展望
グランフィート。
最も天に近い場所とも呼ばれる山の山頂には不自然な程に草木の生えていない場所がある。
不自然な程平らに整った場所、そこには1つのお墓があった。
武骨な岩をただ置いただけのようなおおよそ墓とは思えないような粗末なつくりの墓だ。
死者を祀るように墓前に半ばほどで折れた剣が横たえられていることで墓という事がかろうじて分かる程度だった。
白銀に輝く剣は武骨ながらも精錬された造りから以前はさぞ名高い剣だったことが窺われる。
主を失い折れた剣はその身を横たえ、幾拍かの休息をとる。
再び振るわれる、その時を夢見て。
やがて、1人の黒髪の少年と、1人のエルフの少女が共に旅に出た。
───この世界に、新しい風が吹き込んだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
燦々と辺りに降り注いでいた太陽は既に姿を隠し、辺りを照らすのは闇に浮かぶ月の煌々とした輝きのみとなっていた。
月明かりは太陽の輝きほど明るくはなかったが、それでも辺りを知覚するのには十分な程の明るさを持っていた。
いつもの様に、大地に身を投げ出して、透き通ったような、清浄な空気に包まれ、空を眺める。
僕は太陽が出ている間よりも月が出ているこの夜の間の方が好きだった。
丸い珠のようになったかと思えば、半分になり、日によっては色や大きさすらも変化を遂げる。
たった1つの月が見せる幾多の顔はそれぞれ異なった魅力があった。
今夜の混じり気のない15夜の紅月は、艶やかな魔性の光を地に降り注いでいる。
いつまでも此処で月を眺めるという大層魅力的な誘惑が脳裏を過ったが、残念ながら、明日には───正確な日時を記すとすれば今日になるが───此処を旅立つことを少し前に決めていた。
「また…月を見ているんですか?クロウさん」
「ん?ああ、そうだよ、ルナ。これだけ綺麗な月は今日で見納めになるからね、残念だけど」
ここより月が綺麗に見えるところはないだろうから、と心の中で付け足した。
悪戯っぽく声をかけてきた主を振り返ると一人の少女が微笑みを浮かべて佇んでいた。
凡そ15歳前後といったところだろうか。
全体的にほっそりとした体つきだが、唯一胸元だけはそのばかりではなかったようで、確かな2つの丘が胸元の衣服を押し上げている。
非常に整った容貌、上質なシルクのような細やかな肌に、腰まで伸ばした黄金色の髪は柔らかな風に撫でられ広がっていた。
月の光をうけて燦然と輝く姿と相まって、どこか幻想的な光景だった。
だがしかし、彼女を目にした人が最初に目が行くのは胸でも、顔でも髪でもなく耳の部分かもしれない。
彼女の耳は長く先の方は細く尖がっていた。
──────彼女はエルフと呼ばれる種族だった。
一般的に、彼らエルフは排他的な種族だとされている。
人間の亜人蔑視の風潮もそれを後押ししているのだろうが、基本的に彼らは他の種族とかかわる事に忌避感を覚えているようだ。
事実、たった1つの国を除いてエルフ達は国や個人に対し、関わりを持っていなかった。(その1つの国にしても対等には見ていなかったのだが)
「そんなに嫌なのでしたら、旅立たなければいいじゃないですか」
「そうはいかないよ、僕だって外に興味がないわけじゃない、むしろ大いにあるね、月だってここから以外ではこれほどとは言わないけど、綺麗に見えないとは限らない、それに何より…約束があるからね…」
約束というところで、今まで空に向けていた視線を下げ、1つの物に目を向ける。
1振りの折れた剣が墓前に添えられた角張った岩。
この武骨な岩は人間のお墓だった。
そいつと交わした約束、たった1つだけの、感覚では少し前に交わした約束だ。
それは呪いと言い換えてもいいかもしれない、特に呪いをかけられたという訳ではなかったが、この呪いは何処までも僕を縛っている。
僕は思い起こした。
少しばかり昔、確かに生きていた人間。彼が残した想いを、壮絶な決意を、そしてどこまでも純粋な願いを。
もう少しばかりひねくれた人間であったなら……
この身を縛る鎖はもう少しだけでも緩和されたのだろうか
そんなことを考えていたからだろうか、
───僕の視線を辿ったルナが複雑な感情を込めた目でその墓を見ていたことには気づくことが出来なかった。
「ところで、君は僕が旅に出た時には、本当についてくる気なのかい?ルナ」
「当然です、もしかして、クロウさんは私が人間の方々に慇懃無礼な態度をとるとお思いですか?」
「いや、そういう心配は一切していないさ」
クロウはルナに安心させるように柔らかく微笑んだ。
そのことに関して言えばクロウは全く問題になるとは思っていなかった。
彼女と過ごした時間はおよそ10年程もあった、未だ彼女の全てを知っているわけではなかったが、それでも、彼女が人間に対して穿った感情や思いを持っていないことぐらいは知っていた。
「じゃあ、どうしてクロウさんはそんなに私が同行することに関して否定的なんですか?」
ルナは不満そうに頬を膨らませる。
「そういうわけじゃないよ。ただ、この場所の外については僕たちはあまり多くのことを知ってはいないんだよ。それに、僕の事情にルナまで縛られる必要はないんだよ?」
むしろ、クロウが心配していたのは全く逆のことだった。
外には危険な事が起こる確率は非常に高い。
今まで感じたことがない強さを誇る魔獣、突発的に起こる災害もあるだろう。
それは、人間の対しても、例外ではなかった。
むしろ、人間の方が起こりやすいとすら思っていた。
町から町へと旅する最中にも金銭目的の盗賊が出る事もあるだろう。
人攫いが出る可能性だって十分以上に考えられる。
ルナはこの世界を作ったとされる女神に愛されたと言っても過言がない程美貌を誇っていたし、人里を嫌い滅多に人の里には姿を現さないエルフだ、
大抵のことでは後れを取るつもりは毛頭ないが、数や強さなど様々な状況が積み重なれば、その限りではないかもしれない。
外のことに関して僕たちはあまりにも無知すぎる。
自分の都合に突き合わせることになるというのならば尚更だ。
「それでも、ですよ。───それに、私が知らないところで変な虫がつくなんて事は勘弁願いたいですし……」(ボソッ)
「そうか……」
「それともライトさんは私をここに置いていくつもりですか?そんなことになったら、私はすぐにでも寂しさと退屈でクロウさんを追いかけて行っちゃいますよ?なんたって私の望みは、クロウさんのいるすぐそばに私がいることですからねっ!」
「ぷっ……、はははっ!そうか!分かったよ、それならどんな奴が来ようと負けるわけにはいかないみたいだね」
「はいっ!あっ、でも私だってただ守られるだけじゃありませんよ?そういう時のために弓と魔法をクロウさんから教えていただいていたのですからね?私だって少しはクロウお役に立てるんですよ?」
途中何やらボソボソと言っていたような気もするが、気のせいだろう。
何はともあれ、彼女からこれだけの想いをぶつけられたのだ、もう無理だなんて事が言えるはずもなかったし、言うはずもない。
そして何よりも、最後に見せたヒマワリが咲いたような笑顔を他でもない、自分のこの手で守りたいと思ってしまった。
幸い、エルフの耳については1つだけ思いついた方法がある、うまくいけば1つの問題は片付けることができるだろう。
もう一度空に浮かぶ月を見上げる。
─────────果たしてあの月は世界中の何処にいようともこれと同じ月は見ることが出来るのだろうか……?
ふと、そんなことを溢れるばかりの期待と一匙ほどの不安が入り混じった複雑な心境で考えるのであった。
*2012/11/22
大幅に書き直しました
*2013/1/16
誤字修正しました