時少し痺れたような感触が指先にあり、何だこの少女マンガのような展開は・・・と思ったとき、また頭の中に声が響いた。
【呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃ~ん。】
ちょっと待て、今日生まれたばかりの擬似人格がどこで覚えた、そのセリフ。
そう心の中で悪態をつきながらも、驚きで腰帯を落とす私。
いや、この状況を客観的に見ると、ペタと指先が触れて動揺した恋する乙女の図じゃないの。
【そうですね。初々しいです。】
擬似人格のナノマシンに言われたくはない。
いや、その前にこの事態の収拾しなきゃ。このままじゃ私がペタを意識してるみたいになっちゃう。
そう思ってイクサさんを見ると既に「あらあら」といった顔でこちらを見ている。
私は(ペタとは視線を合わせず)腰帯を拾って(恐ろしくぎこちない様子で)ペタと距離をとる。
マズい。マズいとは思うのだけど、とっさに何もできない。
【あ、離れては・・・】
ナノマシンの呼びかけが途切れた。
こちらから心の声で呼びかけるも返事はない。
なに?ペタとの距離の問題なの?
しかしこの状況でまたペタに近づくっていろいろ自殺行為のような気がする。けど・・・ええい、今は情報収集が優先だ。
「ちょっとこっち来て。」
腰帯を締め直した私はペタを呼びつける。なんたってペタは今日から一か月、私の奴隷だ。
「どうした?」と言いながら寄ってきたペタに、私はやけくそ気味にお説教を始める。
「大体あんたがゴブリンごときで油断するから~~」
ペタは目を白黒させているが、ペタに近づいて自然に会話をしながらナノマシンとも交信するなんて無理だ。
だがペタへのお説教ならあまり考えなくてもどんどん勝手に出てくるし、これだけお説教すればイクサさんの誤解も解けるだろう。イクサさんの表情が、照れ隠しなんてしちゃってカワイイ、と言っているように見えるのは気のせいだっ。
「ナノマシン、手短に状況説明。」ペタにダメ出しをしながら、心の声でナノマシンと交信を開始する。
ペタと触れ合わなくても50cmぐらいの距離なら大丈夫のようだ。
【マスターは私のことを「ナノマシン」と呼称しますが、それはナノメール以下の微小サイズの構造体の総称です。私は人格を持っていますので、マスターが私に個体名を付けてください。ちなみに私の希望は・・・】
何言ってるんだ、この疑似人格は。
名前なんて何でもいいから状況説明!
【大切なことです。それによって一個体としての自意識が強くなります。ちなみに名前の候補として、ナノマシンから「なの」というのは如何でしょう。】
あぁ、どうでもいいことなのに、微妙にどうでもよくない。どうして私の名前に被せてくるのよ。
【マスターの個体名である「ナノ」とは発音が異なります。「なの」と「ナノ」で十分個体識別は可能ではないですか。】
そんな微妙な違い、分からないわよ。
【そうですか。では第二候補として「なの子」では如何でしょうか。】
「ちょっと『なの』から離れなさいよ!」
あ、思わず声に出しちゃった。
ペタがびっくりして後ろに下がる。
離れる直前に【それでは異存もないようですので「なの子」で。】というナノマシンの声が聞こえた。
異存ならありまくりだが、もう「なの子」の声は聞こえない。
ペタは混乱した表情でさらに真っ赤だし、イクサさんはニヤニヤしてるし、何この状況は。
結局、名前決めただけじゃないの!
そして、私も真っ赤よ!!
■お店について
この世界の一般的な田舎町では、そもそも作り置きしたものを並べているような商店は存在しません。王都ではそれなりに需要があるでしょうから多少の作り置きはあるでしょうが、店頭に並べるということはなく、倉庫に置いておいて注文に応じて出してくるというスタイルです。江戸時代の商店はこのスタイルですね。鍛冶屋なども基本的に注文生産で材料代を前金で支払う必要があります。
もちろん売価は交渉で定価などはありません。
ただ、交渉といっても大阪のオバちゃんのような「まけろ」「堪忍して」のよう交渉風景ではなく、地位や信用などで価格が変わるという意味です。狭い社会でお互いその後も関係は続きますからあまり無茶な交渉にはならないと思います。
ちなみにこの町には元々2軒の鍛冶屋がありましたが、蹄鉄などの鋳物と、包丁や鎌などの刃物とで住み分けていて、コッチが高いからアッチでというような交渉もありませんでした。
冒険者ギルドが出来てからは、ギルド内に王都から来た武器防具専門の鍛冶屋が常駐しています。需要が高いので武器や盾は作り置きもしています。防具は体型に合わせる必要があるので受注生産ですが。
その他には、本文中でナノがポーションを買ったことになっている薬師や、お弁当を買った食堂などがギルド内に設置されています。