第34話:新九郎義龍の謀略
───天文十三年(1544年)、九月下旬
美濃の空は、鉛色の雲に覆われていた。
織田信秀による稲葉山侵攻と、八剣砦での"未知の兵器"による被害。
その傷跡も癒えぬ中、西からは新たな足音が鳴り轟いていた。
越前国の雄、朝倉宗滴率いる精鋭一万が、西美濃不破郡へとなだれ込んでいたのである。
幸いにも、もう一方の脅威、織田軍は撤退している。
だが、美濃のマムシこと斎藤山城守利政は、加納口の戦いで負った手傷により生死の境を彷徨っていた。
斎藤利政という偉人の欠けた美濃国
その喉元には、戦国の伝説とも謳われる老将の刃が突き付けられていた。
───稲葉山城:斎藤利政寝所横
「若君、正気にございますか・・・?」
長井隼人佐道利は、目の前に座る巨漢の甥:斎藤新九郎を見上げ、声を震わせた。
新九郎は、床に腰を下ろしたまま、緊張を隠せぬかのように拳を握りしめていた。
「叔父上、父上の蔵を開けます。あるだけの銭を・・・いえ、金銀も全て出していただきたい。」
新九郎の声が響く。
長井道利は、甥のその言葉に訝しむような表情を浮かべていた。
「銭か・・、それで朝倉と停戦でも狙うのか?小銭程度で、あの宗滴が止まるわけなからろう」
「違います。」
彼はそう強く言った。
「我々は、物資を買うのです。」
「買う・・?どこから・・いや、なんのために?戦のための物資なら既にあろうに・・」
「叔父上、朝倉の目的はなんだと思います?」
「ん?それは、土岐頼芸の復権であろう?」
「それは建前でしょう?・・・あ奴らの目的は略奪ですよ。」
「・・・あぁ、そういう。まぁ、戦には銭がかかるからな。そういったこともするだろう。」
「えぇ。朝倉は土岐の旗を担いではいますが、朝倉に土岐はおりません。今回のこれは、朝倉にとっては手伝い戦な訳です。」
「・・・なにがいいたいのだ?殿が・・お主の父は倒れてどうなるかもわからんのだぞ?」
「落ち着いていただきたい、まだ時はあります。朝倉は手伝い戦。なら、戦の費用はどこで賄いますかな?」
「・・・・・・それは、我が領地からの略奪で稼ぐのだろう」
「えぇ、その通り。だから我々は、これを先に買います。集落の民たちに銭を見せ、銭の対価として物資を買うわけですな。」
「・・で?それがどうした。それでなんとかなると?」
「叔父上、考えてもみてください。奴らが必要としているのは戦の費用を賄うものです。これは、大抵の場合、米や塩、その他財に変わるものでしょう?」
「あぁ」
「なら、物資がなくなればどうです?」
「略奪するものがなくなって、撤退する・・・か?」
「えぇその通り。」
「だが、お主の案では、銭を配るのだろう?略奪されて終いではないか?」
「いいえ?米や塩ではなく銭なのです。これは食えません。
そして、銭だけでは大した量にはなりませんから、朝倉は人も奪っていくでしょうね。そうなるとどうなりますか?」
「ん?そりゃ・・・・もしかしてだが、足止めを狙っておるのか?」
「まぁ、その辺りですね。人を運ぶとなれば、その足に合わせねばなりません。米や塩などとは違います。
持ち運びが大変なんですよ。その管理も、ね。」
「ふむ・・・だが、銭はどうする?兄者が集めておったゆえ、あるにはあるが・・。」
「銭も回収しますよ、きっちりとね。」
「よし、聞かせろ。」
新九郎は、卓上に広げられた美濃の地図を、太い指でなぞった。
「まず、不破です。ここには朝倉の本隊がおります。とはいっても、見せ札でしょうが。」
「まぁ、そうだろうな。宗滴が率いておるから早う援軍に行ってやらねばならん」
「ですね。そして・・・」
指先は、垂井から赤坂宿、そして大垣周辺へと続く街道上の村々を次々と潰していく。
「この辺りは、朝倉の別働隊が略奪するでしょう。」
「では?」
「この辺りの地域で、我らは買い占めを致します。もちろん、支払いは銭、もしくは金銀で。」
「・・・・それはなぜだ?証文の方が速かろうが。」
「それでは軽すぎます。銭や金銀なら重さがある。・・・とはいえ、どうせならまとめさせてから買うべきでしょうね。
個人個人が銭を幾許か持っていても、証文と変わらず、簡単に逃げられるでしょうし。」
「なるほどな・・・。しかし、結果的に個人個人に銭が渡ってしまえば意味があるまい?そこはどうする」
「そこは、強欲なものに任せるのですよ。強欲でそれでいて逃げ足の遅いものがいい。まぁ、寺や神社が良いでしょうな」
「ほぉ・・?なるほどな。あ奴らなら、確かに強欲で足が遅いわ。いや、逃げんかもしれんな」
「えぇ、でしょうね。そして、物資がない場合、朝倉が狙うのは人や銭。」
「うむ。逃げるものを追うか、あるいは寺や神社を襲うかもしれんな・・・」
「そうなるでしょうね。朝倉の別働隊指揮官にとって、美濃は他国。何をやっても自国には影響しないとそう考えるでしょう。」
「ふふふ、悪よな。」
「いえいえ・・。それより、問題は国人たちです。幾らかは、関ヶ原に向かってもらわないといけません。
残りは、我らで率い、朝倉が集めたものを奪います。」
「集めたものとはいうが、人はどうする?奴隷として連れられたとはいえ、元は美濃の領民だぞ?」
「・・・・そこは解放するしかないでしょう。ですが、同じ場所に銭も集められるはず。我らの狙いは、それと略奪を行う朝倉兵です。」
「これだけの案だ、兄上も喜ぼうよ。」
「叔父上・・、まだ気が早いです。とにかく今は、早く動かねば。」
「だな。よしっ、私は兄の名を使って蔵を開けてくる。お主は別働隊を率いよ。朝倉の兵を討伐して参れ。・・・こんなところで死ぬなよ?」
「当たり前です。私の未来はこれからなのですから。」
そうして、眠っていた斎藤の龍が動き出す。
史実にない利政の重傷は、斎藤新九郎という眠っていた龍を起こすこととなった。
───西美濃の街道
「くそっ!ここもだ。」
朝倉の組頭の西中平三は、手に取った壺を叩き割り怒声を上げた。
目の前にあるのは、米も塩も布も、何もかもが"カラ"になった家々だけだ。
囲炉裏の灰も冷たく、米櫃も、水瓶にさえ何も残っていない。
「頭ぁ、こっちにも何もありやせんぜ。」
「米粒ひとつありゃしねぇ・・。ここ、廃村だったんですか?」
「なわきゃねぇ!この辺りは街道沿いだぞ?ちゃんとした村があったに決まってる」
「けど、ここまで何もないんじゃ、やってられませんぜ・・・」
部下たちの不満が、平三の耳にも刺さる。
越前を出てから数日。
彼らは、略奪だけが食い扶持で生きている雇われ者だ。
朝倉からも資金は出るが、端た金だけでしかない。
こうして略奪ができないとなれば、生きていくことさえ難しいのだ。
「頭ぁ!人、人がいやした!」
「なに!?どこだ!」
そうして、部下から逃げる人を見つけたとの報告が上がる。
「早くしろ!」
「こっち、こっちだ!」
「こっちだ、寺へ行けば助かる! 船が出るはずだ!」
平三らが見つけたのは、街道から外れた山道、美濃 赤坂方面へと雪崩れ込む人々の集まりだった。
彼らは、子を背負おう者、家財を背負う者で溢れている。
だが、おかしなことに米などの食い物を持つ様な者は不思議と見かけなかった。
そんな彼らは一塊になり、必死の形相で東へと向かっていた。
「へへっ、当たりだな。」
「頭ぁ、あっちを見てください。」
「ん?どうした?」
「アレです。・・・もしかして、銭じゃありませんか?」
その集団から少し離れたところに、一塊になって進む者らがいた。
彼らは、何やら大きな荷車を引きながら同じように東へと進んでいた。
「・・・おいおいおい、当たりじゃねぇ!大当たりじゃねえか・・!!伝蔵、よく見つけた!」
「へへっ・・なぁに、雑作もねえこって。」
「よしっ!オメェら行くぞ!!」
彼らは、獲物を狙う野犬の群れの如く、その集団に襲いかかった。
「網使え!」
平三は、用意させていた網を使い、辺りにいた民たちを捕まえていく。
銭を運んでいる者たちは、まだ狙わない。
大量の銭は重く、そう簡単には進まないからだ。
それに、彼らの行き先はもう目の前。
どこに行くのかは既にわかっていた。
「よっしゃ、とっとと縄でつなげ!逃げられんじゃねえぞ!」
「うっす!」
「わかってやすよ!頭ぁ!」
そう言って野太い声が周囲に響く。
老若男女関係なく囚われ、縄で結ばれていく。
抵抗する者は即座に殺され見せしめにされる。
彼らは、略奪のプロと言っていい。
普段から、こういった略奪ばかりを繰り返しているために、いわゆるマニュアルが出来上がっているのだ。
瞬く間と言っていいほどに終わるほど、彼らの手腕は優れていた。
もしくは、これまでの村で何も手に入らずに、焦らされ続けたせいなのかもしれないが・・。
彼らが、そうして民たちを捕縛しているうちに、銭と思しきものを運ぶ集団が、真禅院へとは入っていく。
「くくく、やっぱりあの寺か。」
「・・・頭、見ましたか?」
「銭か?」
「えぇ・・・。あいつらが運んでいた比じゃねえ。もっとたくさんあの寺の中に見えましたぜ。」
「ほぉ・・。そりゃいいな・・・。もしかすっと、この辺りにいる連中、全員集まってきてんのかもしれねぇな・・・」
「ありそうな話ですぜ。・・・ですが、どうしやす?ウチらだけでやりますか?」
平三は、悩んだ。
規模としてはそこそこの寺だ。
こちらから攻め込めば、相応の被害が出るかもしれない。
しかし、向こうはどうにも戦慣れした連中が少なそうに見える。
「(なんでいねぇんだ・・?いや、そうか。そういや、織田も攻め込んでいるっていう話が・・・)くかかかか、ツイてるぜ!」
「え、どうしやした・・?」
「あそこには今、戦慣れしてる連中がいねぇ。」
「ん?そうなんですか?ですが、表には僧兵みたいな連中がいますけど・・・」
「今はな、織田もこの美濃に攻め込んでるのよ。つまりな?戦慣れしている連中は、そっちに駆り出されてるってぇ寸法よ!」
「なるほど!さすが頭!頭いいですね!・・・それなら、攻め込むのは今がいいってことですかい?」
「おうよ!全員集めろ!!」
平三は、声を張り上げ、周囲に散らばって略奪していた連中を呼び出す。
「とりあえず、こいつらの見張りに何人かは残す。残りは次の仕事だ!銭を運ぶぞ!!」
そういって彼らは、傷を負うのも厭わず、真禅院の寺領へと突っ込んでいった。
「うぉぉぉぉぉ!!寄越せぇ!!!」
「銭、銭ぃ!!」
「死ね、ごらぁぁ!!」
「な、なんだ!」
「と、止まれ!ここは仏のある場所!仏罰が降るぞ!!」
「言っても無駄だ!こいつら正気じゃねぇ!!」
「く、くそぉぉぉ!」
中に溜まった宝を予想し、平三たちは心の内で舌なめずりする。
「(へへへ、そこに銭の山があるのは、もう知ってんだよ!)」
彼らの脳裏からは、既に理性が蒸発していた。
寺への侵入を止めようと、僧兵たちが出てくるが、瞬く間に倒されていく。
これは、実力の差があるわけではない。
経験の差と、彼らの飢えがもたらした結果だ。
ただでさえ、貧しい者らが集まっているのが彼らの部隊だ。
宗滴が敢えてそういう者らを集めているとも言える。
だが、そんな彼らは、目の前の宝の山があるのを知って止まれるほどの冷静さはない。
だからこそ、こういった戦いに駆り出されるわけだが、それがいつもいい結果を出すとは限らないのだ。
「何が仏罰だぁ!!降らせるもんなら降らしてみやがれ!!」
彼らの欲の前に、仏罰などという形のない脅威は通用しない。
彼らを止められるのは、ただ、その欲を満たしてくれる宝のみだった。
「や、やめろぉぉぉ!!」
抵抗する僧兵が槍を振り回す。
何人かがそれにまきこまれるが、それでも、彼らの進撃は止まらない。
「うりゃぁぁぁあ!!」
「ぐはっ!・・こ、このばちあた・・・」
「けっ!一昨日きやがれってんだ」
槍で突き殺される僧兵。
それを見ていた民衆たちがどんどん奥へと逃げていく。
「お前らぁ!宝は奥だ!あいつら、奥に逃げたぞ!」
平三は配下の者たちにそう声をかける。
彼らもそれを承知して、民や庄屋、商人などが奥へと向かうのを追いながら、宝の痕跡を探していく。
そうして、本堂の奥に辿りつたとき、それを見つけた。
「か、頭ぁぁ!」
「な、なんだこりゃぁ・・・」
「す、すげぇ・・・」
真禅院の本堂奥にあったのは、本堂を埋め尽くさんばかりの量の銭の山だった。
「これだけありゃ、どれだけ・・・」
「おい待て、ここは本堂だろ?」
「え?そ、そうですね。ですけどそれが?」
「あのなぁ、よく考えてみやがれ。本堂っていうのは銭を置いて置く場所じゃねぇ。それに僧兵どもがいねぇだろうが。」
「え、あ・・・そうですね。でもどこへ・・・?」
「決まってやがる!蔵だ!どっかにある蔵から銭を持ち出して逃げようとしてんだろ。」
「あ、そうか!ってぇことは・・・」
「おい!探せ!ここにある銭は、扉を閉めときゃ誰にも盗まれやしねぇ!
それより、ここから持ち出されるかもしれねぇ銭を、いや、僧兵どもを止めろ!!」
そういって、平三はこの場所の制圧を優先させる。
制圧してからでないと、これだけの量の銭を持ち出せないからだ。
そうして真禅院は、大した抵抗もなく制圧される。
「やっぱ、すげぇ・・・おい、これ持てねぇぞ?!」
「阿呆!こぼすんじゃねぇ!テメェ一人で持てないなら、奴隷どもに運ばせりゃいいだろ!」
彼らは気づかない。
この銭はいわば餌。
彼らのような、略奪部隊を引っ掛けるための餌にしか過ぎなかった。
米や塩では腹に消えてしまえば取り出せない。
だが、銭は食えないし溢れない。
ひとつ二つでは軽くても、これだけの量だ。
一人二人では重くて持てない量なのだ。
「へへへ・・・これで越前に畑を買って、あのクソ兄を見返してやろう・・」
「これで、女が何人買えるよ・・・」
そう言って、まだ見ぬ未来に思いを馳せるものもいる。
一方、他の部隊でも、平三たちの部隊と同じような情景が繰り広げられていた。
赤坂宿では、傭兵たちに守られていた商家の家が襲われ、周辺の街や集落、寺、神社といったものも軒並み襲撃を受けた。
西美濃の入口は、大部分で略奪被害を受けたのだった。
しかし、なぜか庄屋や寺、商人といったものたちは、一様に大量の銭を所有しており、米や塩、味噌、あるいは布類などの保有量が少なかった。
そして、もうひとつ変だったのが、彼らが他の地方への避難が遅れていた点だ。
赤坂宿や、真禅院といった場所に逃げ込む者たちが多く、そのせいで略奪被害に遭う商人や庄屋も多かったのであった。
平三たちの襲撃以外にも、各所で襲撃が行われ、真禅院の僧兵たちは、縦横無尽の活躍を強制されていたのだった。
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