6話 植物園とウッドゴーレム
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魔王は項垂れていた。
白磁のなめらかな頬は痩せこけ、表情に生気がない。銀屑の髪は乱雑にまとめ上げられている。
伏せた白銀の睫が縁取るのは、葡萄酒色の瞳。珊瑚色の爪先は綺麗に手入れが届いており、美しい弧を描いている。
すらりと裾の長い胴衣に足が引っかからないよう、魔王は薔薇園への道筋を辿っていた。
濃緑色を基調としたシンプルな衣装で、手首や詰襟にはフリルを敷き詰められている。翡翠の宝石を嵌めた銀細工のネックレスに胸元を華やかに彩り、ゆったりとした足首までのズボンが歩くごとにさらりと絹地をすべらせる。シャランと鳴る金の腕輪は控えめに収まっていて、黒革製の靴先に金銀の絹糸で植物の蔦模様が刺繍されていた。
可憐に見える魔王だが、先ほどのダメージから回復しきっておらず、普段より覇気がない。人間の赤子を抱いたリンネより歩みは遅いし、始終ため息をついてばかりだ。
現在、魔王たちは植物園にいる。
この先にある薔薇園へ向かうには植物園を通る必要があるが、かなり規模が広い。魔界の原生林から移植された植物が多種多様に揃えられていて、中には魔力の変化で進化した人間の世界にはない植物もある。
また、先代魔王へ各地方の魔族たちが献上した植物たちを含め、『樹の巨人』のウッドゴーレムたちが丹念に世話をしたおかげで見事に花を咲かしていた。もっとも、魔界だけにただ美しい花だけでなく、危険な植物も数多に存在する。
小ぶりな五枚の花弁を散らし独特の甘い香りを漂わせているが、花実に猛毒を潜ませている。その植物を食した動物たちは神経麻痺を起してその場で息絶える。死体を栄養源とすることから別名「死養花」と言われている。
その他にも蔓で獲物を巻き上げる食人花も群れを成して狩りをおこなったり、移動する樹も存在する。
花に見とれていると、うっかり食われてしまうことも実在するのだ。
魔王はリンネから極力離れないように釘を刺されて後ろをついて歩く。
鬱蒼と茂る大輪の樹林は首が痛くなるくらいに高い。枝葉がこすれ合うと木の葉の囁きが降ってきて、耳朶をくすぐる。
魔界の植物は魔力を宿し、意識を仲間同士つなげて会話を交わす。森へ入る者に挨拶がわりに贈り物をしてくることがある。
時には一枚の葉。
機嫌が良いときは彩りの果実。
嫌な奴には棘とげの種を落としてくる。
天敵には腐臭の樹液を落として、その隙に攻撃する植物いるので用心がいる。
魔王城の森とも言われる植物園は広大な敷地となり、多様な生き物たちの共生の場だ。魔界の昆虫や鳥たちが住処を求めて移住し、今では生命の活力に満ちた樹森になった。
「ねぇー、魔王さま。」
「・・・・・・。」放心状態でぐらぐらと体が左右に揺れる。口から魂が抜け出るくらいのダメージを受けた様子に(ちょっとヴォルからかいすぎたな。)とリンネは振り返ると・・・。
魔王は巨大蔓に体を天高く持ち上げられていた。
「なっっ―ー!!」
驚いて正気に戻った魔王は蔦を掴むがビクともしない。
「魔王!?」
「やー!!」
赤子にも伸ばす蔦に向かってかみついて暴れる。
リンネは懐から医療器具のナイフを取り出す魔力を込めた。より硬度と強化の魔法をかけたナイフは鉱石のなかで一番固いダイヤモンドをも突き通す。
巨大蔓へ向けて投げられたナイフは。
カキンッ。
横割りしてきた樹の手に刺さった。見上げれば植物園の主であるウッドゴーレムが守っていた。
【ウッドゴーレム】
ウッドゴーレムの体は土で出来た合成無機物で、簡単な命令を実行できるし感情を持ち合わせている。ゴーレムの表面には蔦が覆い、頭や胴体の穴にいつのまにか小鳥たちが小枝や葉っぱで巣を作っていて、傍から見るとアフロヘアーに見えなくもない。
時折、ゴーレムの肩に小鳥たちが勢ぞろいして仲良く並ぶほのぼのとした光景が見られる。
この植物園の世話役兼番人であるゴーレムの眼を見てリンネは警戒した。
鈍く煌々と光る眼からはレーザービームが発射される。あの“錬金術士”が好きそうな設定だ。
その威力は精確でかつ追跡機能もついた対侵入者用の攻撃魔法。
ピピッ。
【照準設定:魔王・除外・それ以外・敵】
赤い眼に光の粒子が集まる。
「・・・はやくたすけろ。」
ピピッ?
【魔王・音声確認・救助命令・優先】
とリンネに向かられた標準を外して、巨大蔓にぐるぐる巻きにされた魔王を救出する。
蔓とコンタクトをとり、話しかける仕草で交渉しているみたいだ。たまに【アレ・食う・腹・壊す】などと失礼なのかよくわからん言葉も聞こえるが魔王は地面の奥深くに埋めた。
「まおー。」ひしっと魔王にしがみ付く赤子は不安げな顔で離れようとしない。へ垂れた眉に赤い頬にサラサラの柔らかい髪。猫耳フードをかぶった破壊力抜群な赤子の姿に魔王は思わずぎゅっと抱きしめた。
メロメロメーターで量るとそこかしこにハートマークが乱舞しているのが見える。
ふと悪魔の幻聴が蘇る。
“魔王様は幼稚趣味。”
魔王の表情は青ざめ、はっと周囲にヴォルゲーツィオがいないか思わず見渡した。
「こ、これはだな、親愛の愛情であって幼稚趣味ではないぞ!!」
空気に向かって説明する魔王。却って怪しく見える。
「魔王さま。自分で言うと説得力がないよ。」
「ッ!?」
「その赤子は雄だから、成人したら魔王さまは女を選ぶ?」
「わたしは男だ。」
むっとする魔王と天使な笑顔のリンネ。
「でもまだ、成人していないから性別は未分化のままだよね。女の子もいいと思うのになぁ。女体化した魔王さまは可愛くて綺麗だし。そっちのほうが好みかも。」
【魔族の性別】
魔族は成人化するまで性別はどちらにでも変化できる。成人をする際に性別を固定化するのだが、魔族の種族によって両性具有だったり、性別が不特定な体質を持つ魔族もいることから、魔族の性別に拘りはない。
ちなみに魔王は成人前で性別はどちらでも可能だ。
「・・・関係ない。わたしは男の魔王として即位する。」
「どうして男にこだわるの?」
「女の魔王で即位したら、魔王候補たちに求婚させられそうだから?」
ビクッと反応する。図星のようだ。苦い顔で俯く魔王。
「魔王さまって断る前に押し倒されそうだもんね~。」
その顔を覗き込むリンネ。
「・・・。リンネはいじめっ子だろう。」
うずくまって地面に『の』の字を書く魔王にリンネは頭をポンポンと触る。
「ぼくたちが守るよ。」
「リンネ・・・。」
「ぼくやエメにヴォルとか、み~んな魔王さまをいじめる奴らをやっつけてあげる。こんなに可愛い魔王さまを他の魔王候補たちに嫁に出すなんてやだね。絶対あげてやらない。」
「だから、安心して、どっちの魔王さまでもぼくたちの態度は変わらない。その赤子のこと含めて守るから。」
「嫁じゃない。・・・それから、ありがとうリンネ。」
ぶすっと俯きながらも、感謝を述べる魔王の額に自らの額を合わせてじゃれあう。あどけない笑みにとろける目元は子猫みたいだ。猫耳フードの威力、凄まじき。魔王は密かに感嘆した。
あのあと、魔王の腕に抱かれた赤子を撫でるリンネは赤子にだけ聞こえるように意思伝達の魔法で囁いた。赤子は目をぱちくりと瞬いてリンネを凝視する。満足げな顔をしてリンネは離れた。
ふと、樹木から風花が降ってきた。舞い降りる花がくるくると回り、魔王へ降り注がれる。声なきしるしに魔王の瞳が綻んだ。
【またね】 そう聞こえた気がした。
「薔薇園の扉が見えてきたよ。」
はやくはやくと魔王と手をつないで引っ張っていく。魔王が抱える赤子の猫耳フードと尻尾が揺れる。
木漏れ日の陽光にさらされた魔王の晴れやかな表情にあの翳りは消え失せていた。
次でエメが出ます。