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7話 エスメラルダ

凍土に降り積もる黒灰の雪が魔界の景色を埋めていく。


闇が喧噪を呑み込んだみたいに、辺りは静寂に包まれていた。


寂れた庭の隅にうずくまる小さな塊がいた。薄汚れた銀色の髪が赤くなった頬を隠す。

指が冷えて震えるのを吐息で温めながら、小さな体をさらに縮ませた。弱弱しく震える紫の瞳は怯えの色を宿し、物音がすればビクっと体が撥ねる。風の音や、枝葉が擦れるわずかな音にも過敏に反応する様子は捕食者から逃げる小動物に酷似する。


隠れこんでから、どのくらい時が過ぎたのだろう。

お城は広すぎてこの庭に辿り着くまで何度も迷子になった。足は疲れてとても眠い。だけど、誰かが近づいてきたら、すぐに逃げられるように瞼を強くこすった。



内戦が終結して、魔界の覇者となった魔王が即位する。

それはとても嬉しいことだ。

だからといって、どうして式典が行われる魔王城に連れてこられたのかが分からない。



魔族たちが放つ濃密な闇の魔力に押し潰されそうになり、怖くて足が震えた。


あの空気に耐えきれなくなって、逃げ出した。後ろを振り向かずに逃げて逃げて振り切って、気が付いたら此処にいた。




隠れ潜んだ庭は、元は薔薇園のようだ。踏み荒らされて枯れ果てている。戦争の終焉を祝うはずだった花々は力なく頭を垂れ、瑞々しさを失っている蕾はもう萎れて花弁が散ってしまった。



この場所にいると世界から切り離された一枚の絵に紛れ込んだような錯覚を覚える。


湖面の水に溶け込む静謐な空気に包まれて、ようやく安堵のため息をついた。




その時だった。かすかに向こうから足音を拾う。

大地を踏みしめて歩みを進める足音に神経を集中させた。どうしよう、もう居場所がばれたかと冷や汗をかいた。今飛び出しても見つかるし、すぐ捕まってしまう。わたわたと狼狽する間にも足音は近づいてくる。そして、目の前の繁みでピタっと音が止んだ。


これ以上ないくらい背を丸くかがめて息を止める。長い時間が過ぎたように感じられた。心臓がどくどくと脈打つ鼓動がわかるくらいに動揺している。

ふと、目の前が暗い影に覆われた。



「どうしましたか?」

降ってきたのは柔らかくて温かい、女の声。


驚いて顔を見上げる。


繁みから現れた彼女を見て、こぼれるくらいに大きな目を二・三度見開き、ようやく事態を飲み込んだ次の瞬間、


「ぎぃぃぃいいいいやややややややっっ――――――――――――――――!!!!!」


魔王城に甲高い悲鳴が響いた。


これがエスメラルダと出会った最初の記憶だった。



********************




魔王城の薔薇園は人間の世界から培養した希少な品種でこの季節には美しく咲き誇る。


広々とした温室に入ると薔薇の香りが鼻孔をかすめた。蔓バラで作ったアーチには、ウッドゴーレム手作りの看板の『魔王様の秘密の園(薔薇園より愛を込めて)』が掲げられていた。


「いつの間にこんな看板を付けたんだ・・・。」


しかも秘密の園って使い方を間違っている気がする。


「魔王さま専用の場所ってことでしょ。秘密ってわくわくする響きだよね。ぼくは好きだな。」


リンネがひょいっと看板をくぐる。


「リンネは秘密が好きなのか?」

「うん。だって秘密とか神秘とかって無理やりこじ開けて切り刻みたくなるんだもん。」


小悪魔の眼には好奇心を満たしたい欲望が妖しく光る。


「魔王は秘密を知りたいと思わない?」唐突な質問に戸惑いながらも律儀に答えた。


「思わないな。秘密なんて碌なものでもない。」

かつてのヴォルゲーツィオの秘密・・・というか知らなかった一面を見てしまった今では、どうでもいい話だ。むしろ知らない方がマシだったこともある。


「嘘だね。」

ばっさりと切り捨てられた。ズバっと爽快に断言されて眉間に皺が寄る。


「魔王さまは秘密を知りたがっている。ずっとずっと昏い深淵の無意識のなかで。」


「・・・何の秘密だ。」


「あのね、深い深い闇の奥底に厳重に閉じられた禁断の箱を開けて秘密を根こそぎ奪い取って捌いて暴いた時はすごい気持ちがいいんだよ。それがぼくの生まれた“闇”。ぼくら魔族の快感は闇につながる。」


リンネが魔王の紫瞳を覗き込む。いつもと同じ仕草なのに、魔族の本性が滲み出る『狂悦の堕天使』はアクアマリンの眼を細めて絡めた手に唇を寄せた。


「魔王は、自分が生まれる前の記憶を継承してる?」


白魚の細い指にキスを落とす。


「わたし、が生まれる、前・・・。」


リンネが見上げる目線を逸らすこともできず、魔王は困惑した。いつものリンネと違う。悪魔なのに明るくて、好奇心が旺盛でよく実験に巻き込む無邪気な少年と雰囲気が異なる。闇の眷属が醸し出す甘い毒が臓腑ぞうふを、脳髄のうずいを溶かして浸みこんで掻き乱す。


口内に溜まった唾を飲み込んでかすれた声が出る。。


「・・・リンネにはあるのか?」

「ぼくは【鬼】でヴォルは【蛇】の記憶を一族で共有している。魔族は死ぬと闇へ還って、再び闇から生まれる。その時に記憶を受け継ぐんだ。」




【生前、記憶、継承】



どの言葉にも心当たりがない。だが、呪いのように魔王の意識を縛り付けて離さない。わたしは、なにか大切なものを無くしたのか?わからない。でも、リンネが一瞬だけ崩した哀しみを秘めた笑みが小さな棘となって魔王に突き刺さる。


沈黙が下りる温室に元気な声が空気をぶち壊した。





「まお―!!お腹すいた―――――!」



すっかり会話に置いてけぼりにされた赤子がじたばたと暴れた。


冷水を浴びたように意識はっきりする。ぼやけた視界は鮮明に色を取り戻す。魔王は固く強張った五指をゆっくりと伸ばした。


「あぁ、すまないな。・・・もうすぐお菓子が食べられるぞ。」


屈んだ魔王へ紅葉の手が銀の頭をぽんぽん叩いた。


「まおーあっぷるパイある?ぷりんにクッキーたべたい!!」


「たくさん食べるといい。だが、食べ過ぎはダメだぞ。お腹を壊すし、虫歯にもなる。」


そう育児書にも書いてあったと豪語する。

魔王の言葉にルンルン気分だった赤子はしかめっ面になった。薔薇園の奥を睨んで魔王の裾を握る。


「・・・まおー、あいついる。」




薔薇のアーチの向こう側から、カチャっと金属の蓋が閉じられた音がした。


銀時計の蓋を閉じた蛇執事が姿を現す。

「25分と38秒の遅刻です。転送装置で来ましたのにずいぶん遅めのご到着ですね。」


幾重もの薔薇のアーチを抜けた先には、燕尾服のアイツがいた。


立っているだけなのに、優雅な物腰に眉一つ動じない完全無欠の蛇執事を見て、魔王はゴブリンで味わった屈辱と羞恥と強烈な殺意を胸に走り出す。


沸々と燃え上がる怒りにまかせて胸倉を乱暴に掴んだ。大きく息を吸い、腹部に力を込めて、ありったけの思いをぶつける。


「ゴブリンに変な合言葉を吹き込んだお前のせいだろうがぁぁぁぁっっ!!!!」


前後に揺さぶろうと力を込めるが、長身な彼では持ち上げることは叶わない。魔王の頭1.5倍くらい高いヴォルゲーツィオに見下ろされて逆に威圧されているようだ。


身長の伸縮ができる魔法が使えたら今すぐにコイツを2等身のチビにかえてやるのにっ!!。魔王は心の中で舌打ちした。



「魔王様にしかわからないキーワードと説明を受けた時、咄嗟に浮かびました。それがどうしましたか?」

いかにも不思議ですといった態度に魔王は堪忍袋の緒がブチッと切れかかる。


「魔王様も大胆な下着をご所望でしたら、いつでもご用意させていただきます。」

「いるかぁぁぁあああああああああああ!!!!!!!!!」

「ですが、双子の侍女が差し出したらお使いになられているでしょう?」


不敵に口元と眼が歪む様子に魔王は思わず胸倉を手放す。「まさか・・・。」と血の気が引く。


「黙秘です。」


ひとさし指を唇に当てる執事。そんな仕草さえ色香が滲み出る。切れ長の流し目にほんのわずかにあげられた口元は悪巧みを企む悪組織のボスみたいだ。


苛立つが面と向かって悪口が言えない小心者の魔王は地団太を踏んだ。

心の中でこっそりと(ヴォルゲーツィオのバーカ、バーカ。)と密かに罵る。


「ちなみに魔王さま。」

「うぉわっ!」

急接近で魔王の背後から白銀の髪が魔王の頭に降りかかる。

魔王の耳朶に触れるくらいの近さでヴォルゲーツィオは吐息まじりに囁いた。

「黒のレースがよくお似合いで。」

「っつつつつ―――!!」



瞬時に真っ赤になる魔王。気を抜けば腰砕けになる低声ボイスに危険信号がフル活動で鳴る。

蛇に睨まれた蛙状態で体が硬直して動けない。苦し紛れに話題を逸らす作戦にでた。


「・・・お前、最近変だぞ。以前はこんなにおしゃべりじゃなかったハズだ。」


そうだった。召喚魔法に失敗した前は無口の鉄壁仮面でこんな風に気軽に話せる相手ではなかった。


突然のカミングアウトで理想像が爆裂して粉々に吹き飛んだ今では、高嶺の花からペンペン草のレベルまでに尊敬度は下がった。


「それに、ヴォルゲーツィオが冗談好きなのは解っている!もうお前の言動に惑わされないぞ!」


ビシっと犯人を指さす探偵のように得意げに言い切った魔王。


「そうでしたか、あんなに純粋で騙しやすいカモ・・・いえ、とても素直でしたのに。」

「・・・わたしはお前が苦手だ。すっごく苦手だ。」

魔王は踵を返してヴォルゲーツィオから離れた。一刻も彼女に会いたい想いで足を速める。すれ違う瞬間、眷属の蛇が魔王へ囁く。



『先ほどのお言葉ですが、話そうとしてこなかったのは魔王様の方でしたよ。』



魔王が振り返ると蛇執事の姿はどこにもなく、遠くの方でリンネと赤子が魔王を呼ぶ声が聞こえた。魔王はお茶会へ足を進めた。



「あ――――!!魔王さまだ!。」



「シフォン!バニラ!!!」

茶会の準備をしていたメイドたちがこちらに近づいてきた。


双子の姉妹は、よく似た容貌だ。黒いドレスに白い前掛けを後ろでリボンに結び、頭のカチューシャは赤いリボンがワンポイントにつけられている。お揃いのチョコレート色の瞳にピンク色の髪を丁寧に纏めている。姉のシフォンは後ろに御団子にし、妹のバニラは両耳の上に二つのシニョンに仕上げている。


尖った小さな耳に背中からは小ぶりの皮膜翼が生えていた。



「本日はお日柄も良いですね。」


しっかり者のシフォンがお辞儀をする。バニラの視線が、魔王が抱っこしている赤子に向いた。赤子は恐怖の大王と遭遇したかのようにぶるぶると震えて魔王にしがみ付く。

「魔王様、今度はワンピース新作が出来たんですよ!!春をイメージして、黄色の布地に真っ白なリボンと花模様のボタンを重ねてみました!!」と鼻息荒く魔王に詰め寄る。

「そうか、また後で頼む。」

「はい、魔王様のお揃いもあるんでぜひ来てみてください!!」

魔王は赤子を慎重に茶会の椅子に座らせる。


双子は濃緑の衣装に身を包む魔王に感嘆の息をもらす。


「魔王様は色が白いですので何をお召し上がりになっても、よくお似合いです。」

「そのことなんだが、今度からは男物の服を用意して欲しい。」

そう魔王が言うが、とんでもない、と二人に詰めよられた。

「最近、女性の体でお過ごしになられていますので、今のままでよろしいかと思います。緑色の衣装も大変お似合いです。」

「はいっ!とっても綺麗です。若葉が薫る森の妖精の女王みたい。」


「・・・わたしは魔王なのだがな。」


魔王は呆れながらも口元はかすかに緩んでいる。

表裏のない素直な双子は主従より友人に近い関係だ。この距離は魔王にとって心地よい。


「あぁ、ところで、エスメラルダはどこに?」

「あちらに居られます。」と手の導く方へ目を向ける。


繁みの陰になる場所で、ヴォルゲーツィオと鎧姿の長身が立っているのが見える。瞬間移動で楽々と魔法を扱う蛇に少し嫉妬する。エスメラルダが近寄ってきたので慌てて服をはらう。彼女の好きな新緑に合わせた衣服に汚れがないか確認する。


急いで魔力を意識して体を変化させた。女性特有の滑らかなラインが真っ直ぐになっていく。体内をめぐる魔力で凹凸の少ない中性的な雰囲気を漂わせる。

すかさずメイドたちがフォローへ回った。


「魔王様、御髪が乱れておりますので失礼させていただきます。」


傍目には風がワルツを踊っているように見えただろう。

無造作に纏めた髪は双子のメイドが目に見えない素早さで結われ、モスグリーンのリボンが付けられる。

グッジョブ!!!

魔王は双子に感謝した。



「お久しぶりです。魔王陛下。」


魔王に気付き、颯爽と土を踏みしめる。腰には大振りの剣を下げ、漆黒の鎧で上から下まで完全武装した剣士が陽光に照らされた。

声がするのは女性特有の高めの、けれど少し低めなハスキーボイス。


「エスメラルダ。」


綻んだ笑顔全開の魔王は彼女に向かって思い切り抱きしめる。ガツンと金属にぶつかる痛みを我慢する魔王。はっきりいうと痛いし、ごつごつするし、人肌の温もりのない冷たい無機質な触感しかないが、かまうものか。愛は障害を越える。

全身が鎧姿のエスメラルダは抱き着いた魔王の頭を撫でる。魔王より、ひとつ頭分身長差のあるエスメラルダは苦笑した。


「魔王陛下、臭いが移ってしまうので離れてください。」

「臭い消しはつけているから大丈夫だ。」


「・・・自分は“ゾンビ”なのですから。腐臭が元から消えるわけではありません。」

心配してくれている気配に魔王は嬉しくなる。 

初めて出会ったのは荒れた薔薇園で、エスメラルダを見た瞬間に悲鳴を上げてしまった前科があるので今回は慎重に事を進めた。


ちらりとエスメラルダを覗く。


昔と違うのは黒く塗り固められた頑丈な鎧が姿を隠してる。それでも優しい声は変わらない。風変わりなゾンビだが、魔王はエスメラルダが好きだった。


癒しが湧き出る泉みたいに乾いた心が潤っていく。エスメラルダは魔王にとって『最後の良心』で『最強の武人』で、誰隔てなく接する彼女に魔王は尊敬する魔族だ。


魔族にもこんな良い人?がいたんだと希望を見出した気持ちになった。


ぜひ仲良くなりたい。しかし、初対面のとき思いっきり悲鳴をあげてしまった前科があるので彼女から見た第一印象は悪いはずだ。

その秘策を考案した魔王は懐から小型の本を取り出した。


「聖騎士ロランと王女ミステアの恋物語」


人間の劇場で大人気のロマンス小説。

聖騎士のロランが王女ミステアが劇的な出会いを果たし数々の困難を乗り越えてハッピーエンドになる王道物の娯楽小説だ。王族の淑女から庶民まで、夢見る乙女たちの聖書となっている。


人間国からの土産物・人間の風習を知る教材としてわたされたが、お気に入りのシーンには付箋を貼るくらい魔王の愛用書となっている。


この小説に出てくる騎士道では女性はガラスの花のように繊細な気配りやエスコートをすることで、二人の距離が縮んでいく場面がある。


この内容を参考に魔王は次の手に出た。女性をエレガントにエスコートして頼りのある男を演じる作戦だ。




1、まずは、「お手をどうぞ」と女性の華麗かつ繊細な御手を優しく持ち・・・。




頭のなかでイメージトレーニングをしていた魔王だが途中で遮られた。


「魔王陛下。」


兜に隠れてはいるが、静かに諭すような声音は確実に怒っている。




「ヴォルゲーツィオから聞きましたが、人間を召喚したのは本当ですか?」




『紳士にエスコートをして男の株急上昇』作戦は初っ端から失敗した。

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