5
「──おい、社長。起きてくれ」
荒っぽく頬を張られる。呻き声とともに、グエンは無理やり意識を現実に引き戻された。
「いい加減にしろ、この野郎!」
「やっと起きたか」
グエンに胸ぐらを掴まれながら、ファンは平然と言った。
「さっきはすまなかったな。これから忙しくなるんで、あんたもこのまま寝かせとくわけにはいかなくてね」
「……そうだ。機体はどうなってるんだ?」
ファンの台詞を頭から無視し、グエンは周囲を見廻した。
「あんたの機体なら、そこに──」
突き飛ばすようにファンの胸元から手を離すと、崖の手前で無残な姿をさらすジャイロ機へ駆け寄る。
機体側面、エンジン部分と機体後部に無造作に木槍が突き刺さっている。それだけではない。着陸の衝撃か、先ほどの衝撃のためか、機体フレームがあちこちが歪んでいるのが見て取れる。その周囲に迷彩服の兵士たちが群がって、機内に残る資材を運び出している。
「何てことだ……」
年甲斐なく思わず涙腺が緩みそうになるのに堪え、近寄って改めて機体状況の詳細を確認する。
どうも、崖の手前に大きな岩塊があったらしく、そいつに激突して崖からの転落が避けられた、ということらしい。代わりに機体左側面がその岩に喰い込まれ、大きく破損していた。これだけ破損していると、たとえ持ち帰っても機体の修復は不可能だろう。
せいぜい、無傷の左エンジンなどのパーツを回収できるくらいか──と考えかけ、それ自体、不毛な仮定であることに気付く。そもそも、こんな地の涯から、どうやって帰ればいいというのか……。
膝をついて呆然と壊れた愛機を眺めるグエンに、ファンが無遠慮に声を掛けた。
「社長、気が済んだら、こっちを手伝ってくれ」
さすがにこの物言いは癇に障った。グエンはファンを睨み付け、吐き捨てるように言った。
「知るか。お前ら、勝手に戦争でも何でもやってろ。俺はもう、あんたらに関わり合う気はない」
「気を悪くしたんなら、謝る。これでも俺たちはあんたに感謝している。ここまで来れたのは、あんたのおかげだ。着陸時に機体が失われていたら、装備品の大半を失っていたところだ──それでは、奴を殺すことができない」
「……殺す……?」
グエンが疑念を口にする。ファンは頷いて言った。
「そうだ。奴はここへ来る。それを俺たちで迎撃して、殺す──少し段取りが変わったが、当初の計画通りだ」
「……………」
機銃弾の直撃を受けて、平然と向き直ったザンの姿を思い出した。そして手製の木槍で遠方を飛ぶジャイロ機を撃ち落す戦闘力──肚の底から恐怖がまた湧き起こってくる。
そいつを「殺す」? 正気か、こいつら?
「……あれは、何だ?」
グエンは乾いて張り付く声帯から、無理やり問いを絞り出す。
「俺もよくは知らん」ファンは首を横に振って応えた。
「だが、戦時中、機神という無敵の兵士がいると聞いたことがある」
「それなら、俺も知っている。
機人の中の機人。完全に機械化された一箇師団を単独で撃破し、あらゆる火器や機械車両と接続して支配下に置き、無線の傍受や妨害も思うがまま。まさしく機人の神──故に称して機神。
……だがそれは、不利な戦況の中で兵士たちが作り出した妄想の産物だ。そんなものが実在していたら<帝国>はもっと楽に戦争に勝ってる」
「そうだな」ファンはいったん頷いてから続けた。
「では、あれは何だ?」
「………………」
「俺が聞いた機神の話には、あらゆる銃撃を跳ね返す、とあった。事実、ドゥックルンで、拳銃やらショットガンやら自動小銃やらで、至近距離から滅多やたらに撃ちこんでやったが、平気な顔でその場を立ち去りやがった。機銃弾ならあるいは、と思ったが、あの様だ」
「……本当に、奴は機神なのか?」
「さあな。ドゥックルンで奴を襲ったときは、手下に持たせた無線に妨害や傍受を受けていたような様子はなかった。だから世間で噂されてるような機神とはちょっと様子が違うところもある。だが、少なくとも、まっとうな人間じゃないのは見ての通りだ」
だから、この重武装だったのか。確かに、あれが伝説の機神なら、これだけの重装備も頷ける──いや、こんなもので足りるわけがない。
だが──
「あの男、あんたの幼馴染だといったな? 戦争中も一緒にいたんだろう? 何で、そいつが機神になんかになって戻ってきたんだ?」
「さあな。俺が知るわけないだろう」ファンは顔を苦く歪めて言った。
「確かにあの時──武器庫を吹っ飛ばした時、あいつの屍体は確認していない。直後に憲兵に現場を封鎖されて、手が出せなかったからな。だから、何かの手違いであいつが生きて帰ってくる可能性はゼロじゃなかった。あくまでゼロじゃないってだけだがな。
だが、だからってあんな化け物になって帰ってくるなんて、誰が想像するかよ!」
ファンはこれまでグエンの前で示していた余裕のある態度をかなぐり捨て、感情を顕わにし始めていた。
「正直、あいつが本当に俺たちの知っているザンなのかも判らない。だが、あいつがザンの皮を被った化け物なら俺たちで殺さなきゃならない。あいつが本当に俺たちの知るザンなら、もう一度、俺たちがこの手で殺さなきゃならない。それは、俺たちの仕事だ。他の誰にもやらせるわけにはいかない──だから、俺たちはここに来たんだ」
「………………」
よく判らない。だが、出発前にファンがグエンに語った理由は、表面的なものでしかなかったことになる。ファンとザンの間にある真実が、何であるかはまだ判らない。だが、たぶんここで語られた感情が真実なら、彼らは──カバラス峠の生き残りである元空間機動歩兵達は、勝敗を度外視しても戦いをやめないだろう。
「……それで、俺に何をやらせたいんだ?」
「兵士をひとり喪った。ぎりぎりの人員で作戦を立てていたので、手が足りなくなって困ってる」
「俺に歩兵の真似事は無理だぜ」
「そんなものは期待していないさ」ファンは軽く肩をすくめて言った。
「あんた向きの仕事を用意してある」
「これが俺向きの仕事だってのか!」
「ご不満か? 運転のお仕事には違いないだろ!」
軍用ヴィーグルで荒野を走りながら、ファンは助手席のグエンに怒鳴り返す。
ファンがグエンに与えた仕事は、軍用ヴィーグルの運転手だった。助手席にはファンを、後部荷台やトランクには兵員や戦闘資材を載せ、ファンの指示に従って、あちらへこちらへと軍用ヴィーグルを走らせていた。
「くそ! あんたにいいように使われてないか、俺?」
「嫌なら歩いて帰ってもらってもいいぞ。人里までどのくらいあるか知らんが」
「………………」
何が「人里までどれくらいあるか知らない」だ。世界記録アタック級の標高の峰々に囲まれ、地元民すらろくに近づかない土地から、どうやって徒歩で抜け出せというのか。勿論、地元で操縦士をしている身だけに、おおざっぱな地形くらいは頭に入っている。だが、そこに人間が歩いて通れる道がどう走っているか、までは知らない。確か、<同盟>軍も工事に難航して、最後には軍用道路の開通を諦めたのではなかったか。
唯一可能性があるとすれば、彼ら、「カバラス峠の戦い」の生き残りである空間機動歩兵達の記憶のみだ。彼らはあの戦いの後、歩いて峠から離脱している。
それに土地勘のない自分がひとりで辺りをふらつくより、サバイバルのスペシャリスト集団と行動を共にした方が、生還の確率は格段に跳ね上がる。
問題は、その辺の事情をわきまえたファンにいいように使われるということと、彼ら元空間機動歩兵達は、あの化け物──ザンとの戦闘をまったく諦めていない、ということだった。
ジャイロ機が降りたのは、先刻、ザンを見かけた場所からは、険しい尾根をふたつみっつばかし越えた場所にある山の斜面だ。その間には、登山の素養があるくらいではそうそう越えられない、危険な渓谷がいくつもある。ここにいる連中同様、ザンが山岳歩兵上がりだったことを考えても、普通に考えれば接触まで一日、二日は掛かると考えてよかった。
だが、ファンは、ザンとの接触までの時間を六時間とした。
「あいつに常識は通用しない。こっちの都合で『人間』扱いするな」の一言で、彼の部下たちは納得したらしく、特に疑問を差し挟む様子もなくそれぞれの作業に戻っていった。
限られた時間で戦闘準備を整えるには、指揮官の発言にいちいち疑問を抱いてはやってられない、ということか。
その一方で、グエンに運転をさせて、軍用ヴィーグルで周囲の地勢をざっと見て廻った後、部下たちの配置を指定した。勿論、兵士たちをそれぞれの配置箇所まで運ぶのは、グエンの運転する軍用ヴィーグルだ。
「よし。今のでラストだ。我々はここで待機。戦闘が始まれば、移動しながら指揮を執る。燃料を補給しておいてくれ」
「……兵隊をばら撒きすぎじゃないか?」
軍用ヴィーグルを岩陰に隠すように停めながら、グエンは率直な疑問を口にした。
既に陽も落ちかかっている。ファンの読み通りなら、ザンとの接触は完全に日没後だ。
ファンの行った部隊配置は、ジャイロ機の残骸を底にして大きなU時を描くような形をしていた。前方から来るザンを斜面上に誘い込んで、両翼から銃砲撃を加えて身動きを取れなくし、最終的にはその場で叩き潰すか崖から追い落とすか──そこまではいいとして、わずか十数名の兵士たちを二~三人づつに分けて配置していた。これでは、個々の単位でザンに捕捉されれば、すぐに殲滅されてしまう。
「奴の短距離疾走能力は、この車を全力で走らせたときと同じだ。懐に入られたら、次の瞬間には殺られてる──ドゥックルンでそれなりに犠牲を払って学んだ教訓だ。ましてや部隊をまとめて、そこに奴に突っこんでこられたら目も当てられない。
元より対機人戦闘は、アウトレンジからタコ殴りが定石だ。至近距離での格闘戦になった時点で、勝負はついている」
「奴が別の方角から来たら? 素直に上から斜面に入ってくれるとは限らんだろう」
「その場合は、兵の配置を動かす。一部の砲装備以外は、戦闘状況に応じて適宜、動かせるようにしている。そのために、無理をしてこの軍用ヴィーグルを用意して、無線機も全員に行き渡らせた」
ファンが箱型の携行無線機を手にする。
「今時の兵隊はひとりづつ無線機を持ってるのが普通なのか?」
「まさか。高価だし、周波数の割り当ても面倒になる。現場の兵士一人ひとりが、未整理の情報を電波に乗せても混乱するだけだ。この人数だからやれる話さ」
そんなものか、と思ったが、陸の兵隊の事情を知らないグエンには、ファンの言っている話が妥当なのかどうかもよく判らない。
だが、こちらの疑問に対して即座に論理だった回答を示す姿勢や、部下たちに矢継ぎ早に的確な指示を下す態度を見ていると、ある疑問が湧いてきた。
「なぁ、あんた──」
「何だ」
「何で、軍の物資を横流しなんかしたんだ?」
長い沈黙の末、ファンは苦いトーンで逆に訊ねた。
「……何で、そんなことを訊く?」
「あんたの仕事ぶりを見ていると、仕事の出来ない奴に見えないからさ。部下にも信頼されているようだしな。俺の知っている限り、本業で仕事の出来る奴が不正を手掛けるケースは少ない」
「それは、あんたの知見が狭いだけだろう」
「かもしれないが、だとしたら、あんたの場合はどうなんだ、と思ってね」
「………………」
しばらく続く沈黙の後、ファンは苦痛を圧し殺すような表情で語り始めた。
巷間知られた英雄譚とは異なる、「カバラス峠の戦い」の物語を──
決戦に向けた戦闘準備の回です。
何だかんだ言って、結局、捲き込まれて手伝う羽目になってるグエンは、やっぱり好い人なんでしょうなぁ。
次回からしばらく回想編です。
ちょっと長めとなりますが、懲りずにおつきあいください。
更新は来週10月16日(日)の予定です。
ではまた。