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悪役令息ですが、闇市を整備して薬と食料を届けていたら勇者に焼かれました  作者:


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第4話:教会の掌

 アナスタシアが晩餐(ばんさん)会から戻ってきた。


 夜半。馬車の車輪が中庭の砂利を踏む音で目が覚めた――わけではない。私は執務室で帳簿をつけていた。眠る予定はなかった。


「おかえり」


「ただいま、ルートヴィヒ。お土産があるわ」


「菓子なら要らない」


「情報よ」


 アナスタシアは旅装を解く間も惜しんで、執務室の椅子に腰を下ろした。外套(がいとう)の裾に泥がついている。急いで戻ってきたのだろう。


「まず、フリードリヒについて」


「聞く」


「六十五歳。見た目は好々(こうこう)()そのもの。笑顔が絶えない。貴族の夫人たちを名前で呼び、子供の誕生日まで覚えている。あの場にいた全員が、彼を『慈悲深い大司教様』と信じていたわ」


「姉上は?」


「信じていないわよ。あの笑顔には重さがなかった。表情筋が動いているだけ。目が笑っていない人間を、私は何人も見てきた」


 さすがだ。社交の場で培った観察眼は、数字では測れない価値がある。


「フリードリヒは私に直接話しかけてきたわ。『ハルツ家の姫君にお目にかかれて光栄です』と。それから、あなたのことを聞いてきた」


「私の?」


「『ご令弟は聡明(そうめい)な方と聞いております。いずれお目にかかりたいものですね』と」


 私は目を細めた。


 聡明、という評価。闇市を仕切る十七歳の令息に対して、教会のトップが使う言葉としては不自然だ。「危険」でも「不届き」でもなく、「聡明」。


 つまり、フリードリヒは私を敵としてではなく、何か別のものとして見ている。


「……道具か」


「え?」


「フリードリヒは私を道具として使えると考えている。闇市の流通網を教会の支配下に組み込めれば、正規ルート以外の経済も掌握できる。そのためには、私を取り込むほうが排除するより効率がいい」


「推測だけど、否定はできないわね。晩餐会の間、フリードリヒはハルツ家を攻撃する発言を一切しなかった。むしろ、北部の交易が活発であることを褒めていた」


「褒めることで、取り込みの土壌を作っている。警戒させず、懐に入れる。古典的だが有効な手口だ」


「それと、もうひとつ」


 アナスタシアの声が低くなった。


「勇者一行への次の指令について、断片的だけれど聞き取れたわ。フリードリヒが側近と話していたの。『王都周辺の闇の流通を一掃せよ』と」


 王都周辺。


 レーゲンブルク近郊の闘市拠点。私の運営する地下流通網の要だ。


「具体的な地名は」


「なかったわ。ただ、『王都の民が正しい道に立ち返るために、まず周辺の汚れを除かねばならない』という言い回しだった」


「フリードリヒの常套(じょうとう)句だな。『浄化』を宗教的な語彙で包む」


 私は地図を広げた。


 レーゲンブルク周辺の闇市拠点。第七中継所。第十一中継所。南門前の仮設市場。どれが狙われてもおかしくない。


 だが、判断が必要だ。


「地下経路を一時停止する」


「……停止?」


「勇者一行が王都周辺を動き回るなら、地下水路を使った搬入は発覚のリスクが跳ね上がる。見つかれば水路そのものを封鎖される。一度失えば代替が利かない」


「でも、止めたら物資が滞りますよ」


 カインが割り込んだ。いつの間にか、廊下から聞いていたらしい。この男の盗み聞きの習慣は直すべきだが、今は情報共有と見なす。


「滞る。コストも上がる。南回りと山岳路で補うが、全量は賄えない。供給量は現行の八割に落ちる。二割の欠損を許容する」


「二割って、結構でかいですよ」


「地下水路を失うよりは小さい。水路は今後の切り札だ。切り札は、最も効果的な場面まで温存する」


 カインは口を閉じた。納得したわけではないだろう。だが、私の計算を信じている。信じることと納得することは別だが、組織においては前者のほうが重要だ。


―――


 三日後。


 レーゲンブルクで貴族の集会が開かれた。


 年に四度の季節集会。四大貴族と有力な中小貴族が顔を合わせ、形式的な議論をする場だ。実質的な決定は裏で行われるが、顔合わせ自体に意味がある。


 私は出席した。


 父は来なかった。「あんな茶番に付き合う気はない」と言った。本心だろう。この人は政治が嫌いだ。嫌いなものに時間を割かない。その率直さは、ある意味で美徳だが、政治の場では致命的だ。


 代わりに、私が出る。


 広間は豪奢(ごうしゃ)だった。シャンデリアの蝋燭(ろうそく)が百本以上。壁には金糸の刺繍(ししゅう)が施されたタペストリー。テーブルには銀食器。


 この一室の装飾費で、グリーンフィールドの三つの村が一冬を越せるだろう。計算するまでもない。


 集会の場で、私は何もしなかった。


 挨拶をした。酒を少し飲んだ。誰とも深い話はせず、誰の提案にも賛成も反対もしなかった。


 ただ、いた。


 ハルツ辺境伯家の嫡男が、ここにいる。その事実だけを、この場に刻んだ。


 闇市を仕切る悪役令息が、貴族の集会に顔を出す。それだけで十分だ。人は存在するものに慣れる。慣れたものを排除するには、新たな理由が必要になる。存在し続けること自体が、一種の防壁になる。


 広間の対角に、勇者一行がいた。


 セリウス・ライトフォードが、フリードリヒの隣に立っている。白銀の(よろい)(まと)い、腰に光の剣を()いた若者。周囲の貴族たちが親しげに話しかけている。人気がある。当然だ。「光の勇者」は物語の主人公だ。人は物語を好む。


 セリウスの視線が、一瞬だけ私を捉えた。


 私も見ていた。


 二人の間に、十歩ほどの距離があった。


 会話はなかった。


 だが、視線は交差した。


 あの男の目は、真っ直ぐだった。裏がない。計算がない。自分が正しいと信じている人間の、曇りのない目だ。


 私の目には何が映っているだろう。


 鋼色の瞳。感情を読み取れない目。帳簿の数字だけを映す、冷たい目。


 セリウスが、かすかに眉を寄せた。


 何かを感じたのだろう。敵意ではない。悪意でもない。ただ――既視感のようなもの。どこかで見た目。どこかで感じた気配。


 彼はその感覚を、振り払うように前を向いた。


 私はそれを見た。


 ――あの騎士の目が、誰かに似ている。


 そう思った。


 誰に。


 答えは出なかった。出す必要もなかった。


 今は。


―――


 集会から戻ると、ウルスラが報告を持ってきた。


「勇者一行の動向です。レーゲンブルクに三日間滞在した後、東へ向かう模様です」


「東。グリーンフィールドか」


「はい。フリードリヒから新たな指令が出た形跡があります。『東部の疫病地帯における闇の根を断て』という趣旨かと」


 東部。疫病が広がっている地域。グリーンフィールド領。


 あの地域には、私が新たに構築した分散備蓄のうち四箇所がある。


「四箇所のうち、露見の危険が高い拠点は」


「二箇所です。ホルスト村近郊の廃農家と、ライン川沿いの漁師小屋」


「その二箇所の在庫を移せ。残り二箇所は偽装を強化して維持する」


「移送先は」


「カインに任せる。彼の判断で適切な場所を選べ」


 ウルスラが(うなず)いて出ていった。


 私は椅子に深く座った。


 フリードリヒは動いている。


 勇者を使い、闇市の流通を潰す。表向きは正義の浄化。裏では、教会以外の流通経路を全て排除し、経済の独占を完成させる。


 それが大司教フリードリヒの真の目的だ。


 慈悲深い笑顔の裏にあるのは、権力への執着。支配への渇望。そして、それを正義の衣で包む周到さ。


 教会が全ての流通を支配すれば、価格は教会が決める。薬の配布は教会が管理する。誰に届け、誰に届けないかを、教会が選ぶ。


 母が死んだ時と、同じ構造だ。


 教会が薬を止め、人が死んだ。


 あの時は一人の女だった。


 フリードリヒが完成させようとしているのは、それを国家規模で行える仕組みだ。


 私は帳簿を開いた。


 コスト計算。地下経路の一時停止による供給減。分散備蓄の移送費。勇者一行の動向監視にかかる人件費。


 数字が並ぶ。赤字が増えている。


 だが、赤字は死ではない。赤字は管理できる。削減できる。回収できる。


 死んだ人間は、帳簿に戻せない。


 蝋燭を替えた。


 三本目だ。今夜は長くなる。


 地図の上に駒を並べるように、私は状況を整理していた。


 勇者は東に動く。教会は南と東を押さえようとしている。北は既にクルンプ峠の一件で手を出された。西はガルディニアの自治領だから手出しが難しい。


 つまり、私の動ける領域は狭まっている。


 狭まっているが、消えてはいない。


 網は細くなっても、切れてはいない。


 切れない限り、荷は流れる。荷が流れる限り、薬は届く。薬が届く限り、人は生きる。


 それでいい。


 帳簿を閉じた。


 明日、カインに東部の備蓄移送を指示する。ウルスラには勇者一行の東部での行動予測を立てさせる。アナスタシアには、ゲルシュタイン辺境伯の動向を探らせる。


 歯車を回す。


 一つずつ。確実に。


 掌の中で踊らされている自覚はある。フリードリヒの掌だ。


 だが、掌の上にいることと、掌に握り潰されることは違う。


 踊りながら、掌の構造を読み取ればいい。


 指の隙間を見つければいい。


 そこから――抜け出す。


 帳簿ごと。

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