9
「まぁ、こちらから訊いておいて何だが……」
ファンの口からここまでの経緯を聞いたグエンは、困惑して言った。
「コメントに困るな」
「そんなものはいらん」
そっけなくファンが返す。
「そっちはどうなんだ? 前にも訊いたが、あんたのキャリアだって、こんな辺境でくすぶってる玉じゃなかろう」
「俺のはもっと単純な話さ」
元々、パイロットに憧れて空軍に入ったグエンだったが、入隊時に適性検査に落ちて整備士コースに廻された。それに不満はないではなかったが、別に機械いじりが嫌いな質でもなかったので、ひとまずはその人生を受け入れた。
こうして整備兵として軍人生活をスタートしたグエンだったが、戦争が激化する中、新設のパイロット養成コースに転属を申し出た。ジャイロ機導入による大規模な部隊設立に伴い、既存のパイロット養成コースとは別に、ジャイロ機用のパイロット養成コースが設立されたのだ。要するに既存の航空部隊が自前のパイロットや候補生を廻すのを嫌がった、ということのようだが、グエンにとっては渡りに船だった。こんなチャンスでもなければ、整備兵上がりでパイロットになれる可能性はまずない。
さっそく申し込み、ほとんどノーパスで合格した。
その結果が西部辺境領北部山岳地帯でのあの過酷な任務の日々だったわけだが、それも終戦で終わりを告げた。
さすがに軍務には懲りたグエンは、引き留める上司に除隊届を叩きつけて中原南部の実家に戻った。
実家では操縦とも機械整備とも無縁の仕事を転々とした。保険の営業から、工場の組立工まで。どれも不思議と長続きしなかった。どこも数ヶ月で転職する羽目になる。それでも終戦直後の混乱期を過ぎると、中原全体の景気が上向いてきており、転職先には困らなかった。
その内、見かねた身内の紹介で、地元の役場に勤めることになった。ここは少し長く続いた。やがて職場の女性職員と好い仲になり、ほどなく双方の両親に挨拶に行く間柄になった。
職場にも結婚の報告をし、仲間たちから暖かく祝福された。
結婚式の前日には、酒宴を催してくれ、皆の前でぎこちない挨拶をした。
何もかもうまくいっている。これからは、こういう他愛のない人生を生きて、他愛もなく老いて、他愛もなく死んでゆくのだ。妻を大切にし、やがて生まれる子供たちを大切にし、子煩悩なパパだと周囲から呆れられる毎日。…………。
それを実現することもできずに死んだ戦友たちからすれば、贅沢にもほどがある人生だ。
何の不満があろうか。
だが、パーティーの席を抜けて、トイレの鏡に映る真っ青な表情の自分の顔を見たグエンは、その瞬間、自分の本心はこの状況を何ひとつ受け入れていないことに気付き、愕然とした。
駄目だ。これは「俺」じゃない。俺がいるべき「場所」じゃない。
周囲の祝福も、幸せな結婚生活も、穏やかな日常も、何ひとつ、自分が望んじゃいないことに気付かされたのだ。
その夜、別れの挨拶もせずにそのまま街を出た。自宅にすら立ち寄らず、長距離バスに飛び乗っていた。
家族や、職場の仲間や、特に明日結婚式を執り行うことになっていた婚約者がどれほど困惑するかを考えてみたが、もう既にどこか遠くの他人の出来事のようで、さほど感情移入できず、その内に考えるのをやめた。
ただ、ただ、そこから逃げなくてはという衝動だけが、グエンを衝き動かしていた。
それも「どこへ」と行先に当てがあったわけではない。
飛び乗った長距離バスが西へと向かっていたのは偶然だ。たまたま職場の仲間達からの結婚祝いで膨らんでいた財布をはたいたら、ちょうどドゥックルンまでで尽きたことに至っては冗談に近かった。
ドゥックルンに着いたグエンは、最底辺の日雇い仕事で糊口をしのぎながら、パイロットの仕事を探した。空を飛べる仕事なら、何でもよかった。そうやってやっと見つけたのが、今の仕事だったのだ。
「……それもまぁ、あんたらのおかげでパーだ」
「そいつは、悪かったな」
「いや、いい──いや、良くはないけどな、やっぱり」
うまく言いたいことがまとまらない。グエンは後頭部を掻きながら、言葉を探した。
「ただ、あんたの話を聞いて、自分のことも振り返ってみたとき、結局、人生ってのは、どこかで帳尻を合わさなきゃならんもんだなって、そんな気がしてきた」
「よく判らんな。何が言いたい?」
「知っての通り、俺は戦争中、あんたら空中機動歩兵を前線の向こうに送り届けて、現地で放り出しては逃げ帰るって任務に就いていた。酷い話だ。でもそれは元々、そこまでの任務と規定されていたし、それ以上の責任を負う理由はない。勿論、そこまでだって充分に危険な任務だしな。他人様からとやかく言われる筋合いはない。
だが、やっぱり酷い話は酷い話だ。
だから、ひとりの人間として、いや、いちパイロットとして、自分が運んだ乗客達がそれからどんな人生を歩んだのかを気にしたって、罰は当たらなかったと思うんだ。自分が関わったその『酷い話』が、せめて本当はどこからどこまで『酷い話』だったのかくらい、知っておく必要があったと思うんだ。
だけど、俺は考えないようにしてた。俺たちの仕事は、あんたらを運ぶところまでだからってな。だけど、そうやって考えないようにして、忘れていたって、こうしていつか向き合わなきゃならん羽目になる。少々経緯は理不尽な気がするが、まるごとこれも人生と考えてみれば筋が通っているようにも見える。
結局、こうやって、人生ってのはどこかで帳尻を合わさせられるんだなって、そんな話さ。
どうせどこかで向き合わなきゃならん話なら、ここできちんと向き合って、帳尻を揃えるのも悪くないか、という気になってきてる」
「そうか」ファンは小さく苦笑して言った。
「判ったようで判らん理屈だな」
「言うなよ。俺もうまく説明できた気はしていない」
「……だが、俺の帳簿は全然帳尻なんか合っちゃいない」
「だから、ここに来たのか?」
「かもな」
グエンは問うた。
「見つかりそうか、その帳尻のつけ方は?」
「判らん」ファンは言った。
「だから、ぶつかってみるのさ。そうすれば、何かが見えてくるかもしれない。どっちにしろ、このままじゃ終われない」
誰にともなく告げるファンに、グエンは「そうか」とだけ告げた。
そしてそのまま、暮れゆく峠の深い影の中で、ふたりはひっそりとその時を待ち続けた。
グエンの過去話。
ファンの濃い過去話の後だと、本当に大した話じゃない気がしてきますな。
これだけだと短いので、今週はもう1章、続けて更新します。