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トイレのハナコさん 3

「ご主人ちゃま! ぐるぐるおんなが怪我してるのです!」


 初対面でなんて呼び方してるんだ。

 それはそれとしてワコを召喚しておいて正解だった。

 ここに入ることに成功したところで華恋を見つけられなかったら意味がない。


 霊力感知を駆使してようやくギリギリってところだ。

 ワコの力でいい偶然を引寄せられるのは本当にありがたい。


「華恋、下がっていて。ワコの近くにいてね」

「よ、陽夜さん……わたし……」


 あの華恋がこんなにもボロボロになって泣くなんて、よっぽど怖かったんだろうな。

 いつも気丈に振る舞っているけどやっぱり七歳の女の子だ。

 そしてそれは華恋が自ら望んでやったことか?

 なんでそこまでしなきゃならない?


「華恋。後で君の父さんに話がある」

「お父さんに……?」


 お父様じゃなくてお父さん、か。

 それよりも今はあの呪霊だな。


「アソビ……タクナイ……!」

「このビジュアルで誰がトイレのハナコさんなんて名付けたんだかなぁ」


 呪霊のネームドは退魔師協会の偉い人が現場の退魔師の話を参考にしてつけるという。

 だから時々とんでもネームが爆誕する。

 退魔師協会の上層部にいるお偉いさん達は年寄りが多いらしいし、センスも相応なんだろう。


「アソビタクナイッ!」


 オレの体がグンと呪霊に引き寄せられた。

 目の前には呪霊、間合いに入ったオレを掴――


「はぁぁッ!」

「ガハッ!」


 まれなかった。

 拳を腹のど真ん中に当てて壁に押し込む。

 掛け声での言霊で威力を強化した上でのパンチだ。


「つ、つよ、つよっ……!」

「ご主人ちゃまはつおいのです!」


 華恋が驚いてくれるくらいには修行は成功している。

 父さんの言う通り、いざという時のために体術を鍛えておいて正解だ。

 呪霊の中にはこいつみたいに特殊な力を使う個体がいるからな。


「アソバナイッ!」


 それでもタフな呪霊だ。

 黒い血を口から流してよろめきながらもまだやる気がある。

 ちなみにあの血は呪力漏れという専門用語があると聞いた。

 オレ達でいう血液と同じだから要するに弱ってるってことだな。


「シンジャオウッ!」


 呪霊が両手に力を込めて振った。

 オレの体に衝撃波か何かを当てられて後退、とっさのガードで防ぐ。


「結構強いな」


 妖力によるガードと体術による確かな体幹でダメージはほぼない。

 引き寄せることもできれば吹っ飛ばすこともできるのか。


「シンジャオォォッ!」


 オレが大してダメージを受けてないことにキレた呪霊が接近戦を挑んできた。

 冷静さをかくのは呪霊でも同じなんだな。

 そして平常心を失ったら終わりなのも同じ。


「木の印……雷切」


 呪霊の拳が届く前にオレの雷の刃が胴体に斬り込む。

 全身が光って感電した呪霊は大口を上げたが、ほぼ声すら出ない。


「ア……ェ……」

「雷は木気……木の印に属するみたいだな。いやぁ、陰陽術は実に奥が深い」


 焼け焦げた呪霊がかろうじて片足を前に出した。

 ギチギチとぎこちなく動いて顎を引く。


「陽夜さん! まだ息があるよ!」


 いつもの口調じゃない華恋からの忠告通り、こいつはまだ動ける。

 第六怪位と聞いていただけあってしぶといな。

 空呂君の話によれば、こいつは60年前に上の位の退魔師を殺害している。

 だから尚更ここできっちりと仕留めておく必要があった。


「ア、ソ、バ、ナイ……!」


 なんと呪霊が背を向けて走り出した。

 こいつ、逃げる気か?

 呪霊にも生存本能はあったんだな。

 いや、生きてはいないけど。


「今まで散々好き放題遊んだんだ。もういいだろ」


 オレが印を結ぶと呪霊の周囲に炎球が浮かんだ。


「狐火」


 炎球が呪霊を集中砲火した。

 焼かれて呪霊がもがき苦しむけど炎は決して消えることがない。


「アアアァアァ……!」

「それはオレの妖力が尽きるかお前が祓われるかのどちらかで消える。まさに地獄の業火だな」


 呪霊の体が豪炎に飲まれていって次第に炭と化していく。


「ア、ァ……」


 もがく声すらかすれていって最後には指の先すら残さずに焼き尽くす。 

 呪力の残滓が職員室内に散ってそれすらもかき消えた。


「よし、無事に勝てた」

「ご主人ちゃまのびくとりーなのですっ!」


 ワコがセンスを持ってオレの勝利を称えている。

 また父さんはああいうものを買い与えたのか。


「……強すぎる」


 華恋が呆然として立っていた。 


「歩ける?」

「え? あ、えっと、はい……」

「はいって……」

「あ、歩けますわ!」


 よかった。オレが知る華恋だ。

 どうもこっちで慣れ親しみつつあるオレがいる。

 だけど少しだけ顔が赤いな。

 傷口から菌が入って熱でも出たか?


「陽夜さん……あなた、どうやってここに……」

「んー、なんて説明していいのか……。まずここはわかりやすくいうと裏の世界、オレ達の世界の常に隣にある。だけど限りなく近くても決して交じり合うことはないんだ」

「よ、よくわかりませんわ」

「もっとわかりやすくいうとここは呪霊の世界、俗な言い方をすると死者の世界かな。で、華恋はそこに引きずり込まれたんだ」


 説明したものの華恋は目をパチパチさせている。

 そりゃそうだよな。こんな概念、どの本にも書かれていない。

 陰陽術が使われていた時代では当たり前の知識だったらしいけど。


 この世界は陰と陽の関係で成り立っている。

 陰が裏の世界で陽が表の世界、この二つは表裏一体だけど何らかのきっかけで繋がることがある。


「華恋がやったのは表と裏を繋ぐ手段だったんだ。なんで深夜に女子トイレのドアを三回ノックすることで繋がるのかはわからないけどね」

「それでわたくしは裏の世界と繋がった瞬間に引きずり込まれた……」

「華恋はなんでこの方法を知ってるの?」

「それは……」


 華恋が押し黙った。

 大体予想はつくけどそれを言及するのは後回しだ。


「ご主人ちゃま! 変なのがたくさんきたです!」

「長居はしてられないな」


 職員室を出ると廊下の奥から黒い影や人面蛇、二足歩行の獣人など様々な呪霊がやってくる。

 ここは呪霊の世界だから何がいても不思議じゃない。

 オレが祓った呪霊は氷山の一角でしかなかった。


「よ、陽夜さん! 戻れるんですの!?」

「大丈夫だよ。ワコ、戻れ」


 オレが印を結ぶとワコが人型の依り代に戻る。

 手早くしまった後で華恋の手を握った。


「な、なんですの!?」

「なにって戻るよ。あんなの相手にしても切りがないからね」


 印を結びつつオレは集中した。

 こことオレ達の世界は表裏一体だ。

 つまりすぐそこにオレ達の世界がある。


 限りなく近くて限りなく遠い。

 表と裏、陰と陽。

 行き来するには陰陽の概念を正しく把握する必要がある。

 

「陰陽流転……」


 周囲の風景がぐにゃりとねじれる。

 渦状に風景が飲み込まれた後、オレ達は職員室前の廊下に立っていた。

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