Samsara -ファントム・ボンズ-
無限に続く人生のループ。
それが男を苦しめた。
同じ選択をしても、違う選択をしても、それは変わらず誤った道に進んでいく。
-もう何度繰り返しただろうか…。
-いつになれば、この辛い夢物語から抜け出せるのだろうか…。
期待しても意味がないと理解したのは、すでに何十通りもの選択をしたあとだった。
解放された窓から月明かりがそそがれる。
「あれ、電気つけないの?」
部屋に入るなり、口を開いた少年は辺りを見渡しながら部屋の中心へと足を進めた。室内は意外にも明るく、家具がない内装には生活感がなく寂しささえ感じさせた。
視線を窓へと向けると、男が一人静かに外を眺めている。少年に気づいているのかいないのか、定かではないがそのまま動こうとしない。
しばらくの沈黙に耐えかねた少年が口を開こうとすると、それを遮るように男がぼそりと呟いた。
「この悪夢は一生続くのだろうか…」
誰もいない空間にかけられた消え入りそうな独り言。まるで自分自身を嫌悪しているかのような笑みを浮かべながら身体を反転させた男はやっと少年を視界に入れた。
さらさらと風に流された漆黒の髪は美しく適度に引き締まった肢体は服の上からでも知れた。切れ長な目元、左右の色が違う美しい瞳、シャープな顔の輪郭、蠱惑こわく的な笑みを描く口元、全てが月に照らされる男を際立たせ、端正な顔は誰もが振り向き羨望せんぼうの眼差しを送るだろう。
「俺は………何度お前を殺したんだろうな」
悲しげな表情に自嘲じちょうと残忍ざんにんさが混ざったような笑みが加わる。
「何度目だろう…。もうそろそろ終わりにしたいんだ……」
少年は男の左目から水の雫なみだが滴っているのを目にしたと同時に意識が奥深くへと沈んでいった。
1
鈍く響く金属独特の音が、暗い路地に響いている。
鋭い剣尖が、少年-レント/神崎かんざき蓮斗れんとの左腕を浅く抉って白のワイシャツに血が滲む。
後ろに視線をやると同じ服装の男や女が銃や刀、剣などを使って身を守っている。視線を外したそのわずかな時間で間を積めてきた黒ローブの刀が腹を目掛けて突っ込んできていた。それを紙一重で避けたと同時に、胸の奥をひんやりとした冷たい手が撫でる。
敵が再び攻撃の態勢をとるよりも先に、距離をとり懐からシルバーの拳銃を取り出す。
「………っ」
弾丸を発射するたび感じる腕の痺れに顔をしかめる。
-よし、命中っ
弾が的中したローブに複数の穴が空いているのを確認し終えると大きく息を吐き、荒い呼吸を整える。
おそらく、いつも通りトドメを刺される前に逃げたのだろう。
辺り一面に散らばる黒い布は襲いかかってきた敵が突如消失したことを物語っており、援軍が来る可能性を考え不安を覚えた。
黒ローブ全てが消失したのだろう。背後から安堵のため息が漏れる音を聞くと、刀を鞘に納めようとした。
「いやっ!まだだ!!」
しかし、後方から聞こえた叫び声とともに薄暗い路地にどこからか冷たい強風が吹いて、視界を閉ざす。どこからともなく現れたローブが懐に飛び込んできた。
レントは持ち前の反射神経と運動能力を最大限に屈指して、敵の下に潜り込んだ。低い姿勢でローブの懐に密着する。
「……はあっ」
掛け声とともに、左手の刀の刃を上に向ける。刀がローブの中身をとらえると力任せに振り上げた。
切り裂かれた布の中身が二つに裂けたのが分かると布を引き剥がし確認した。先ほどの強襲からは想像もできないような薄いピンクのうさぎのぬいぐるみが中綿を撒き散らせて落ちていた。
と、不意に。
『あーあ、せっかくの可愛い人形がボロボロじゃないか』
反射的に視線を上向けた。
「いつの間に…」
『せっかく遊んであげてるのに、なーんで斬っちゃうかな~』
声はレントの真上に浮いているくまのぬいぐるみをかたどったスピーカーから聞こえているようだった。刀を一振りしたが届かず剣尖は空気を斬る。
『あっ、もしかして斬ろうとしてる?ダメだよ、そんなことしたら!!』
軽い物言いに殺意を覚え、右手の拳銃の照準をぬいぐるみに合わせトリガーをひいた。しかし、ぬいぐるみそれを予測していたのかさらりとかわす。
『あーもう、ダメだってば!これ壊れたらキミとお話しできなくなるんだから!』
-俺は一切したくないんだが。
ぬいぐるみが再び俺の頭上に浮いたとき、周りの仲間もカタがついたのだろう。宙に浮く塊を驚いていた。
『あれ?もう終わったのか…。つまんないなあー……そうだ!俺もそこに行けばいいん』
スピーカーから流れる声が途切れ、裏で何か言われたのだろう。声は不服そうに唸っていた。
『早く会いたかったのに、ルキ様……うちのボスまだダメって言われたから、まだ一緒に遊べないね。残念だよ…』
「俺は残念でも何でもないよ。いいから消えろ!」
もう一度銃口をぬいぐるみに向けると、慌てたように距離をとった。
『……なんだよ、せっかく暇しないように相手してやったのに』
という言葉が微かに聞こえたかと思うとゆっくりと去っていった。
今度こそ安堵の息を盛大に吐き出していると、バシッといい音が背後に響き、じんわりとした痛みに自分の背中が叩かれたのだと理解した。
「何やってるのよ、斬っちゃえばよかったのに」
振りかえると風に流れた茶色いショートヘアを鬱陶しそうに抑えて、腰に細身の両刃刀を下げた少女が立っていた。
「仕方ないだろ、すぐにかわされるんだから……。そんなこというならナズナが仕留めればよかっただろ」
その言葉を聞いてニッコリと微笑んだ少女-ナズナこと三海奈瑞菜はヴォガッという爽快な音とともに振り上げた足をレントの腹に食らわせた。
「~っっ」
「女の子への言葉はよく考えて口にしてね」
「いや、女とは思えない強力な蹴り……」
再び似たような音が響きわたった。両手で頭を押さえているレントに怒気を含んだ笑顔を向けた。
「何か言った?」
「いえ、何も……」
* * *
レント/神崎蓮斗は、二○二八年の秋、交通事故にあっていた。
中学では弓道部に入り、全国大会で準優勝という腕前をもっている。是非ともうちの高校にっというスカウトが引く手あまたにやって来ていて高校はスポーツ推薦となるため受験勉強というほどのものはない。よって受験シーズンは、蓮斗にとって家族と過ごす期間となり、母親と妹の提案で温泉旅行に行くことになった。
そして現在、その旅行を終え高速に車を走らせ、車内で会話を弾ませていた。
「本当に楽しかったわね、今度は別府に行きましょうよ」
「また温泉?俺はもう十分なんだけど」
「お兄ちゃんは食べ物にしか興味ないもんねー」
「しかたないだろ、俺食べんの好きだし……ナツだって浴衣にしか興味もたなかっただろ」
旅行帰りにまた新しい旅行について話している母と妹に苦笑を漏らし、車窓の外を眺めている。
次々と追い越していく色とりどりの車を見送っていると、右斜め後方の大型トラックがふらふらと近づいてくるのを見た。徐々に近づいてくるそれに危険を感じ始めた。
「父さ-っっ」
父親に異変を告げようとしたと同時に背中に重い衝撃が走り、ぐしゃりという音が耳の近くでなった。恐る恐る目を開いて見ると何故か右半分が暗闇だった。
「な…つ……?」
妹がいるはずの場所に左手を伸ばし触れた生温かい液体が何を意味するのか、ぼやけた頭でも容易に理解できてしまう。
自分の周りが人の声で騒がしくなっていくにつれ、意識が朦朧としていく。遠くからサイレン音が聞こえ始めると身体が動かなくなり、やがて暗闇の中に引っ張られていった。
「でも、それは色が違いますしっ」
「そんなこと言っている場合か!?彼は弓道の選手なんだぞ!?」
「親族の許可もとっていません!」
「時は一刻も争うんだ!そんなこと言ってられんだろう!」
「先生っ!」
「責任はすべて私がとる!いいから彼の移植手術を行うぞ!!」
-あれ…なんだろう?俺……。
-身体が動かない………。
-この人達は何をそんなに揉めているんだろう…?
一定感覚で鳴る電子音をBGMに複数の人間が緑の服を着て蓮斗を覗き込んでいる。
「麻酔かけます。1、2、3、4……」
数をカウントし始め10になる時には、もう意識を手放していた。
視界が霞む。
見慣れない真っ白な天井をぼんやりと眺めていた。今自分の置かれている状況を確認しようとゆっくりと身体を動かしてみると鈍い痛みが走り、痺れる。目だけを動かして辺りを見渡してみると部屋の家具はベッドと小さな本棚のみで、清潔感ある内装をしていた。
ふいに部屋のドアが開いた。
「おや、目が覚めたか」
白衣の男が蓮斗が目を覚ましたことを確認すると、そばに椅子を持ってきて腰かけた。左手のバインダーにペンを走らせながら尋ねてくる。男の様子に自分は病院に運ばれたのだとわかった。
「気分はどうだい?」
「…最悪ですね」
「そうだろうね…」
素っ気なく、さらりと答える蓮斗に苦笑を漏らしながら次の質問に移っていく。
「身体の調子はどうかな?」
「口しか動きませんね。動くとあちこちが痛い」
「目の見え方は?」
「目…?問題ないですけど……」
「問題なく成功したってことかな」
質問に疑問を抱くと、あぁ!っと気づいた医者は蓮斗に鏡を渡して顔を見るように促した。
「………え?」
言われるがまま鏡に自分の顔を映すと昔から馴染みのある顔立ちがそこにあった。
しかし、鏡の中の自分と目があったとき、僅かに違和感を覚えた。黒い短髪、薄い唇、シャープな顔の輪郭、事故後だからだろうか、少し青白い肌は違和感の正体ではないだろう。昔から変わらない少女のような顔つきであった。ただ一つ、瞳の色が違っていた。左目は生まれつき持っていた黒いものだが、右目には美しい赤色をしている。自分の右目を唖然と見つめていると横から声がかけられる。
「すまないね、君の右目は事故でつぶれてしまっていたんだ…。だから移植手術を行った。蓮斗は弓道の選手と聞いていたからね、こんな事故でできなくなるのは辛いだろう……」
「いえ……」
「左右の目の色が違うなんて不気味だと思う人もいるけどね、もし嫌なようならカラーコンタクトで隠して暮らしていけばいいから」
神崎蓮斗は不幸な少年だった。楽しい時間もつかの間、突然の交通事故で右目を失い、しばらくの間は身体の自由さえも失った。
「そういえば、妹は……家族はどうなったんですか…?」
「それは………」
目を伏せる医者を見て、助かったのが自分だけだと悟ると左目から温かいものがぼろぼろと流れ始めた。
「何で俺だけ……っ」
しかし、右目からは流れない。これには医者にもわからないようで戸惑っていた。
「どうして……」
2
翌朝。
レントは自室に籠りきっていた。ソファーにふんぞり返って足を組み、先ほど 部屋長が入れてくれたお茶を啜る。
性格上、あまり目立つことを好まないレントはこの組織に入るまえであっても《弓道二枚目少年》とありもしない噂をたてられているのに、今回はさらに尾ひれがついて《赤目のスナイパー》、もとい《黒ローブの悪魔ボスを撃退した赤の剣士》…。オマケどころではない。よ
「絶対に脱退してやる……あんな野次馬に俺の静かな生活を犯されてたまるか……」
ぼそりと悪態をつくレントに、部屋長-もとい相棒のコウタ/飯嶋宏太が苦笑いしている。
「まあ、仕方ないんじゃないか?只でさえ有名人だったお前が、一年前にこの《銀狼》に入団して、今や幹部だなんていうんだからな」
「…………」
レントは右手の空のマグカップを口元の持っていき、さも飲んでいるかのように振る舞った。
コウタはそのカップを取り上げると新しいお茶を淹れてやる。
「そういえば、何で有名になるのが嫌いなんだよ」
「二枚目だとかいうからだよ……」
「あー……まあ、期待してた女は若干ショック受けるだろうな。俺でも初めて会ったときは女かと思ったし…」
「うるせえ!」
叫んだと同時に、バリッという不可解な音が響いた。レントの手元にはカップの持ち手だけがぶら下がっていて、カップの部分は無残にも粉々になっている。
それを見たコウタはいつもの楽しそうな笑顔がひきつっていた。
「さ、さすがは幹部なだけあって力あるよな……お前…」
「昔から弓道やってたから、握力50くらいはあったけど……今はどれくらいあるかわかんないなあ…」
「レント、最近やけに強くなってきたしな…」
* * *
小学生の頃から弓道をしている父親の姿を見ているからか、俺の弓道への思い入れは強かった。もちろん、中学はわざわざ弓道部のある学校を探し入学した。
父が弓道の選手だということから、もともと注目はされていた。さすがに入部したての六月くらいまでは的から外れることはあった。それでも俺は一年の秋にはほとんど皆中という脅威的な集中力と努力の結果を見せつけた-周りの人間は人の努力を知らずに才能だのなんだのと決めつけていたが。二年では全国中学生弓道大会でその名を馳せた。
その頃にはもう高校のスカウトが始まっていた。
「蓮斗って本当に目立つの嫌いだよなあ」
「そりゃあ、お前と違ってイケメンでもないしな」
「いやあ、それほどでもーっ」
照れ臭そうに頭を掻く同じ弓道仲間、もとい俺の親友-東雲一輝を冷めた目で軽く睨みつけると少し頬をひきつらせて話を戻した。
「まあ、俺は目立つの好きだけどさ……お前はもうちょい愛想よくだな」
「はいはい、それは聞き飽きたって」
一輝は中学の頃にうちの家の隣に引っ越してきては何かと話しかけてきて最初の頃は鬱陶しくも思っていた。だが、一輝が弓道部に入ってきて、その資質と才能を目の当たりにしたときさすがに感心せざる終えなくなった。それ以来ひっそりとライバル認識をし始めた。
「それより、駅前に新しいラーメン屋できたんだけどさ」
「あー……俺、パス…最近金欠だわ」
「おいおい蓮斗ー、お前まだ月始めだぞ?」
「実はネット見てたらうまそうな塩辛見つけてさー」
「注ぎ込んじまったってことか……」
一輝の端正な顔が憂い半分呆れ半分といった色を帯びてさらに引き立たされる。女ならほっておかないだろう。
「お前、その顔、女みたいに綺麗すぎてキモいぞ」
「なっ!?俺の顔がキモいって……二枚目の言うことは違うなあ」
苦笑いしつつ、俺の発した嫌みをものともせずに、さらりとかわしたのは、まあ当然としか言いようがない。まあ、長い付き合いともなれば普通なんだろうけれど。
「それに……それはお前にだけは言われたくないな」
「はあ?なんでだよ」
「だって、俺お前が女だったら確実に惚れてた……いや、今でも案外……」
その時には俺の固く握られた拳が一輝の腹に吸い込まれるように突っ込んでいた。
「このホモが……」
「……ぐぬっ…」