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第6話 スズメの涙

ある朝、街を歩いていると、歩道の片隅に一羽のスズメの亡骸をみつけました。青山というその場所に、あまりにも不釣合いなその亡骸は、誰に気づかれることもありません。筆者は大きな違和感を感じました。もしかしたら、このスズメは、普通のスズメではなかったのかもしれない……っと。

挿絵(By みてみん)




 もう時間がない

 下弦の月が、登りきったとき、私の時は終わってしまう。


 彼を見たとき、運命のようなものを感じた。傷つき、命果てようとしていた私を彼は救ってくれた。

 彼の優しい笑顔は、私の悲しみを癒してくれる。

 彼の優しい指先は、私の痛みを和らげてくれる。

 彼の優しい声は、私の心を震わせる。

 彼の存在そのものが、私の生きる希望になる。


 でも、彼の顔は見えても、私の笑顔は彼には見えない。

 でも、彼に触れられても、彼に触れることはできない。

 でも、彼の声は聞こえても、彼と話すことはできない。

 でも、私の存在は、あまりにも小さすぎる。


 私は願い、祈った。

 どうか彼に私の笑顔が見えますように。

 どうか彼に触れられますように。

 どうか彼とお話ができますように。

 どうか彼に私の存在を伝えられますように。


 毎夜、毎夜、私は月に向かって祈り続けた。

 毎夜、毎夜、私は星に願いをかけ続けた。

 誰も答えてくれない。

 誰も気づいてくれない。


 それでも私は祈り続けた。

 それでも私は願い続けた。


 満月の夜、月の灯りが星の光を奪うほどに真っ白に輝いている。

 その月の光の中から一匹の蝶々が私に向かって飛んできた。


 蝶々は私の周りをふわふわと飛び回る。すると蝶々の羽から鱗粉が舞い散り、月に反射して青白く妖しい光を放つと、どこからともなく声が聞こえて聴いた。


 それは男の人の声であるようで、女の人の声でもある。

 それは子供の声であるようで、老婆の声のようでもある。


『そなたの想い、しかと受け取った。望むか?』


 私は迷わず「はい」と答える。


『では、捧げるか?』


 私は迷わず「捧げます」と答える。


『今宵の月はよい月であるから、そなたに力を授けよう。しかし、月の力であるから、月のないところでは力は使えない』


 私は迷わず「それでもかまいません」と答える。


『今宵の月はよい月であるから、そなたに時を授けよう。しかし、月の力であるから、月が欠ければ時を失う』


 私は迷わず「それも承知です」と答える。


『では、そなたの願いしかとうけとった。そなたの想いが通じたとき、月の力はそなたを満たすであろう』


 私は小さくうなずいた。


『しかし、そなたの想いが通じなかったとき、月の力はそなたからすべてを奪うだろう』


 私はやはり、小さくうなずいた。


『今宵十五夜であるから、月が下弦になるまでに、そなたの想いを遂げられよ』


 私は暦を数え、また、小さくうなずいた。


 十五夜から十六夜、立待月、居待月、寝待月、更待月、宵月、下弦まで。




 十五夜じゅうごや


 月の灯りを浴び、私はとても満たされていた。何一つかなえられたわけではないけど、彼のことを思うだけで、胸の鼓動は激しくなり、頬が少し赤らんでしまう。


 早く彼に会いたい。


 でも、彼は私のことをしらない。私はどうにかして彼に知ってもらわなければならない。彼の部屋の電気はすっかり消えている。彼はまだ部屋に帰ってきていないのだろうか? それとももう眠ってしまったのだろうか。私は外から部屋の様子をずっとうかがっていた。


 なんて残酷に時は過ぎていくのか。


 彼を思う気持ちは募るばかり。思いが募れば募るほど、時の流れは私を苦しめる。


 やがて月の位置は傾き、夜が明けていく。


 私は帰るところに帰らなければならない。こうして、最初の夜は過ぎて行った。



 十六夜いざよい


 朝、玄関から彼が出てきた。彼は私の方を見て

「おはよう、元気かい?」


 と声を掛けてくれた。


 私はいつものように微笑み返し、歌を歌った。


 私は彼についていったけど、駅の中までは入ることができず、やはり彼を見失ってしまった。


 彼の帰りを待つ。少し疲れた顔の彼を駅の改札で見つけた。でも、なんて声を掛けていいのかわからない。私は彼の背中を追いかけて、追いかけて、でも、マンションの入り口から先は、入ることができない。


 つらい……、こんなにも人を思う気持ちは苦しいの?


 立待月たちまちづき


 今朝は挨拶をしてくれなかった。ひどく急いでいたみたい。そして疲れていたみたい。私は昨日と同じように駅で彼の帰りを待つ。待ちながら考える。

 どうやってこの気持ちを彼に伝えたらいいのか?

 どうやって声を掛けたらいいのか?

 どうやったら私に気が付いてもらえるのか?


 時は残酷に過ぎてゆく。何の答えも得られぬまま、彼を見つけることもできず、夜は明けてしまった。



 居待月いまちづき


 待って、待って、待ち続けて、ようやく彼を見つけたとき、私は自分の目を疑った。彼は見知らぬ女性と仲むずまじく、話をしている。二人は楽しげに会話をしながら、感じのいいお店に入っていった。私はどうしていいのかわからず、二人の後に女性の三人組が入った後、思い切ってドアを開けた。


 薄暗い店内に、暖かな灯りが壁から漏れている。そこにふわっと人の顔が浮かぶ。

「お客様はおひとり様でございますか?」

 彼よりも10歳は若い店員が、声をかけてきた。

「はい」

「カウンターでよろしいですか?」

「はい」

「ご案内します。どうぞこちらへ」


 カウンターには二組の男女と、時計をやたらと気にしている若い男性、バーテンダーと楽しげに話をしている女性客が座っている。その女性客の隣に私は案内された。そこはカウンターの隅の席で、テーブル席のすぐそばだった。そこに彼の優しい笑顔と見知らぬ女性の後ろ姿が見えた。


「いらっしゃいませ。ご注文は何になさいますか? 本日のオススメのカクテルはこちらでございます」


 私の中で声が聞こえる。

『案ずるな。身をゆだねよ』


 私は心の声に従った。 

「マルガリータをお願いします」

「かしこまりました」


 それがどんな物であるのか、ここがどんな所であるのか、わからないと思い、解りたいと願えば、忘れていたことを思い出したように理解することができた。


 バーテンダーはなれた手つきで仕事をこなしていく。私は一瞬それに見蕩れてしまったが、すぐに彼のことが気になり、静かに視線を送った。どんな会話をしているのか、聴こえそうでよくわからない。店内に流れている音楽と人の声、そしてバーテンダーがシェーカーを振る音が見事に調和し、混じりあい、消しあっている。


「お待たせしました。マルガリータでございます」

「ありがとう」


 仕方がないので、私はその中に溶け込むしかなかった。誰も私を知らない。誰も私に気付いてくれない。


 マルガリータを口にする。私は少し驚いて、でも、すぐに理解し、それを受け入れた。

『おいしい』という言葉が、体の中から湧き上がり、口に出そうになったが、はたして誰に言うわけでもなく、誰にきかれるわけでもなく。私はその言葉を飲み込んだ。


 私はしばらくカクテルグラスを眺め、アルコールが体中にしみわたる感触に身をゆだねていた。不意に自分の神経が研ぎ澄まされ、聴こえなかったものが聴こえ、見えなかったものが見えるようになった。そう感じた。


「……そういえば、珍しいことがあってね」

 彼の声だ。

「マンションの玄関を出てすぐのところ、部屋の玄関じゃなくて、建物のエントランスね。スズメが一羽、植え込みのそばでうずくまっていてね、どうやら苦しんでいるみたいだったんで、そのまま放っておくこともできずに、拾い上げたんだ。見ると足に釣り糸が絡んでいてね。ほら、近くに川があるでしょう。多分そこで釣りの仕掛けが足に絡まってしまったようなんだ」


 私は胸の鼓動が激しくなるのを感じていた。


「で、どうしたの?」

「かわいそうだからとってあげたんだ。そしたらそのスズメ、僕になついちゃったみたいで、僕の部屋の前やベランダに遊びに来るようになったんだよ」

「えー、本当? だってスズメって人になつかないって聞いたことあるわよ」

「だろう? 僕もそう思っていたんだけど、だから、珍しいこともあるんだなぁって……」

「スズメの……恩返し?」

「鶴ならね、人間に化けて恩返しに来るかもしれないけど、まさかスズメはねぇ」


 もう、胸がはちきれそうだった。

『それは私です』と自分の中で何度も繰り返し、叫んだ。


『どうか私に気付いてください。どうか私を見てください』

 気が付くと私は彼をずっと見つめていた。不意に彼と視線が合う。私は怖くなって目をそらし、席を立ってその場から逃げるように立ち去った。


「あれ? 彼女どうして……」

「えっ? どうかしたの? お兄ちゃん」

「いや、今、カウンターに座っていた人、どこかで見たことあるような気がしたんだけど……」

「ふーん。そうなんだ」




 寝待月ねまちづき


 私は何も考えることができず、何も感じないように、何も思わないように努めた。



 更待月ふけまちづき


 残酷なほどに時は足早に過ぎていく



 宵月よいづき


 それでも最後に彼の姿を心に焼き付けたいと、私は町に出た。駅の改札、彼は携帯電話で誰かと話をしている。とても淋しそう、とてもつらそう。何か力になれることはないかと考え、気が付くと私は彼に向かって歩き始めていた。


 彼の視線がぼんやりと私の方を見ている。一瞬怖い顔になり、彼は携帯を切り、胸のポケットにしまう。


「あっ、あのぉ、失礼ですが、あなたは確か……、三日月亭でカウンターにすわってらっしゃった方では?」

「はい、確かに私はあのお店にいましたわ」

「あのとき、どうして……いや、それよりも前にお会いしたことが」

「いえ、私はあなたにお会いしたことはありません。他人の空似でしょう」

「そうですか……、あっ、すいません。変なこと聞いちゃって」

「いえ、いいんです。お気になさらないでください」

「じゃぁ……、僕はこれで」

「あっ、あのぉ……」


 私の頭の中は真っ白だった。でも、このまま彼を引き留めなければ、もう二度と、話すことはできないと思った。


「あのお店にはよくいらっしゃるのですか?」

「ええ、ただ、あの日は妹の誕生日だったものですから」

「妹さん?」

「はい」


『はい』と答えた彼の顔は、とても優しく、あのとき私を助けてくれたときと同じ表情だった。


「妹さん思いなんですね」

「いえ、そんなわけでもないんですけど……」


 ピーッピーッピーッ……、ピーッピーッピーッ……。


 彼の胸のポケットが青白く光る。彼の表情が曇る。


「ちょっと失礼」


 さっきまで優しく微笑んでいた彼とはまるで別人のようだった。


「……わかったから、もう、そんなことで電話してこないでくれ、今人と……」


 私はとっても怖くなった。彼が誰と電話をしているのか、なんとなくわかってしまった。そして彼の笑顔の意味も……。


「失礼、ちょっといま、彼女と喧嘩していて……、いやぁ、お恥ずかしいところを――」

 彼は携帯の電源を切り、今度はズボンのポケットにしまった。

「怖い顔、なさるんですね」

「あっ、はぁ、まぁ……・」


 私は後ろに一歩下がり、ゆっくりと頭を下げ、彼に背を向けて人ごみの中に逃げ場を求めた。少しの間彼の視線を背中に感じていたが、やがてその気配も感じられないほど、私は町の中に、夜の中に溶け込んでいった。


 私の中で、声が聞こえる。

『叶わなかったか?』

「ええ、叶いませんでした」

『まだ一晩、月は力をあたえてくれる』

「ええ、まだ、一晩あります」

『では、まだ求めるか?』

「私に何ができましょうか? でも、もう一眼だけ会うことができるのなら……」

『ならばよし』



 下弦かげん


 いつものように駅の前で彼を待つ。終電間際に彼は現れた。私は気づかれないように彼の後を追いかけた。私は自分の身体がとても軽くなっていることに気付いた。


『嗚呼、もう時が来たのね』


 意識が薄れていく。


『お願いもう少しだけ、時間をちょうだいな』


 思い切り彼の背中に向かって駆け出し、私は彼のその大きな背中にしがみつこうとしたその時、私の中で声がした。


『捧げよ』




 男は一瞬、背中に何かが触れたような気がして、後ろを振り返った。が、そこには何も見当らなかった。

「月かぁ……」


 そこには下弦の月が、頼りなく輝いていた。



 翌朝、足早に通り過ぎる人の足音が、聞こえる。いや、聞こえるのとは違う。冷たくなった体をその振動が伝わってくる。


 ふと足音が止まり、歩幅をかえて、或いは大きく何かを跳ね除けるように歩く。


 そこには一羽のスズメの亡骸が、横たわっていた。


 ほとんどの人はそれに気づかず、気づいたとしても、ただ、通り過ぎるだけである。


 そのスズメの目に光る小さな、小さな涙に気付く者など、誰もいなかった。




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