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第16話 オン・ザ・ロック

「いらっしゃい」

 懐かしい声が、僕を迎えてくれた。

「どうも、ご無沙汰しています」

 カウンターの席に座る。マスターはグラスを拭きながら温かく、そしてさりげなく迎え入れてくれた。

「どうも、お久しぶりですね」

 忘れられているとは思わなかったけど、不安がなかったかといえば、嘘になる。


 だから、ちょっぴりうれしかった。


「今日は、何にしますか?」

『いつもの』と言いかけて、「メーカーズをロックで」と答えた。

「かしこまりました」

 この店に来たのは7年ぶりか、8年ぶりか。

 学生のころに、初めて大人の雰囲気の漂う店に来たのがこの店だった。


 エメラルドバー

 店内の壁には60年代から80年代のレコードジャケットがあちこちに飾られている。

 まるでかわらない。ここだけ時間が止まっているようだった。

 アイスピックの音が小気味よく響く。


 カウンターにはもう一組、客が座っている。

 カウンターの一番奥。

 女性はどうやら自分と同じくらいの年齢に見えた。男は若い。

「ああ、この曲懐かしい……」

 それは僕もよく知る曲だった。

「ねぇ、どうしたの? 今日はノリが悪いわよ。お酒が足りないんじゃないの?」


 女性は上機嫌というよりは、絡み酒、いや、酒に酔っているわけではなさそうだった。

 そういえば、あの人も、よくこういう飲み方をしていたか。

「お待たせしました」

 ここに来る前、空を見上げたら、そこにはウイスキーに浮かぶ丸い氷のような月が頼りなく光っていた。

「マスター、初めて僕がここに来たときのこと、覚えていますか?」

マスターの口元の髭には少し白いものが混じっていた。目じりのしわも、よりくっきりなったように見えた。

「さぁ、どうでしたか……、確かお友達とご一緒でしたかね。バンドの仲間の……」

「そうです。あのころはバンド仲間とよく飲みに来ていました」

「もう10年以上前、いや15年くらいは経ちますかね」

「ええ、初めてここに来たとき、僕はこれと同じものを注文したんですよ。『メーカーズマークをロックで』って。そうしたら他の二人も同じものを注文したんですよ。何を注文したらいいのかわからなくて」

「何事も、始めてはありますからね」

「それで、最初にチェーサーを出していただいて、彼らがそれを飲んで『薄いな』っていったんです」

「あぁ、そういうことが、あったかもしれませんね」

 マスターの笑顔は、僕をほっとさせた。


「あの時、本当に顔から火が出るかと思いましたよ」

 そういいながら、僕の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。


「ごめんね。いつも付き合わせちゃって」

 となりの男女の会話が聞こえてくる。

「本当、バカよね。私……」


 そう。あの人もよくそんな言い方をしていた。

 あの人を残して、あいつはあっちの世界に逝ってしまった。

 毎晩のように酒を飲み歩き、いろんな馬鹿をやった仲だった。

 学校を卒業して、髪を切り、サラリーマンとして社会に出た僕とあいつの溝は、いつの間にか大きくひらいてしまった。


 絵を描くのが好きだったあいつは、その技術を生かして映画の看板を描く仕事についたが、普段の生活はむしろ前よりもひどかったと聞いている。


 ついに体を壊して入院。

 あの人に看取られてこの世を去った。


「あいつも馬鹿だけど、私もそうとうな馬鹿ってことね」

 葬儀のとき、あの人は目に涙を浮かべながら笑っていた。笑いながら泣いていた。


「ずっと、言い出せなかったのよ。結婚したいって。そしてとうとう言わないまま、こんな形でお別れだなんて……。でも、それでも最後はね。ずっと手を握ってくれていたのよ」

 あの人とあいつは付き合っては別れ、別れては付き合っていた。


 あの人は僕の憧れの先輩だった。

 先輩はダメなやつはほっとけないタイプだったのだろう。


「ここに来るお客さんは、いろんなお土産を持ってきてくれるんですよ」

 マスターがグラスを拭きながら静かに語りかけてきた。

「お土産ですか? いろんな土地の?」

「いえ、そういうこともあるかもしれませんがね。もっと素敵なものですよ」

 ふとした間の後に、店内で流れていた曲が変わる。

「ああ、この曲は……」

 それは、あの人とあいつの思い出の曲だった。

「みなさんの思い出。それが何よりのお土産なんですよ」


 勘定をしようと、ポケットの中に手を入れると折りたたんだ一枚の紙が出てきた。

 あいつの葬儀の場所を印刷した地図だった。

 僕はそれを紙飛行機にして夜空の月に向かって飛ばした。


「バカヤロー、勝手に死ぬんじゃねーよ」

 僕はあの人のさみしそうな横顔を忘れることはないだろう。




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