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第2話 左手の想ひ出4

 言った者負け


「好きです。付き合ってください」

 簡単にはいかない。いえない。言い出せない。


 それは恋の駆け引きというにはあまりにも不器用で、不恰好であったし、若さが失敗を恐れない無謀さや、まっすぐさであるという話は、必ずしも若さを言い表していないということを証明するのに充分であった。未熟さと無謀さは、おそらく恋愛に関しては相反するのではないだろうか。


 しかし、後に僕は気づかされる。


『いつまでもこのままでいたい』


 そういう気持ちが僕の中に少なからずあったのだということ。そして、何かを得るためには、何かを失わなければならないということを、理屈ではなく、直感で理解し、そして恐れていたのかもしれない。


 奥村恵子がバスケ部に入ってから、一緒に過ごす時間は確かに増えた。だがそれは、あくまでも場所と空間の問題であって、常にお互いを意識していられるような状態ではなかった。その意味では席が近い柴崎千恵や栗山直子のほうが共有するものが多かったに違いない。


 それでも以前に比べて、間違いなく親密な関係になっていたのは、共通の話題が増え、場所や時間を共有したことによって、相手が何を考え、どう感じているのかが、今まで以上にわかるようになっていたからである。


 だからきっかけさあれば……


 何かの勢いで、大はしゃぎをすることがあっても、次の日には何もなかったかのように一言も口を利かない二人。


 期待と不安が入り交る。ふわふわとした居心地の悪さと、ドキドキするような緊張感。片思いを愉しむような余裕はなかった。好きだという気持ちを伝えて、次はどうすればいいのか。男女が付き合うということはどういうことなのか。抱きしめたいという衝動の先にあるのは、性の快楽なのか。そしてそれは映画やドラマのようなロマンチックなものなのか。


 今のままでいい


 なんとも不器用である。若さというよりは未熟さ、初心うぶというよりは無垢であったのかもしれない。


 いや、それ以上に臆病だったのかもしれない。



 しかし『きっかけ』は、望まないときにこそ突然訪れる。



 夏休みが明け、体育祭の準備が始まった頃、僕があることをしたために、二人は付き合っているのではという噂が広まった。


 他愛もない遊び、ジャンケンだったか、何かの競争だったか、ゲームだったかもしれない。あるいは何かを賭けたのか。ともかく僕は奥村に負けたのだった。そして、罰ゲームとして体育祭の練習で使った奥村の椅子(自分たちの教室、4階から運び出した椅子)を持って教室まで上がった。それを見られた。


「負けたんだからしかたないじゃないか」

 そう弁明したのだが、悪いことにそのことを言いふらし始めたのは、少々たちの悪い連中だったのだ。この『たちの悪い』とは、退屈をもてあまし、何か面白いことはないかと授業をサボり、大人の目の届かないところで、大人が顔をしかめるようなことをする連中のことだ。


「お前ら、つきあっているんじゃねーの」

 僕は、どこかそういった『たちの悪い連中』を軽蔑しているところがあった。彼らに一生懸命に弁明するのがいやだった。でも無視はできない。そう思われないようなレベルで受け答えし、有耶無耶にしてしまったのである。


「シカトこいていんじゃ、ねーぞ」

 そうなったら売り言葉に買い言葉である。それは避けたかった。僕は、今だけやり過ごせば、すぐに治まるだろうと思っていた。が、それがそうならなかったのは、彼らがほとほと退屈していたからに違いない。その日のうちに、クラスでそのことを知らないものはいないレベルに話は広がった。それ以上に広がっていた可能性もあったが、『しばらく、奥村とは目も合わせられないだろう』と覚悟をした。


 その日の放課後、なぜそういうシチュエーションになったのか、未だに思い出せない。教室にはほとんど誰も残っていなかったと思う。帰り支度をして、教室を出ると、廊下の窓が夕日で真っ赤に染まり、まぶしかった。そのオレンジ色の光の中に寂しげに外を眺めている千恵を見かけたとき、一瞬声をかけるかどうか迷った。


「なにしているの?」

 考えるよりも先に、声をかけてしまったのは、おそらくそれが千恵だったから。もしも他の誰かだったら、僕はもう少し注意深く、思慮深く対応したに違いない。僕は千恵に対して、遠慮が無かったのである。


「何しているように見える?」

 それは『寂しげ』とか『元気がない』とか、まして『思いにふけている』などではなかった。そういう声でもなければ、表情でもなかった。僕はうろたえるしかなかった。


「何を見ているんだ? 誰かいるの?」

 僕は千恵の視線の先に何があるのか、覗き込んでみた。僕はうかつにも、千恵のすぐ手の届くところに立ってしまった。


「ねぇ、あの話、本当? 本当はどうなの?」

「あの話って……」

「奥村さんの椅子を持ってあげたって話」

「あっ、ああ。だって、そういう約束だったから――」

「へぇ、そうなんだ」

「罰ゲームだから、しかたないじゃん」


 この言葉を口にするのは、もう何度目になるのか。僕は少しだけ不機嫌になった。理由はわからない。ただそれは、千恵に対するものでもなければ、たちの悪い連中に対するものでもなかった。


「どうして……」

 そう、聞こえた。そう千恵が言ったように聞こえたけど、それが何を意味するのかわからなかった。『どうして?』と質問をされたのか、そのあとの言葉がまだあるのか。そもそも聞き違えではないのか。僕にはわからなかった。


「えっ?」

「そっか。それじゃあ、しょうがないよね」

「うっ、うん」

「そっか……」


 千恵は笑った。僕には笑ったように見えた。夕日に焼かれた千恵の顔は、確かに微笑んでいた。そう見えた。そしてなぜだか僕は、ここにいてはいけないような気がした。

「あっ、じゃぁ、俺、行くわ。じゃーね」


 逃げるようにその場から立ち去ろうとする僕の左手を……


 ああ、そうか


 そうだったのか


 千恵は何も言わず、なにもしなかった。なぜか僕の左手は、あのときの感触を思い出していた。以前下駄箱の前で千恵に手を握られた感覚を……。


 あのときよりも、感覚だけが蘇った今のほうが、僕には強く心に残った。あの時もしも、千恵が僕の手を握っていたら、僕はその手を振りほどけただろうか?


 それから数日後、僕と奥村は付き合うようになった。中学を卒業し、別々の高校に進学すると、急にギクシャクした関係になり、すぐに別れた。


 その後、彼女と再会したことはない。


 千恵とは一度だけ会ったことがある。比較的仲がよかった共通の友人を介して合コンのようなことをしたのは、高校を卒業するころだったか。いろんな思い出話をしたが、二人の間であの日のことが話題にでることはなかった。それは臆病さではなく、少しだけ僕が大人になったからだと、そう割り切っていたのだが……。



 僕がこの話を思い出したのは、思いがけない娘からの一言がきっかけだった。小学校5年生になった娘が食事中に不意に僕にこう尋ねたのである。

「パパは中学のときに何人の人を好きになったの?」


 妻は噴出し、僕はおそらく、鳩が豆鉄砲を食らった顔を、人生で始めてしたのではないだろうかと思うくらいに動揺し、そしてこう答えた。

「いっぱいだよ」

「ふーん。そうなんだ」


 冷静に心の中で指折り数える。1年のときに同じクラスで最初に気に入った子、バスケ部の先輩に憧れたこともあったし、でも実際に付き合ったのは奥村一人。


「いや、そういえば……」

 考え込む僕の顔を、妻はいたずらっぽく覗き込み、娘はすでに関心がないようだった。

「今日あれよ、学校で例の授業があったのよ」

「あぁ、あの女子だけ集められるイベントか」


 受け答えはするものの、僕はあのときに見た、夕日の中で窓の外を眺めている千恵の姿。そして左手に残った暖かく、やわらかく、そして切ない感触を思い出し、一瞬だけ、時空を越えていたのであった。





おわり

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