8話 お茶会
お茶会。それは、甘いお菓子に紅茶の香りに包まれた女の園。
真珠色のテーブルクロスに蒼白のティーセットが彩よく映える。モスリンたっぷりのピンクのドレスに、ふんわりプリーツのスカートが春風にそよぐ。可愛らしい女の子たちの唇は花の蕾のように瑞々しく色づき、華やかなおしゃべりは小鳥のさえずりのよう。蝶よ花よと微笑む淑女たちは、羽の装飾が付いた扇から澄んだ瞳が恥ずかしげに見つめて頬を染める。
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そんなものは幻想の生き物だと悟った。
吐く息でさえ氷雪の欠片がこぼれるくらいの冷気が身を凍らせた。震える喉を掴まれたような息苦しさが思考を鈍らせる。
『温厚な人物ほど、怒らせると怖い。』
魔王は今まさにこの言葉を体感していた。
正面には、威風堂々と佇む暗黒騎士が両腕を組んでいる。
魔王は落ち着きなく視線が泳ぎ、脈打つ鼓動が余計に冷静さを失わせた。膝にのせた拳をそわそわと握り直す。温暖な薔薇園にいるはずなのに絶冬の雪原と錯覚しそうだった。
「つまり、こういう理由ですか。」
黒い全身鎧は魔王を見据えた。身長差も相まって迫力が凄い。さながら取り調べ室の容疑者と敏腕刑事の構図に似ている。ひと睨みされただけで、あることないこと白状してしまいたくなる。見えない重圧に押し潰されて魔王の精神力とHPが擦り減らされていくのを感じていた。
「勇者が魔王を倒しに魔界へ進軍している噂を耳にして怖くなり、強力な魔物を召喚しようとしたが、誤って人間の赤子を喚んでしまった。帰す方法も分からないまま現状に至る。ここまでは合っていますか?」
「・・・・・・はい。」
萎縮して背中が丸くなる。鎧姿なだけに表情が見えないが声音の高低差や雰囲気や身振りから感情を読むことはできる。身長差も相まって見えない威圧感がひしひしと伝わり、魔王は泣きそうだった。
楽しいお茶会がいつのまにか反省会へと変貌した。魔王は周囲に助けを求めようと目配せしたが、当の家臣たちは優雅にお茶を飲んでいた。
手に持つのはティーカップではなく、渋い色合いの茶碗。薫りたかい、抹茶をすすりお茶菓子を優雅にいただいていた。真っ赤な緋毛氈の敷き物に深紅の日傘の野立てスタイルは白薔薇園に囲まれてより一層『紅』と『白』のコントラストが美しく映える。
魔王を含めた一同は一列に正座でお茶を頂いていた。深紅の日傘のもとでシャカシャカと茶筅を回すのは深雪の燕尾服を纏うヴォルゲーツィオだ。
「どうぞ。こちら新茶の玉露です。」
「ヴォルの淹れたお茶は美味しいね~。」
ほっこりと一息をつくリンネはおかわりを頼んだ。
「リンネ様、こちらのお茶菓子はいかがでしょうか?」
すかさず、シフォンが苺ショートケーキをリンネの前に置いた。
「あ、バニラも欲しい!」
「もう3個めでしょう。食い意地が張るのはこの子と同じね。」
「けーき!!」
メイドの膝に乗った赤子が大きな口を開けておねだりをする。
「はい、どうぞ。」
「わぁい。」
「あー!いいなぁバニラも食べる!!」
なんて、きゃぴきゃぴとしたスイーツな空気が漂う。
ここは魔王城だよな?
気分が沈む魔王と対照にエスメラルダは凪いだ空のように悠然と佇んでいる。隙のない動作のなかに一瞬だけ目に止まった。
「・・・薔薇が綺麗に咲いていますね。」
ぽつりと呟いた。懐かしそうに庭を眺める。
「自分が陛下と初めて出会ったもこの薔薇園でした。」
「あ、あぁ、そうだな。」
話の流れが変わったことに魔王は安堵の息を吐く。
「当時は庭より廃園のような有様で、まさかあの場所で陛下に御会いするとは思いませんでした。」
エスメラルダは思いだして肩を震わせた。
「あの時、陛下は叫んで気絶しましたのでどうしようか悩んでいたところに主治医が現れて助かりました。」
強烈な叫び声でしたので記憶に残っています、と言われ魔王は地面という穴に埋まりたい衝動に駆られた。
彼女にとって、わたしはどのように思われているのかが窺い知れる内容だ。
だが、あの状況ではまともな思考判断ができない程、精神的に追い込まれていた。消耗する神経をすり減らして警戒していたところに突如繁みから姿を見せたのは・・・腐臭が漂い顔面が崩れたゾンビだった。
アレは誰が見ても驚くだろうが、ヴォルゲーツィオとリンネはゾンビを見ても全く動じていなかった。まぁ、アンデットも魔族で魔界にいるのだから当たり前かもしれないが・・・。
それでも気絶する前に見た翠緑色の瞳が忘れられなかった。見たことがないくらいに澄んでいて綺麗だった。
だから惹かれた。
魔族は闇の深淵から生まれる。昏く濁った欲望を爛々と眼に宿した悪魔の化身。表面上は巧妙に隠しても、本性を垣間見えるときに発現する。一度、魔性の瞳に魅入られた者は闇に溺れて光を失う。
なのにエスメラルダは違った。力強い意志を秘めた瞳は光が其処にあった。
エスメラルダの穏やかな声も好きだ。彼女の瞳を見ると精神が安らぐ。その瞳を無機質な鎧で顔を隠してしまったのがとても残念だった。
(魔族らしくないから好むなど、魔王が言うことではないな。)
「エスメラルダはこの庭が好きか?」
「はい、緑があって花があって・・・人間の国とよく似ている。」
「この庭でエスメラルダと会ったとき、『花も樹もないとは寂しい。』と言っていたからこの庭を花でいっぱいにしようと決めていたんだ。ちょうど、錬金術士がゴーレムを大量に錬成してしまったから、樹の遺伝子を合成したウッドゴーレムを庭師にした。」
植物と通じ合えるウッドゴーレムは植物園の庭師兼番人として機能している。
「陛下・・・ありがとうございます。とても嬉しいです。」
感謝の誉れを受けて照れ笑いをする魔王。
「そうか、わたしもエスメラルダが喜んでくれると嬉しい。」
緊張感が抜けた和やかな雰囲気に戻る。冬溶けした春の麗らかさに芽吹いた草木に触れた。廃園であれど手入れをすれば蘇る樹木に草花の生命力は驚きと好奇心を刺激する。きっかけはエスメラルダの呟いた言葉だった。出会いは庭園。出会ったときから刻み込まれた翠緑色の瞳を想い、魔王はこの庭園に薔薇を植えた。誰からも愛される花である薔薇は棘があり、悪戦苦闘をしたが、蕾が開花したときは感動したものだ。
記憶を振り返る魔王にエスメラルダは疑問の声をあげた。
「ところで錬金術士は初めて聞きますが、どんな方なのですか?」
エスメラルダは魔王が選定された後で臣下になったのでこの中では新参者だ。ゆえに魔王の臣下たちの素性を把握しきれていない。魔王は一か月で覚えた臣下たちの情報を引き出した。
「わたしも会ったことはないが、先代魔王の知り合いのようだ。放浪癖があるから始終魔王城にはいない。戴冠式までには戻るだろう。」
膝に温かい感触がした魔王は猫耳フードと目が合った。
「まおー、おかしくう?」
よじよじと魔王の膝にあがる赤子はぴたっと抱き着いた。手には小さな飴を握りしめている。
「その子が召喚された人間の子ども・・・ですか。随分と落ち着いていますね。泣いたりしませんでしたか?」
「わたしが召喚したときから大人しかったぞ。ここの環境にも慣れるのも早い。魔王城の番犬であるケルベロス(子犬)と遊んだり、のびのびと成長している。最初は話せられなかったが言葉を覚えてきている。この子は将来は大物になるな。」
「えっ!あのケルベロスですか?」
「あぁ、魔獣の出産ラッシュの時期に生まれてな。良き遊び相手となってくれている。」
エスメラルダの視線の先には赤子がケルベロス(小)と戯れていた。今では赤子の背を抜き、逞しく凶悪に成長を遂げた。血の色の眼に剥き出しの牙は岩を砕き、俊足の脚力は魔王城の広大な敷地を瞬時にめぐる。そんな強力な魔物だが、幼少期の主従関係は記憶に残っているのか、赤子には服従の姿勢を貫いている。赤子を背に乗せて庭を散策しているようだ。
オマエ、魔王の忠実なる僕だったよな?
あまりの寝返りの早さに魔王はちょっぴり悲しくなった。
エスメラルダは、赤子とケルベロスが戯れる光景を無言で見ていた。
魔王は赤子を抱いて正面を向かせる。
「紹介するよ。黒い鎧を着ているのが、凄腕の剣士でわたしの友人であるエスメラルダ。」
魔王の声にエスメラルダは気持ちを切り替えた。
「エしゅメナーダ?」上手く発音できていない赤ん坊を微笑ましく見守る。
「呼びにくければ、エメでかまわない。」
「エメ?」
「そうだ。エスメラルダは綺麗好きでな。常に消臭剤を持ち歩いていて臭いに敏感な清潔好きのゾンビなんだ。」
「陛下、自分は神経系統も腐敗して、視覚はかろうじて残っていますが嗅覚は感知できない状態です。」
「そ、そうなのか?すまない」
「いえ、ところで陛下、この子の名前は何というのですか?」
「・・・なまえ?」
途端に魔王が油の切れた機械のようにぎこちない動きになった。喉に空気を詰まらせたように言葉を濁す。エスメラルダはある可能性に気付いた。
「えぇと・・・もしかして、名前知らないのですか?」
「いや、皆が赤子と呼んでいたから、全く考えもつかなかった。」
がっくりと肩を落とす魔王は赤子に尋ねた。
「お前、名前はあるのか?」
見事に首ななめ45度でかしげて魔王を見上げる。うっ、このプニプニと柔らかいバラ色の頬を無性につつきたくなる衝動をかろうじて抑えこむ。潤んだに魔王の姿が映りこむくらい距離は近い。やがてふるふると赤子は首を振った。
「名前がないと、後々困りますね。仮に人間のところへ帰して成長したときも【赤子】と呼ぶのは変ですし・・・。」
まぐまぐとお菓子を頬張る赤子を挟んで真剣な面持ちで悩む二人に高いソプラノボイスが乱入した。
「じゃぁ、名前決めちゃう?」
先ほどまで向こうのお茶会にいたリンネが二人に間に入る。天使の艶リングが金糸の髪にきらめき、陽光のヴェールに包まれる様は天上の楽園へ導く天使のようだ。口元にはお菓子の屑がついている。
「どうやって決めるんだ?」
「こうやってだよ。」パチっと指を鳴らすと、リンネの指先から魔法が発動した。魔力の糸を練るようにくるくると回転し、手にはマイクが握られていた。
『ぱんぱかぱーんっっ!!!』
空中に流転する文字が浮かびあがる。赤薔薇の花弁が舞い踊り、派手なファンファーレが鳴り響いた。魔王たちの前で深紅のレッドカーペットが素早く華麗に敷かれて、椅子とテーブルが用意される。色とりどりに綴られた字幕に魔王は呆気にとられた。
「では、これより名付け親決定戦を始めまーすっ!!」
宝箱を見つけてはしゃぐ子どもみたいに不敵に素敵な笑顔でリンネの瞳はキラキラと光り輝いていた。