4
ティエンソン航空のある空港からカバラス峠までは、まっすぐに飛べば一時間ほどで着く距離だ。だがそれは、ジャイロ機では越えられない数千級の山々や空軍の電波警戒機サイトの存在を無視すれば、の話である。
ファンの持ち込んだ航空地図の通りに飛べば、倍の二時間以上は確実に掛かりそうだった。空軍とはどういう話になっているのか知らないが、いずれも警戒電波圏すれすれの場所を飛ぶようになっていた。電波警戒機サイトはそれぞれ近隣のサイトと担当範囲がある程度被るように配置されており、後方の防空指揮所でそれをクロスチェックして脅威判定を下す体制が構築されている。それでも地形や電波警戒機の性能的に感知しがたいスポットがぽつぽつと存在し、そこを縫って飛べというものだった。
どうも空軍とは「堂々と電波警戒機に映っても無視してくれる」という話ではなく、「ここらなら大丈夫そうだから、そこを飛べ」という話になっているらしい。それ以前に、そもそもどこまで話が通ってるのかも怪しいものだったが。
つまり、何らかの理由でコースを外れたら、即座に撃墜されても文句も言えない、ということだ。
しかもそうしたスポットはことごとく、飛行に適しない難所ばかりときている。山肌ぎりぎりまで迫まらねばならない峻厳な渓谷や気流の荒い谷間を抜ける。考えてみれば当たり前だ。普通なら誰も選ばないような危険なルートだからこそ、電波警戒機サイトの整備も遅れているのだ。
そんな危険なルートを積載重量ぎりぎりのジャイロ機で飛ぶ。しかも、副操縦士に航法を任せることもできない。事実上、ひとりきりの飛行だ。
飛行中、一切の気の緩みは許されなかった。ファンがわざわざグエンに操縦桿を握らせたかったのはこれが理由だったのだろう。この条件で無事に目的地まで辿り着けるのは、この西部辺境領北部でもほんの数人──民間ではグエンひとりに違いない。
そのファンはと言えば、ヘルメットの遮光バイザーを跳ね上げて、副操縦席から大きな双眼鏡を振り廻して機外を観察中だった。何が楽しいのか、万年雪に覆われた山肌を熱心に見ている。離陸以来、ほとんど口を利かないのは助かるが、いい気なものだ。もしかすると、復員兵がかつての自分の参加した戦場へ観光にでも来ているような気分なのかもしれない。
神経を磨り減らす操縦の横で物見遊山気分でいられるのには苛立ちを覚えたが、グエンには文句を口にする余裕すらない。乗ってる連中がどう感じているか知らないが、かなりきわどい綱渡りな飛行で難所を次々に越えてゆく。
もっとも、このくらいの難度の飛行は、戦時中は日常茶飯事だった。特に戦争末期には、<同盟>側の電波警戒機サイトも増えたし、移動式の電波警戒機車両が急に展開し、予想外の場所で迎撃を受けることも少なくなかった。
敵の迎撃機もなければ、阻塞ワイヤーも張られてない。地上からの対空砲火もない。天候も比較的、落ち着いている。当時の自分が見たら、「まるで遊覧飛行だ」と鼻で嗤ったろう。
そんな飛行であっても、今の自分はびっしょりと下着を濡らすほどに緊張している。帰りも同じコースを辿るのかと思うと、気が重くなる。
歳を取ったということか。あるいは、娑婆に慣れ過ぎたのか。
それでも目的地まであと少し、といった地点まで差し掛かった時、
『そろそろだな』と、ヘッドセット越しに、ファンがいきなり口を開いた。
「判るのか?」
『下を見ていれば判る。戦争中はずっとこの辺で闘ってきた。ま、半分は逃げ廻ってたようなものだったがね。だから、この辺は俺たちにとって庭みたいなもんだ』
「………………」
そんなものか? ごつごつとした大小の岩塊を荒っぽく削り出したような地上の風景に目をやる。ろくに草木も生えていない。手入れのされない荒れた舗装道路らしきものも目に入った。<同盟>軍が戦時中に敷設したものだろうか。他に文明の痕跡らしきものはなにもない。「世界の涯」という言葉が不意に浮かぶ。何もこんな場所にまで来て戦争しようという奴の気がしれない、とグエンは思った。
『客室に繋いでくれ。部下と話がしたい』
「判った」機内通話の回線を繋ぐ。
『間もなく目的地だ。ヴー、兵の状況は?』
そういえば、客室横のドアは両側とも外されている。たぶん着地と同時に、兵員を一秒でも早く機外に飛び降りて展開させるためだろう。空間機動歩兵の得意技だが、高い標高を飛ぶポイントもあったのだ。客室のシートにはエンジン排熱を利用した暖房が申し訳程度についているが、流れ込む冷たい空気で凍傷を起こす者がいてもおかしくはなかった。
だが、ヴーは平然と返してきた。
『全員問題ない。装備も兵も確認した。すぐに戦闘行動に移れる』
その無造作な響きに、グエンは戦慄した。そうだ、空間機動歩兵はどんな酷い扱いを受けても、飛行中だけは文句のひとつも口にしなかった。死んだように圧し黙り、機長にすべてをゆだねて黙って座っていた。きっと対空砲の直撃を喰らって火だるまになる機内でも、黙って何も言わずに焼け死んでいったのではないか──そうパイロット仲間の間で囁かれていた。グエンも戦時中、いろんな部隊の兵員を運んできたが、こんな奴らは他にはいなかった。
戦後、軍を辞めたそれぞれがどういう人生を歩んでいたのかは知らないが、少なくとも今客室にいる連中の時間は、確実に戦争中のあの過酷な日々に引き戻されているようだった。
『警戒配置』
ファンが短く告げると、返事も抜きに客室でどかどかと兵士たちが動きだす気配がした。
「おい、ちょっと待て! 何を始める気だ!?」
『奴は先にここに来ている。ここはもう戦場だ。あんたも、ここから先は俺の指示に従ってもらう』
「お前、何を言って──?」
『動力機銃に火を入れろ! 各自、全周警戒。何か異常を発見したら、すぐに報告しろ!』
ファンの指示に従って、兵士たちは自動小銃を構えたまま左右のドア脇に張り付く。同時に手近の取っ手類に金具を引っかける。急な機体の動きにも振り飛ばされないようにするためのものだ。
「………………」
客室の空間機動歩兵達がきびきびと戦闘配置を整えてゆく。操縦席にある機内確認用のミラー越しに見る限り、彼らの動きに戦後のブランクはまったく感じられない。本当に戦時中に戻ってしまったかのような錯覚を覚え、グエンは軽い眩暈を感じた。
『機長!』ファンが叫ぶ。
『高度を落としてくれ』
「構わんが、どうするつもりだ? よもやこの調子でカバラス峠全体を調査して廻るわけにもいくまい。峠全体で、一体、どれだけの広さが──」
『いや、このまま飛んでくれればいい。このコースは俺たちが峠に入っていったコースだ。このコース上のどこかに、奴は潜んでいる!』
凄い自信だが、どこからその自信が来るのか。まぁ、見つからなかったら、見つからないで、この連中の戦闘に捲き込まれずに済むということなのだから、グエンとしては万々歳ではあるのだが。
指示に従って高度を落とす。地面がぐっと近づいてくる。
しばらくゆくと、似通った殺伐とした風景の中にも、少しづつ変化があるのが見て取れてきた。ところどころで、背の低い灌木がまばらに生えている場所がある。多少なりと地下水が通っているのか。あるいは春の雪解け時の水分だけで、一年を生き抜くような植生なのか。茶色がかって水気のなさそうな木々の葉を見る限り、後者のような気がしてきた。
横の副操縦席では、双眼鏡を掴んだままのファンが依然、機外に目を向けている。後部の客室でも、自動小銃や動力機銃の銃口を向けながら、兵たちが周辺を目視で検索していた。
「………………」
自分はどこまでこのおかしな兵隊ごっこに付き合えばいいのか、と醒めた感慨を覚えながら、ファン達に吊られるように機外へ目をやる。その視界の片隅に、奇妙な違和感があった。そのまま視界の外に流れ去りかねない「それ」に、強引に意識を引き戻す。
「何だ、あれは……?」
『どうした?』
ファンの問いを無視して、グエンは自分用の小型の双眼鏡を取り出した。オペラグラスに毛が生えたような代物だが、大きさが手ごろで作りが頑丈なので戦時中から使っている。双眼鏡のレンズを覗き込むと、肉眼では芥子粒ほどの大きさだった何かが、人の形を持って浮かび上がる。
部分的になだらかになっている斜面の一角に、誰かが胡坐をかいて座っている──いや、異様なのは、その周囲に何か棒のようなものが何本も突き刺さっていることだ。何かの宗教的儀式か?
ファン達はうまく見つけられないらしい。苛立ったような唸り声が、ヘッドセット越しに聴こえてくる。現役パイロットと兵隊崩れのヤクザ者では、視力に差があって当然だが、多少溜飲が下がらないでもない。
もう一度、双眼鏡越しに目を凝らす。肩まで伸びた白髪。その下から垣間見える浅黒い肌。こんな山奥では自殺行為同然のラフなボマージャケット──
間違いない。あの青年──ファン達が追っているザン・セオ・キエムだ!
『よし、こちらも見つけたぞ!』
だが、何をやっているのだ? 胡坐をかいて、ナイフで灌木の幹を削っている。周囲に突き刺さる棒のような物も、ザンが作ったのか。だが、何のために……?
『距離は約二、〇〇〇ってところだな──ここで機位を固定!』
「は?」
『聞こえなかったのか? ここで固定だ』
慌てて操縦桿を操作して、前進時には斜め後方に流れている頭上の主ローターの気流を真下に調整。後は出力桿で、重力に対して機体が中立になるようローター出力を調整する──実際には、ゆるやかな横風があるので、主ローターの角度を小刻みに調整する必要があったが。
いずれにせよ、グエンは職人芸並みの技量で巨大な大型ジャイロ機をホバリングさせ、その場にぴたりと静止してみせた。
「本当にここでいいのか? まだ距離があるぞ」
『駄目だ。俺が命じるまでこの距離を維持だ。それと現位置を維持したまま、機体右側面を奴に向けろ』
「了解」
機体後部のテールローターの出力を調整し、ファンの指示通りに機体の向きを変える。
その間もファンは双眼鏡でザンの姿を捕捉し続けている。
その彼方では、ザンがゆっくりと立ち上がる。その手には、今まで自分で削っていた棒を持っている。
『気づいたか──いや、もっと早くから気づいていたはずだぞ。舐めやがって』
誰に聞かせるともなく、ファンが呟く。
『ヴー、動力機銃で射撃を開始しろ』
『待て。この距離から撃ちかけてもろくに当たらんぞ!』
『弾が届けばいい! 構わん。始めろ!』
半ば呆れるような一瞬の間の後、客室からどすの効いた動力機銃の発射音が聴こえてきた。
「おい、何やって──!」
『うるさい! 黙ってろ!』
ザンの姿から視線を逸らさず、ファンがグエンを怒鳴りつける。
動力機銃で使用する大口径の機銃弾は、そこに込められたエネルギーと重量だけを考えれば、かなり遠方まで到達することができそうに見える。だが実際には、重量の大きな銃弾は、重力や横風によって弾道がぶれ易い。これだけの距離があると、狙った場所に着弾させるのはなかなか難しい。ましてや狙撃銃でもない動力機銃で弾をばら撒いているだけでは、そうそう当たるものではない。
事実、ザンの周辺に大きく外れて着弾し、本人に当たる様子はない。ザンも特に怯む様子もなく、悠然とその場に立ってこちらを見ている。
だが、さすがに射手がベテランなだけに、徐々に銃弾が収束してゆく。すぐ足元にも着弾するようになり、身体を掠める銃弾が髪や衣類を小さく引き裂く。
それでもザンは立ち尽くしたままだ。
やがてその肩に着弾──ぐらりとザンの長身が揺れて、倒れかける。
『やったか!』
いや、待て。大口径の機銃弾を人体が喰らえば、上半身を半分くらい持ってかれる。勿論、即死だ。多少、当たり所が良くても、ショック症状で死に至る。
それが何で、ああして立っていられるのか?
ザンが何事もなかったかのように身を起こす。遠目で見る限り、どこか身体の一部を削られた様子はない。さすがに着ているボマージャケットは着弾した肩からざっくりと引き裂かれてはいたが、その下から見える肌は無傷なように見える。
「………………」
グエンだけではなく、ファンも客室の兵士達も呆然として言葉を失っていた。いつの間にか、動力機銃の作動音も已んでいる。
有りえない。大口径の機銃弾の直撃を受けて、平気で立っていられる人間など、この世に存在するはずがない。
だが、ならば……人間では、ない──?
『まずい!』
ファンの不意に上げた声で、グエンは我に還った。
それまでその場に立ったままだったザンの身体が大きくしなり、手にした木の棒──いや、槍が放たれる。
回避する余裕などなかった。動力機銃ごと射手の身体をぶち抜いて、開放されたままの機体左側面から外へと飛び出してゆく。悲鳴すら聞こえない。一陣の疾風が機内に飛び込んで、動力機銃の銃座ごと射手をさらって去って行ったかのようだった。
待て。ちょっと待て。
「投げ槍」の届く距離じゃない。ましてや正確に射手を射抜くなど。……。
いや、その前に。
何だあれは? 何なんだ? ありえない。こんなバカな話──
『回避行動! この場から離れろ!』
人知の理解を越える事態に思考がホワイトアウトしかけていたグエンに、ファンが怒鳴る。
考えるより先に手足が動いて、上昇と機位の反転を開始する。
『次が来る! 少しでもここから離れ──』
ファンが言いかけたそこで、がん、という衝撃とともに機体が震え、不意に高度が下がる。
『どこをやられた?』
「エンジンを片肺喰われた!」
続けてもう一度、衝撃──今度は後部テールローターへの動力伝達系が反応を失う。プロの狙撃兵並みの精度で、次々にこちらの致命的な箇所を狙い撃ちしてくる。
元々、軍用ジャイロ機として開発された機体だ。少々の銃撃には耐えられる防弾性能は持っている。だが、あんな太さの手槍を次々撃ち込まれる事態は、いくらなんでも設計者の想定範囲外だろう。
動力の復旧を諦めて、機体が落下する際にローターが回転することによって生じる浮力を利用するオートローテーション飛行に切り替える。だが、動力を失ったテールローターが徐々に力を失うにつれ、機体のぶれが激しくなる。テールローターが完全に止まってしまえば、機体は頭上の主ロータと逆方向にくるくると回転を始めてしまう。
「ダメだ。これは落ちるぞ……!」
『少しでも奴との距離を取ってくれ!』
このまま墜落するという発想がないのか、ファンが命じる。
「……ご期待に添えますか、ね!」
必死に機位を保ちつつ、周囲の地形に視線を走らせる。流されるように尾根をふたつみっつ越えてゆく。どこかに着陸可能な地形はないか。なければいずれ、このままどこかの岩肌に激突して、そこで終了だ。
と、視界の片隅に、奇跡的に平らな地面が目に入る。ごろごろとした大小の岩が転がっているが、背に腹は代えられない。
「そこに降りるぞ!」
ファンの返事を待たずに、操縦桿を押し込む。高度が一気に失われ、疑似的な無重力感に捉われる。
無限に近い時間の果てに、どすん、と足元から衝撃が伝わってきた。機体下部の着地用スキッドが地面に接触した衝撃だった。
荒く安堵の息を洩らすと同時に、今度はずるりと機体が横滑りを始めた。
『何だ、今度は!?』
「……平地じゃなかった、ってことだろうな」
上空から平地に見えた着陸地点は、実際にはゆるやかな斜面だった。考えてみれば、こんな土地におあつらえ向きにジャイロ機の着地に適した平地などあるはずもない。激しく揺れる機内からの眺めだったので、見誤ったのだ。
『どうにかしろ!』
「無理だ」
地上に降りたジャイロ機に、自力でできることあまりない。ましてや動力を失った機体ならなおのことだ。
気休めで操縦桿を左右に振ってみるが、ゆっくりと横滑りの速度が増してゆくのを止められない。
『総員、急いで機体から脱出しろ!』
「逃げるのかよ!」
「その前に、いいことを教えておいてやる」ファンは手早く安全帯を外し、ヘルメットを脱ぎ捨てて言った。
「この先は崖だ」
それだけ言い置くと、グエンの肩を軽く叩いて、副操縦席からするりと抜けだした。
「おい、こら、この野郎──っ!」
怒鳴りかけたものの、グエンの去った副操縦席の向こうからは、斜面の終わり──切り立った向かいの崖の壁面が迫っていた。
今度こそダメか──と覚悟しかけたそこへ、機体の横腹から殴りつけるような衝撃が伝わってきた。身体は安全帯で操縦席に固定されているが、その分、ヘルメットをかぶった頭部が激しく振り廻される。自分ではどうにもならない。舌を噛まないように、歯を喰いしばって耐えるのがやっとだった。
やがて機体に加えられる衝撃がやんだ後、グエンは白濁する意識の海に引きずり込まれようとする自分に気づいていた。脳震盪か。畜生。
「あの野郎、今度こそ、ぶっ殺してやる……」
それだけ絞り出すと、グエンはそのまま意識を失った。
そんなわけで、あっさりジャイロ機墜とされちゃいました(爆。
まぁ、元々、陸戦をやるのが趣旨だったんで、早めに撃墜される予定ではあったわけですが。
次回はカバラス峠で戦闘準備の回。
更新は来週10月9日(日)の予定です。
ではまた。