11話 暴食の虜(ベラ・ティモ)の森
それは自然界にとって不自然な存在だった。
いや、魔界にとってはこれが自然の状態なのかもしれない。
毒の吐息を発する口内には鋭い牙が剥き出しで、蠢く触覚が手足の代わりとなっている。切り裂く棘が蔦にびっしりと生え、背中には檻があるような不可解な形状だ。
見た目だけでも肉食系の移動型植物であることが分かる。なにより巨大な肉食植物は魔王たちの二倍以上の大きさで、威嚇に酸性の樹液を飛ばしてきた。
魔王はエスメラルダに抱えられて惨事を免れる。
「ははは・・・すごい迫力だな。」
魔王城に一月近く住んで魔物にはそれなりの耐性があると思っていた。だが、それは小さなゴブリンや子犬のケルベロス、大人しいウッドゴーレムのような危害が少ない魔物に限定された安全な環境でしかなかった。狂風に呑まれるような魔力の気配。
「剣士様、そのまま魔王様をお願いしますわ。バニラっ!」
魔王の前にメイド姿が背にかばう。
「はぁーい。いっちゃうよ~。」
ツインテールのバニラが魔力を溜め始めた。小さな唇に浮かぶ魔の文様が完成すると、バニラは標的に向けて思いっきり叫んだ。
≪Ahhhh―――――――――――――――――――――――――っっつつ!!!!!!≫
植物園全体に反響する音の残響がびりびりと体中に駆け回り、軽く電撃を受けたような痺れがする。
バニラが放った衝撃波が標的に直撃した。鎌鼬のように切り刻まれた触手が地面に落ちて手ごたえはあった。痛覚があるのか地面にのたうっている。
「い、今のは攻撃が見えなかった。」
衝撃波の余波を喰らって耳の鼓膜がじんじんと痛む。バニラの戦闘するのは初めて見たが、かなりの実力を持っているのはわかる。
「わたくしたち蝙蝠族は“音”を武器に戦うのです。」
魔王の盾となっていたシフォンが問いに答える。種族の違いか経験の差か涼しい顔のままだ。
「音は空気の波を伝って相手に影響を与えます。バニラがしたのは空気を最大限に圧縮した衝撃波のようなものです。」
「シフォンも使えるのか?」
「はい、今どきのメイドは戦えるんですよ魔王様。」
しっかり者のお姉さんが柔らかな笑顔で振り返る。
そこへトコトコ小走りで歩いてきたリンネがこの惨状を目にした。
「あ、魔王さま、お姫様抱っこだぁ。」
まず先にそれを言うのか!?もっと着目する点があるだろ。心の中でリンネの場違いな発言にツッこむ。巨大肉食植物に襲われる危機的状況に追い込まれている中でマイペースなリンネはニコニコしながら近づいてきた。
「良いなぁ、ぼくも魔王さま抱っこしたい!」
いや身長差からして無理がある。
魔王の心情を丸ごと無視して、うきうきしながらエスメラルダの周りをぐるぐると廻る。
無邪気な言動に魔王の気がそがれた。エスメラルダに降ろしてもらう。
油断をすれば襲われる危険な状態にあっても一度現れただけで空気を変える存在であるリンネ。見かけは子どもだが、魔族の中でも年長者だ。その長年の経験の功なのか、只この場を楽しんでいるだけなのか。頭の読めないリンネはたまにどう接すればいいのか戸惑うことがある。
バニラの攻撃によって不意打ちを食らったが回復した次の標的を定めた。
「きゃう~~~~!!!」
「しまったっ!?」
観客席にいた赤子が蔓に巻かれて左右に裂けた口内へ呑み込まれかけた。だが、口内に鋭い刃物が連続して突き刺さる。柔らかい肉質である舌を刺され、大きく身を揺さぶる。赤子を背中の檻に入れ、そのまま植物園の奥深くへ逃げ込んでしまった。
樹の上から降りたヴォルゲーツィオは魔王の前に膝を着いた。
「申し訳ありません。逃しました。」
「まぁ、時間の問題だろうけどね。アレは獲物を自分の巣に持ち帰ってから食べる習性を持っている。追いかければまだ間に合うよ。」
「随分詳しいな。リンネは薬草を採りに、この植物園に来ているのか?」
「ううん。実はね・・・アレはぼくが作った合成獣の一種かもしれない。」造ったのは随分前だったから大分成長しちゃって、一瞬分からなかった。」
ほら先代魔王の戦争で生物兵器の研究でね、その残り物ってことかな。
「ちなみに食人花をベースに合成したから好物は人間だよ。」
「それを早く言え。」
「でも珍しいな。普段は暗い場所が好きなのにこんな明るい場所まで来るなんて。」
「とにかく一刻も早く奪還しなくてはいけません。自分が行って来るので陛下はここに・・・。」
「エメは無理だよ。」
「何故です?」
「この場所に入ると二度と出てこられないから。知ってる?ここって大戦時には【実験場】に使われていたんだよ。」
ねっ?ヴォル。と蛇執事に同意を求める。
「えぇ、前にここは先代魔王が生物兵器の実験用に作られた場所でした。魔獣の合成獣に毒物の草花を栽培に適した環境を配備しましたが、魔界の土が良かったのか繁殖速度が高く、現在の植物園となったのです。実験用の魔物を収納した結果、弱肉強食の世界が出来上がったようです。」
「だからね、一度入ると帰り道を見つける前に食べられちゃう可能性が高いんだ。暴食の虜っていうくらいこの場所は餌に餓えている。」
それでも行くの?
リンネの瞳が魔王に問いかける。
「あぁ、わたしは赤子を取り返す。」
「じゃぁ、行こ。」
「へ?」
思わぬ言葉に変な声が出る。
「ぼくらは魔王の手足で駒でもある。その判断にぼくらは従うよ。名付け親決定戦じゃなくなったようなものだし、ね?」
エスメラルダが魔王へ剣を掲げる。
「危険な場所であろうとも、陛下の望みのままに。ちょうど剣の修行がしたいところでした。」
蛇執事ヴォルゲーツィオが優雅に白手袋を胸に添えた。
「魔王様、ご命令を。」
「あぁ、わたしたちで赤子を奪還する。」
「はい。かしこまりました。お早いご帰還を。」
「ばいば~い。いってらっしゃい!!」
「え・・・?」
丁寧にお辞儀をするシフォンと手を振って気軽に見送りをする二人。
「だってこの森に入ったら絶対服汚れそうなんだもん。だからここで応援するね。」
「わたくしはお帰りになられた皆様の為に湯船をご用意します。なので頑張ってくださいね、魔王様。」
―――ぐい。
「うぉっ!」
不意に手を引っ張られて体勢を崩す。その手の先には金色が見える。
「ぼくとお手てつなぐの。ね、魔王さま。」
そういうなり森に向かってドンドン歩いていく・・・というより、走っていくリンネ。
「リンネ!もう少しゆっくり歩いて・・・。」
暴食の虜へ引きずられる魔王と後をついていく剣士と執事。
魔王は森に入った時点で何か違和感を感じていた。薔薇園に行くまで通った森とは明らかに違う。そうだ、これは・・・。
「この森は、静かすぎる。」
前の森は音で溢れていた。風が吹いていた。何より、生きるものの躍動感をこの身に感じた。だが、ここは何も感じるものがない。
「そうですね。獣や鳥の声も気配もありません。それに、木の葉が掠る音さえないなんておかしい。」
エスメラルダが剣の鍔に手をかけている。
赤子を連れ去ったモンスターが通った場所は枯れた草木を目印に進んでいく。
「私が前衛を務めます。魔王様とリンネ様は真ん中に、殿はエスメラルダ様に任せます。」
前には蛇執事。真ん中はリンネと魔王。後衛がエスメラルダの順で歩く。踏みしめる音ですら余計に聞こえそうなくらいの静寂のなかで、異様に育った森はどの木も危険に満ちている。
道中、石化する魔法を放つなど魔力による変異種や、養分を狙って攻撃してくる植物モンスターから退いて赤子の行方を捜索する魔王たち。時間がないので戦闘はなるべく避けるようにした。中には移動する動植物もいるので、その時はエスメラルダの剣で切り倒し、リンネの怪しげな薬品がモンスターを撃破する。
異様に育った森は凹凸の差が激しく、軽々と飛び越えるヴォルゲーツィオの後をついていくのは一苦労だった。
「待ってくれ。・・・うわ。」
ずさささああー――――。と魔王は豪快に地面に顔をぶつけた。
足元の何かに引っかかってこけたようだ。顔が土まみれでひりひりと痛みがくる。
「陛下、大丈夫ですか!?」
「あぁ、平気だ。」
『ぐるるるるる・・・』
地から唸り声が背後から聞こえてきた。
「魔王様、さすがと言いますか、大物を引き当てる才覚はあるのですね。」
蛇執事の視線に合わせ、恐る恐る振り返るとそこには・・・。
『ギャアアアアアアアアアア―――――スッツ!!!!』
樹木の幹肌に苔や樹が生え、動くと木の葉がぶわっと舞って突如そこに現れたような錯覚に陥る。全長10mを超える森林の王者、木龍が魔王たちに牙を剥いた。
「どうやら魔王様が、木龍の尾の先を踏んづけてしまったようですね。魔王様が。」
「わたしが悪いことは分かったから、二度も言うな。」
眉にしわが寄るくらい顰めた魔王は及び腰で立ち上がる。
完全に戦闘態勢に入った木龍を目前に赤子に迫る時間について考えていた。そこへヴォルゲーツィオたちが手で制した。
「私たちにお任せ下さい。」
「ヴォルゲーツィオ?」
「手早く片付けましたら、すぐさま後を追います。魔王様は優先される順位をお間違えなく。」
「・・・すまない。任せたヴォルゲーツィオ。」
「行きましょう陛下。」
去り際にヴォルゲーツィオは亜空間の魔法で何かを取り出した。
「魔王様、これをお持ちください。」
渡されたモノに魔王が触れると一様に変化する。
「こ、これは・・・!!」
「魔王の魔力に反応して姿を変化させる別名【成長する覚醒具】とも呼ばれています。歴代魔王に継がれてきた格式ある魔道具【ヴァイルドルス】です。」
「・・・・・・・本当にこれ、魔王の武器なのか?」
可愛らしいハートにピンク色のピコピコ光る杖はどうみても美少女アニメに出てきそうな魔女っ娘ステッキにしか見えない。
「えぇ、真の力に覚醒したとき本来の姿へ戻ります。」
表情の変わりなく言い切る様から嘘ではなさそうだ。
「お前の説明の通りなら、この形状はわたしの能力に反映した姿か・・・。」
ガクっと首が下がる。魔王の器として、もはや笑えない。これでもし、勇者と対峙する時があっても絶対使わないと心に誓う魔王であった。
「陛下、これからが成長期です。」
エスメラルダの優しい心遣いが胸に突き刺さる。
魔王とエスメラルダが去ったあと、残された蛇執事と木龍が対峙する。
「懐かしいね、先代魔王のことを思い出すなぁ。」
回想するリンネに同調する。
「えぇ・・・確か木龍と対決して魔王城へ連れて帰ってきて大変でしたよ。この植物園がよほど環境に適応しやすかったようでこんなに成長していようとは予想外です。」
「じゃあ、ここはヴォルに任せるね。ぼくはデータを取りに行くよ。」
リンネがぴょんと木龍の背を飛び越した。
「あの魔物ですか。」
「貴重なデータ採集だからね。とんな風に強化されたか研究者としては気になるの。」
魔王たちの加勢には応じない態度に少しも悪びれた様子がないリンネに蛇執事は微笑する。
「貴方も悪い方ですね。魔王様の加勢しない素振りのようですが・・・。」
「今更だよ、ヴォル。だってぼく悪魔だもん。」
過剰にまばゆい金色の髪がふわりと揺れる。細められたアクアマリンの瞳は潤みを帯び、海の底を覗き込むような錯覚に陥る。
「ぼくはね、秘密が大好きなんだ。どんな暗闇の奥底に沈んでいても掻き出して根こそぎ摑み出したい欲求が湧き出てくるの。知的好奇心って言うのかな。だから気になるモノは確かめたくなるの。ヴォルもさ、魔王さまの能力って知りたいよね。だからあの魔道具を渡したんでしょう?」
持ち主の能力に応じて姿を変えることは、ぞの持ち主の能力を量るのに有効な手段である。
「・・・否定はしません。ですが、魔王様だけではないでしょう。」
「うん、だから確かめに行くんだ。楽しみだな。彼女は魔王さまを守れるのかな?」
笑顔で笑うリンネの口元は弧に描く。だが、悪魔の眼が笑うことはない。
冷たく昏い、穢れが陰を落とす。
命の危険に晒された時、本能が暴かれる。
理性の装飾で張り付いた仮面を無理やり剥がして、覗いて、獣の本性を引きずり出す。
どれだけ泣き叫ぼうが、足掻いて抵抗しても、精神の欠片も切り刻まれて解剖される。
それが【狂悦の堕天使】である悪魔の『快楽』。
魔王様も、とんだ食わせ者に目を付けられたものですね・・・。
リンネが去ったあと、木龍と対峙するヴォルゲーツィオは白手袋を嵌めた。
口の端が歪む。
自分より、巨大な体躯の竜族と対峙しながらも涼しい顔で不敵に嗤う。
唇に指を当てて目を細めた。
「さぁ、これからは躾の時間です。」
ギィィヤオオオオ――――――っつつ!!!!!
暴れ出す木龍は咆哮を放ち、地面に焦げたクレーターが出来上がる。身を翻して避けたヴォルゲーツィオは木の上に立つ。巨躯を揺すって苔から神経毒の粉をまき散らした。周囲に紫色の斑点が広がり、腐食した地面が沈む。白い長身が咆哮でなぎ倒された木の幹を踏み台にして木龍に近づく。
軽やかに飛躍するヴォルゲーツィオに木龍が強烈な地団太を踏んだ。途端に地震のしょうな衝撃が波状に伝動した。木々から有害な実が落ちて割れ、異臭が漂う。凶器となる鋭い葉が一気に空から降り注ぎ、裂けた地面は逃げ場のない足場を作り出す。
光がない暗鬱とした死の森に死臭が満ちる弱肉強食の世界。
スピードを緩めずに距離を詰める。落ちてくる障害物を避けて、白い燕尾服に一滴の汚れを触れさせない。その動きは踊っているような華やかさを滲ませる。。
肉塊へ切り刻む爪が地面を抉り、獲物を狙う眼の瞳孔が完全に開いた。
木龍がヴォルゲーツィオへ向けて二度目の咆哮を構えた。
蠱惑的な唇から紡ぎだされるのはたったの一言。
込めた魔力に反応して小さな円環が形成される。
「伏せ。」
ズドォォオン―――――っつ!!!!
頭上から膨大な魔力に押し潰される。木龍をはるかに凌ぐ広域で濃密に凝縮した魔力の塊が木龍へ追突する。魔力の質と量で重さが変化する重力は丈夫な皮膚を持つ木龍でさえの耐えきれない重量感が地面ごとめり込む。
地面には綺麗なクレーターが出来上がった。亀裂の断層が隆起した中心には気絶していた木龍が伸びていた。
「さて、魔王はどのような手に出るのか・・・。」
戦闘後、白手袋と燕尾服を整える。蛇心のヴォルゲーツィオは気絶した木龍を眺めた。腹黒い思惑を含んだ表情で木龍へと歩んでいく。
「あぁ、これも役には立つかもしれませんね。」
新しい首輪を調達しなくては。