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ファンとザンは元々、西部辺境領北部に早くから入植していた開拓民の子ども達で、一緒に野山を駆け廻り、小さな分校で机を並べて勉強した仲だった。
どうということもない、特徴のない少年たちで、あえて言えば、ファンの方が少し短気で喧嘩っ早く、ザンの方が思慮深い性格であるように周囲からは捉えられていた。
ふたりはいつも一緒で、急に何かを見つけて走り出す小柄なファンの後を背の高いザンが追いかける様子は、近所の風物詩だった。
そのまま大きくなれば、先祖の拓いた農地を順当に継いで、それをほんの少しばかり広くして子供たちに引き渡す──ただそれだけの人生をふたりとも送り、やがて老いて辺境の土に還るはずだった。
一八になり、徴兵試験を受けた。心身頑強なり、と特に問題もなく二人とも合格した。力仕事の多い田舎の男子としては、周囲から「男」として認められるために必要な儀式であり、むしろ不適格とされる方が問題だった。二人は胸を張って、軍隊に入隊した。
入隊後の新兵イジメには閉口したが、それもさほど疑問を持たずに受け入れた。訓練は厳しいとの触れ込みだったが、農家である実家の手伝いの方がよほど過酷だった。農作物を荒らす害獣用に銃器の扱いには長けていたし、農業機械の整備で機械仕事にも慣れている。
むしろ率直に言って、二人は軍隊生活を楽しんでいたと言っていい。
ここまでは別に彼らの父祖とそう違う人生だったわけではない。
ただ、彼らにとって不幸だったのは、彼らの入隊した<帝国>陸軍は戦争──それも寄りにもよって、自分たちと同等かそれ以上に工業化された大国<同盟>との戦争の真っ最中だったということだった。
入隊から半年間の基礎訓練の後、ふたりとも特に専門訓練の必要のない歩兵とされて、戦地に送られた。
と、言っても、すぐに戦闘に参加したわけではない。
激戦を闘っている前線部隊の後方にのこのこと付いて行って、兵站部隊の警護や占領地の警備などを行っていた。前線が移動すれば、それを追いかけててくてくと歩く。行った先でまた警戒任務だ。危険がないわけではなかったが、敵兵の顔も見ないで一日中、立ってるか歩いてるかの任務が「戦争」なのか、と自分でも首を傾げる毎日だった。
結局のところ、彼らの入隊した部隊自体が、練度の低い部隊とみなされていて、それ相応の扱いを受けていた、ということであったらしい。
そんな彼らの奇妙な「戦争」の日々は、ある日、不意に終わりを告げた。
<帝国>軍による、いわゆる「大陸打通作戦」なる全戦線一斉の五〇万人の攻勢作戦が発起し、<同盟>側の構築した大陸を半ば縦断するスケールの一大要塞群の前に完全な敗北を遂げたのだ。<帝国>皇族を司令官とするこの作戦の損害は三〇万に達し、戦争の行方に致命的な禍根を残すこととなったが、この作戦で死傷した将兵の大多数は、<同盟>側要塞攻略戦によるものではない。
ほんの数時間の戦闘で数万人が死傷する──吶喊する歩兵連隊が、後続部隊の目の前で文字通り、瞬く間に跡形もなく「消滅」するような有様を各地の要塞で見せられた前線部隊がまず「崩れた」。後は、それが次々に後続部隊を捲き込んで崩壊し、やがて津波のように全戦線に波及する。
この<帝国>軍史上、空前絶後の歴史的な大壊走に、ファンとザンは捲き込まれた。
当事者としては、何が起こっているのかも判らなかった。
ただ前線から、次々と兵士が群れを成して戻ってくるのだ。それもまともな部隊を維持しているものはほとんどいない。小銃すら放り出し、目を血走らせてこちらに走ってくる。
そしてその後方から、満を持して投入された<同盟>軍機甲部隊が逃げ惑う敗残兵たちへ襲い掛かる──
状況を理解する前に虐殺の真っただ中に叩き込まれてしまったふたりは、他の兵士たち同様、ただ逃げ惑うことしかできなかった。
やがて、<同盟>軍の追撃を逃れた者たちは、ろくに水も食料もなしに真夏の砂漠地帯を踏破せねばならない事態にまで追い込まれた。当然のことながら、万の単位の犠牲者がそこで発生している。
結局、中原まで逃げ帰った司令官を見限った陸軍参謀本部によって、後方兵力の再編が急遽行われ、敗残兵の収容も実施された。
それで助かった者たちの内に、ファンとザンのふたりの名前もあった。
ふたりの最初の兵役での「戦争」は、こうしてみじめに逃げ惑うだけで終わった。
その大敗北に終わった夏季大攻勢からしばらくして、ふたりは二年の兵役を終えて、帰郷した。
ザンは出征前と同じ農家仕事の日々にごく自然に戻っていった。戦場での経験は、彼の心にも深い傷を残したはずだが、労働に精を出す彼の姿からは、おくびにも感じられなかった。あるいは、彼を支える恋人の存在も助けになったのかもしれない。
だが、逆にファンは塞ぎがちになった。家業も手伝わず、一日中、自宅に引篭もるようになった。かと思うと、急に喚きだして家族に暴力を振るうようになった。明らかに|心的外傷後ストレス障害《PTSD》の症状だったが、この時期の<帝国>の一般的な医療基準では、それを病気としては認識していない。
結局、周囲の人々からはただの「乱暴者」として認知され、そっと距離を取って扱われる対象となった。
それでも、見慣れた故郷の風景が、少しづつ緩やかに彼の精神を癒しつつあったそこへ、二回目の召集令状が届いた。
<帝国>国法の定める徴兵期間は、ひとりの人間に対して一生に一度きり、二年間のみとされている。
だが、そこには「非常事態にあっては、地元師団の権限で必要な数の兵員召集を行うことを与う」という付帯事項がついていた。
戦争終盤になっての<同盟>軍による西部辺境領北部への侵攻は、現地<帝国>軍司令部によれば充分に「非常事態」になると判断された。現地軍司令部は軍役経験者で歳若い者から順に召集令状を発行し、事務手続きに則って粛々と発送した。そこに情実の入る余地はなかった。そんな余裕もなかったというのが、現地軍司令部の本音であったろう。既に戦闘は始まっているのだ。
従って、自宅に篭るファンの下にも、日を経ずに召集令状は届いた。
「嫌だ」と言って暴れるファンをザンが訪ねたのはその翌日である。
ファンの心は戦争で傷ついていた。それは戦場で死にそうな目に遭ったからではない。巨大な「戦争」の前に、自分の無力さを思い知らされたからだ。
壊走する味方の群れに捲き込まれたとき、ファンは頭が真っ白になって何の判断もできなかった。<同盟>軍戦車の機銃が兵士たちを背中から次々に射抜いている時も、悲鳴を上げて一緒に逃げ惑っていた。
その腕を掴み、足元の屍体の下に自分の身を押し込んだのはザンだった。その後も、止めを刺して廻っている<同盟>軍兵士の隙を見て逃げ出したのも、行く先々で食料や水を調達し、どこへ逃げればいいのかの情報を仕入れてきてこれからの行動を提案したのも、ザンだった。
それに黙って従いながら、何もできない、何の判断もできない自分を、ファンは自分自身でありとあらゆる呪詛をつむいで延々と責め続けていた。
彼にとって「戦争」とは、自分の価値を徹底的に貶めるためのものでしかなかった。
だから「嫌」だった。もうあんな場所には行きたくない、と心から思っていた。あんなところに行ったら、自分の精神は今度こそ粉々に破壊されてしまうと思った。
だが、「行かない」という選択肢はなかった。
通常の兵役でさえ、村の誉であり拒否は許されない。それが今度は実際に地元に迫る<同盟>軍と戦うための召集である。拒否したことが知られれば、村人からリンチを受け、下手をすれば殺されかねない雰囲気が村内には漂っていた。
だからこそ、ザンが心配してファンを訪ねてきたのだ。
「大丈夫だよ。ファンには俺がついてるし」
「……お前こそ、どうなんだよ。嫁さん、置いて征けるのかよ」
「しょうがねえよ。嫁さんより、あんたとの付き合いの方が長いんだから」
そう言って屈託なくザンは笑った。
二度目の兵役は、さらに扱いが酷かった。
基本的に負け戦なので、行く先々で転身転身の連続で、ろくに弾を撃つ前に逃げる算段から始めるありさまだった。
その内に、ある日、いきなり「お前たちは今日から、『空中機動歩兵』だ」と上官から命じられ、寄せ集めの他の兵士たちと一緒にジャイロ機に押し込められると、敵の前線後方に放り込まれた。
部隊は一回の戦闘で、あっけなく全滅した。
指揮を執る少尉のやけくそ染みた血走った眼を見た時点で「これは駄目だ」と早々に判断したファンとザンは、戦車部隊に無謀な吶喊を掛ける部隊の背後からそっと抜け出した。
後はふたりで助け合って前線を抜け、<帝国>側支配地に辿り着くだけだ。
だが、<同盟>側の進行速度は恐ろしく早く、どこまで行っても前線に辿り着けない。
湯水のように湧いてくる<同盟>軍の後方警戒部隊の目を掻い潜りながら、前線を目指す。どこまでも。どこまでも。
「……結局、今度の戦争でも逃げてばかりだ」
「大丈夫だ。逃げるのなら、俺たち随分と得意になったじゃないか」
愚痴るファンをザンが陽気に励ます。ひもじい腹と、悲鳴を上げる身体に鞭を打って逃げ続ける内に、ふたりはやがてひとりの将校と出喰わした。
「よう、そこの兵隊。<帝国>の兵隊なら、飯を喰わせてやるから、ちょっとばかし手を貸してくれないか」
軍用ヴィーグルからそう声を掛けてきた将校は、ヒュー・タム中尉と名乗った。
久しぶりの食事らしい食事である軍用糧食をがっついて喰べるふたりに、中尉は自分が新しい部隊を作ることになった、と話を切り出した。
「──で、だ。軍司令部からは一兵も出せん。現地で何とかしろ、と言われてな。しょうがないので、司令部がやってる空中機動歩兵の生き残りを自由に部隊に繰り入れて構わないと一筆書かせて、ここにきた」
「………………」
いきなり貴様らの生殺与奪の権限を握ってると明かされて、ふたりは呆然とする。
そしてお前らが新設部隊の最初のふたりになるので、残りの兵隊を掻き集めるのを付き合え、と。
その日から、砲火の飛び交う最前線を駆け廻って、空中機動歩兵の残存兵を拾い集める毎日がしばらく続いた。いずれもついこの間までのふたりのように、肉体も精神もボロ雑巾のようにくたびれ果て、みすぼらしく膝を抱えて震えていた。そんな彼らに食事を与え、新しい戦闘服を与え、自分たちがどうやって敵の前線を抜けてきたのか、どこをどう通って、どんな敵とどう戦ってきたかを聞き取り、報告書にまとめるまでがふたりの仕事だった。
その仕事は、ファンの精神を回復させることに繋がっていた。かつての自分と同じように傷つき、自信を喪っている彼らに接することで、自分に起こったことを客観視できるようになったことが大きかったのかもしれない。
こうして中尉の下で働きながら、部隊最古参の兵士のひとりとして、いつの間にかファンは事務局長のような仕事をするようになっていた。
どうも中尉の肚としては、土地勘のある空中機動歩兵を中心に、敵陣後方へ浸透突破を図る特殊部隊のようなものを作りたかったらしい。最終的には大隊規模程度のものを考えていたようだが、結局、そこまで辿り着く前に、彼らを取り残して前線の方が先に後方に引き下がってしまった。
「我々だけ、取り残されたんですか!?」
「残ったんだよ、司令部の了解とってな」
ファンの問いに、中尉はいつもの飄々とした口調で応えた。まったく危機感を感じていないかのようなその態度に、腹が立つより先に開いた口が塞がらなかった。
「敵の機械化された一箇軍団が迫ってると聞いて司令部はケツをまくって逃げ出すことを即断したわけだが、俺に言わせれば三日は遅い。この辺の部隊全部に一斉に撤退を指示するものだから、みんな途中の隘路で詰まって当分そこで足留めだ。敵に背中向けてる分だけ、却って射的の的になる」
「だからって、我々だけここに残ってどうするんですか?」
「いや、ここじゃない」中尉は粗末な指揮卓上に広げられた地図の一点を指差した。
「カバラス峠──ここに篭って、歩兵一箇小隊で機械化一箇軍団を引きずり廻してやる」
新しい悪戯を思いついた子供のように、実に楽しげに中尉は言ってのけた。
撤退する他の部隊から捲き上げたとかで、わずか一箇小隊にも関わらず、トラックなどの車両と通信機の数は異様なほど充実していた。それと、どこから掻き集めてきたのか対戦車火器類もトラックの荷台に山のように詰め込まれていた。
中尉が示したカバラス峠は、<同盟>が新たに造った軍用幹線道路のすぐそばにあり、侵攻しようとしている機械化一箇軍団のほとんどがここを通るものと見られていた。
天然の要害であるカバラス峠から車輌や徒歩で出撃し、<同盟>軍の車列を襲撃しては即座に撤収する。それを延々と繰り返されては、確かに<同盟>側にとってはかなり厄介な嫌がらせになる。
早々に事態を理解した<同盟>軍司令部は、比較的大規模な部隊を編成して、カバラス峠の掃討作戦に投入した。
それこそ中尉が待ち望んだ状況だった。
峠の複雑な地形に戦車や歩兵部隊を誘い込み、敵部隊を寸断して殲滅する。山裾に張り付く細い街道沿いに伸びる隊列を横殴りに襲撃し、崖から突き落とす。
峠の至る所に武器弾薬を集積し、少人数の兵員をトラックやバイクで縦横に動かしながら、魔術的な鮮やかさで中尉は兵を指揮し、<同盟>軍部隊に出血を強いた。
それに付き従いながら、ファンは「これが本当の『戦争』なのか!」と驚きを隠せなかった。
これまで彼の知る「戦争」は、みじめに逃げ廻ることでしかなかった。だが、決して準備に手を抜かず、きちんと作戦を練って、然るべき能力の指揮官に率いられれば、「勝つ」こともできる。敵を捩じ伏せて、蹂躙し、殲滅する。これが「戦争」なのか──「勝つ」ということなのか。
「勝ち」の味を知った兵隊は強い。一~二度の勝利を経ただけで、敗残兵の集まりに過ぎなかった兵たちに自信が宿り、部隊の動きも見違えるように良くなった。
そんな彼らを、中尉は徹底的に酷使した。限られた兵力を限界ぎりぎりまで効率よく活用するため、一日に幾度も出撃させ、何度も戦闘を繰り返した。こんなことを繰り返していたら、すぐに部隊は疲弊してしまうはずだが、異常な興奮状態にある彼らは気にしなかった。
ファンはそれらの戦闘のほとんどに参加し、短い期間の間に急速に中尉の示す「戦争のコツ」のようなものを学習していった。
要するに戦争を規定するものは、「頭数」と移動能力を示す「脚」、それと敵が何を求めているかの「目的」、だ。それが判れば、彼我の動きが読めるようになる。とは言え、それは平時に一〇〇万冊の専門書を読んでも身に付くことのない感覚だった。最前線で場数を踏んで、なお資質のある者のみが辿り着くことのできる境地だった。
ほどなく、ザンとともに中尉の代わりに分隊を率いて指揮を執るようにまでなった。要領よく部隊をまとめ、運動させて、敵を襲撃する。その繰り返しの毎日。
そして戦闘での小さな勝利を繰り返す内に、ファンは彼なりに「戦争」を理解した。
「勝つ」ために何をすればいいのか──自分が「殺す側」に立つために何をすればいいのか。
せっかく造った幹線道路を使えずに進軍の足を止められた<同盟>軍司令部は、頭に血を登らせたかのように次々に大軍を繰り出してきたが、元より道の狭い山間部、しかも地の利を敵に取られている状況でそれが活用できるはずもなく、無為に犠牲を重ねるばかりだった。
が、その一方で、その間に別の対策も打っていた。
カバラス峠に立てこもる<帝国>軍部隊の出撃範囲外にルートを選んで、新たに軍用道路を開通させたのだ。司令部が指示してから半月にも満たない、<帝国>の土木水準から見れば常軌を逸した工事速度だった。
それが開通した時点で、ファン達の存在意義はゼロになった。
その事実を司令部から知らされた中尉は即座に撤収を判断したが、それはそれまでの戦闘よりはるかに過酷な選択だった。<帝国>軍主力はとっくに後方に引き下がっており、カバラス峠から一歩外に出れば、廻り中、<同盟>軍の支配下地域である。敵中を大きく突破しなければ、味方とは合流できない。
せめてもっと早く情報がもたらされていれば打つ手もあったのだが、ここに至ってはそれを言っても始まらない。
峠に篭って戦っている間はひとりの戦死者もださなかった部隊は、その後の敵中突破で約半数まで撃ち減らされた。
その途中で、中尉も右腕を砲弾で吹き飛ばされたが、担架で担がれながら部隊の指揮を行った。敢闘精神が強いというより、危機的状況に陥れば陥るほど楽しくなってくる質らしく、最後まで悲壮感の欠片も見せない男だった。
やがて一週間ほどの敵中での放浪を経て<帝国>軍支配圏に部隊は辿り着き、戦史的には「カバラス峠の戦い」はこれで終了した、ということになっている。
回想編です。
どこかで聞いたような名前の将校さんが顔出してますが、この頃からはた迷惑な人だったということで。
しかし、これだけ書いて、回想編がさっぱり終わる気配が見えず、書いてるときは泣きそうでした(はは)。
次回も回想編。「カバラス峠の戦い」の後、ファンとザンのふたりの関係に訪れた変化とその結末まで。
更新は来週10月23日(日)の予定です。
ではまた。