リンゴ
リンゴが落ちる。
その現象から重力の発想に至るには無限の妄想が必要だ。
そして重力という妄想があればすべてがうまく説明できるから、その妄想は存在する、と結論する。
科学というのはだから、その過程は案外メルヘンチックだ。
重力が認識されてない時代に重力の存在を想像するのは、人間しかいない世界でエルフやゴブリンを想像するのと大きく違わない。
「ピコって、エルフだったのか。」
「エルフの血が混ざってるってだけです。父は人間でしたし、母も純血のエルフではないと思います。クォーターか、もっと薄いかも。耳だって、言われてみればちょっと尖ってるかもってぐらいでしょ。」ペタの問いにピコが答える。
それでもピコの父に会ったら一発殴る。その場に居合わせた男が一つの想いの元に団結した、かもしれない。聞き耳をたててる連中も含めて。
そう、ここはいつぞやの宿屋の食堂。
ペタとピコはいつもの薄めたリンゴ果汁を飲みながら、話をしている。
「じゃあ、ピコってもしかして俺より年上なのか?」
「そうかもしれませんし、案外見たままかもしれませんよ。」
「どっちなんだよ。」
「レディに年齢の話はしちゃダメってことです。」
「はっ、何がレディだよ。って、おい、俺の髪の毛を焦がすの、やめろよな!」
「レディをバカにするからです。」
ピコはケタケタとひとしきり笑った後、声を潜めた。
「それよりペタさん。昨日話したアレ、どうでした?あなたの『なのましん』の声、聞こえました?」
「ああ、いや、ダメだった。」
「うーん、やっぱりカギを開けた人だけなのかな・・・」
「それはもう、いいよ。」
「ペタさん。あなたのカラダのことですよ。今も『なのましん』はあなたのカラダの中で無秩序に活動してます。どうやって制御するか、考えないと。」
「カラダは何ともなってない。」
「今は大丈夫でも、そのうちにだんだん、おかしくなるんです。私の『なのましん』は、あなたの『なのましん』に干渉は出来ないって言うし、箱があればまだ何とかなったかもしれないのにそれも盗られちゃったし。」
「どうせ箱が見つかったって、王都に持っていかれちゃうよ。」
「持っていかれる前に一度試させてもらうんです。サブギルが箱を回収すれば、いったんは拠点であるこの町に戻ってくるはずです。その時にあなたがカギを開き直して管理者になれば、その後は箱なんてなくても・・・」
「あら、仲がいいのね。」
顔を寄せてひそひそ話をするペタとピコにイクサさんがいい笑顔で声をかける。もう一度言うけど、イクサさんの笑顔がとてもイイ。
その笑顔で何を察したのか。
そんなんじゃないとか、何言ってるんだとか、一通り古式ゆかしき様式美をやってから、テラさん、アトさんもリンゴ酒を持って席に着き、昨日の遺跡探索の反省会が始まる。
ピコはこの町で冒険者として活動することにしたようで、テラさんのいるこの宿屋に部屋を取った。年の割にしっかりした子だと思っていたけど、期待を裏切らず、魔法は的確で機転もきくし、なんといってもかわいいので、いま冒険者の間ではちょっとしたアイドル扱いだ。
色々なパーティにスポット参戦してるけど、テラさんのパーティは今のところ皆勤賞。周囲もピコはテラさんのパーティメンバーだと思ってる。
メンバーが変わったのでフォーメーションも変わった。
テラさんとペタで敵の前衛を足止めして、ピコが魔法で仕留めるのが今のセオリーだ。
イクサさんはピコやアトさんの護衛。
ペタ程じゃないけど他のメンバーもナノマシンのせいで自動回復するので、イクサさんの回復魔法はほぼ出番なしだ。
そして火力が上がったので、発掘より討伐メインになった。
それから、ペタの装備も変わった。
私がいた時、ペタは私と組んで戦うことが多かったので、私が敵を押さえてペタがアタッカーだった。でも今はペタが敵を押さえる役なので、片手剣と私の盾を使ってる。
私がいなくても・・・いや、そういう考えはよそう。
「相手が4匹の場合の改善点はこんなものかな。他に何か気付いたことは?」
「あ、実はちょっと気になったことがあって・・・」とアトさんが意見を言う。
アトさんは私がいた時から、こういう場でいろいろ意見を言ってくれる貴重な存在だ。戦闘行為の適性は皆無だけど、頭もいいし観察眼がある。後ろから全体を見て的確にアドバイスをしてくれるんだ。
いうなれば団体競技の優秀な女子マネって感じ。
だからアトさんはこのパーティに必要な存在だ。
「アトの言うとおりだな。ペタ。お前はちょっと後ろを気にしすぎだ。」
「そんなことは・・・」
「私もいるんだから、あなたが敵を押さえながら、後ろを狙った矢まで対応する必要はないのよ~。」
「怪我がすぐに治るからって無理するな。怪我をしたら治るまでの間は隙が出来る。そこを突かれてお前が突破される方が困る。」
「あんなヘロヘロの矢なら私は大丈夫。そのために苦労してこんな盾を持ち歩いてるんだし。」
一斉に言われて、ペタはあからさまに不機嫌になる。ペタは良かれと思ってやったことだ。飛んでくる矢が視界に入ってとっさに動いただけだろう。
もちろん、無敵状態の自分を過信してるし、私もペタが怪我をするのは見たくはないので、無理はしてほしくないんだけどさ。
ちょっとペタがかわいそうになった。
アトさんじゃないけど、こうやって後ろから見てると良く見えるんだね。
テラさんは、ちょっと険のある言い方をするようになった。
それにイクサさんかアトさんのどちらかは、こんな言い方になる前にペタのフォローをしていたはずだ。
少しづつ、歯車が噛み合ってない。
「・・・分かったよ。」
「ほんとに分かってんのか。怪我が治ると過信してるのが危ねえんだ。いくら怪我が治るっていっても、死ぬときは死ぬんだからな。」
「分かってるよ!」
沈黙が下りる。
テラさんが何とも言えない顔をして、それを見たペタも何か言いたそうな顔をして、でも何も言えないでいる。
平常運転、というわけにはいかないか。
―*―*―*―*―*―*―*―
さて、と。
私は死んだ。
きっぱりさっぱり、死んだ。
私の葬式 ――親戚もいないので、ペタやテラさん達が集まってお墓を作ってくれただけだけど―― も見たし、私の家は隣のお姉さんの弟夫婦が住み始めた。
じゃあ、ふわふわと漂っている今の私の存在は何なのか。
死ぬって、何もかも無くなることだと思ってたけど、こんな風に見聞きしたり、それに対して何かを感じたり、考えたり、そんなことが出来るとは思ってもみなかった。
あるいは、今がまさに首の骨を折られて死ぬ瞬間で、死を覚悟した私は、この先の世界を勝手に想像して、刹那の時間でそれら全てを体験しているのかもしれない。
あるいは、ふわふわとあいまいに漂う私だが、現世への執着から死霊として残ってしまったのではないか。
取り憑いるのは、やっぱりペタかな。
あるいは、生命活動を停止したとしても、私を構成していた物質そのものが消滅するわけではない。であれば私の意識も誰の意識も本当は消滅しないのではないか。
でもそうするとこの世にどれだけの意識が漂っているのか考えるだけでもぞっとしない。
でも私固有の現象ならば。
私の意識だけが特別に残っている理由。
そんな事を考えているうちに、反省会は終了したようだ。
「じゃあ、今日は解散だ。」テラさんが解散を告げて、帰ろうとするピコに呼びかける。
「ピコ、次は来週の火曜日に遺跡に潜る予定なんだが、参加すると思っていいか。」
「いいよ。じゃあ、月曜日にまた事前の打ち合わせだね。」
「ああ。それじゃあモンスター討伐で発掘申請出すからな。」
「分かった。あ、ペタちょっと待って。」
「なんだ。」
「ペタ。箱を盗った男、私は遺跡にいるんじゃないかと思うの。」
「ん?何?」
「私は遺跡の探索を続けるわ。それしか出来ないしね。」
「ああそうだな。俺達冒険者にはそれしかないな。」
「・・・そうね。」
箱?ピコは妙に箱にこだわっている。
私がなの子から強制的に受けとらされた情報では、あの箱は中の紙が擬似人格を形成するために必要な基本設計図だ。箱とナノマシンが通信可能な距離にあるとき、あの理解不能な起動キー(愛だって!)を認識すると、ナノマシンが仮想人格を形成するようにネットワークを組む。その際のナノマシン同士の配置・接続情報があの箱の中に入っている。
箱の役割はそこまで。
その後は、宿主の生理活動によって位置が変わったり排出されたりしたものは、仮想人格(なの子)が自分で再配置したりエラー訂正をかける。
ピコはマスターとなった私の存在がないと暴走すると考えているようだけど、ピコはナノマシンのことをどこまで理解しているのか。
あのコスプレを考えるとピコも転生している可能性があるし、それならば私ほどではなくてもナノマシンを知識として知っているのかもしれない。
「それじゃ、また月曜日に~」話を続けているピコとペタにイクサさんが声をかける。
テラさんはもう部屋に戻ったようだ。
ペタも家に戻るようで、ピコと別れの挨拶をしている。
だんだん私の思考が霧散していく感覚がする。
そう、私は死んでから常に意識を保っていたわけじゃない。
むしろ、途切れ途切れに覚醒する。
大体はパーティの危機だったり、こういう打ち合わせの場だったり。ペタや皆が集合しているような時に・・・
―*―*―*―*―*―*―*―
気が付いたら月夜の晩だった。
一つ月か。
場所は町の外。何故こんなところにいるのかはよく分からない。
そして、そこにいたのはペタとピコだった。なんだか私が覚醒した時には既に盛り上がっていた。
別の意味でというべきなのか、いや二人ともまだ子供なのだし、そのままの意味でというべきなのか。
つまり喧嘩中だった。
「私はペタを心配して言ってるのよ。」
「だから問題ないって言ってるだろ。」
「問題ないはずない。隠してるはずよ。」
「じゃあ、どんな問題があるっていうんだよ。」
「それは・・・分からないけど。ちょっと待って。えーーと、回復現象の暴走なんだから、指がもう一本生えてきたりとか・・・」
「指はちゃんと5本づつだ。」
ペタが自分の手を広げてみせる。
「だから、例えば、よ。」
カラダに異変があることを隠していない証明・・・ないことの証明は出来ないよねえ。
でも、一つ証明できたことがある。
私が覚醒するのは、ペタとピコが同時に居る時だけだ。
「大丈夫だって言ってるだろ。いいかげん俺を信じろよ。」
「信じられないわよ。」
「なんでだよ。」
「だって、これだけははっきり言える。もし本当に何にも起こってないっていうのなら、それは・・・」
「それは?」
ピコは言いたくないのを無理やり絞り出すようにその言葉を吐き出した。
「ナノさんが実は生きているってことになるのよ!」
この状態、生きてるって言う?
勝手に盛り上がっている二人には悪いが、冷静に突っ込む私がここにいた。
■悪魔の証明
ペタが体の異変を隠していないことの証明、といった”無いことの証明”を悪魔の証明と言いますね。
無いことを証明するのは非常に難しいと言います。
最終的には「俺を信じろ!」みたいな熱い展開でしかこの状況は打破できないかもしれませんね。