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龍介の苦悩

 僕は現在、小学校5年生だ。成績はいまいちで、運動も苦手。これといった特技もなく、どちらかというと暗い生徒といえる。ただ一つ特技があるとしたら、図工が得意で、絵を描くことや工作が好きだということくらいだ。同じクラスの中山君は僕よりもずっと絵が上手い。彼のように描いてみたいけれど、そう上手くはいかない現実がある。僕の絵は、見たものをそのままに描き過ぎてしまうのだと、担任の笹川先生は言った。中山君の絵は、見たものを独特に加工して描いている。それでいて精巧で、描きたいものを彼なりに表現していた。僕の絵は、描きたいものをただそっくりそのまま描いているだけだった。

 絵だけだったら僕は兄さんよりも上手く描くことはできるだろう。でもそれ以外では何一つ勝っているところはない。兄さんは中学時代は生徒会長をやっていたし、高校には主席の成績で合格している。今や高校二年生で生徒会の副会長をしており、女子に大変モテる。兄さんはこっそり女の人を家に連れ込んでいることを母さんは知らないが、僕はよく知っていた。兄さんが連れてくる女の人はみな美人で、僕はすごく気恥ずかしくなるのだった。そういうときは気を遣って兄さんの部屋に近づかないことにしている。


「おい、辰野。聞いているのか?」

 僕は兄さんのことを考えて暗澹たる気持ちに沈み込んでいた。窓の外を眺めて雲がいろいろな形で漂って、その中に羊の様なもこもことした雲を見つけ、昨日の戦いで炎になった羊みたいだ、なんて考えていた。そこへ急に自分の名が呼ばれたから、ビクンとして立ち上がってしまった。

「あ、は、はい」

 クラスのみんなはクスクスと笑っている。

「今日からマジモンの授業だぞ。新しい教科なんだから、ボーっとするなよ。いいな」

 僕は先生の言葉を聞いて、下を向いたまま「はい」と小さな声で返事をした。クラスメイトたちは「あいつには無理だって」「かわいそー」「お兄さんはカッコいいのにねー」とヒソヒソ声。


 マジモンとは小学校五年生から始まる教科であり、先日兄さんが見せた壮絶な戦いを繰り広げることができるモンスターのことだ。正式な呼び方は、イマジナリー・モンスター。略してマジモン。今日は昼下がりの五時間目がマジモンの授業だった。そして今日、そのタマゴが配られ、正式にマジモンを持つことができる記念すべき日でもあるのだ。

 僕はこの日が待ち遠しくもあったし、なんだか怖いような気もしていた。何故なら、兄さんの様な強いマジモンを育てたい、と思う反面、不甲斐ない自分ではそうもいかないだろうと、半ば諦めているような気持ちがあるからだ。


「えー、マジモンは小学校五年生で、みんなに与えられる特別な存在だ。この日を楽しみにしていた人は多いと思う。先生も小学校五年生の時、初めてマジモンを貰ったときのことはよく覚えているぞー」

 担任の笹川先生は、この学校に赴任して間もない二十代の熱血教師。僕はあまり好きじゃない。短く刈りそろえられた短髪に、くっきりとした二重瞼と大きな鷲鼻。それらが端整に整っており、見た目はかっこよく運動神経もいいから人気の先生だ。とにかく子どもとよく遊ぶ先生と評判。

 その熱血先生は手を後ろに組んで、教壇を左右に歩いている。

「先生にも子どもの頃があったんですかー? 信じられへんなぁ。小五で赤いトレパンはいとったら目立つやろ?」

 とぼけるように言ったのはクラスで調子者の村上君だ。彼の言葉でクラスはケラケラと笑いに包まれた。

「おいおい、村上。先生にもちゃんと子どもの頃はあったんだぞ。その時は青のトレパンだったな」

「結局トレパンは履くんかい」

 村上君は隣町から転校してきたばかりだけれど、キレのいい突込みをかます。そしてまたクラスはドッと沸いた。村上君は関西弁という古い方言を使っている。村上家では関西弁が普通なのだと言っていた。彼のおかしな言動に関西弁の妙なイントネーションが皆の笑いを誘う。

「冗談はさておき、これからみんなにマジモンのタマゴを渡すわけだけれど、その前に昨日の宿題の発表をしてもらいます。みんなマジモンについて調べてきたか?」

 笹川先生の質問に何人かのクラスメイトが手を上げていた。

「じゃあ、小林」

 当てられたのはクラス委員をしている女子で、彼女はクラスの中心的な人物。僕は彼女のことが好きだ。恋愛とか、そういうものは良く分からないけれど、小林さんはこんな僕にも優しくしてくれるし、気にかけてくれる。クラスのみんなが小林さんを認めていて、男子からも好きな女子として名前があがることが多い。でも、僕の場合は、話しかけられたことがある数少ない女子と言う意味での「好き」、ということなのだ。

 小林さんは宿題をまとめたノートパッドを手に取り、起立した。

「イマジナリーモンスターは、かなり昔の携帯電話機で流行していた育成型のゲームでした。当時は、いくつかの心理テストに答えて、自分のモンスターが決まったそうです。このマジモンが、占いや性格判断と一線を画したのには、成長システムがあったからです。マジモンがプレイしている人の生活スタイルや、心の状態を日々チェックすることで、千差万別のモンスターに成長していきます。

 基本的にこのシステムは現在も変わりませんが、デバイスとソフトの飛躍的な進歩、特に心理特性的アプローチによる専門家の研究により、マジモンが所有した人の心の状態をほぼ正確に反映するようになりました。やがて、マジモンを所有した子どもの心の教育や、自己モニタリング、あるいは他者との関係の持ち方など、多方面での情操教育に効果があることが実証されました。学校教育に取り入れられたのは約三〇年前でしたが、それから生徒の非行、不登校、引きこもり、いじめ等の問題が激減しています。

 しかし、現在ではマジモンを使った犯罪や、テロなどの行為が世界的に問題視されていて、マイナスの面が浮き彫りになってきました」

 小林さんはノートパッドを読み終わると顔を上げた。クラスの全員がパチパチパチと拍手をし、彼女の頭の良さと勤勉さに喝采を送った。

「よく調べてきたな。殆んど一〇〇点だ。一つ難をつけるとしたら、小林。何だと思う?」

 小林さんは首をかしげた。頭の左右で結んだ髪がその動きに合わせて揺れた。僕の目線はその髪の軌跡を追ったつもりだったけれど、つい僕の首も一緒に動いてしまっていた。

「わかりません。マジモンが私たちの性格を現すってところの説明が足りなかった、とかですか?」

「違う違う、小林。良く言えば完璧すぎることだ。とってもいい内容の発表だったぞ。でもな、今の発表は、周りの皆には難しくて、分からない人も多いはずだ。クラスでの発表は先生にするものじゃない。クラスの仲間に伝えるものなんだ。だから小林はみんなに伝わる言葉で発表することをこれから心がけような」

 笹川先生は、小林さんに注意しているのか褒めているのかよく分からないコメントをした。クラスメイトの何人かは「なんで笹川は注意してんだ?」「いい発表だったよね?」と不思議そうに言っていた。

 当の小林さんは、「はい」とだけ言って席に着いたが、彼女は決して嫌そうな顔はしていなかったし、どこか納得したような表情でノートパッドに何かメモを打ち込んでいた。僕も笹川先生のいうことは正しいと思った。他に何人か同じことを思っていた人もいたはずだ。小林さんの発表は難しすぎてよく分からなかった。きっと大人用の検索バーナーを使ったのだろう。

 僕ら小学生には子ども用のワールドネットがあるのだが、勉強の進んでいる子は、こっそり親のパソコンを使ったりしている。子ども用に加工されたワールドネットはまるでおもちゃの様な見た目で、小学生の五、六年生には物足りなくなってくる。そのかわり、ネットのライブライドという機能はまるでネットの世界を歩くように体験できる比較的新しいブラウザで、マジモンを媒体として体験できるシステムになっている。

 そういえば小林さんの家には学習用お助けアンドロイド、ポチザブロウがいるはずだ。裕福な子どもの家には犬型のポチザブロウが家庭教師のように勉強を見てくれる。普通の家庭の子どもは猫型のタマエモンという学習用お助けロボが一般的なのだそうだ。やや性能におとり、気まぐれな一面もあるが、そこが憎めない。時に夏休みの宿題を貯め過ぎてしまった場合や、クラスのガキ大将にいじめられたときには、並々ならぬ「お助け」をしてくれるらしい。これは村上君の話なので信憑性に欠けるのだが。

 かく言う僕は、母子家庭ということもあって、家庭用お助けアンドロイドは買い与えてもらっていない。僕のようなダメな子どもにこそお助けロボが必用だと思うのに、全く不公平だと思った。

「僕もタマエモンに、秘密道具のようなお助けをしてもらいたい」とクラスメイトに言ったところ、そんなものはない、と一笑に伏されてしまった。またしても村上君に騙されてしまったし、自分の他力本願な性質がばれてしまい、恥ずかしい思いをした。


「マジモンについては、テレビや本でもみんな詳しいと思う。特に兄弟がいる人はマジモンと遊んだこともあるはずだ。このクラスの中には、マジモン世界総合選手権で八位に入った兄をもっている人もいるからな」

 笹川先生はそう言って僕を一瞥し、クラスのみんなも僕を見ていた。先生はきっとワールドネットの中継で、兄の戦いを見ていたのだろう。僕は親友の星川君にも幼馴染の宇佐美にも兄のことはまだ話していなかった。だからバツが悪くてずっと下を向いていた。

 クラスのみんなは「すげー」「ほんとにー?」などと言うものもいれば、「兄さんが凄くてもなぁ」「すげえ兄キってのもなんだかな」という声も聞こえる。ただ僕は昨日の兄の戦いをじかに見ていたのだ。それだけは僕が唯一誇れることだった。お前らはあれを見てないだろ? と。


「よーし。じゃあ、マジモンのタマゴ配るぞー。歯食いしばれよ」

 笹川先生は声を張り上げた。なんで歯食いしばる必用があるんだろう? こういう変に熱血なところが僕は苦手なんだ。

「せんせーい。わたひ奥歯が抜へてて、食ひしばれまへーん」

 間延びした声で、しかも奥歯が抜けたことをアピールするように両手の人差し指で「いー」と口を伸ばしている女子が言った。宇佐美だった。

「あー、なんだ、気分的に歯を食いしばるくらい、心しとけってことだ。解説させないでくれよ、宇佐美」

 先生はうなだれた。

「ドンマイ、サッサ。冗談はもっと分かりやすくね」

 サッサとは笹川先生のあだ名。クラスでも運動神経抜群で、色黒女子の佐藤さんが先生をフォローした。彼女は笹川先生の運動神経にほれ込んで一方的に好意を寄せている女子の一人だが、クラスでは少し微妙な立ち位置にいる。

 その横で宇佐美は膨れて「もぉー」と膨れ面。クラスはその様子に笑いが絶えず、にぎやかだった。


 パン


 先生が一つ大きな拍子を打ち「はい」と言った。真剣な時の笹川先生の手法だ。

「いいか? マジモンは、もう一人の自分だ。この言葉の意味はまだよく分からないかもしれないけど、明日マジモンが生まれたら分かるようになる。タマゴを配るぞ」

 そう言うと笹川先生は教室の隅からダンボールを運んできた。

「一人ずつ取りにくるように。出席番号順だぞ。タマゴはみんな一緒だから、どれを選んでも変わらないぞ」

 出席番号一番の藍田君は立ち上がり、緊張した面持ちでダンボールの前に向かった。彼がダンボールからタマゴを取り出すと「おー」という歓声があがる。藍田君もお調子者だった。「とったどー」と言ってクラスを笑わせた。

 先生はすかさず藍田君の頭をはたいた。

「漁じゃないんだから。これは配給制だ」

「戦時中かい」このつっこみは村上君だ。

 意外にも藍田君が手にしたタマゴはニワトリのタマゴほどの大きさしかなかった。僕としてはダチョウのタマゴくらいの大きさを想像していたのだけれど。

 順番が回ってきて僕も席を立ちタマゴをとりに行った。箱の中にはタマゴが敷き詰められている。笹川先生は「どれも同じだ」と言っていたけれど、なんとなく選びたくなってしまう。これから一生を伴にするパートナーができるのだ。下手を踏むわけにはいかない。こういう変な慎重さはいかにも自分らしく、笹川先生も何の疑いもなく僕を見ている。

「どうした、辰野? 迷う必要なんかないんだぞ」

「あ、はい」

 僕は選別もほどほどに一番右下の隅にあるタマゴを選んだ。皆がタマゴをとって席に着く。タマゴを天井の照明にかざしている人もいれば、耳に当てて音がしないかと確かめている人もいた。お調子者の村上君は「コンコン」とタマゴを机の端に打ち付け、割る動作をして皆を驚かせた。

「村上、そのタマゴは絶対に割れないぞ。先生もよく分からんが、高分子結晶のナンタラカンタラって物質が凝集しているらしい。鉄よりも硬いらしいから、投げつけてもわれないとさ。だからってなげるなよー。変なモンスター生まれてきても知らないぞー」

「えー、やだー」「私可愛いのがいいよ」「俺も強いのが欲しいー」みな口々に自分の将来の相棒への期待を口にする。

 しかし、僕は内心すごく不安だった。先生が「変なモンスター」といった言葉にさらに不安は広がっていた。僕はクラスでも「ダメ」な部類の生徒であり、そういった意味でからかわれたり、馬鹿にされることもあった。ただ、自分ではいつも真剣で、何事にも真面目に取り組んでいるつもりだったけれど、成果が伴わない。


「よーし、みんな、タマゴを孵化させるための準備をするぞー。タマゴを机の上に置いて、机のスイッチを入れなさい」

 皆は先生の指示に従う。机のスイッチを入れると、机の表面全体が発光して、画面が表示された。最近の小学校では、机の表面がタッチパッド式の画面を兼ねているものが主流だ。机の上にタマゴを置くと、波打つように画面が揺れ、波紋が広がった。タマゴを転がすと、その波紋が追いかけるように波打つ。

「みんな、置いたか? そしたら携帯電話を出すこと」

 クラスメイトの殆んどは左手をまくり上げ、腕時計型携帯電話のボタンを押してホログラムの画面を空中に表示させた。メガネをかけている人は起動ボタンを押して、レンズに画面を表示させている。

「みんな、用意はできたかー?」

「せんせーい。私の携帯調子悪いみたい。画面が表示されないよ」

 不安そうな声を漏らしたのは宇佐美だった。笹川先生は「どれどれ」と言って宇佐美の左腕を覗き込んだ。

「宇佐美ー。バンドが逆になっているぞ」

 そう言われて宇佐美はポカンとしていたが、しばらくして気づいたのか顔を赤くさせてバンドを巻きなおしていた。どうやったら投影画面側を内側に巻くよう事態になるのだろうか? 幼馴染ながら頭が痛い。

「みんな用意できたな。じゃあ携帯に表示された、イマジナリー・モンスター・システム、通称IMSのアイコンを押しながら、タマゴをさわる。これで自分に蓄積された情報がタマゴに転送されるぞー」

 僕は左手でタマゴを押さえつけるように触って、空中に表示された画面のIMSに触れた。その瞬間、タマゴが発光し、携帯の画面には文字列が慌しく上下に流れている。隣の人を見ても全く同じで、クラス全体がタマゴの発光で淡い光に包まれていた。一分ほどその状態は続き、発光は止んだ。クラスメイトたちはタマゴに何か変化があるのではないかと思って、食い入るように見ていたが何も起こらない。

「そんなに見ても無駄だぞ。今日はここまでだ。タマゴの孵化は明日のこの時間だぞ。それまで楽しみにしているように」

 笹川先生は何故か少しニヤニヤしていた。そして懐かしそうに遠くを見て話し始めた。

「先生はな、このタマゴをもらって孵化するまでの一日が楽しみ過ぎて全然寝れなかった。その時の気持ちを思い出したら懐かしくてな。どんな奴が出てくるのかなぁ、強いカッコいいモンスターだろうか、なんて考えてたら寝れなかった。みんなはそんなことないように」

「先生」

 手を上げたのは星川君だった。クラスで一番モテて、美男子で頭もいい。切れ長の目に、細く通った鼻梁。前髪は額の真ん中から綺麗に分けられて、左右になびいている。後ろ髪は肩に付くかつかないかという程度に切りそろえられて、真っ直ぐに伸びており、彼が歩くたびにふわふわとその後ろ髪がなびくのだ。一部の女子はその様子に熱を上げて星川君を熱い眼差しでみやる。

 彼は男子のクラス委員をしていて、そして僕の親友だ。

「何だ、星川?」

「今日は普通に生活していていいんですよね?」

「お風呂に入っても大丈夫ですかぁ?」

 星川君の質問に、笑いをとろうと村上君が続いた。

「インフルエンザの注射じゃないっちゅうの」

 隣の席の藍田君が突っ込みを入れた。ここ最近藍田君がお調子者となっているのは村上君が転校してきて、隣の席になったからだと思う。必然的に突っ込みの役割を求められているような。

「あはは。大丈夫だ、風呂に入っても問題ない。普通どおりにしてたらいいぞ」

 笹川先生は笑いながら言った。「そっか、良かった」と方々で聞こえた。星川君の質問はみんなの気持ちを体現していた。皆これから誕生するパートナーを迎えるにあたって、慎重になっているようだ。

「あ、そうだ。一つだけあった。忘れていた。今日は怖い映画や番組を見ないこと。いいな」

 先生は指を立てていった。そこらじゅうから「なんだよ、それー」と口々に笑い混じりの声がした。僕はもとより怖い番組なんて見ることはないので関係ないなと思っていた。先生は心にストレスがかかるとタマゴが生まれないことがあるのだと言っていたけれど、殆んど誰も聞いていなかった。


 下校時間になり、僕は下駄箱で靴を履き替えた。まだ日が暮れるには早い時間だ。玄関口を出れば、暖かい日差しが降り注いでいる。僕の隣では星川君が下駄箱の蓋を開けて、うんざりとした表情をしていた。

「また、いっぱい?」

 僕はルーチンワークのように星川君に尋ねた。

「最近はそうでもないんだけどね、なんか同じ子が毎日くれるみたい」

 星川君は毎日のようにラヴレターを貰っている。下校の時に下駄箱の蓋を開けると少なくとも二、三通の手紙が入っているのだ。

「誰から?」

 僕はなんとなく聞いた風を装って、内心では大変興味があった。小学五年生ともなると色恋の話が少しずつ気になってくる。

「隣のクラスの長谷部って子らしい。顔もよく分からないんだけど」

「長谷部ってかなり可愛い子だよ」

「そうなのか。たっつん、詳しいのな」

 そういうと星野君は手荒くラブレターを鞄にしまった。彼は誰にも返事を書いたことはないらしい。ちなみに、「たっつん」とは僕のあだ名。

 僕はこの稀代のモテ少年と親友だ。家を二軒はさんで隣同士ということもあり、毎日登下校を伴にしていた。クラス替えでも五年間一緒のクラスであり、「不思議な繋がりがある」と二人で笑いあった。僕らは校門をくぐって、しばらく道をとぼとぼと歩いていた。初春の風が頬に気持ちよかった。

「おーい」

 振り返ると村上君が走ってくるのが見えた。

「置いてくなよぉ。寂しくて死ぬかと思ったやろ」

 村上君は肩で息をして変なことを言っている。

「寂しくても死なないよ」

 僕は冷静に答えた。

「いや、ちゃうやん、そこはウサギかよ、ってつっこまな」

「ウサギかよ」

 星川君は棒読みがちに言った。

「遅っ。村上はウサギみたいに可愛いもんなぁ、どこがじゃ」

 村上君は激しいジャスチャーでボケとつっこみを一人で演じた。僕と星川君はそれが可笑しくて笑っていた。

「これがノリつっこみや。結構な高等テクなんやけど、俺くらいのレベルになると息をするのと同じようにできるようになる。二人とも頑張りや」

 何故か村上君は僕と星川君にお笑いを教えようとしている。村上君は新学期が始まる前に近所に引っ越してきたのだ。だから五年生になってからは彼も一緒に登下校している。

 村上君が合流してから、非常にゆっくりな速度で歩いていた。話に夢中になっていたからだ。


 トテトテトテと、遠くから独特の足音が聞こえてきた。

「たっつーん。みんなー」

 宇佐美がペンギンの様な走り方で、こちらに向かってくる。僕ら三人は振り返って宇佐美が来るのを待っていた。彼女は走っているのにその速度は遅く、本当に進んでいるのだろうかと思うほどだった。

 ドテ。

 宇佐美は僕らの目の前で手を付かずに転んだ。僕は内心「痛てー」と思って肩をすくめた。宇佐美は起き上がると、赤いスカートの裾をパンパンと払って、舌を出して「エヘヘ」と笑った。鼻を打ったらしく、赤い顔をして涙目になっている。周りにいた生徒はそんな宇佐美の姿をみてクスクスと笑っていた。

「転んじった」

 宇佐美は前歯のない顔で笑って言った。

「大丈夫か、ウサ?」

 心配そうに言う星川君。

「ウサってほんとドジやな」

 村上君は遠慮のない指摘をした。

 彼女は仲間内からウサと呼ばれている。かなりそのままなネーミングだけど、ウサギにどこか似ているから、と星川君が言っていた。彼女は僕の隣の家に住んでいて、家族ぐるみで付き合いがあり、物心付く前から宇佐美と遊んでいた。だからなんとなく兄弟のように思うこともある。実際はそれ以上の関係なのだけれど。宇佐美は僕のようにデキが悪いほうの部類だったから、実の兄弟である龍一兄さんよりも宇佐美には親しみがあるのだ。まあ、それだけではない事情もあるのだけれど。

 最近ではこのメンバーでの下校がパターンになっていた。

「今日はどうする? ほっしゃんは今日塾ないんやろ? だったら皆で遊ぼうや」

 ほっしゃんは星川君のことだ。

「桜を見よう」

 僕は珍しく自分から主張した。町には桜が咲き始め、ところどころ桃色に染まった景色が見えはじめている。陽気の良い、青空が眩しい日だった。

「ああ、僕もそうしたい」

「うん、ウサもウサもー」

 実は僕と星川君、宇佐美は、毎年この季節にはのんびりと桜をみることが恒例になっている。

「なんや、花見か。意外にみんな年寄りくさいな。まあいいけども」

「じゃあ、駄菓子屋で何か買ってこう、おー」

 宇佐美はぴょんぴょんと跳ねて言った。確かにこういうところはウサギっぽいかもしれない。

「今日はどっちにする? 並木公園か、裏山のヘボ神社か?」

 そう言った星川君も嬉しそうだ。この季節はみな顔がほころぶ。

「公園は人が多いから、マジモンのタマゴを見せ合ったりするのよくない気がする。ヘボ神社にしない?」と僕。

「せやな」

 村上君はポケットのタマゴを触りながら言う。

「ねえねえ、サッサがさ、今日は怖い映画とか番組見るなっていってたじゃない。ヘボ神社って幽霊さんが出るって噂があるよね? 行っても大丈夫かな?」

 宇佐美は身を縮めて、さも怖そうに言う。彼女はヘボ神社に行くたびにビクビクしている。今も唇をぎゅっと結んで、手をグーにして握り締めていた。

「幽霊なんか出ないって、ウサ」

 星川君は笑顔で宇佐美に言った。宇佐美は星川君の顔を見て、そして僕の顔を見た。僕は「大丈夫だ」という意味をこめて頷いた。

「うぅ。みんなが行くならウサもいくよぉ」

 

 駄菓子屋に到着すると、何人か同じ学校の生徒が陳列棚を物色している。その中に小林さんがいた。僕は足早に彼女に近づく。向こうも僕に気づいたらしく、顔を上げた。

「辰野君、ごきげんよう」

 小林さんはニッコリと笑って僕に手を振ってくれた。でも、ごきげんよう? どういう意味なんだろうか。

「あ、あの、小林さんもこんな所に来るんですね」

 僕は殆んどしどろもどろだった。

「ええ。駄菓子好きなの。安い味っておいしいよね」

 ニコっと笑った小林さんの顔を僕は一生忘れないかもしれない。それくらいクラっときた。そうか、僕はやっぱり彼女が好きなんだ。そう思った瞬間だった。

「うん、おいしい」

 僕が言えたのはそれだけだった。小林さんは僕の後ろにいた星川君に気づくと、彼のもとに歩いていき、何か話していた。星川君は真剣な顔で小林さんの話を聞いている。時折頷いては何か言っていたようだけど、小林さんの勢いに負けて聞き役になっている星川君。

 僕らはそれぞれ駄菓子を買って店の前で待っていた。星川君が出てこないのだ。僕はさっき買ったフィーリングガムとココロミックという雑誌を眺めていた。ガムの包み紙の中に入っているクジに当たると、マジモンのステータスがアップする、という特典がある。ココロミックはマジモンを中心とした漫画が載っていて小学生のバイブルになっている。明日から自分のマジモンができるのだ。そのために五年生達は駄菓子屋で当たりつきのガムやアイスを買いあさっている。ちなみにアイスは「ムチムチちゃん」。ムチムチというよりはでっぷりした女の子が、棒アイスを何本も口に加えているパッケージが人気を博している。

 星川君と小林さんが並んで出てきた。

「おまたせ」

 星川君は言った。すこしげっそりしていた。

「私も行くわ」

 小林さんは宇佐美を見ていった。僕は小林さんが来るというだけで浮き足立っていたのだが、村上君や宇佐美は違っていた。

「え、そうなんだ」

「かまわへんけどな」

 俯きがちに彼らは言った。宇佐美に関しては明らかに不機嫌そうだった。


 僕らは神社に向かう途中、あまり喋らなかった。僕は小林さんと話がしたかったけれど、何を話せばいいのか思い浮かばなかった。星川君と村上君はなにかコソコソと話している。

 神社の入り口は、平地にぽっこりと聳えた山のふもとにある。山といっても標高は五〇メートルほどしかなく、地図上では山という扱いにはなっていない。木々がうっそうと茂って、神社の入り口は薄暗い。

「ねえ、どこ行くの?」

 小林さんは不安げに言った。

「ヘボ神社や」

 村上君がポツリと応えた。

「ヘボ神社?」

「白蛇神社のことだよ、小林さん。あの神社ボロボロだから、僕らはヘボ神社って呼んでるんだ」

 星川君はそう言って歩き出した。そこに村上君も続いて、僕も後を追う。

「ほっしゃん、ムッ君、たっつん。やっぱりやめない? ウサ怖いよ」

 宇佐美は泣きそうな顔をしている。その横に立った小林さんはどこか不安げな表情と、何かを言いたそうな様子だった。

「この山は子どもだけで入っちゃいけないことになっているよね。それに家に帰ってもいないのに、駄菓子屋に寄って、これ買い食いってやつだよ」

 小林さんは意を決したように言った。それを聞いて村上君は「はあ」と一つため息をついた。星川君は下を向いて鞄のベルトに手をかけている。

「いい子ちゃんは置いてこうや」

 村上君はそう言うとスタスタと歩いていった。星川君も何も言わずに歩き始めた。

「ちょっと、星川君。あなたもクラス委員でしょ。いいの?」

 星川君はふり向かなかった。

「ねえ、小林さん。僕達はお花見に行くんだ。ヘボ神社の桜はとっても綺麗なんだよ」

 僕は小林さんに説得を試みた。宇佐美は僕の服の裾を引っ張っている。

 小林さんは何も言わずに星川君たちの後を追いかけた。彼女もきっとあの桜を見れば小さなルールなんてどうでも良くなってしまうだろう。僕はそう願って歩き出した。

「ねえ、たっつんは小林さんが好きなの?」

 宇佐美は膨れて言った。図星だったけれど、幼馴染に自分の気持ちを見透かされたことが気恥ずかしい。

「え、別にそういうわけじゃないよ」

「そっか」

 宇佐美は頬を膨らませて明らかに不機嫌な顔をした。


 僕達は山頂に着くまで、ずっと無言だった。村上君は小林さんが付いてきたことに意外そうな顔をしたけれど、何も言わなかった。途中、草木が特に密集している場所があって、そこは夜のように暗かった。まるで森の中にできたトンネルの様な場所で、宇佐美は僕の腕にしがみついていた。遠くで鳥が「グァ」と鳴いて、僕達は背筋を伸ばした。カサコソと茂みで何か動くたびにビクビクしていた。しばらく歩くと、日が差し込んでいる場所があり、そこを抜ければヘボ神社の境内がある。僕らは森のトンネルを抜けて立ち止まった。

 開けた場所は背の高い木に囲まれた広場のようになっている。人の手が入っていないから、草は伸び放題だ。広場を囲う木はどれも背が高く、林の中は暗渠になっている。そこに神社と、一本の大きな桜があった。桜はこれでもか、と満開に咲き誇って、広場に差し込んだ光を受けて綺麗な花びらが一枚、二枚、ヒラヒラと舞っている。

「何や、これ」

 村上君は驚いて目をまん丸にしている。小林さんは口を開けたままポカンとしていた。僕は少し得意になった。この場所を知っているのは、今まで星川君と宇佐美と僕だけだったのだ。今年は村上君も加わり、そして僕の好きな小林さんもいた。僕は率先して草を掻き分け、境内へと向かった。しばらくして振り返ると、まだ村上君と小林さんはポカンとしていた。

「二人とも、早く来なって」

 星川君がそう言って、呆けていた二人は我に返ったように駆けてきた。僕達は神社に着くと境内に架かる階段に腰を据えた。今年も相変わらずオンボロ神社だ。この階段もそろそろ木が腐って危ないかもしれないと思ったけれど、意外にしっかりしている。階段の先に見える境内の中はぴっちりと戸が閉まっている。何年か前に 僕と星川君が開けようとしたけれど、びくともしなかった。その時宇佐美は酷く怯えていて、今にも泣き出しそうだった。

 僕らは階段に腰掛けてぼんやりと桜を見ていた。

「こんな桜は初めてや」

 村上君は口をあけたまま閉じていない。

「私もよ」

 小林さんも驚いたように桜を見上げている。枝を自由に広げた桜の木はその下にまばらな影を作ってプリズムのように輝いている。

 僕と星川君、宇佐美は顔を見合わせて笑った。三人は無言で「だって誰にも言わなかったから。僕らだけの秘密の場所なんだ」と目で微笑んだ。

「しかし、でっかい桜の木やなあ。この神社よりも大きいで」村上君は言う。

 幹の円周は一〇メートルあることを僕は知っている。測ったことがあるのだ。高さは一三.四メートル。これは星川君が測量の方法で計算した。

「これって本当に桜なの? 青とか黄色とか、桜の花びらって普通ピンクだよね?」

 小林さんはまだ開いた口を閉じていない。

 そう、この馬鹿でかい桜は、三色の花を咲かせる。

「んー、何でなんだろ?」

 僕にはさっぱり見当が付かなかった。

「綺麗だよねー」

 宇佐美はうっとりしていた。このヘボ神社にきてビクビクしている宇佐美だったが、桜を見ているときだけは心が和むらしい。

「僕の推測なんだけど、異なる種類の桜を接木したんじゃないかな。青や黄を咲かせる種類もあるって聞いたし。実際にこの町で見たことはないけどね」

 星川君はさすがに物知りだ。小林さんは「へー」と言って感心していた。


 僕達は買ってきた駄菓子を開けて食べた。ラージカツは星川君のお気に入りだ。僕は自分の買ったラムネを少し星川君にあげて、彼はカツを千切って僕にくれた。宇佐美とは違う味のラムネを交換し合った。小林さんはすっぱいジャムの煎餅を僕に分けてくれた。とても嬉しかったので僕はフィーリングガムを半分小林さんにあげた。

「たっつん、顔真っ赤だぞ」

 星川君はニヤニヤして僕のわき腹をつついた。僕は俯いて顔をぶんぶん振った。小林さんは何食わぬ顔で桜を見ている。僕の右となりに座っている宇佐美はふくれっつらだ。何が面白くないのか。

 僕達はこうやって駄菓子を交換し合って、いろんな種類のお菓子を食べられるようにしていた。そういう決まりがあったわけではなくて、なんとなくそうしていたのだ。今日は憧れの小林さんとお菓子を交換することができた。僕にとって記念すべき一日になりそうだ。

 ただ、村上君とは誰もお菓子を交換しない。正確にいうと、できないのだ。村上君はデリシャスバーの塩辛味や、くさや味、青汁味といった、正常な味覚の持ち主からは敬遠されそうなものばかりを買って食べているのだ。おいしそうに。

 村上君は僕らと、ちょっと遠慮したいデリシャスバーたちを交換したがるのだが、みなそっぽを向いている。少しかわいそうだから、僕は少しだけ村上君にお菓子をあげることがある。そんなときは、村上君は納豆味のデリシャスバーをくれる。僕はそれをちょっと我慢して食べる。

「どや、たっつん、美味いやろ?」

「う、うん。まずくは、ないよ」

 僕はぎこちなく答えてしまう。隣で星川君と宇佐美が引きつって笑っていた。

「村上君、その棒から、お父さんの靴下の臭いがします」

 小林さんはすっぱりと言い放った。僕らはその一言をずっと我慢してきたのに。

「小林、お前の父ちゃんの足って、そんなに美味いのか?」

「臭いっていってるのがどうして分からないの? だいたい村上君、デリシャスバーのドリアン味。それ凶器よ。いや、狂気と言ってもいいわ。それを食す人間に一ミリだって共感できない」

 僕と星川君と宇佐美は、村上君が一番最初に封を開けたドリアン味の臭いを思い出して暗い気持ちになった。

「ば、お前、ドリアン味の良さが分からんとは何たる味覚音痴」

「ムッ君がそれ言う!?」

 みんなの声が揃った。

「くっそぉ。俺は何一つボケたつもりはないんやけどなぁ」

「村上君はきっと舌がみんなと違うんだよ」

 僕は悲しそうな村上君を慰めた。

「うん、ウサもそうだと思う。ムッ君の舌はきっと不味いものが好きなんだよー」

 おい、宇佐美。僕は心のなかで宇佐美につっこみをいれた。

「ウサー、それフォローになってないよ」

 星川君は諭すように言った。

「プッ」

 小林さんが笑った。彼女は堪えきれずに「あはは」とお腹を抱えて笑い出してしまった。「ひーひー」という引き笑いまでして。

 僕らはこんなに笑っている小林さんを初めてみたものだから驚いてしまった。

「なんか、ここが入っちゃいけない場所だとか、買い食いのこととか、どうでも良くなっちゃった」

 小林さんはニコッと笑っていた。その笑顔は駄菓子屋で見た時の笑顔よりも本物らしかった。


 僕達は駄菓子を食べ終え、小腹が落ち着くと示し合わせたように鞄やポケットをまさぐった。一端家に帰った小林さんは、肩からかけた小さなポーチに手を入れた。やっぱり彼女も持ってきていた。

 みな顔を合わせると、一斉に「はい」と言ってタマゴを差し出した。見せ合っても結局同じタマゴなのだけれど。

 ん? 

 僕以外のタマゴにはみな模様が入っている。

「みんなのタマゴ、色が付いてる。僕のは白いままだ」

 みな自分のタマゴをじっと見ていた。宇佐美のタマゴはほんのりとピンク色に染まっていたし、村上君のは茶色に全体が濃く染まっている。小林さんのタマゴは薄い青だった。そして星野君のタマゴは一見すると真っ白なのだが、うっすらと青と赤、黄色のラインが絡み合うように全体に走っていた。

「すげー」と星川君。

「ウサのピンクだ。可愛い」と宇佐美。

「俺のは茶色かい。うんこみたいやんけ」村上君は汚い。

「海の色ね」小林さんは感想までしとやかだ。

「僕のは変わってないな。ねえ、みんなどんなマジモンが欲しい?」

 全員少しニヤけてお互いを見合った。マジモンが持てる日を小学五年生は誰もが楽しみにしている。その念願が明日叶う、というだけで顔が綻んでしまう。

「ウサはとにかく可愛いのがいいよ。ギュってして一緒に寝るの。やっぱりウサだからウサギかな。羊さんでもいいよー。あはは」

 前歯が抜けていて宇佐美の笑顔はどこか間抜けだった。マジモンに可愛さしか求めていないのもどうかと思う。

「ウサのマジモンは絶対可愛いから大丈夫だよ」

 星野君は宇佐美を見て笑った。「ピンクだしね」と付け加えて。

「ほっしゃん、ありがとぉ」

 木々の間を風が通り抜けて、葉や枝を揺らす音が聞こえた。草花も風に揺れて左右にかしげ、色とりどりの桜の花びらがキラキラと舞った。異なる色の花びらが舞うように落ちていく。

 小林さんはすこし面白くなさそうな感じに宇佐美を見つめていた。でもそれを必死に隠そうとしている表情だ。奥歯を強く噛み締めているのが分かる。

「私は頭のいいマジモンが欲しい。冷静でクールで優秀。みんなから尊敬されるような。凛とした犬がいいわ」

 小林さんは潔く言いきって、僕はその言葉に「うんうん」と頷いた。彼女にぴったりだと思ったからだ。ちなみに犬のマジモンは学校の先生や公的な機関で働いている人に多く、頭のいい人に多いマジモンだ。

「小林さんのマジモンならきっと優秀だよ」

 僕は思ったことをそのまま言った。

「俺はな、やっぱり面白い奴や。人の物真似がうまかったり、動作で笑わせられるやつがええなあ。でも笑いとれる奴ってのは頭もよくなきゃあかんから、馬鹿すぎても困りよるし。喋りよるインコみたいな鳥がええ。二人で漫才できるしな」

 鳥と村上君が漫才をするところを想像して僕は笑ってしまった。村上君がボケて、鳥は羽で「なんでやねん」とやるんだろうか。そしたら藍田君はつっこみの地位を脅かされるだろう。みんな同じことを思っていたのか笑っていた。

 夕暮れの赤い日差しが神社と桜の木に差し込む。僕らは左斜め前から淡い赤色の夕日に目を細めた。

「ムッ君らしいな。そうだな、僕はたっつんのお兄さんのようなマジモンが欲しい。ライガのように強くてカッコいいマジモン」

 僕は不意に星川君から兄さんの話が出て身を硬くした。

「そうや、そうや、たっつんの兄さんは世界選手権でベスト八にはいったんやって、サッサが言うてたけど、ほんまか?」

 村上君は迫るように言ってきた。

「ウサもまだ聞いてないしー。昨日たっつんの家に遊びに行ったら誰もいないしー」

 宇佐美は頬を膨らませて、ぷんぷんしている。

「昨日僕は、父とネット中継を見ていたんだ。だから龍一兄さんの成績は知っていたよ。たっつんは会場で見ていたんだろ?」

 僕は小さく頷いた。星川君は僕の兄さんを「龍一兄さん」と親しみをこめて言う。

「ねえ、どうだった? 龍一兄さん強かったんだろ?」

 星川君は僕にすがるように聞いてきた。目をキラキラとさせ、整った顔を近づけて。

「うん。強かったよ。星川君ネットで見ていたんだね。兄さんのライガがミューズってマジモンと戦っていただろ。ボロボロになったけど、最後で電流を放った。実はあれ、今までのライガはできなかったんだ。兄さんはエレメントの放出は不得意だったから」

 星川君は眉を上げて、目を丸くした。

「すごいじゃないか。それはすごい」

 そう言ながら星川君は僕の肩を揺すった。その時だった。彼は手にマジモンのタマゴを持っていて、僕を揺すったときにタマゴを落としてしまった。「コン」と木製の階段に落ちたタマゴは、そのまま「コンコンコン」と転げ落ちた。星川君はすかさずタマゴを追いかけた。みな遅れて彼の後に続く。このヘボ神社の境内へ続く階段は、段の一つ一つが低く、無駄に数が多い。タマゴは転がり続けた。

 転がったタマゴはそのままの勢いで桜の木にぶつかった。いち早く駆けつけた星川君は桜の木の前で立ち止まる。なぜか星川君は後ずさりした。

 僕は星川君に追いついても事態が飲み込めなかった。村上君も宇佐美も小林さんも顔を引きつらせている。その目線の先に何かあるようだったが、僕からは星川君が影になって見えなかった。僕はそっと右にずれて、桜の木の根元をみた。


 大口を開けた白い蛇が、パクリと星野君のタマゴを飲み込んでいた。飲み込まれたタマゴは蛇の体を沿うように流れていく。ある地点に達すると、蛇が全身を震わせて力を混めたのが分かった。

 ヴァリヴァリ、ジュ、バリバリ。

 背筋がゾワっとするような音がして、蛇は体をくねらせる。夕日に照らされた蛇は不気味で、タマゴを割った体の表面は次第に平たくなっていく。笹川先生は言っていた。「このタマゴは鉄よりも硬い」と。そのマジモンのタマゴを目の前の蛇は砕くように飲み込んだのだ。


『我を呼ぶものは誰ぞ。我、死して尚古き意志を継ぐ者なり。調和となる御人のため、御霊をささげその天命に従うべし』


 頭に直接語りかけるような、その声は禍々しく擦り切れるように不快で、そして低音に響く不気味な声だった。

「きゃー」宇佐美は腰を抜かして叫んでいた。そこに小林さんが「宇佐美さんしっかり」といって立たせ、走り出した。村上君もすっかり怯えきって、立ちすくむ星川君と、逃げ去る宇佐美たちを交互に見ていた。村上君は足がガクガクと震えて、この緊張に耐えられなくなったのだろう、脱兎のごとく走り出した。

 僕はじっと立っていた。正直に言えば怖い。でも親友の星川君のタマゴが蛇に飲まれたのだ。ここで逃げだすほど情に欠けていない。僕は蛇から視線をはずさなかった。お前は俺の友人のタマゴに何をしてくれたんだ、と目で訴えた。

 蛇はとぐろを巻いて小さくなったかと思うと、星川君のタマゴそっくりの大きさになった。形やその模様までそっくりに。

 星川君は全く動かなかった。

「ねえ、星川君?」

 話しかけても彼は微動にしない。意を決して、僕は桜の木の根元にあるタマゴを拾った。タマゴは少し熱を持っていて、生まれたてのように暖かかった。

「ほら、星川君のタマゴ」

 僕はタマゴを手にとって付き出した。蛇に飲まれ、再びタマゴとなったそれを。かなり気味が悪かったけれど、星川君の心中を察すると、そんなそぶりを見せては彼を傷つけるかもしれない。僕は顔を上げて星川君の顔を見た。


 右から射し込んでいる夕日の赤を差し引いても、彼が涙目になっているとしても、それでも説明の付かないほど、星川君の目は赤かった。瞳が血のように赤いのだ。

「ダメじゃないか、たっつん。どうして逃げなかったんだい」

 星川君の目を見ながらその言葉を聞いて、僕は気を失った。


 僕は気づくと家のソファーに寝ていた。台所では母が子気味よく包丁を動かしている。部屋には夕げの匂いが立ち込めている。僕の頭に濡れたタオルが乗っていた。起きてエプロン姿の母さんに声をかけた。

「母さん」

「あ、気づいたのね。遊んでいる最中に具合が悪くなったんだって? 星川君が送ってきてくれたのよ」

 僕の頭に真っ赤な瞳の星川君がよぎった。

 夢…、だったのだろうか? それにしては鮮明な感じがした。寝ている間に現実感のない嫌に鮮明な映像を見ていた気がする。白い何かに乗って空を飛んでいるような。

 頭の奥がズンズンと重かった。


 僕はダイニングテーブルについて用意された夕食を食べた。お膳は三つ用意してあり、その一つのご飯茶碗が伏せてあることから兄さんはまだ帰っていないようだ。

「兄さんは今日も遅くなるの?」

「マジモンの特訓で忙しいみたいね。選手権でいい成績だったから少し休めば良いのに、って言っても聞かないのよ。優秀な人ってのは休み知らずね。龍介も遊んでばっかりいないで、頑張りなさい。明日はマジモンのタマゴが産まれるんでしょ? 努力すれば兄さんのようになれるわ。きっと」

 僕は母さんに、そして優秀な兄さんにうんざりしている。兄さんが優秀だとどうしても比べられてしまうから。母さんは僕ら兄弟に過剰な期待をしている。兄さんはそれに応えてきた。母さんが要求することには殆んどと言っていいほど応えてきたのだ。

 テストでの満点。

 徒競走の一等賞。

 作文コンクールの金賞。

 自由研究の大臣賞。

 僕には到底届かないものばかりだった。僕がたまに受賞する、絵画コンクールの銀賞や銅賞は母にとって満点に届かない後一歩の落第なのだ。

 玄関が開く音がした。兄さんが帰ってきたようだ。リビングに入ってきた兄さんは僕に向かい、「今日タマゴを貰っただろ?」と聞いてきた。どこで知ったのだろうか。

「仲間の弟がお前と同じ学年だからな。見せてみろよ」

 そういわれて、特に断る理由もなかったからポケットからタマゴを出して兄さんに差し出した。兄さんはそれを受け取ってしばらく見つめていた。

「白…か。大事にしろよ」

 それだけ言うとタマゴを返してきた。高校のブレザーの胸元をはだけさせ、ネクタイを緩めた兄さんは、既に制服を着こなしているようだった。最近はすこし髪を染めたらしい。僕とは似ていない顔立ちで、背も高い。ただ、タマゴを見ていた兄さんの表情はどこか遠くを見ているようで、焦点が合っていなかった。出来の悪い弟を思い、暗澹たる気分になったのだろうか。

「僕、具合が悪いからもう寝るよ」

 ご飯は半分ほど残っていた。本当に頭がズキズキしていたけれど、お腹はすいていたから、食べることもできたと思う。でもそんな気分ではなかった。

 僕はベッドにもぐりこむと、ズボンの右ポケットに入れていたタマゴを取り出した。色や模様が付いていないか見たかったのだ。しかし、真っ白だった。やはり僕はダメな奴なんだ。みんなと違ってタマゴに色も付かない。僕は自分の不甲斐なさが悔しくて少し泣いた。いつの間にか眠りにおち朝になっていた。手に握ったタマゴは、やっぱり白いままだった。


 登校しようと家を出た直後に星川君に会った。

「おはよう、たっつん」

 いつも通りの星川君だ。

「うん、おはよう」

 僕はいつものように返した。やはり昨日のあれは夢だったんだろうか? 僕らが歩いていると、村上君と宇佐美が合流して賑やかになった。

「ほっしゃん、たっつん、昨日は堪忍な。俺、怖かってん。ヘビが苦手なんや。あれから大丈夫やったか?」

「ウサもごめんだよー。怖くて帰っちゃったよ」

 村上君は僕と星川君に何度も手を合わせて謝った。宇佐美はどこか謝っているというよりは、あっけらかんとしていたけれど、彼女の口から「ごめん」がでるのは珍しいことだ。一応は悪いと思っているんだろう。

「たっつんは、逃げないでいてくれたんだけど、具合が悪くなって僕が家まで送ったんだ。そのあと、学校によって、タマゴをなくしたって先生に言ったら新しいのをくれたよ。すごく怒られたけどね」

 

星川君は嘘をついている。

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