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 あまり一般には理解されないのだが、大抵の航空機は飛んでいる時間より地上で整備している時間の方が長い。

 本来、飛ぶはずもない鉄とジュラルミンの塊を強引に空に浮かべているのだから、相応の無理が機体やエンジンに掛かる。具体的には、熱と振動。それが溜まりに溜まって、放置しているとエンジンが焼き付き、機体そのものにも応力負荷が加わって、ある日、どこかがぽっきりということになりかねない。

 そういった諸々の無理をどうにか誤魔化し、緩んだ器具を締め直し、消耗した部品やオイルを交換し、次の飛行に耐えられる状況に持ってゆくのが整備の仕事だ。

 グエンが社長兼操縦士(パイロット)を務めるティエンソン航空でもその事情は変わらず、社保有の唯一の機体であるこの双発ジャイロ機の機付整備長の役職も、彼自らがありがたくも務めていた。勿論、彼が兼ねているのはこれだけでなく、事務局長から職員の教育係まで、すべてが彼の仕事だった。つまり、社長ひとり、社員ひとり、たまに事務の手伝いに役所から派遣されるオバサン職員がひとりというのが、ティエンソン航空の全職員だった。

 そんなわけで、本社機能のある申し訳程度の広さの空港──垂直離着陸のできるジャイロ機用の猫の額ほどの離着陸パッドを、グエンはそう言い張っている──そばに建てられた整備用の格納庫で、エンジンの熱が冷めるやいなや、アクセスパネルを開いて、グエンは機体状況を確認し始めた。

 帰りの飛行の最中から、エンジン音に交じる微かな異音と振動異常に気付いていた。原因がどこかも当たりはつけていたので、まずそこの手当てに取り掛かる。

「冷めた」と言っても、程度の問題でしかない。素手で触れれば火傷は免れない熱さで、分厚い耐熱手袋は欠かせない。

 大きな脚立の上に立って作業に熱中している内に、格納庫に誰かが入ってきたことに気付いた。たぶんさっき倉庫から部品を取ってくるよう頼んだ、副操縦士のディンだろう。

「どうだ? 頼んだ部品は倉庫にあったか?」

「やあ、精が出るな、大将!」

「…………?」

 よく通る大きな男の声。どこか(ひょう)げたニュアンスを含んではいたが、ある種のはったりとしてこうした声を出すことに慣れているような、芝居がかった印象も感じられた。

 振り返ると、サングラスの小柄な男がこちらを見上げて笑みを浮かべている。歳の頃はグエンと同じ三〇前後といったところか。襟元にファーの付いた皮のジャケットを着込み、両腕をポケットに突っこんでいる。

 ふてぶてしい面構えといかにも高価そうなそのジャケットで、この辺の鉱区で一山当てようと目論む山師のたぐいかと当たりをつける。

 あの連中なら、事前の予約もなしに、いきなり格納庫に押しかけるくらいの無礼をやらかしても不思議じゃない。

 それでも一応、名前ぐらいは確認すべきかと、グエンは訊ねた。

「どちら様ですか……?」

「あんたが社長さんかい?」

 グエンの問いを無視して、男は逆に訊ねた。

「……そうですが。それで、そちらは一体──」

「この機をチャーターしたいんだがね」

 またしてもこちらの問いを無視して、勝手な要求をかぶせてくる。

 グエンは軽い頭痛を覚えて眉間を揉んだ。(らち)が明かない。グエンは整備用の脚立から地上に降りた。

「あんた──」

「金ならあるぜ。現金でも持ってきちゃいるが、足りないなら口座を指定してくれれば、後で振り込まさせる」

「そんなことを訊いてるんじゃない!」苛立ちを隠さずにグエンは告げた。

「あんた、誰だって訊いてるんだ!」

 その怒声に、男は一瞬、驚いたように黙ると、やがてサングラスを外し、ややたれ目の瞳に人懐っこい笑みを浮かべて、右手を差し出した。

「いやあ、すまんすまん。どうも気が急いじまってね。俺の名はファン・フィン──中原(ハートランド)で経営コンサルティングを手掛けてる」

「……グエン・ヴァン・トゥアンだ。ここで社長と操縦士(パイロット)をやってる」

「よろしくな、社長!」

 半ばうんざり気味に差し出されたグエンの手を馴れ馴れしく掴んで、ファンは激しく振った。そこから振り払うような印象にならないように気を使いながら、グエンは手を引いて訊ねた。

「それで、何の用でウチに来たんだ?」

「さっきも言ったろ。この機をチャーターしたい」

「目的は?」

狩り(ハンティング)さ」

「『狩り(ハンティング)』……?」

 グエンは眉根を寄せた。何を言っているのだ、この男は……?

「そう。この辺はでかい獲物がいるっていうからな。狩猟好きの取引先の社長さん方ご一行で、そいつを仕留めに行こうって算段さ」

「……いつの話をしてるんだ?」グエンは呆れたように言った。

「そんな獲物(もの)はいない。戦前のまだ自然のあった頃ならともかく、今のこの辺りに狩猟の標的になるような大型動物なんかいるものか」

 大陸を二分する超大国である<帝国>と<同盟>の高度に機械化された軍隊が、真正面から激突した先の大戦の末期に主戦場となったこの辺りは、野山を覆う大自然もあらかた破壊し尽くされていた。

 滴るような緑に包まれた森林地帯は、重機と砲爆撃で掘り返され、陣地構築の資材にするのだと伐採された。終いには「敵に隠れられると困る」という、その存在自体が悪であるかのような理由で、積極的に焼夷弾で焼き払われ、焼け跡から二度と木々が芽吹かないようにと枯葉剤まで撒かれた。

 そうした彼我双方の「努力」の結果として、この西方辺境領は砂と岩ばかりの荒野と成り果てた。自然環境も激変し、残るのは僅かばかりの草木と、そこに生息する小動物ばかりだ。狩猟の獲物になるような大型動物など、どこを探してもいるはずもない。

「まぁ、それならそれでいいさ」ファンは肩をすくめて言った。

「だったら遊覧飛行ってことでも構わない。せっかくここまで出張ってきて、手ぶらでお帰り願うわけにもいかんのでね」

 グエンはつれなく首を振った。

「……生憎だが、飛び込みの仕事は受けていない」

「何だい、そりゃあ?」

「ウチの会社は、この辺の自治体と鉱山会社が共同で金を出し合って設立された会社でね。地元の需要が最優先。こうしている合間にも、いつ何時、事故や病人の搬送で呼び出されるか判らない。一見さんの客は紹介状持参で、数日前に飛行計画(フライトプラン)をあちこちに送って了解を得なけりゃならない」

「……面倒くせぇ話だな。あんたが社長なんだから、多少は融通効かせられねぇのかい?」

「雇われ社長にそんな権限はないさ。わざわざ出張ってくれたのに無駄足で返すのも何だから、市長には俺からも話を通してやる。そこから先は、そっちの才覚次第だ。そこで紹介状貰って出直してくれ」

「それじゃあ、困るんだ。それじゃあな……」

 グエンではなく、背後の機体を見上げるようにファンは告げる。吊られるようにその視線を追いかけたグエンをよそに、いつの間にかファンの右手には黒い自動拳銃が握られていた。

「金が駄目なら、こういうのはどうだい?」

 銃口をこちらに向けながら、ファンは愉しげに言った。



「何のつもりだ……?」

 グエンは銃口の動きを慎重に追いながら言った。飛び掛かって銃を奪うことも考えたが、たぶんこの距離では難しい。自分には当たらなくとも、機体や格納庫内の可燃物に当たるのは避けたい。まずは向こうの出方を静観するしかない。

「落ち着いてるねぇ。お宅も戦場帰りだったっけな。それなりの修羅場は踏んでるか」

 戦場を飛ぶジャイロ機の機長に積み荷の兵隊との揉め事は日常茶飯事だ。勿論、銃口を向けられていい気分にはならないが、怯えてパニックする自分は自動的に切り離され、冷静に対処法を探ろうとする思考が動き出す。戦場帰りがどうこうという以前に、パイロットとは元々そういう人種なのだ。

「<帝国>空軍第1168戦術輸送飛行団山岳ジャイロ飛行隊所属、グエン・ヴァン・トゥアン少尉──いや、終戦間際の温情昇進で中尉で除隊だったか? 整備兵の下士官上りとしちゃあ、上等な出世じゃないか。

 おまけに<帝国>銀騎士十字章を始めとした、飾るのに困るほどの勲章。資料を見る限り、出撃回数も対地撃破数も大したもんだ。どうやったら輸送ジャイロで戦車を潰せるのか、今度教えてくれるか?」

「………………」

 こちらのプロフィールはとっくに調査済みらしい。何者だ、こいつ? 勿論、「経営コンサルタント」なんかでないのは、拳銃を抜いた時点で明らかだ。だが、何で自分の戦歴なぞ知っているのか。別に自伝を書いて出版した記憶もない。記録の残ってる軍に繋がりのある人間だろうか。

「これだけの戦歴上げてりゃ、戦後も軍に残るなり、実家に戻っても勤め先は引く手あまただったろうに。あんた、こんな辺境(ところ)で何をやってるんだ?」

「……余計なお世話だ」

「それもそうか」

 ファンは軽く肩をすくめ、本題に戻った。

「この機体を借りたい」

「……何に使うつもりだ?」

 別に知りたくもなかったが、時間稼ぎのために訊ねる。その場で拒絶してもよかったが、取引が成立しないと判断したら躊躇わず引き金を引きかねない剣呑な雰囲気が、にやついた表情のファンにはあった。

「言ったろ。狩り(ハンティング)に行くのさ」

「わざわざこんなでかい機体を使ってか? 近所にもっと小廻りの効く小型機を持ってる会社もあったはずだ」

「知ってる。こいつでなくちゃ困る。だから、こうしてあんたの前に立ってる」

 ディンはどうした? そろそろ山ほどの部品を抱えて、あの若い副操縦士が格納庫に顔を出す頃合いだ。彼を捲き込むのは心苦しいが、それで一瞬でも奴の注意が逸れれば──いや、それにしても遅すぎないか?

「………………」

 こいつひとりではない、ということか。大人数、あるいは双発ジャイロ機が必要なくらいの装備を抱えている。ディンはそいつらに捕まったと考えるべきだろう。……。

 急速に険しさを増すグエンの表情を眺めながら、ファンは気楽な口調で言った。

「河岸を変えよう。ここは火気厳禁なんだったよな。そろそろ煙草が恋しくなった」

そんなわけで、前章の顔見世に続いて、主人公がトラブルに捲き込まれる回。

順調にハードボイルドのお約束展開を消化していますね。


次回もグエンとファンと駆け引きは続きます。

更新は来週9月25日(日)の予定です。

ではまた。

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