オペ
私はコボルトにトドメを刺した後、周囲を見渡してようやく私の相方の状況に気付く。
ペタは脇に槍を突き立てられていた。
どう見ても致命傷だ。
心臓や肺に届いてなければマナの濃い所で回復魔法を使って生存率は五分五分。だが重要な臓器を傷つけられていたら外科治療のないこの世界では助けられない。
冷静になれ。私は自分自身に言い聞かせる。足の傷の痛みはなくなっていた。
まずはあのゴブリンを何とかしないと!
何と言ったのかも覚えていないが、私は気合の言葉を口にして一気に距離を詰めると、振り向くゴブリンを横に薙ぎ払う。片手では一撃で倒すというわけにはいかなかったが、それでも深く入ったようで、戦意を喪失したのか、ゴブリンはそのままふらふらと逃亡をはじめる。
時間が惜しいので追撃はしない。
「ペタ!」
呼び掛けてみるが既に意識がない。
すぐに脇に刺さっていた槍を抜き、カバンから出した例の紙で傷口を押さえる。
私の足の傷のことでこの"紙"にある確信があった。
どういう原理なのかはまだ分からないけど、破れていた紙が元に戻ったということはこの紙というかナノマシンには修復する効果がある。
そしてそれは紙と接触することで伝染るのではないか。
私は"紙"に触った手で足の傷に軟膏を塗った。だから足の怪我が回復した。左手の噛み傷に未だ回復の兆しがないのも、まだ紙を触れた手で触っていないからだと考えれば納得がいく。
ナノマシンであれば細菌のように伝染ることは十分考えられる。
思った通り、ペタの傷口は塞がっていく。槍を抜いてすぐに処置をしたのでほとんど血も失っていないはず。
しかしペタは苦しそうに咳をしたあと血を吐いた。
「肺まで傷ついている?」
待てばいずれ紙の効果が浸透するのか。分からないけどこれは摩訶不思議な魔法の効果ではなくナノマシンによる現象だと考える。そうすると内臓の傷に効果が現れるのはナノマシンが血液に乗って全身を巡った先のことだろう。それまでペタがもつとは思えない。
「何か考えないと!」
内臓の傷にすぐナノマシンが届かないのであれば、直接肺にこの紙を貼り付けるのが手っ取り早い。そのためには肺に手が届かなければいけない。
私はこの場での開胸手術を決断し、手順を考える。
①手持ちの麻痺毒を使って麻酔をする。
②ナイフで胸を開いて内臓の傷の状態を確かめる。
②傷ついている臓器に直接紙を貼る。
③縫合の代わりにまた紙を当てる。
ただ、この紙は本当に予想通りの効果を発揮するだろうか。今は紙を信じるしかない。
「大丈夫。ペタの脇の傷も私の足や左手の傷も塞がっている。紙の効果は本物よ。」
自分に言い聞かせるように呟く。
カバンから作業用のナイフを取り出し、ちょっと考えてからナイフの刃にも紙を当てる。これで切り口の出血も抑えてくれるかもしれないし、殺菌効果もできれば期待したい。
ペタの鎧を外して服もナイフで切る。
胸のあたりに薄めた麻痺毒を塗る。これは短弓の矢の先に塗るために持っていたものだ。
前世の記憶から人体のイメージを思い描き、太い血管を避けてナイフを入れる。紙の効果なのか切れ味も良くなっている気がする。
ここからの細かい描写は避けるが、何とか肺の傷に紙片を貼り付けることが出来た。
そこでふと「抗体反応」という単語が頭をよぎるが、今更だと思い直して作業を進める。
心臓は幸いにして傷ついてない。私がうっかり傷つけないようそろそろオペは終了しよう。
傷口を合わせて紙を当てたら、上から私の腰帯で縛っておく。
やれる事をやってだんだん冷静になってくると、原理も効果も分からないものをこんな風に使ってしまったことの後悔が頭をもたげてきた。
また今更だが「抗体反応」も問題だ。
ナノマシンは人体から見れば未知のウイルスのようなものだから、体内に大量に取り込んでしまったらアレルギー反応を引き起こす可能性は大いにある。傷は治ったけどアレルギー反応で死にましたというのではやるせない。
悪いことにペタの体温ははっきり分かるほどに上がっていた。
携帯していた水で湿らせた布を額に当てる。「焼け石に水ね。」と自嘲気味に呟いて、他に出来ることはないかと考える。
やってしまったことだ。今はそれが最善だったと信じるしかない。
近くの戸板を外して担架代わりにして、目立たない場所に移動させた。
これも今更だが、オペの最中には襲われなかったのだから気にしない。
本当は周囲を警戒するべきなんだろうけど、私はペタに膝枕をする。
そして考える。
最初はペタが私についてくるのが嫌だった。
もちろん、私はペタが私に好意を持っていることを最初から知っていた。
なら私は?
その時、頭の中に声が響く。
【治療は終わりました。】
声にならず口をパクパクさせながら、探すように周囲に首を振るが、驚いて風景は目に入っていない。
治療が終わったって?
【はい。この方の左肺の損傷は修復しました。また体内に漏れていた余分な血液は分解し、傷口に付着していた雑菌も対応済みです。また麻痺性の毒物も中和しました。】
さらに声が聞こえる。
まあ、それは至れり尽くせりで。
【どういたしまして、マスター。】
マスター、私か。
もしかして、心の声を読み取っている?念話とかテレパシーのような?
あんがい簡単に順応した私は心の声で何者かと会話を続ける。
【そうですね。大脳の微弱な電気信号を収集して分析を・・・】
「ちょっと待った。」
思わず声が出る。
【はい、マスター。】
あ、素直だ。
いやいや。そもそもあなたは何なのよ。
【私は☆@¥(K+*】
分からないわよ!
【ええと、私が何かというのを端的に説明すると微細な構造体の集合です。あらかじめ設定されていた起動キーを確認した為、目に見えないぐらいの小さな構造体を無数に並列結合して計算機を構成。その上に擬似人格プログラムをダウンロードして私が生まれました。・・・これで通じますか?】
……私でなければ通じないと思うけど、まあ大体通じました。
つまり、微細な構造体というのがさっき私が使ったナノマシンということね。
【この時代でもナノマシンで通じましたか。】
ええ、異世界の知識が何故この場の超常現象に通用できているのか分かりませんが、ナノマシンで通じます。
【異世界?】
こっちの話です、気にしないで。
それでナノマシンがネットワークを組んで一つのシステムとして動くわけね。並列コンピュータと人工知能ということかしら。
【そうです。】
それじゃあ、起動キーというのは?
【私の場合は、愛ですね。他者を想う気持ち、でもいいかもしれません。】
・・・・
「はあぁ?」
何言ってんだ、この仮想人格は!私は赤面して立ち上がる。
膝枕をしていたペタは落っこちてそのまま地面にキスをした。
■ナノマシンは紙でした
「あなたは紙を信じますか」的なネタをぶっこんでやろうと思っていたんですが、結局、上手く入れられませんでした。
そういえば第一話は「捨てる紙あれば、拾う紙あり」的なネタをぶっこむ好機だったわけですが、さらっと見逃してます。
また紙に触るとナノマシンが伝染するわけで「さわらぬ紙に祟りなし」なんてのもあります。
以上、不発の紙ネタ3連発でお送りしました。