第一話.青いナポリタン
連作短編集の第一話です。全七話想定。更新は多分、ゆっくりペース。
春の雨は嫌いじゃない。少しひんやりとした空気が、生まれ育った千葉勝浦の港に霞を作るのを、毎朝漁師の父を見送りに行った時に見たのを思い出す。
そう思いながら傘を差して歩いていた男は、ふらりと立ち寄った道で、その時少し困ってしまった。
*****
疲れていそうな様子で書類整理をしている渡瀬に岬は心配の目線を送るが、しっかりと顔を会わせているときはそんな表情をおくびにも出さない渡瀬に、何も聞けずに口を噤んで自分もペンを動かす。
ここは埼玉県のとある警察署の交通課。渡瀬勝哉と岬誠一郎は、訓練学校で同室になった頃からの同期だ。口下手だが好青年の渡瀬に、歳も同じで仁義に篤い岬は好感を持った。二人はすぐに仲良くなったが、初任科を終えると渡瀬は流れで刑事課に、岬は希望を申し入れて交通課に分かれた。
その後、初任総合科でまた会った時、渡瀬はその口下手さと優しい性格から、取り調べでどもるし怒鳴れないし被害者対応で感情移入しすぎるという欠点に見舞われたと聞いた。岬はそれならばと、車が好きだという渡瀬に交通課を勧めたのだ。
見事、渡瀬は『丁寧で誠実な対応ができる人材』だということで交通課への配属が決まった。
二人はそれ以来、仲良しコンビとして周りから扱われている。
目で文字を追いながらも物思いに耽る岬と渡瀬に、パリッとした声がかかった。
「二人とも、ちょっといい?一週間後の火曜日に幼稚園での交通安全指導があるから、この間の時と同じく準備頼んでいい?」
二人の三年先輩で教育係の阿部真理編だ。”マリア”という名前なのに気性が男勝りでサバサバしている。いつも姿勢が良く美人ではあるのだが、目つきが鋭いのが近寄りがたいと男性からは性的なお誘いが無いのが玉に瑕だった。誰が言い始めたのか知らないが、あだ名は『戦場のマリア』。別に拳で物を言わす人ではない。少し車の運転が荒いだけだ。
快く返事をして仕事に戻る渡瀬を見た後、岬も何度か経験した交通安全指導の準備を頭の中に入れながら阿部に承諾の旨を返す。
すると、阿部が渡瀬の死角になるように岬に顔を寄せた。
「渡瀬くん疲れてるっぽいから、岬くんに書類少し上乗せしていい?」
こう見えて阿部は面倒見がいい。小声で交わされた言葉に「やはりそう見えるか」と思いながら岬は返事の代わりに頷いた。
それを見届けると肩をポンポンと軽く叩いて阿部は背筋をピンと伸ばして離れていった。
休憩時間に自動販売機へ缶コーヒーを買いに行った岬は、談話室で話す女性職員の女子トークを聞くともなしに聞いてしまった。女性の雑談は声が大きい。財布から小銭を出す。どうやら女性職員は三人らしく、話の主役は渡瀬らしい。
「大型犬みたいな人懐こい目が可愛いよね」
確かに背は高いから大型犬は想像つく。小銭を投入口にチャリチャリと入れる。
「そういえば私、この間の休日に女性とホームセンターに入っていくの見たよ」
缶コーヒーを選ぼうとしていた指が彷徨う。女性とホームセンターって何だ。喫茶店とかじゃないのか。
「彼女かな?渡瀬くんって確か、寮じゃなかったよね。もしかして二人で暮らすために家具を選びに?」
ピ。ガコン。出てきたのはコーンポタージュ。
「えー!どんな人?」
「渡瀬くんよりちょっと背が低くて、ふんわりとした髪型の足がスラッとした美人」
背後から黄色い歓声が上がるが、岬はコーンポタージュの缶のプルタブを開けながらその場を後にしていた。
「(俺、渡瀬から聞いてないけど……)」
コーンポタージュを口に含みながら、なんでこれを選んでしまったんだっけと岬は眉間に皺を寄せた。
休日。寮に居てもやることもないので、岬はブラブラと近所を歩いていた。こういう時にも駐車違反などないか見てしまうのは、職業病だろうかと独り言ちる。
梅雨がくる少し前の春の気配は、天気も良く爽やかな風が通り抜けていて気持ちが良かった。
そろそろ何か腹に入れたいなと思っていると、知らない抜け道を見つけた。
「(ここを逃走経路にされたら厄介だな)」
何処へ続いているのか気になって、ちょっと入ってみるとにした。
自動販売機の横にあったその道は、建物の陰に隠れ、少しひんやりとしていた。大人二人が横に並んで歩けば肩が当たりそうな狭さの一本道。くねくねと曲がり何処へ辿り着くのか岬の脳内地図でも分からなくなってきた頃、パッと大きな広間に出た。
道は行き止まりで、真ん中にちょこん、とクリーム色の店が一軒建っている。知る人ぞ知る隠れ家みたいな感じだ。看板を見てみると、『喫茶店』の文字が綴られていた。営業中らしく、扉には『OPEN』と書かれた木の板が紐によって括り付けられていた。腹も空いていたし、ここで何か食べるかと入ることにした。
ドアベルの音とともに扉を開けると、中には先客が一人いた。カウンターの前に座る男性は40代後半か。肌の色は薄いが、日本人だろう。サラリーマンかもしれない。整った顔立ちに少し笑みを浮かべながら白いカップに口をつけていた男性は、岬が入ってきたのを見ると笑みを消して「また来ます」と言って入れ替わりに出て行ってしまった。まじまじと見ていたのが気に障ったのだろうか。
営業妨害をしてしまったかなと少し反省していると、カウンターの奥から「いらっしゃいませ」と男性が顔を出した。岬より少し上と思われる年代の、落ち着いた声だった。髪の毛の色は店の外観と似た色だけれど少し淡い。瞳はそれより濃い色をしていたがどちらもクリーム色系だった。一目で外国人だと分かるが「お好きな席にどうぞ」と言う声のイントネーションはまるきり日本人だった。
改めて店内を見回してみると、内壁もクリーム色。入口から左手にこげ茶のカウンターと七つの丸椅子。右手に四人掛けのテーブル席が三つあった。テーブル席は黄土色のソファだ。ここの店主は黄色系が好きなのかもしれない。しかし、黄色という感じの黄色い物はなかった。代わりに茶色の縁の窓脇に、小さな鉢に植えられた緑の葉っぱがぶら下がっている。壁に絵などはなかった。
少々殺風景だなと思いつつ、一人だからと先程の客と同じくカウンターの一席に腰かけた。
「何を召し上がられますか?」
ほわり、と微笑まれ、メニューを探したが見つからない。
「何でもお出しできますよ」
察したのか、店主と思しき外国人男性は流暢に日本語を操る。何でもと言われても特にこれといって決まった食べ物が食べたくて入ったわけではなかったので、岬は困ってしまった。
「おすすめ、とか……」
こういう時は店主に任せた方がいいだろうと言葉を発すると、店主は心得たとばかりに笑顔で頷いて奥へ行ってしまった。
先程の客は飲み物だけだったようだから、調理にしばらくかかるかなと視線を逸らすと、その瞬間に奥へ行ったはずの店主が「どうぞ」と目の前に皿を置いたので、びっくりして声を出しそうになってしまった。
「は、早いですね」
「ちょうど作ってあったので」
目の前にはざらついた赤橙色のナポリタン。ちょっと乗っかっているピーマンの緑が美味しそうだと告げてくる。
フォークとスプーンを用意してくれたが、岬はフォークだけを使ってパスタを巻いた。一口口に入れると甘みと酸味が広がって、家庭の味に近い美味しさだった。
腹も空いていたことで無言で食べ始めた岬だったが、途中で店内にBGMが流れていないことに気が付き、少し勢いを弱めた。
斜め前で食器を拭いていた店主が顔を上げる。岬が落ち着くのを待っていたかのように、店主が雑談を始めた。
「昔、ペットを飼っていたんですが、すぐに死なせてしまったことがあって。お客様はペットは飼われたことはありますか?」
「小学校の時から犬を飼っていたんですけど、去年、実家で亡くなってしまって」
親からチャットが来てその知らせを受けた時、意気消沈していたのを渡瀬が話を聞いてくれて気持ちが少し楽になったのを覚えている。そんな渡瀬が、最近疲れているように見えるのは心配だし、その時の自分のように話だけでも聞いてやりたい。でも、噂のように彼女ができたのなら彼女に話せばいいことで。それでも疲れが顔に出るというのはどういうことなのだろうか。慣れない女性との生活に悩んでいるのか、それとも他に何かあるのか。
悶々としている心の内を知らず知らず口に出していたようで、気づいた時には店主から「そうなんですね」と相槌を打たれていた。
気恥ずかしさからその話は切り上げてナポリタンに集中していると。
「そのお友達……」
と店主から言葉が返ってきた。
「あなたのことも、動物のことも大切に思ってくれる、優しい人なんでしょうね」
それだけ言うと、店主はもう話すことはないとばかりにただ食器を拭くだけの機械人形みたいになっていた。
交通安全指導に向かう車中。今回は岬と渡瀬と阿部の三人が荷物運びの軽ワゴン車に乗っていた。運転しようとする阿部を二人で制して渡瀬が運転席、助手席に阿部、後部座席に岬と荷物が押し詰められた。
背の高い渡瀬が運転手だと、後部座席からは前の景色がほとんど見えなかった。今朝も疲れた顔でロッカーで着替えている渡瀬の様子を見ていたので、岬は運転を代わろうかと言ったが、今日は運転したい気分だからとやんわり断られてしまった。
前を走るパトカーに続いて幼稚園に入ると、子どもたちに見られる前にとせっせと準備をした。何度かやっている道路交通指導。いろいろな幼稚園や小学校などから呼ばれるため、その準備も慣れてきていた。が、着ぐるみだけは慣れない。岬と渡瀬は二人してウサギと猫の着ぐるみに身を包んで子どもたちの前で愛想よく振るまった。時に追いかけられて転んだり、時に股間を蹴られそうになるのを避けたりしながら。
良く響く阿部の声で子どもたちが説明を聞きながら、他の職員が乗る自転車にウサギが撥ねられそうになったり、猫が手を挙げて右左を確認して横断歩道に見立てた石灰の白線を渡ったりした。子どもたちと一緒に実演してみたりもした。最後は子どもたちと駆け回ったりして遊んでバイバイだ。今回は幼稚園だったから規模は小さく済んだが、これが小学校になると、学年ごとに内容や対応が変わってくるので着ぐるみ役はかなり大変だ。その分、他の職員の人数も(微々たるものだが)増えるから役割当番は変わったりもするのだが。
無事に交通安全指導を終えて、子どもたちに見えないように車の陰で着替えてからペットボトルのスポーツドリンクを飲む。いくら春とはいえ、天気もいいし着ぐるみ身の中は蒸し暑いしでバテそうだった。
ふと、岬が隣で休憩している渡瀬に視線を向けると、彼の手の甲に引っかき傷があるのが見えた。最近できた傷のようだった。
「渡瀬。俺に隠してることないか」
ずっと言えないままだった言葉を、岬はつい口から出してしまった。まるで責めるように。責めるつもりなどなかったのだが、なんとなく疲れからそんな感じのニュアンスが含まれてしまったのは否めない。
渡瀬はきょとんとしてから首をこてんと倒した。大型犬が懐こい瞳を主人に向けるように。
「隠してるというか……言ってないことはある」
それは彼女ができたということかと聞こうとしたら、阿部が「そろそろ撤退するわよ」と声をかけてきたので、話は中断されてしまった。
荷物を押し込み、来た時と同じく渡瀬の安全運転で軽ワゴン車が走る。
「今日は後は署に戻って片付けと書類整理だけだから聞くけれど」
阿部が助手席からバックミラー越しに後部座席の岬に目を向けたのが岬には分かった。
「渡瀬くんて、彼女できたの?」
なるほど。さっきの岬たちの会話を少し聞いていたのかもしれない。渡瀬に隠すようなそぶりが無いと見て、岬の代わりに岬同様、噂が気になっていたらしい阿部が渡瀬に声をかけた。
渡瀬が前を見ながら「彼女……」と呟く。ピンとくるものが無いのだろうか。岬も追い打ちをかける。
「さっき、言ってないことはあるって言ってただろ。休日に足がスラッとした女性とホームセンターに入っていくのを見たって、噂になってるぞ」
渡瀬は少し考えてから、「あぁ」とか、「どこから話せばいいかな」とか言っている。岬と阿部は辛抱強く待った。
「雨の日に」
「は?」
「ん?」
全く分からないところから話が始まったので岬はストップをかけた。
「まず、その女性のことを話してくれないか」
渡瀬は気にした風もなく快く頷いた。
「兄さんとこの間ホームセンターに行ったから、多分それ」
わからん。
「渡瀬くんのお兄さんて、足がスラッとしてるの?髪の毛ふんわり?背は低め?」
「兄さんの好みってそうですね」
「いや、お前の兄貴の好みじゃなくて」
何か違う事を言っただろうかとバックミラー越しに一瞥された。
岬の顔を見て何かに気づいたのだろう。
「あ、もしかして兄さんがいるって言っていなかったっけ?」
「それも、そうだけど……」
そうして交差点で赤信号になり車が停止すると、渡瀬はやっと気づいたらしい。
「兄さん、女装癖があるんだ」
その言葉で噂の真相は掴めた。
「つまり、渡瀬くんと一緒にホームセンターに行ったのは、女装した渡瀬くんのお兄さんだったてこと?」
「はい」
信号が青に変わり発進する。
「元々、今住んでる部屋が兄さんの物で。フリーライターであちこち飛び回っててあまり帰って来ないから俺が間借りしていて」
緩やかなカーブを曲がる。
「兄さんは愛護動物取扱管理士の資格を持ってるので、最近よく帰ってきてもらってます」
「は?」
「何で?」
「……雨の日に」
「「(そこに戻るのか)」」
曲がり角を右折しようと、信号が変わるのを待つ。ちらちらと対向車とサイドミラーを確認する渡瀬。
「道端で子猫を五匹拾って」
「五匹……」
「あぁ、それで」
阿部は分かったという感じで頷く。車も右折した。まっすぐ行けば左手に署が見えるだろう。
「まだ乳離れしていない子達だったので、一時間おきにミルクをあげていて。兄も手伝ってくれているので昼間は任せているんですけれど、夜は俺があげていて」
署が見えてきた。
「睡眠不足で最近疲れがちで。岬は寮暮らしだし、阿部先輩は以前、動物は苦手って言ってたから、二人とも飼えないし話さなくてもいいかなと思ってたんですけれど」
「(いや話せよ心配するだろ)」
岬の心の声が通じたのかまたバックミラー越しに渡瀬と目が合う。車が署に入った。
「さすがにそろそろ体力の限界で。誰か飼える人いませんかね?」
車を駐車場に停めて渡瀬が阿部と岬を直接見る。
「……どうかしましたか?」
「いや……」
「なんでもないわ」
少し疲れた。
車の中の荷物を運び出す。
「課長に許可取って掲示板に里親募集の紙を貼るのはどう?子猫の写真もあるといいかも」
「あ。名案ですね」
阿部が渡瀬に助言をしているのを見ながら、岬はふと先日の喫茶店の店主が言った言葉を思い出した。
『あなたのことも、動物のことも大切に思ってくれる、優しい人なんでしょうね』
その時、胸の中のモヤモヤとしたものが霧散して、自然と口元に笑みが浮かんだ。
*****
クリーム色の外壁を持つ喫茶店のドアには、『CLOSE』の文字がぶら下げられていた。
休憩時間に店主が、まかないで作ったナポリタンをフォークで巻き付ける。
「あの人はきっと今頃……」
と静かに思う。ナポリタンのざらついた赤橙色を味わい、体の中に取り込んだ。クリーム色に似た、それよりも淡い色の中で、色が揺らいで混ざっていった。
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