ヤマガミ 前編
「皆、静かに!」
オレは全神経を集中させて感知を行った。
何かが来る。それは音を立ててオレ達に存在を知らしめてきた。
突然、巨木が倒れたんだからな。
「この感覚はまさか……ヤマガミか?」
ヒリカが倒れた巨木の方角を凝視する。
やっぱりオレの感覚は間違っていなかったみたいだ。
北の大地でそれを知っているヒリカが言うんだから、これは呪霊じゃない。
そしてオレはこの感覚、というか力を知っている。
誰よりも慣れ親しんだこれは――
「妖力」
オレがそう呟くとヒリカが驚愕の表情を浮かべて振り返った。
そう、ヒリカ達がヤマガミと呼んでいた存在が扱うのは紛れもない妖力だ。
これは知らない人間からしたら確かに得体が知れない。
だから人はそれを神だとか呼んだ。
神の力、それ即ち妖力。
でもヒリカの言う通り、その昔には誰もが持ち得た力なのかもしれない。
それがいつしか忘れ去られて、いや。
封印された存在になってしまった。
なんでそうなったのかはさっぱりわからないけどな。
――ウギャアァァ、オギャアアァァ
「な、なんですの! 赤ん坊!?」
「やはりヤマガミか……この山にもおられたとはな」
ヒリカが観念したように拳を握った。
おられたなんてずいぶん崇め奉った表現をするじゃないか。
確かにヒリカを見ると、その表情からは確かに畏敬の念を感じる。
「陽夜、引こう。私達はヤマガミを怒らせてしまったかもしれない」
「そうだね。争う意味もないし……ヤマガミ様、ごめ」
オレが頭を下げた瞬間、地面が大きく揺れた。
思わず態勢を崩してしまった中、目の前には丸い何か。
「オギャアアァァァ! ギャアアアァ!」
「……これがヤマガミ」
一言で言えばそれは巨大なダンゴ虫だ。
それが丸まってオレ達の目の前に落ちてきたわけか。
そいつがきゅるりと広がると、芋虫のような形態のそれが明らかとなる。
「こ、これで、じゅ、呪霊じゃありませんこと!?」
「華恋! 失礼なことを言うな! ヤマガミは我々人間が誕生する以前から存在していたと言われている! いわば神そのものだ!」
あのヒリカがへっぴり腰になるほどの相手ってことか。
それに今のヒリカは守先生の退魔術の影響で自分の退魔術が使えない。
だとしたらここで戦えるのはオレと華恋だけか。
「オギャアアアァァァ!」
「先生! 先生! 来てくださいませ!」
華恋が大声で先生を呼ぶが反応がない。
大体、守先生の退魔術ならオレ達の位置がわかるはずだ。
それなのにこの状態、どうやらここは――
「あっち側か。さすがヤマガミ、ハナコさんと違ってオレ達が気づかないうちに引きずり込めるとはな」
「よ、陽夜さん……ということはあの時と同じ……ですの?」
「そういうことになるな。陰陽流転で退散したいところだが……」
オレが印を結ぶと腕の皮膚に違和感を覚えた。
皮膚から出血したと思ったら、ぶち抜いてきたのはダンゴ虫のような何か。
「うわぁぁ! なんだこりゃ! クソッ!」
「陽夜さん!」
オレは腕を押えながらヤマガミを睨みつけた。
こいつ、なぜかわからないけどオレ達を逃がすつもりはないらしい。
「陽夜、ダメだ……。私達はヤマガミを怒らせてしまった」
「一応聞くけど理由はわかるか?」
「わからない。ヤマガミは我々の理解を超えた存在……。古来より人々はヤマガミの機嫌を損ねないように生きてきたのだ」
「じゃあ、やることは一つしかないな」
「ダメだッ!」
オレが好戦の意思を見せると、ヒリカがすがりついてきた。
「ヤマガミに逆らってはいけない! そもそも人が敵う存在ではない!」
「そうは言ってもあっちは逃がしてくれる様子はないけど……」
「許してもらえる方法を考えるのだ! イアヌ族も昔からそうしてきた! だからこそ北の大地で繁栄を築くことができた!」
「どうすれば許してもらえる?」
ヒリカが歯を食いしばった。
そしてヤマガミの前で跪く。
「……ヤマガミ、私達が何かしたというのなら謝る」
ヤマガミは跪くヒリカを眺めているように見える。
目も鼻もないから実際はわからないけどな。
ただ相手が本当に人間の理解を超えた存在なら、謝罪なんて意味はないように思える。
なぜなら悪いことをしたら謝るなんて概念も人間が生み出したものだからだ。
「オギャアアァァ!」
「危ないッ!」
オレはヒリカに抱き抱えてからその場から離れた。
その直後にヤマガミが丸まって跳躍、地面をぶち抜かんばかりに落下。
転がるオレ達はヤマガミの様子をうかがった。
「……許す気はないってことか」
「ヤマガミ! 教えてくれ! 一体何がお前の逆鱗に触れた!」
ヒリカの叫びがヤマガミに通じているとは思えない。
今度はヒリカの腕からダンゴ虫が皮膚を内側からぶち抜く。
「ヒリカ!」
「くっ……ううぅ……!」
ヒリカが苦しそうに腕を押えている。
血が滴って見るからに痛々しい。
「これが……ヤマガミの……神の力だ……。抗うことなどできない……。だから……陽夜、こうなったら、もうなんとしてでも許してもらうしかない……」
「ヒリカ……」
ヒリカはめげずにまたヤマガミの前で膝をついた。
祈るようにして目を閉じる。
「ヤマガミ……その怒りを鎮めてもらえないか……。我々があなたの神域を侵したというのなら……この身を持って償う……」
「おい、ヒリカ。それはどういう意味だ?」
「陽夜、ヤマガミの怒りに触れてしまったが最後……時に人は生贄を捧げて怒りが鎮まるのを祈った……」
「生贄って……」
ヒリカは良くも悪くもイアヌ族だ。
民族としての誇りをもっている一方で、人としての当たり前の本能を忘れてしまっている。
こういう時、人はどうするか。
普通は逃げる。それでもダメなら抗う。
なんでそれができない?
「ヒリカ、もういい」
「陽夜、黙っていてくれ」
「君が生贄になるつもりなら絶対に許さない」
「えっ……」
オレは地面に膝をつくヒリカの前に立った。
そこにいる芋虫野郎を見据えると、そいつがかすかにオレに興味を持った気がした。
それはそうか。オレはこいつと同じ妖力を使うんだからな。
「オレは君に死んでほしくない。それに君はオレがほしいんだろ。だったら生きろ」
「そ、それは……どういう……」
後ろにいる狼狽するヒリカの顔は見ることができない。
見えないけど華恋がそっと寄り添った気がした。
「つまり簡単に命を投げ出すようなことをするなってことだよ。それにこんな芋虫、神様でも何でもない」
「な、なんてことを……! 不敬だぞ!」
昔から人はわからないものを怖がる。
災害だとか理不尽なことに対して神の怒りだと恐れる。
でもオレはこいつが理解できる。
何者なのかと問われたらわからないけど、たった一つだけ確かなことがあった。
「オレからすれば、こいつは呪霊と同じ迷惑な存在だよ」
オレがそう言い切ると、ヒリカはへなへなと力が抜けたように地面に尻餅をついた。
こいつに関する確かなこと、それはオレと同じ力を使うという点だ。
神様と崇められたこいつが使うのは妖力、オレとまったく同質のものだった。
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