13
弾薬庫の爆発に捲き込まれたザンだったが、ファンに騙されたという意識は最後までなかった。ファンが自分に危害を加える、などという発想自体が初めからなかった。前の説得ではうまく理解してもらえなかったようだが、何度か説得を繰り返せば、いつかきっと理解してもらえると無邪気に信じていた。余人はともかく、幼い頃からいつも一緒で、幾度も死線を乗り越えてきた自分とファンとの絆は、簡単には失われることはないと信じていた。
だから、弾薬庫の爆発が始まった瞬間も、こうして二度目の話し合いに応じてくれたのだから、ふたりの関係が改善に向かって前進しているのだ、とさえ考えていた。
爆発で即死しなかったのは奇跡だった。たまたまザンの立っていた場所が、建物内部の火炎と爆風の死角にあたっていたのだ。とは言え、即死を免れたというに過ぎない。周囲の火災の輻射熱は全身を炙って重度の火傷に追い込むのに充分だったし、火災によって一気に周囲の酸素が燃え尽くしたことにより、脳は酸素欠乏症に陥っていた。
ただし、弾薬庫の火災は比較的短時間で終息した。屋根を吹き飛ばして火柱が天へと突き上がった際、弾薬庫内の酸素も一緒に奪い去って鎮火に一役買ったのだ。
鎮火後、最初に現場に入ったのは、爆発物処理班である。憲兵隊は周辺を立ち入り禁止にしただけで、現場には足を踏み入れていない。その爆発物処理班による不発弾処理の作業中に発見されたザンは、辛うじてまだ息があったため、基地内の病院に搬送された。
もっとも、この当時の<帝国>軍前線後方にある補給基地ごときに、重度の全身火傷に対する高度治療技術などない。担当医師がカルテに「処置不能」と記載して、そのまま戦死扱いにされたことになっている。この時期の北部戦線では、兵站への負担軽減のため、兵士の遺体は現地埋葬されることになっていたから、遺族の下にも遺骨などは送られていない。
実際には、ザンは「引き取り部隊」に引き渡されて、以後、消息を絶つ。彼らが何者なのかは判らない。ただ、あらかじめ目星をつけた兵士や将校が重傷を負うなり死亡すると、それをこの正体不明の何者か回収して廻るシステムが各地の前線で機能していた節がある。
いずれにせよ、再びザンが目覚めたのは「施設」の中である。
「目が覚めたようね、ザン・セオ・キエム」
「……お姉さん、誰?」
白衣の女は軽く眉を顰めた。
「……そう。実装報告書にあった酸素欠乏症による脳損傷の影響ね。まぁ、いいわ。実験には影響しないでしょう」
「……実験……?」
「気にしなくてもいいのよ。それより気分はどう?」
「ファンは、どこ?」
「ファン? 人の名前かしら?」
「僕の、友達」
「そう、お友達なの」
「会う約束をしてたんだ、ファンと」
ぼんやりと天井を見上げながら、ザンは呟いた。
「ごめんなさいね。当分、その子とは会えないわ」
「どうして?」
「あなたが病気だから」女はさらりと言ってのけた。
「あなたはここで病気の治療を受けるの。その治療が終わるまでは、ここを出ちゃダメなのよ」
「いやだ」
「大丈夫よ」女は優しく微笑んだ。
「いい子にしていれば、すぐに治療は終わるから。そうしたら、いつでもお友達に会いに行っていいのよ」
「本当!」
「本当よ。だから、いい子にしましょうね」女はそう言って、ザンの身体に毛布を掛けた。
「今日はもう疲れたでしょう。さあ、おやすみなさい」
「僕、眠くないよ」
「起動初日は脳への負荷が大きいの。マイクロマシンが脳神経に馴染むまで、無理をしちゃだめよ」
「……マイクロ、マシン……?」
「あなたに判らない言葉を使ってしまったわね。ごめんなさい」
女はザンの頭を優しく撫でながら、もう片方の手で白衣のポケットから小さな金属棒のようなものを取り出した。
「おやすみなさい、ザン」
女はにっこりと笑って、金属棒についているボタンのようなものを押した。次の瞬間、ザンの意識は途絶した。
「施設」で日々、ザンはさまざまな訓練ないし実験を「治療」と称して受けさせられた。 嫌がると、「お友達と会えなくなるわよ」と脅されたので、やむなく女の言うこと聞いた。でも本当は嫌で嫌でたまらなかった。こんなこと、もうしたくないよ。
だから、ある日、女の指示を頑として無視してみた。何を言っても無視だ。僕はこう見えても、「強情なやつ」だってファンも言ってたくらいなんだ。
「しょうがない子ね」
女は溜息をつくと、白衣のポケットに手を入れた。
もしかすると、「ファンに会いに行ってもいいわよ」と言ってくれるのかと期待したが、違った。
女はあの金属棒を取り出し、前とは違うボタンを押した。
いきなり、強烈な激痛が頭を襲った。全身がばらばらになるような苦痛。悲鳴を上げてのた打ち回るザンに、女は深い憂いを込めた表情で言った。
「私だってこんなこと、したくないのよ」
「だったら……やめて……!」
「でも、ザンがそんなわがままをいうなら、お仕置きをしなくちゃ。ねぇ、ザン。もうお姉さんを困らせるようなわがままを言わないって、約束してくれる?」
「……約束……する……だから……」
「そう。ありがとう」
女はにっこりと笑って、金属棒のボタンを押した。激痛が潮が引くように消えてゆく。
床の上で荒い息を吐きながら、まだ立ち上がれずにいるザンを見下ろして、女はもう一度、金属棒をこちらに向けた。
「じゃあ、今日はここまで」
ザンの意識は途絶した。
その日、女はファンに言った。
「敵が来たわ」
「『敵』……?」
「そう、〈大聖堂〉の執行部隊──いいえ、名前なんてどうでもいいわ。あなたと私の『敵』。あなたや私、『施設』の人たちを皆殺しにしようとやってきたの」
「こわい」
「そうね。でもザン、大丈夫。あなたの力だったら、きっとやっつけられるわ」
「やっつける……ころすの……?」
「そうね。結果的に、そうなることもあるかもね」
「いやだ。ころすのは、いやだ」
頭を抱えて首を振るザンに、女は呆れたように言った。
「……あなた、ここに来る前は優秀な兵士だったのよ。覚えているでしょう。カバラス峠の戦いを」
「……カバラス、峠……?」
「そう。あなたは分隊指揮官として部下を指揮して、<同盟>軍に大打撃を与えた。大勢人も殺してるはずよ。
あなたの脳障害は自我の幼児退行だけであって、記憶障害の症状は出てないんだから、思い出そうと思えば思い出せるはずよ」
ザンは瞼を閉じた。爆轟、銃声、怒号、断末魔の悲鳴、苦痛への呻き──いやだ。せんそうはいやだ。もう、せんそうはいやだ。
「……ファン、たすけてよ。ファンがいないと、僕、もうがんばれないよ……」
「また、ファン? よっぽどお気に入りらしいけど、生憎とここにはいないのよ。
……まぁ、普段からの心理傾向調査で、こういう結果になるのは最初から判っていたけど」
女は白衣のポケットから金属棒を出した。それを見てザンがびくりと身体を硬直させる。
「大丈夫よ。今日は痛いことしないから」女は微笑んで言った。
「これから、あなたの中の『殺人』への抵抗感や禁忌感を解除します」
「……え……?」
女は薄っすらと口元を歪めた。
「心配ないわ。あなたは何の躊躇いもなく『殺せる』ようになるわ。やつらは所詮、虫けらだから。
あなたは機神なのよ。神に手を出せると思い上がった人間どもに、鉄槌を下しなさい。殲滅なさい。
生き残った者たちが、恐怖と畏怖の下で機神の名を口にして、語り伝えるように。それを伝え聞いた者すら、絶望に打ちひしがれるように」
女はゆっくりと金属棒をザンに向けた。
いやだよ。ころしたくないよ。ファン、たすけて。たすけて、ファン。…………。
ザンの意識は途絶した。
その日を境に、「施設」は移転した。
ザンが再び目を覚ました時、そこは初めて見る部屋だった。
「目を覚ましたのね、ザン」女は上機嫌だった。
「あなたのおかげで、『敵』は撃退されたわ」
「僕は……ひとをころしたの……?」
「ええ、いっぱいね」にこやかに女は言ってのける。
「ちゃんと記録も撮ってあるわ。観る?」
毛布を頭に被ったままザンは大きくかぶりを振った。
「相変わらず臆病ね。まぁ、その辺はおいおい『調整』していくからいいわ。
それよりあなたにいい知らせがあるのよ」
「いい、知らせ……?」
「ええ。あなたのこの前の活躍が上層部に評価されて、実戦任務での使用が許可されたのよ。これで実績を積んでいけば、いずれは<十神>に選ばれることだって夢じゃないわ!」
「<十神>……?」
「ああ、あなたにそれを話してもしょうがないわね。
ともかく、素敵な話なのよ。あなたにとっても、私にとっても」
「だったら──」女の機嫌のいい今なら、あの頼みを訊いてくれるかもしれない。
「ファンと会わせてくれる?」
その名を口にした途端、女はいきなり不機嫌になった。
「また、その子の名前? はいはい。その内にね」
「いやだ! ちゃんと約束して!」
「聞き分けのない子は嫌いよ」
女は、不意に金属棒をザンの顔の前に出す。
反射的に硬直するザンに、女はにっこり笑って言った。
「おやすみなさい、ザン」
ザンの意識は途絶した。
女が部屋に入った時、辺りは血の海だった。
「状況は?」
「最初に殺されたのが定期調整の技師で、次に制圧のために送り込んだ警備要員がすべて──」
「バカね。<十神>候補の機神を人間如きでどうにかできるとでも思ったの?」
低い唸り声を洩らしながら、吐き捨てるように女が言う。
「でも任務終了時に『禁忌』モードに戻してあったはずよ。しかも、<組織>の人間を殺めるだなんて。コードが読み取れなかった? まさか。そんな二重三重にミスが重なるなんて、いくらなんでも……」
その時、女の携帯端末が軽やかに鳴り響いた。
「誰? 今は取り込み中よ」女は舌打ちして答えた。
『やあ、マダム。状況はこちらでも確認しています。そろそろ処刑人の出番かなと思いまして』
電子合成された男の声に、女の顔がどす黒く歪む。
「Xっ!」憤怒の表情を隠そうともせず、女は言った。
「余計なお世話よ! 私たちだけで解決できます!」
『実に頼もしい。ところで老婆心ながら、そちらの研究ブロックは封鎖させてもらいました。これで貴女方のサルがそこから逃げる可能性はなくなった。存分に力を振るっていただきたい』
「……X……あなた、まさか──!?」
『おっと、そこから先は邪推というものですよ、マダム。貴女らしくない。貴女にはもっとエレガントであって欲しい』
「黙れ。必ず貴様の尻尾を掴んでやる!」
『ご自由に。楽しみにしています』
含み笑いを洩らしながら、回線が切れた。
女は携帯端末を床に叩きつけると、背後の警備要員に向き直って訊ねた。
「奴はこの奥にいるのね?」
「はい。しかし、先に突入した警備要員も、制御コードは持参していたはずで、既に機能していない可能性が──!」
「私を誰だと思ってるの?」女は金属棒を白衣から取り出した。
「あれを開発したのは、私よ。制御システムのソースの末尾まで、全部頭の中に入ってるわ」
言い捨てると、部下の制止も聞かずに部屋の奥へと進んでゆく。
やがて、明かりを消した室内の奥で、ガタガタと膝を抱いて震えるザンを見つけた。
周囲には惨殺された警備要員たちの屍体が無造作に転がされてる。その臭気に顔を顰めかけ、ぐっとこらえる。
「ザン……ザン……。どうしたの?」
務めて優しい声で、女は声をザンに掛けた。
「……誰……?」
「お姉さんよ、忘れちゃった?」
ザンの緊張が解ける雰囲気。それをとっかかりに、さらに踏み込む。
「どうしちゃったのかな? ザン、らしくないよね?」
「……ファンにあいにいきたい……」
またか。どれだけ調整を施しても、結局、ここへ戻ってくる。ここまで調整した筐体を放棄するのはもったいないが、新しい検体で仕切り直した方がいいかもしれない。どうせ、あのXが今度の一件の責任問題を言い立てるに違いないのだ。
「ねぇ、前にお姉さんと約束したよね。お姉さんを困らせること、言わないって」
「いやだ!」ザンは大きく首を左右に振った。
「ファンにあいにいく! でないと僕はだめになっちゃう。どんどん、だめになって、こわれてゆく。もういやだ! ファンにあわせてよ!」
ザンが急に立ち上がった。
駄目だわ。興奮している。これはいったん、機能停止させて──白衣のポケットの中で金属棒に触れた女は、機能停止ボタンを強く押し込んだ。
反応なし。ザンはそのまま歩いて部屋を出て行こうとする。
女の顔色は蒼白になった。
制御コードが効かない!? 馬鹿な! 自分が持っているのは、警備要員なんかに持たせたのと違う、最上級管理者権限の制御コードのはず。
受信ユニットが故障? いいえ、正副予備の三系統が同時にダウンだなんて有りえない。
制御コードを誰かが書き換えた? もっと、ありえない。私のシステムに入りこめる者など、研究所にはいない。
研究所以外では? 組織の最上級機関<十神>の「神々」ならば、それぞれ最高レベルのアクセス権限を──X!? あの女!?
怒りが抑えきれなくなる。あの女は、一体何の権利があって、こんな真似を──処刑人。本当の標的は、まさか……。
今度は恐怖が女の全身を襲う。
自分を狙ってるのか? 狙われてるのは自分なのか? <組織>は自分を不要と判断したのか?
駄目だ。駄目だ。駄目だ。……。
いや、落ち着け。落ち着くのよ。
まだそうと決まったわけじゃない。公式の処分なら正式な通知が先に下るはず。それもなしでこんな謀略を仕掛けてきたのなら、公式に処分する理由がない、ということだ。ならば、この事件を自力で解決すれば、まだ生き延びるチャンスはあるはず。そこに賭けるしかない。
どちらにせよ、このままザンを外に出すわけにはいかない。
足下に警備要員が所持していた自動拳銃が転がっていた。
それを手に取り、ザンの背中に向ける。
「止まりなさい、ザン! 止まらなければ、撃──」
そこまで言いかけ、不意に違和感。何か取り返しのつかないミスを犯してしまったような焦燥。……。
ザンがゆっくりとこちらを振り向く。
「……ぶき……にんげん……せんめつ……」
「あ、待ちなさい。違うの。これはそうじゃないのよ!」
慌てて銃を捨てる。だが、既に何もかも遅かったことに気付いた。
殲滅戦モードが起動している。武器を持つ人間は、すべて殺戮対象とするモード。例外は、保護コード対象者のみ。<組織>の人間。勿論、自分は最優先保護対象者として指定してある。それ以外の例外はない。例外はない。
だが、その保護コードが書き換えられていたら? 警護要員も保護対象者だったはずだ。なのに殺された。ならば、自分も……?
「やめて、ザン。あたしよ、忘れちゃったの? ねえ、ザン。お願い!」
白衣のポケットを探る。金属棒。効かないと判っているそれを、ザンの前に突き付け、機能停止ボタンを強く押し込む。何度でも。何度でも。
「いやよ。何で効かないのよ、このポンコツ!」女は金属棒を床に打ち捨てた。
「そう。会わせてあげるわ、ファンに。会いたかったんでしょう、ずっと。ねぇ、だから、やだ。殺さないで。死にたくない。死にたくない。死にたくないの。いやよう、こんな死に方、あたしもっと──」
ザンはショートソードを振り下ろした。
「施設」を抜け出したザンは、自分がどこにいるのかも知らなかった。
だが、何かに導かれるように、東へ、東へ、と向かった。砂漠を越え。山脈を越える。
ひとりで歩き続けた。寂しかった。だが、ファンに会えると思うと、胸が高鳴った。勇気が出て、もっと頑張って歩こうという気になった。一歩づつ、一歩づつ。この道はきっとファンのいる場所に続いているんだ。
やがて大きな街に出喰わした──ドゥックルン。人がいっぱいいた。建物が込み合って、空が狭かった。ごみごみしたこの街を、ザンは好きにはなれなかった。
だけど、この街なら、ファンのことを知っている人がいるかもしれない。
道行く人に訊ねてみる。せかせかと歩くこの街の人はあまりザンの相手をしてくれない。面と向かって断られると、とても胸が苦しくなる。
それでも勇気を出して訊いて廻る内に、ファンの勤め先を見つけることができた。
職場のファンは、常に目つきの鋭い強面の男たちに囲まれていた。何度か声をかけようとしたが、怯くて遂に声を掛けそびれた。
そんなことを何日か繰り返して、その日もとぼとぼと寝床にしている公園に戻ろうとしたら、道路を走り去る車列の中にファンの姿を見かけた。嬉しくなって追いかけたら、街の中心街にある背の高いホテルに入っていった。
どうしようかとしばらく迷ったが、意を決してホテルに足を踏み込んだ。
「失礼ですが、お客様。何か御用でしょうか?」
警備要員らしき強面の男が訊ねる。ザンは困惑して男の姿を見る。左脇が不自然に膨らんでいる。拳銃で武装──殺戮戦モード起動。
ザンはショートソードを抜き放つと、男の胸を予備動作抜きで貫いた。次いでフロア内を検索。武装した人間が一一名──殲滅戦を開始。…………。
すべては自動的に行われ、終了した。
弾薬庫の爆発後、ザンの身に何が起こったのか──
エピローグ編その2です。
で、女科学者のエピソードがいきなり入ってきてますけど、本編の特にこれ以上フォローすることなく今回は終わりです。まぁ、他のエピソードの中でいずれ言及されるかもしれませんが。
こんな感じで、多様な人々のそれぞれの「物語」が、ちょっとづつオーバラップしていずれ「大きな物語」が浮かび上がるような構成で、このシリーズは書いていければなと思っています。
次回はエピローグ編その3&4。ラスト2話一挙掲載で連載終了となります。
更新は来週11月27日(日)の予定です。
では、また。