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第二話.若竹の笹団子

いとこ同士。17歳の少女と少年のすれ違いを、お楽しみください。

 夏休み。私、音喜多寿々子(おときたすずこ)は、山の中で道に迷った。

 『今年の夏は、例年に比べて暑さも激しく、熱中症患者も二十四にのぼりました。外出中に倒れるケースが多いと思われがちですが、実は、建物の中にいても熱中症になりえるのです。特に、日本のように湿度の高い国ですと、気づかぬうちに倒れてしまうケースが多く、水分補給をこまめに行うことが望まれます』

 何度も繰り返しニュースで聞いたから耳に残ってる。うん、確かに暑い。なんだこの暑さ。人をバカにするのもいい加減にしろよ。昨年も暑かったけれど、今年も負けてない。

「……水、欲しいな」

 そもそも、なんで私がこんな目に遭わなきゃならないのよ。今年は久しぶりにおばあちゃんの家に遊びに来て、美味しいおはぎを作ってもらって、たくさん食べてたくさん寝て、涼しい部屋で風に揺れる風鈴の音を聞きながら花火をしてスイカを食べて……。

 そんな夢を抱いていたのに。同じくおばあちゃんの家に遊びに来ていた、いとこの勘太郎(かんたろう)が!あのへっぽこ鼻垂れ勘太郎が!!いつの間にあんなかっこよくなっていたか知らないけれど、性格が変な具合に悪くなっていたからいけないのよ!!

 あいつったら、昔は喧嘩に弱くてちょっと鈍くさくて、びぇんびぇん泣いて私の後ろをくっついて来ていたのに。あんまり泣くから勘太郎を殴って逃げて、母さんにこっぴどく怒られて大泣きして……。

 そういえば、あの時、勘太郎が泣いている私のところに来て――――。

 あぁ、なんだか頭がくらくらするわ。

 勘太郎。あんたが暫く会わないうちに、私の通っている東京の学校でも見たことがないくらいかっこよくなっていて、喧嘩も強くなっていて、ゴロツキに囲まれた私を助けてくれて、裏山の秘密の場所に連れて行ってくれるって、私だけに教えてくれるって言うから。

 あの、優しい笑顔が変わらずにそこにあったから、ついて来たのに。

 手を、つないでいたはずなのに。

 私より背の高くなった勘太郎を見上げて、私、嬉しかったのに。

 ちょっと寂しげな後姿が、昔と変わっていなかったから。困った時に耳を触る癖が、なおっていなかったから。手をつないだ時に、一度きゅっと柔らかく握る仕草が、『あの時』と同じだったから。

「(でも、私、置いていかれちゃった)」

 勘太郎、どこに行ったの?

 早く私を見つけて。

 じゃないと私、このままここで暑さに負けて、倒れて死んで、あんたの言い訳を聞かずに、一生あんたを呪ってやるから。





「なぁ。寿々子が帰ってきてないって、本当?」

「あら勘太郎。あんたがスズちゃんを連れていったんでしょう?女の子放っておいて一人で帰って来ちゃったの?」

 母さんの言葉を聞いて、俺はちょっとムッとした。

「なんだよ。寿々子はそこいら辺の弱っちい女の子じゃないんだから、一人でだって平気だろ。ここら辺知らない訳じゃないし。もう十七歳なんだから」

「(そうさ。あの強い寿々子がこれくらいでへこたれるとは思わない)」

 思えば昔はずいぶん世話になった。

 当時、同じ町の体のでかいガキ大将によくいじめの標的にされて泣いていた俺を、寿々子が助けてくれることがよくあった。

 寿々子は男よりも強かった。寿々子のパンチは鉄拳で、寿々子のキックは棍棒だった。

 あの頃、寿々子は俺の、憧れだった。

 俺は寿々子が東京に行ってから、強くなろうと頑張った。

 空手も習ったし、今は高校のボクシング部にも入って、部内で三番目に強い。一番は部長だし、二番は副部長だから、俺が敵わないのは、まぁ、仕方がない。

 とにかく、今年、十年ぶりくらいに寿々子がこっちに帰ってくるって聞いて、俺は嬉しかったんだ。

 俺が強くなった姿を見せたかった。いや、寿々子がどれくらい強くなっているか、ちょっと戦ってみたかったという気持ちもあった。

 でも、久しぶりに寿々子に会って、すごく可愛くなっていて、俺よりずっと背が小さくて、俺をかばってくれていたあの頃の大きな背中は嘘だったかのように華奢で、頼りなくて……。

 ゴロツキに囲まれていたところを見た時は、寿々子なら難なく倒せてしまうだろうと思って、最初は遠くで様子を窺っていた。寿々子の力量を見たかったんだ。

 でも、一向に寿々子は暴れなくて、しかもゴロツキの一人に手を掴まれて、引き寄せられていて、逃げようとしているくせに敵わなそうで、見ていられなくて助けてしまった。

 勿論、部活動が停止になるような乱暴なことはしていない。ちょっと掴んでいた手を叩いただけだ。

 俺が現れた時に寿々子が見せた、あの驚いた顔が頭から離れない。

 少し、泣いていたようだった。

 寿々子が泣くのを見たのは、二度目だった。

 俺は、『あの時』のように寿々子の手を握った。

「(すごく、小さく感じた)」

 あんなに強かった寿々子がとても弱々しく感じて、きっとわざと弱そうに見せて、俺を油断させようとしているんだろうと思って、裏山に置いてきてしまった。

「寿々子は強いんだから、一人でも大丈夫だろう?」

「バカねぇ。スズちゃん、女の子なんだから、一人にしちゃだめじゃない。スズちゃんがあんたより強かったのは小学生までよ。男の子は女の子を追い越してどんどん強くなっちゃうんだから。少しは自覚なさい」

「小学生まで……」

 ちょっと衝撃的なことを聞いてしまった。ということは、つまり、あれか。

 今日のことは俺の勘違い?

 寿々子は本当に弱かったのか?

 いや、でも、あの寿々子が……。

『勘太郎、殴ってごめんね』

「(…………あぁ、俺は何を考えていたんだ。『あの時』に、もう、わかっていたことじゃないか)」

 涙を目に溜めた寿々子の顔が思い浮かぶ。

 外は、日差しが酷く強かった。





「(あれぇ?私、何してんだろ。ていうか、ここ、どこ?)」

 私は見慣れない場所に立っていた。

 確か、私は山にいたはずだ。日差しの強い山の中に。なのにここは、まるで街中じゃないか。裏道、と言うのだろうか。

 後ろを振り返れば、人がごった返すざわめき。前を見れば、シンと静まった細い路地。

「(後ろには、戻りたくないわ)」

 今進みたいのは、この細くて先に何があるのかあるのかわからない道。迷わず一歩を踏み出した。

「(なんだか、雲の上を歩いているみたい)」

 人影も、野良猫もネズミも虫もいない。まるで異世界だ。違和感の塊のような世界なのに、私自身がそれを不思議に思っていない。それがとても不思議。

「あ」

 建物が見えた。少し開けた場所にある行き止まり。そこにクリーム色のおとなしい建物。

 それの前に立って、手を伸ばして扉を触る。

「ふふ。フニフニして柔らかい。まるでマシュマロでできているみたいな扉だわ」

 扉にぶら下がっている木の札に英語で何か書かれてあるけれど、ちょっと難しくて私にはわからない。知ってるような気もするけれど、頭の中で言葉にならない。

 扉を押し開けると、中もクリーム色の壁。右手にはテーブルにソファ。左手にはカウンター席。喫茶店感覚。

「(食べ物屋さんかな)」

カウンターの奥に、私を見て微笑む色白のお兄さんがいる。目の色がお店の色と似ているし、髪の毛も色が薄い。外国人だろうか?

「いらっしゃい」

 にこりと笑って、お兄さんは私を手招きした。外国人なのに、日本語が上手い。でも、そんなことどうでもいい。とにかく私には話したいことがあったのだ。

「あのね。寿々子、山で道に迷ったの」

 自分の声が、なんだかいつもより甲高い。お兄さんに近づくと、凄く背の高い人に感じた。カウンターの椅子が、どれもやけに高い。

 私は、お兄さんの目の前の椅子によじ登った。

 お兄さんがカウンターの中から手を伸ばして、私が椅子に座れるように引き上げてくれた。

 お兄さんは、コップに氷の入った水を注いで私に渡した。

 ひんやりと冷たいそれを両手で受け取って、でも口はつけない。酷く喉が渇いていたはずなのに、水を飲むよりも先に、喋りたい気持ちで溢れていた。

「あのね。勘太郎が、助けてくれたのよ。寿々子、とっても嬉しかったのよ。勘太郎、すっごく大きくなっててね、お兄さんみたいに、背高のっぽさんになってたの。それでね、勘太郎、とっても強いのよ。泣かないの。負けないの。すごいんだよ。でもね、勘太郎、私に裏山の秘密のところに連れて行ってくれるって言ったのに、寿々子を置いて、一人でどこかにいっちゃったの」

 そこで私は手の中のコップを見つめる。氷がカランと音を立てて少し溶けていった。

「…………勘太郎はね、ほんとはね、すっごく優しいのよ。手を、きゅって握ってくれるから、優しいのよ。でもね、きっと、勘太郎、今頃泣いてるわ。だって、勘太郎は泣き虫だもの。寿々子が勘太郎を殴ったのよ。グーで殴ったの。あんまり泣くから殴ったのよ。寿々子がいるのに、そばにいるのに泣いてるんだもの。それで寿々子、置いて行ったの。勘太郎は、寿々子がいてもいなくても泣くから、寿々子がいなくても大丈夫だと思ったのよ。でも、後でお母さんに怒られた。勘太郎は、ヒトリが嫌いなんだって。勘太郎が泣くのは、寿々子にかまって欲しいからだって、お母さん、言うのよ。寿々子、ぜんぜん分からなくて、でもお母さんが寿々子のこと怒るから、寿々子、かなしくて、分かってくれないことがかなしくて、泣いちゃったの。

 そしたらね、勘太郎が、泣きながら寿々子のところに来たの。鼻水垂らして、お顔、ぐしゃぐしゃにして、ぼたぼた涙落として、来たのよ。寿々子、もっと泣いたの。勘太郎が来てからもっと泣いたわ。だって、勘太郎に分かって欲しかったんだもの。寿々子が分からなくて、くやしくて、つらいこと、勘太郎に分かって欲しかったんだもの。そしたら勘太郎ね、寿々子の手を取って、きゅって、握ってくれたの。寿々子、それだけで嬉しかった。嬉しくて、涙が止まった。勘太郎も、涙が止まった。その時ね、分かったの。勘太郎は、寿々子と手をつなぎたかったんだって。ずっと泣いて、ずっとそう言いたかったんだって。

 だから、きっと今、勘太郎はひとりで泣いているわ。だって寿々子、勘太郎と手をつないでいないもの。勘太郎、秘密の場所を教えてくれるって。でも、教えてくれないで、勘太郎が手を離しちゃったの。勘太郎、きっと寿々子に伝えたいことがあったんだ。でも、寿々子分からなかった。分からなかったよ……」

 いつの間にか、私の目には涙がたくさん溜まっていて、カウンターのテーブルにぼたぼたこぼしていた。手の中のコップは氷が溶けて無くなって、手と同じ温度になっている。

 コップの中にも涙が入って、ぽちゃん、と跳ねた。

 ずっと聞いていてくれたお兄さんが、私を包み込むように微笑んで、笹団子を取り出した。

「いつまでも濃く色褪せない。寿々子ちゃんはとても羨ましい色を持っていますね。そして、あなたの側にもその色がある。あなたが大切に思う、勘太郎くんにも。清く、すがすがしく、若さの溢れた愛しい色。あなたのまっすぐな若竹の心を、忘れないでくださいね」

 私は、お兄さんのクリーム色より少し濃い瞳を覗き込んだ。

 それはとてもまっすぐに、純粋に。

 お兄さんは、眩しそうに目を眇めて微笑んだ。


『寿々子ぉー』


「……今、誰かが寿々子を呼んだ」

 はっとして辺りを見回してみるが、自分とお兄さん以外いなかった。

 お兄さんが私の手に笹団子を二つ、握らせた。

 ひんやりして、冷たい手だった。

「もう、お帰り。君を待っている人がいるよ」

「うん」

 よいしょ、と椅子を降りて店の入口に向かう。

 扉を開けて、振り返った。

 お兄さんは、微笑んでいた。

 私の手には、二つの笹団子。

「また来ていい?」

「いつでもどうぞ」

 私は、バイバイ、と手を振って店を出た。

 仄暗い細い路地が、来た時より増えていた。店の前から何本にも別れている。


『寿々子ぉー』


 私は声のする道へ駆けていく。

「(うん。わかってる。いくよ。あんたが泣かないように、そばにいるから。手を、つないでいてやるから)」

 目線が上がっていく。周りの建物が見慣れた位置に定着するとともに、地面が遠ざかっていく。進む先に光が見えた。


 いま、いくよ。


 光の中に、飛び込んだ。





 鼻につく緑のにおい。土くさいとか、葉っぱくさいとかじゃない。緑くさい。

 目を開けると、散らばる青々とした木々の葉の向こうに、透き通った空が見えた。

「寿々子、目が覚めたか」

 声がした方を見ると、勘太郎がいた。

 私は日陰に寝そべっているのか。手に何か……。あぁ、笹団子。そうか、この笹のにおいか。

 しかも、地面に寝ているなんて。こんな暴挙は小学生以来だ。

「寿々子?気持ち悪いか?水、飲むか?」

 勘太郎、あんたの声か。私を呼んでいたのは。

 でもあれは、昔の、小さい頃の勘太郎の声だった。

 そして、私も小さい頃のまま、いろんなことをベラベラ喋ってしまった。

『あなたのまっすぐな若竹の心を、忘れないでくださいね』

 忘れない。ここにあるよ。私の中に。


 手が、私の手を取って、きゅっと一度、優しく握った。

 私も、きゅっと、握り返す。

 目を閉じた。懐かしくて、目が回る。涙が出てきそうになった。

「寿々子?やっぱり病院行くか?」


 ちくしょう。


「……うるさい。人を山ん中にほっぽり出しておいて、今更優しくしたって、許さないから……!」

「……ごめん、寿々子。不謹慎だけど、今、お前、すっごい可愛いぞ」

 ちくしょう。…………変わってないよ、あんた。

 ちくしょう。…………変わったんだな、おまえ。


 握った手を、離さないで。


「勘太郎。秘密の場所、教えて。私、あんたについていくから」

「寿々子。一人にしてごめん。元気になったら、いこう」

 なんてことだ。昔と真逆じゃないか。

 まぁ、それでもいいか。


「笹団子、後で一緒に食べよう」

素直でバカな勘太郎。でもそれだけに、優しいんです。

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