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第2話 左手の想ひ出1

思春期の恋愛観は未熟であり、純粋であり、無謀であり、無自覚です。筆者はふとしたことから古いことを思い出し、この作品を書くことを思いつきました。この作品を書いているとき、筆者の心はかき乱されました。恥ずかしいといってしまえば、ただ、それだけの当たり前のこのなのかもしれませんが、読んでいただいた方に思春期のドキドキする、ワクワクする感覚を呼び覚ますことができたらと思っております。

 思春期と言えば、男同士で集まると女子の話で盛り上がり『誰が好き、どのこがかわいい』などとかわいらしい会話に始まり、雑誌やテレビ、ラジオで仕入れた、思わずズボンのふくらみを隠したくなるようなエッチな話題に興じる。


 モテる男と言うのは、そういう席には顔を出さない。


 彼は知っている。


 現実<リアル>の中では、『好きだ、嫌いだ』と恋愛の世界に足を突っ込めば、それはそれで楽しいことだけではない。浮ついたことだけでは収まらない。


『なにガキみたいなこと言っているのだ』

 恋愛をこなしてきた連中というのは、そんな目でこちらを見ている。


 そう。僕はモテない側に属している。


 女の子とは、『友達以上恋人未満』というなんとも便利で窮屈な表現の範囲でしか付き合ったことがない。恋の相談は受けたことはあるが、告白されたことはない。チョコレートをもらったことはあるが、それがオンリーワンであったことはない。


 いい人 優しい人 気さくな人 信用できる人 安心 無難


 そういわれて久しい。


 いたずらに女の子の髪の毛を引っ張ってみたり、背中を突っついたり、スカートをめくろうとしたり、はあっても、手を握ったり、握り返されたりしたことはない。


 女の子との会話は楽しい。


 面白い人 楽しい人 明るい人


 もちろん、暗い、キモい、つまらないと言われるよりはいいが、そんなことを思っていても、面と向かって相手に言う女子などいやしない。思っていても、男子の前では口にしない。それは、僕たちも同じことだ。


「ねぇ、どうしてバスパンで練習しないの?」

「着替えるの、面倒くさい。ジャージの方がこけても痛くないし」


 バスケ部に所属していた僕は、練習の時めったにバスパンを履かなかった。着替えるのが面倒とはバスパンのことではなく、ソックスのことである。バスパンを履けばバッソクに履き替えないと格好が悪い。それに――


「補欠の俺が、あいつらとおんなじ格好してやったって、急にうまくなるわけじゃないし」


 柴崎千恵は、同じクラスで隣の席。軟式テニス部に所属しているクラスの人気者である。学力もトップクラスで、テニスもそこそこうまい。この『そこそこ』というのは、学内ではそれなりに強かったらしいのだが、他校との試合で勝ったという話を聞いたことがない。自慢ではないが、それはテニス部に限らず、どの部活も似たり寄ったりだった。


「バスパンの方がいいと思うんだけどなぁ」

「そうかなぁ」

「そうよ」


 西山中学の放課後は、活気に満ちているというよりは静かな時間が流れている。おそらくは特別じゃない。どこにでもある風景なのだと思う。部活が強い中学と言うのは、やはり雰囲気が違う。練習試合に何度かほかの学校を見たことがあるが、強い学校と言うのは、やはりどこか違っていた。凛としている。


「練習いいのか?」

「だってほら、あれ」

 千恵が視線を送った先――校庭の校舎側にテニス用のネットが二つ張ってあり、一つは別のクラスの女子がダブルスの練習をしている。もう一つのコートは誰も使っていない。そこにいるべき千恵は今、体育館の前で僕と話し込んでいる。シングルの練習相手の栗山直子の姿が見えない。よく見ると、校舎への渡り廊下で誰かと話し込んでいる。


「あぁ、そういうこと」

「そういうこと」

 栗山も同じクラス。そして僕の席の斜め前、つまり千恵の前に座っている。話し込んでいる誰かというのは隣のクラスの竹内博。二人が最近付き合いだしたという話は聞いていた。しかし、その二人が話し込んでいるのを見るのは初めてだった。


「ずいぶん前から付き合っていたのよ。あの二人」

「へぇ、全然気づかなかったなぁ」

「私も」

「そういうものなのか?」

「そういうものよ。敵をだますにはまず、味方からって」

「誰が敵で、誰が味方なんだ」

「どうかしらね。それは私にも分からないわ」

「変なの」

「付き合っていることがバレると、いろいろと面倒みたいよ」

「ふーん。俺にはわからん」

「私にもわかんない」


 ピー!


 体育館のコートから笛の音が聞こえる。休憩時間は終わりだ。


「さて、もうひと踏ん張りしますか」

「バスパンの方がいいよ」

「やだ」

「いいってば」

「やだね」


 練習を再開するも、どうにも外が気になった。千恵はしばらくバスケ部の練習を見ていたようだが、いつの間にか体育館の前から姿を消していた。たぶん、二人の長話が終わったのだろう。


「ごめん、汗かいた。ちょっと着替えてくるわ」

 僕は更衣室に入り、スポーツバッグの中からバスパンとバッソクを取り出した。


「洗濯物増やすの、嫌なんだよなぁ」

 その日はいつになく、体の切れがよかった。レギュラーのディフェンスをかわし、見事なジャンプシュートを決めた。

「今日は気合入ってるじゃん」

「別に」

「珍しくバスパン履いているし」

「たまにはね」


 キーンコーンカーンコーン……


 練習が終わり、更衣室で着替えをすませ、下駄箱で外履に履き替える。そこに知恵が通りかかった。

「お疲れー」

「あー、今帰りか」

「やっぱ、バスパンのほうがいいでしょう?」

「えっ?」

「動き、よかったじゃん」

「そうかなぁ」

「そうよ」


 千恵の後ろから栗山が現れた。

「ごめん、帰りにコンビニ寄る約束だったけど、行けなくなっちゃった」

「いいなぁ、これから竹内君とデート?」

「そんなんじゃないって、なんか友達のことで相談があるって、加藤君ってほら、サッカー部の」

「加藤隆二だっけ? たしかサチコの彼氏だよね」

「なんだかうまくいってないらしくてさぁ」

「なるほど、そういうことか」

「そういうこと。ごめん、この埋め合わせはいつか――」

「いつか形のあるものでね」

「う、うん、わかった。形のあるもので、じゃーねー、お二人さん」


 栗山はときどき、そういうからかいをする。

「そんなんじゃねーぞ、バーカ」

「もう、直子ったら!」


 栗山直子は、見事なアッカンベーをしながら、校門に向かって走って行った。校門には竹内らしき影があるが、暗くてよくわからない。


 そしてその場に、妙な気まずさが残った。

「かっ、帰ろうっと」


 二人の帰る方向は同じである。僕の方がワンブロック、学校に近い。僕はその場を逃げるように駆け出そうとした。


 その時だった。


 僕の左手を、温かく、柔らかく、小さな知恵の手が掴んだ。


 心臓が止まった。止まったかと思った。


「待ちなさいよ」


「えっ、えっ、何?」

「今度から、バスパンちゃんと履きなさいよ」

「な、なんで……」

「その方が……」


 僕は混乱した。

「やだね。もう履かない」

「バカ!」

「帰る」


 僕は千恵の手を振りほどいて――いや、その前に離していたかもしれないし、今となっては解らない――校門までダッシュした。いや、家まで走り続けたかもしれない。玄関を開け、部屋に入り、制服を脱いで、洗濯物を出した。親の顔を見るのが何となく嫌で、部屋にこもった。


「何やってんだよ、俺」

 完全に取り乱している。


 謝らなきゃいけない。


 いや、なんて謝ればいい。


 何を謝ればいい。


「バカだなぁ。バカだ、バカだ、バカだ」

 左手に知恵の手の感触が残っている。女の子の手はこんなにもやわらかかったのか。まずそれに驚いた。


 こんなところを誰かに見られでもしたらすぐに噂が立つ。


 それが怖かった。


「なに、ビビってんだよ。俺」

 千恵のことは好きだった。でもそれは恋や憧れではなく、一緒にいる仲間として、いつも馬鹿話やふざけ合ったりする仲間として好きだというだけで、それ以上の感情はなかった。


 いや、気づいていなかったのか。


 人を好きになることはあっても、自分が好かれるなんてことは想像できなかった。どうしていいかわからなかった。そう思うと、知恵のこれまでの行動のなかで、自分に好意を向けていると思われることがいくつか浮かんできた。


「でも、俺は――」

 自分にはひそかに恋焦がれている子がいた。今はそのことが、とんでもなく罪なように感じた。


 僕は左手をしばらく眺め、眠れない夜を過ごした。



つづく

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