歪みと影響
それから二人とも言葉少なく、ただ杯を重ねた。
顔なじみの店員さんがテーブルに来た時に「なんか暗いっすね。お疲れですか?」と声をかけられると、ちょっと不幸があってと当の金井本人が答えた。
店員さんもただならぬ様子を察してくれたみたいで。
「今日は大分騒がしいですけど、何て言うか、気がまぎれたらいいっすね」
店員さんが去った後、なぜか金井はフフッと笑っていた。後で聞くと自分の死についてごまかしたのがおかしかったらしい。誰に対しての配慮なのかと。
時代の移り変わりに適応するのは年々難しくなるとは聞く。しかしこれだけの急激な死生観、どころではない神の領域に含まれるものがここまで形を変えてしまっている。うまく適応して得をしている者もいるだろうが、それ以上に苦しんだ人もいるだろう。
現在、死刑囚の刑執行は停止されているそうだ。一度目だけ死んだ死刑囚の処遇はまず決まりそうもないらしい。刑は執行されたからと自由放免にするのも、更生の余地がないと判断されているのだからと二度死刑を執行するのも非現実的だ。先延ばしにしていくのであれば特に大きな問題とはならない以上、実質的な終身刑とするのが、後ろ向きだが妥当な選択肢になるというのは十分に想像できる。死刑廃止派の大臣が就任すればどんどん刑を執行して蘇生させ、制度を有名無実化してしまうとか言う陰謀論も出てきたが、何のための死刑廃止論なのか。そしてリスクが高すぎる。命が一つしかなかったら?
――世の常で、そういった歪みはそれでもまだごく一部しか拾い上げられず、多くのものが注目されずに流されていく。
一回目であっても親しい者が亡くなると精神的な負荷は強い、だが本人達もこちら側では想像の出来ないような悩みを抱えていくのだろう。
一度しか死ぬ事が出来なかった時代と変わらず、死は皆に大きな影を落とす。