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「社長!」
「大丈夫だ。俺に任せておけ」
泣きそうな声を上げるディンに、グエンは務めて落ち着いた声で告げた。と言って、何か目処があるわけでもない。気休めには違いないが、それを口にするのも大人の務めではある。
ファンに急き立てられるように格納庫横の事務所に辿り着くと、自動小銃で武装した屈強な男たちに囲まれて、ディンが真っ青な表情で椅子に縛りつけられていた。男たちの人数は三人。ひとりは髪の生え際が大きく後退してはいるものの、肌の色つやを見る限りグエンやファンとほぼ同年代。残りはまだ若いが腕や脚のどちらかが機械化された機人だった。
おそらくは、いずれも兵隊崩れ──構えている銃の持ち方に無駄はなく、張り詰めたような余計な緊張感もなかった。こちらがおかしな動きを見せれば躊躇なく引き金を引くだろうが、うっかり引き金を引くようなミスも犯しそうもなかった。
戦時中にかなり場数を踏み、戦後もそれなりに継続して修羅場に身を置いてきた連中、と言ったところか。
しかも、これで全員とは限らない。
その辺のチンピラ機族の方がまだ扱い易かったが、贅沢の言える身分ではない。
さて、こいつらにどうお引き取り願うか、だが……。
「まぁ、突っ立ってないで座れよ、社長」
内心で呻くグエンの胸中を知ってか知らずか、ファンは勝手に奥の応接シートにどっかと腰を下ろすと、拳銃を振って座るように促す。
「………………」
グエンは黙ってファンと向き合う形で、シートに腰を下ろした。
ファンは拳銃をこれ見よがしにテーブルの上に置き、胸ポケットからシガレットケースを取り出してタバコを口に咥える。手を伸ばせば奪えなくもない距離。勿論、実際にやれば、即座に他の男たちから蜂の巣にされるだろう。それが判ってて、あえて拳銃から手を放したのだ。
ファンは余裕があるのをこれみよがしに示すように、軍用オイルライターでタバコに火をつける。戦時中、前線の兵士達に配給された「糞を吸う方がマシ」と言われた銘柄。今時、こんなものをわざわざ吸う奴がいるのか。そのタバコの紫煙をさも美味そうに大きく肺に吸い込む。
「やっと人心地がつけたぜ。
──さて、改めてビジネスの話といこうじゃないか」
「……あんたら、何者なんだ?」
顔に掛かる紫煙に眉を顰めながら、グエンは訊いた。
「そうだな。改めて自己紹介をしておくべきだな。
俺の名はファン・フィン、さっき名乗った通りだ。戦争中はあんた等のお得意さんだった」
「……空間機動歩兵……?」
一〇~二〇人強の少人数の歩兵と、携行ロケット砲のような小型の対装甲火器類、そして場合によっては軍用ヴィーグル一台ないしは軍用バイク数台で構成された一箇分隊を、ジャイロ機で敵前線の後方に送り込み、前線後方を撹乱、あるいは兵站線を寸断する<帝国>陸軍の殴り込み部隊──それが空間機動歩兵だった。
もっとも、その勇ましい任務と名前の割に、生還率は著しく低かった。
敵地に潜入しての最初の一撃まではいい。だが、攻撃に成功すれば、その時点で所在が露呈する。大した火力も機動力もない以上、後はほうほうの体で敵地を逃げ廻ることしかできない。そして得てして前線を突破できずに包囲殲滅されて終わり。
しかも、敵もバカではないので学習する。前線を突破するジャイロ機を待ち受け、阻塞ワイヤーや対空火器で出迎える。それを突破して何とか地上に降りた兵士たちを、十字砲火が待ち受ける。
それでもそんな作戦が続けられたのは、末期の<帝国>軍西方辺境領北部戦線には、まともな装甲兵力が存在しなかったからだった。当時、<同盟>側の戦略的詐術によって装甲兵力のほとんどを南方戦線に抽出されてしまった彼らには、取り残された山岳歩兵達と、導入直後で実用性を疑問視されつつ部隊集中運用の試験という名目で中央から押し付けられた大型ジャイロ機部隊のふたつくらいしか、まともな兵力は残っていなかったのだ。
絶望的なまでの巨大な物量と、火力の差。山を砕き、瞬く間に山脈をぶち抜いて高規格の軍用道路を開通する圧倒的な工作能力。
そうした巨大な<同盟>軍戦力に抗って、わずかなりと<帝国>軍側の戦力再編のための時間を稼ぐ捨石として、彼らは使われたのだった。
だから、特別にそのための訓練や研究を経て成立した部隊ではない。移動の足を失った歩兵をジャイロ機に押し込んで、後はなるようになれと無理やり出撃させたのが実態だった。しかもろくに生きて帰ってこないのだから、戦訓の蓄積も、戦術の洗練もない。前線の兵士たちの間で、自殺の代名詞として扱われたのも致し方ない面があった。
だが、結果だけを見れば、その犠牲は報われたと言っていいだろう。
北部戦線を突破して中原に雪崩込もうとした寸前に、<同盟>軍集団本隊は<帝国>軍が全土から必死に掻き集めた機甲軍集団によって捕捉された。そして後世の研究者から「神話的」とまで称される数千台の戦車の入り乱れた大戦車戦の末、総司令官自身による「我が軍は中原への突入衝力を失った」という宣言とともに、<同盟>軍の車列は祖国へと引き返して行ったのである。
その意味で、彼らは<帝国>を救ったと言っても過言ではない──そうした史家の評価は、未だに一般に定着しているとは言い難い。多くの戦場帰りの若者たちと一緒くたに、彼らもまた社会から「喰い詰めた厄介者」扱いを受けていた。
その現実を受け入れて生きる者もいれば、そうでない者もいる。
戦後、「自分は空間機動歩兵だった」と名乗って愚連隊を組織し、あちこちで暴れている連中がいるとグエンも耳にしたことがあった。してみると、こいつらもその内のひとつか。
もっとも、それを聞いたからと言って、グエンに特に感慨はなかった。こちらも生きるのに必死だったのだ。彼とても、世の中からすれば戦争帰りの無力な若者にすぎなかった。戦時中の任務で多生の縁ができたからといって、他人の人生にとやかく口を差し挟めるほど、お上品な人生を送っている自覚もなかった。
そのことをもって、ファンの方でもどうこうと拘るつもりもないらしい。
ファンはさらりと話を続けた。
「勿論、経営コンサルタントなんかじゃない。ドゥックルンで一○○人ほどの手下を従えた組を構えている」
ドゥックルンは中原と西方辺境領の境にある都市の名前だ。元々、<帝国>の西方開拓の拠点であり、交通の要衝として発展してきた。鉄道のターミナル駅や高速道路が集中し、輸送飛行船の停泊所も早くから整備されてきた。
それがこの前の戦争では前線を支える巨大な物流拠点としてより一層、交通物流能力を増強され、一時は<帝都>に次ぐ人口五〇〇万に迫る一大物流都市と化した。
戦後、軍関連の需要がごっそり減り、西方辺境領の開発事業も一時停滞する中、遺棄された軍需物資や兵器、職を失った将兵などが流れ込み、一気に治安が悪化した。
今では事実上、地下社会に支配された都市として知られる。
もっとも、グエンもここに来る前に、一年ほどドゥックルンで暮らしていたことがある。旅費がそこで尽きたのだ。飲食店の皿洗いや倉庫の荷運びなどの仕事で日銭を稼ぐ内に、ジャイロ機のパイロットを募集する今の仕事にありついた。その時の印象では、巷間、言われるほど治安が酷いわけではない──昼間の間は、ではあるが。
他所ではともかく、ドゥックルンで一〇〇人ほどの規模の組織と言えば、ようやく中堅どころに手が掛かろうか、といったクラスの組織だ。戦争帰りの兵隊崩れであることを考えると、「新興の」という形容詞が頭についてもおかしくはない。
だが、そのヤクザが何の用で、こんな辺鄙な場所まで出張ってきたのか……?
その疑念を読んだかのように、ファンは続ける。
「ドゥックルンでは、軍隊時代のツテもあって、武器から酒から女まで、手広く扱っててな。手向かう奴らもばっちりぶっ叩いて、よろしく愉しく過ごしていたんだが、ある日、昔の知り合いが訪ねてきて、全部ご破算になっちまった。それが、こいつだ」
ファンは胸元から一枚の写真を取り出して見せた。
「こいつは……?」
思わず写真を手に取る。長い白髪に浅黒い肌の若い男の横顔。雑踏の中を走る姿を、離れた場所から撮影したもの。だが、そこに映る男は、あの山中で見かけた青年とそっくりだった。
「……どこかで見かけたことがある、って面だな?」
グエンの動揺をファンは目ざとく気づき、瞳を細めた。
「どこで見かけた?」
「知らん」
テーブルの上に写真を放り出し、グエンはそっけなく答える。
「まぁ、いいさ」ファンはそれ以上、追及しなかった。
「こいつの行先は判ってる」
「……何をしでかしたんだ、こいつは?」
グエンは話題を変えるように逆に訊ねた。
「俺の手下を殺し、女房子供を殺し、『親』の呼んだ客まで殺してくれた」
「『親』……?」
「上の組織さ。ヤクザにだっていろいろしがらみってものがあってな。まぁ、そんなわけで、俺がこいつの首を持って帰らないと、組織は俺の首をその客筋に差し出すことになる」
話す内容は剣呑窮まりない割に、ファンの口調はどこか他人ごとのようにも聞こえた。自分の女房子供を殺されたと口にしながら、そこにさほど拘りもないようだった。
「何者なんだ、こいつは?」
「ザン・セオ・キエム──ガキの頃からつるんでた幼馴染さ」
「それが何で……?」
「さぁな、恨まれてるからじゃねえのかな」
「恨まれてる?」
訊ねた返すグエンにファンは素っ気なく答えた。
「戦争中に弾薬庫ごと吹っ飛ばした」
「な……っ?」
「こいつは、俺がやってた武器や燃料の横流しを上層部に密告しやがってな。師団の兵站司令部から員数調査に将校が来るってんで、その前に弾薬庫を吹っ飛ばした。丸ごと吹っ飛ばしちまえば、武器や弾薬の数が少々、帳簿と合わなくったって気にする奴はいねえ。ついでに、たまたまこいつもそこに居合わせちまった。それだけのことさ」
「……………」
絶句するグエンに、ファンはどうでもいいことのように付け加える。
「そうそう。あと、あいつの女を俺のものにしたってのもあったっけな。あいつに殺された俺の女房ってのは、元々こいつの女房でね。そりゃあ、八つ裂きにしたって飽きたらねえだろうよ」
うっすらと笑みさえ浮かべながら語るファンの口調に、グエンはぞっとした。まともじゃない。それがこのザンという男の所為なのか、端からそうだったのかは知らない。俺の知ったことじゃない。こんなぶっ壊れた男とは関わりを持つべきではないと、グエンの脳内警報が金切り声を上げていた。
だが、そう感じたからといって、この場がどうなるというものでもない。
グエンは声にならない呻きを呑み込んで言った。
「……それで、この男を狩るのに繰り出した兵隊運ぶのに、ウチの機体が必要だって言いたいのか」
「まぁ、そんなところだ」
「無理だ」グエンは素っ気なく否定した。
「そうかね? 社長であるあんたの裁量次第だと思うが」
「そういうことじゃない」グエンは首を振って説明する。
「飛行計画を当局に出していない」
「別に気にする必要はないさ」
「そんなわけにいくか! 戦争が終わったといっても、ここは国境近くの土地だ。<同盟>からの領空侵犯も、それに対する空軍の緊急発進も、日常茶飯事なんだ。飛行計画も出さずにジャイロ機がふらふら飛んでたら、速攻で空軍に撃墜されちまう」
「急病人が出たとでも言えばいい。あんた、今日も医者を載せて飛んでたじゃないか。ああいうのにも飛行計画ってのは、必要なのかね」
「……急ぎの場合は略式で済むが、役場に確認の問い合わせがいく。ちょっとでも不審に思われたら、それで終わりだ」
「面倒な話だな」
鼻で笑うようにファンが告げる。
「だから──!」
「気にする必要はない、と言ったろう? ヴー! 地図を持って来い!」
先ほどの三人の男たちの内のひとり、髪の薄い男が航空地図をファンに手渡す。
ファンは地図をテーブルの上に広げた。山岳地帯を縫い走るように、飛行ルートと思しき赤い線が引かれている。
「何だ、これは……?」
「このルートを飛んでくれれば、お咎めなしだ」
「は……?」何を言って──
「そういう話に、なってるんだよ」
「………………」
密輸ルートだ。ようやく理解できた。<帝国>南方で採れる麻薬を精製し、<同盟>領内に運び込む。ジャイロ機を使って、西部辺境領北部山岳地帯越しに密輸する。それに軍が関与しているという噂は以前からあった。さもなければ、警戒厳重な国境地帯の空をやすやすと飛行できるはずがない。
軍特務機関による<同盟>圏への不安定化工作──に名を借りた、汚い裏金稼ぎ。軍の特務機関は、議会にもマスコミにも、なろうことなら自分たちの上司にさえ知られることなく好きに使える金に飢えている。戦後、<帝国>圏内でも<同盟>産の合成麻薬が蔓延し始めている。<同盟>側の不安定化工作というだけでない。おそらくは国境の向こう側でも、同じような闇の力学が作用し、両者の融合による合成獣のような麻薬ビジネスが育ちつつある。
この飛行ルートは、この国境地帯に絡みつく腐った闇のビジネスの副産物といったところだろう。
「このルートは明日には閉ざされる。だから今日の内に飛んでもらわなきゃならない」
「……ふざけるな!」
グエンは吐き捨てた。
「ふざけちゃいないさ。それなりの金もあちこちに撒いて、ようやく手に入れたルートだ。ま、こっちは自分の命も掛ってるんでね。なりふり構ってられないのさ」
「貴様らのような下衆どものおかげで、地元の人間がどれだけ迷惑してるか──!」
「ご高説はいずれ伺おう。その内、暇が出来たらな。で、飛んでくれるのか、くれないのか──」
「断る」グエンはファンに皆まで言わせず、拒絶した。
真っ向から怯むことなく睨むグエンの表情をしばし眺めたファンは、「そうか」と素っ気なく頷くと、テーブルの上の拳銃を手にふらりと立ち上がった。その一瞬、垣間見えたファンの両目の酷薄さに、グエンの背筋に怖気が走る。
「おい、待て! 貴様、何を──!」
慌てて立ち上がろうとするグエンを、いつの間にか背後に廻ったヴーがシートに圧さえ込む。
「止めろ!」
叫ぶグエンをよそに、乾いた銃声が、小さな事務所に鳴った。
苦痛に圧し潰された若者の絶叫。血と無煙火薬が入り混じった、特有の匂いが鼻につく。
ヴーが手を放すと同時に、グエンはシートから飛び出した。
事務所の床の上に、椅子に縛られたままディンが転がっている。真っ赤な血だまりが、床に広がっている。動脈を断たれたのか、出血が激しい。右の太ももから血を吹き出させて、ディンが床の上で苦痛にのた打ち廻っている。
「何してくれてんだ、手前っ!」
グエンはその場に立つファンの胸ぐらを掴む。
「落ち着けよ、社長」
「こんなことされて、落ち着いてられるか!」
激昂するグエンの顎に、ファンはまだ熱を帯びた銃口を押し付ける。
「…………な…………っ!」
「落ち着こうぜ、社長。あんたがルールを勘違いしているようだったから、これで仕切り直しだ」
「勘違い……ルール、だと?」
「そうさ。ビジネスのルール。俺とあんたの間のビジネス」
「………………」
ぴたりと顎に張り付けられた銃口に圧されるように、グエンはゆっくりとファンの身体から手を離す。
「いいか、社長。俺は今回、ここにジャイロ機の操縦士と整備士を連れてきてる。俺はこういうことで手抜かりはしない。それで戦争も、戦後の稼業も生き抜いてきた。だから、あんたんとこの小僧をこの場で殺し、あんたも殺して、機体を奪ってもさほど問題はない」
「……だったら、何でこんなことを……?」
喘ぐように問うグエンに、ファンは悪戯っぽく口許を歪める。無論、両目はつめたく冷え込んだまま。
「そこさ、社長。俺とあんたのビジネスが成立する余地は、そこから先にある」
何が言いたいのか。理解できずに眉を顰めるグエンに、ファンは続ける。
「俺が連れてきた操縦士は中原出身で、この辺の空に慣れちゃいない。機体の癖も判ってない。荒れやすい山岳地帯の空でそいつは無視するには大きなリスクだが、最悪諦めきれないリスクでもない」
「つまり──」
「そうだ。その範囲内でのみ、俺とあんたのビジネスは成立し得る。そういうことだ」
「……機体だけ、勝手にもってゆけばいいだろう」
「いい提案だ。だが駄目だ。俺たちの存在を通報されて、途中で空軍に撃墜されるのは、まったくもって楽しくない」
「通報なんかしない」
「そういう些末なリスクは、事前にきちんと潰しておく主義でね」
「無線を壊せばいい」
「勿論、そうさせてもらう。だが、誰かがここに通りかかったら? そいつが無線機を持っていて、当局に通報したら。そして、そこに俺たちがどこへ向かったのかを喋る口があったら? これも楽しくない想像だが、あり得ない話じゃない。こいつも潰すべきリスクだな。そうじゃないか、社長?」
まるで契約書の穴を粛々と潰す法務担当のように、ファンはグエンの退路をひとつづつ潰してゆく。
「さて、社長。経営者としての、あんたの判断を訊きたい」
「……ディンに……彼に、治療を──」
グエンは掠れる声で告げた。ファンは冷ややかに突き放す。
「まずは本契約がまとまってからだな、その話は」
「くそっ! 判った。引き受ければいいんだろう、あんたらの操縦士を!」
その声にファンは笑顔を浮かべると、拳銃を左手に持ち代えて、右手を差し出した。
「契約成立だ、社長。いいビジネスにしよう」
グエンはその手を無視して吐き捨てた。
「殺してやる」
「その内にな」
ファンは何故か嬉しそうに嘯いた。
第2章抜かしてアップしてた……orz
すいません。急きょ差し替えました。
引き続き第3章をよろしく。