表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

地中海を臨む

1. レバノン

 活気のあるマーケット。

 道路の両側に穀物の袋で張られた即席のテントが連なる。

 よく見ると袋には、世界各国の国旗が描かれている。

 星条旗、ユニオンジャック、三色旗と実に多彩である。

 UNのイニシャルもある。

 西瓜、トマト、ジャガイモ、ハーブ、オリーブオイル、食物に関しては比較的に豊富なようである。

 ただし、行き交う市民達は、険しい表情で足早に通り過ぎて行く。

 買う金がないのである。

 テントの後の建物は、全て倒壊して、飴のようにぐにゃりと曲がった鉄筋がむき出しになっている。


 1982年のベイルートは、戦争の爪痕が街に、そして市民の心に深く刻まれていた。

 復興の喧騒の中をソフィーが品物を物色しながら歩いている。

 トマトのテントで足を止めて売り子の少年が広げる袋に形の良いトマトを選んで入れている。

 偶然通りかかったアルベルトが声をかける。

 「こんにちわお嬢さん 夕食のお買物ですか?」

 トマトを選ぶ手を止めてソフィーが振り向くが、すぐに向き直り買い物を続ける。

 見知らぬ男に突然声をかけられて警戒するソフィーだったが、ハンサムなアルベルトの姿を見て心が揺れた。

 アルベルト「お嬢さん 私ですよ 先日お宅にお伺いしたアルベルトです」

 ソフィー「ハア…」

 アルベルトは、アメリカ人。

 長身で燃えるような金髪が魅力の美形青年だ。

 国連の停戦視察団として、ここレバノンに駐留している。

 ベイルートの宗教指導者に親書を届けた日にソフィーがお茶をテーブルに運んだ。

 ソフィーは、フィリピンから遥々出稼ぎにやって来たメイドである。

 髪や肌の色艶は良くイスラム風の整った身なりをしている。

 奉仕している屋敷の主人は、使用人達の健康状態に気を配り大切に扱っていた。

 アルベルト「あの時のシフォンケーキ あなたが焼いたんですか? とても美味しかったですよ」

 ソフィー「あっ あれは 姉が…」

 ソフィーは、すっかり舞い上がっている。

 これは一目惚れだ。

 アルベルト「良かったら作り方を教えてください あー それよりもまたご馳走してください」

 ソフィー「あっ 姉が教えて差し上げて 姉がご馳走して差し上げます…」


 アルベルトとソフィーは、お互いの仕事の合間を見つけて交際を続けた。

 宗教指導者は、断固反対、視察団長は、いい顔をしなかったが、その障害が更に二人を引き付けた。



2. ラファエル

 青、強烈な空。

 紫外線が打ち付けるラフィク・ハリリ国際空港の上空に黒い点が見える。

 それがしだいに大きくなってエアバスA320のナローボディーがゆっくりと地上に降りてくる。

 空だけを見ていると一瞬静止しているようにも見える。

 到着ロビーのすぐ側に、のろのろと巨体を擦り寄せて静止する。

 デッキが開いて階段を降りてくる要人達を家族が暖かく出迎える。

 「あなたお帰りなさい ほら この子ったら 待ちどうしくってそわそわしてたのに 飛行機が見えたら寝ちゃったのよ きっと安心したのね」

 ケイコが2才になる息子アシールを父親のラファエルに預ける。

 ラファエルは、レバノンの外務官。

 イスラエルとの平和協定を結ぶために国連本部に派遣されていたが、7日ぶりにレバノンに帰ってきた。

 復興の喧騒が渦巻くベイルートは、吹き出したマグマが冷えて固まる前に後から押されて、流れ進むように、復興のエネルギーは、その土地を、空を焦がした。

 

 アルベルトとソフィーは、オープンテラスで隣り合わせに掛けている。

 通りを行き交う人々をなんとなく眺めていた。

 ポメラニアンが小走りで過ぎる。

 リードを延ばして後から水色のワンピースを着たプロバンス風の出立ちのフランス少女がついてくる。

 行き交う男達は、アラブの正装の白。

 ユダヤのラビは、黒。

 ベイルートは、人種のるつぼである。

 「ねえアルベルト 私たちもいつか犬を飼いましょうよ 大きな犬がいいわ ボルゾイなんかどうかしら?」

 「僕は、マスチフがいいな デトロイトでカヤックを漕いでいて転覆したんだよ 危うく溺れるところさ だけどラッキーが袖をくわえて岸まで運んでくれたんだ」

 あの時のアルベルトは、ノルウェーの森林地帯を思い浮べてカヤックのパドルを漕いでいた。

 郷愁に浸り、油断して、ふっと気付いた瞬間にバランスを崩して水に落ちた。

 アルベルトの曾祖父は、ノルウェーからの移民であった。

 故郷には、川が流れて、湖があり、丘陵の牧草地、針葉樹の深い森林があった。

 異国に着いた曾祖父は、故郷に似たこの土地で子供達を育てた。

 アルベルトは、父親からカヤックを教わり釣りを教わった。



3. ファハル

 ソフィー「アルベルト聞いてるの? ファハルが家に遊びにいらっしゃいって誘って下さってるのよ」

 アルベルト「うん そうだね あの方にはお世話になってるから 普段のお礼も込めて一度きちんと挨拶に伺わないといけないね」 アルベルトは、言葉とは裏腹にファハルに会うことを躊躇した。

 仕事で合うのは仕方ないがプライベートで会うのは避けたかった。

 ファハルは終始穏やかな口調であるが重厚な威厳を感じさせた。

 黒い瞳が示しているものは、深い洞察力だろう。

 アルベルトは、自分を見透かされているようで、つい腰が引けてしまう。

 何よりソフィーとの仲を反対されていることで自信を無くしてしまう。

 アルベルト「なあソフィー 今度リタニ川に行ってみないか? 川岸に菫が沢山咲いてすごく綺麗なんだって」

 アルベルトは、それとなく話題を変えていた。

 ソフィーは、無理に話題を戻そうとはしないで、川岸に咲く花を思い浮べていた。

 リタニ川の川岸には、菫の他に市民の手により植えられたデイジーが広く咲き誇っていた。

 悲惨な戦争が終わり心に平和を取り戻すために花を植える。

 誰もがこの花を見て平和の尊さを忘れることの無いように、ソフィーは、心で祈るのであった。

 ソフィー「アルベルト それはとてもいい考えね ランチにサンドウィッチを持って行きましょう それとポットに紅茶を…」

 ソフィーは、アルベルトとの初めての小旅行を嬉しそうに連想して言葉が止まらなかった。


 ファハルが二人の仲を認めない訳は、宗教上の理由からではなかった。

 ソフィーは、カトリックだった。

 イスラム風の服装は、仕事のための制服のつもりで着ていた。

 ファハルは、遠い国から出稼ぎに来た使用人に、服装以外のイスラムの習慣を押しつけなかった。

 二人の仲を反対する理由は、アルベルトが何時かアメリカに帰国することにあった。

 ソフィーもまた、その日が来ることを解っていた。

 考えていると恐くなる。

 身体がバラバラに引き裂かれて魂が握り潰される。

 胸の苦しみを振り払うには、より強くアルベルトを愛する他に方法は無かった。 



4. ピエール

 アルベルトと別れて屋敷へ帰るソフィー。

 突然脇道から少年が走り寄ってソフィーにタックルする。

 放り出された手提げ鞄を前から歩いて来た別の少年が歩道から拾い上げて持ち去った。

 戦後の動乱が残るベイルートは、貧しき者達が生きるためにもがいた。

 ソフィーは、呆気に取られて声を出せずにいた。

 キュ キューッツ 反対車線に停止した多国籍軍のジープから降りてきた兵士が16ライフルを空に向けて、パンパンと威嚇射撃した。

 乾いた銃声が2発通りに響いた。

 「大丈夫ですかお嬢さん 怪我はありませんか?」

 声をかけてきたのは、多国籍軍の兵士ピエール。

 レバノンとイスラエルの停戦協定を監視するために、ここベイルートに駐留している。

 また、当時のレバノンは、イスラム教、キリスト教、少数であるがユダヤ教と、信じる宗教によりコミュニティーを築いている多民族国家なので、民族主義が社会を構成する単位になっていた。

 国家という意識が無かったのである。

 警察までも治安を守り切れないで任務を放棄した。

 代わって多国籍軍がレバノンの治安を守る任務を遂行したのである。


 翌日ソフィーは、ピエールを尋ねてフランス軍のキャンプを訪れた。

 「ピエールさん 昨日は、御親切に助けて頂いて なんてお礼を言えばいいかしら…」

 「とんでもないです お礼だなんて それよりも無くした鞄ですが、部下達と探したんですけど結局見つかりませんでした 上等な鞄だったんでしょうね? もう誰かに売られているかも知れません」

 ピエールは、ジープでその辺を一周しただけで、鞄を探すつもりなどなかった。

 ピエールが見つけたものは、ソフィーの瞳孔に映る自分であった。

 ピエールは、自他共に認めるプレイボーイだった。

 容姿は、中背で軍人らしく筋骨逞しい中年男である。

 襟元から覗く胸毛が男臭さを更に演出している。

 プレイボーイならではの感で、ソフィーの自分に対する好奇心を瞬時に見抜いたのである。

 16才のソフィーにとってピエールは父親ほども歳の離れた存在であるが、好奇心は、目の前の精力溢れる男性を憧れに変えてしまった。

 理性と感情がアンバランスに入り交じる少女特有の心は、時に胸の中、時に頭の中、時に子宮の中にと、コロコロと居場所を変えて、心が自分のものでなくなり、抑制が利かなくなる。

 突然少年にタックルされて鞄を盗まれた。

 その衝撃を恋愛感情と誤認識してしまったのだ。

 恋愛行為に経験豊富な大人が肉体的な快楽を得るために、少女の未完成な価値判断能力を利用する。

 いつの時代にもどこの国にもある光景だ。

 ジープの中でピエールの部下達が小声で交わす。

 「ヘッ またかよ キャプテンの悪い癖が出たよ 相手まだ子供だぜ」

 「子供って言っても ほら見てみろよ 美味そうなケツしてるぜ」

 ソフィーの服の下のあの部分を想像して、軍服の下のそれを硬くした。

 「チキショー 俺もあやかりたいぜ」


 数日後、アルベルトとソフィーは、いつものオープンテラスでお茶を飲んでいた。

 鳩が二人の足元でテーブルからこぼれたパン屑をつついている。

 穏やかな日差しに包まれて二人はテーブルの下で手を繋いでいる。

 「ソフィー この間の話だけど 次の日曜日の午後なんてどうだろう?」

 「あら いいわね それじゃあ2時に迎えに来てちょうだい その前にファハルに頼まれてるお使いを済ませてしまうから」

 「迎えに来てって何の話だい? 僕が言ってるのは、ファハルへの挨拶のことだけど」

 「あら あの話ならいいのよ急がなくても それよりもこの間ベッカー高原を車で通った時の話を聞かせてくださいな あそこから見える山脈は、さぞかし美しいでしょうね?」

 その時二人の目の前にジープが停まった。

 助手席の窓が下りて黒髪の中年男が顔を出した。

 「やあ ソフィーじゃないか! この間はご苦労だったね 近いうちに又来てくれると助かるんだけどな?」

 フランス軍中尉のピエールが気安くソフィーに話し掛ける。

 隣に居るアルベルトのことは、意に介していないようである。

 アルベルトは、ソフィーを見る。

 ソフィーは、下を向いてガタガタ震えている。

 目には、少し涙も浮かべているようだ。

 ジープの中でピエールの部下達がニタニタしながら、そんなソフィーの姿を見ている。



5. 亡命

 ラファエルは、アメリカからの帰国翌日に、アルベルトが滞在しているマルチネスホテルのロビーにいた。

 アメリカへの亡命の段取りをつけるためにアルベルトと打ち合せ中である。

 アルベルト「いいですかラファエルさん? アメリカが貴方と家族を受け入れる条件は、我々が望む情報を貴方が提供できることです。 レバノンの各民兵組織の勢力図がどうなっているかと、民兵の上級士官の潜伏先です。 それと シリアがどの程度レバノン政府へ政治的影響を与えるか 特に重要なのは、ベッカー高原での麻薬産業の運搬ルートや金の動きです」

 ラファエル「あー アルベルトさん もう少し穏やかに話せませんか?」

 アルベルトは、慣れない役回りをする緊張感で声に力が入っていた。

 ラファエル「アルベルトさん 情報は手に入ります ただし そのー どこまで踏み込んだ情報なのか…? あー 保管場所は押さえてあります その点はご安心下さい」

 アルベルトは、ラファエルが何か隠していないか疑っていた。

 アルベルト「とにかくラファエルさん 後は為るべく目立たないように予定どおりに行動して下さい ニューヨークに着いたら約束の場所で待っていて下さい ある人物がこちらから接触します たとえ会えなくても決して捜さないように その時は、こちらから連絡します」

 ラファエルは、これからの自分の行動が自分と家族の将来を大きく変えてしまうであろうことに未だ心が揺れていた。 

 

 その頃ファハルの屋敷では、ソフィーと姉のエミリーが昼食の片付けをしながら談笑していた。

 ソフィー「エミリー このお皿の絵とても綺麗じゃない? 家にも昔は、綺麗な食器が沢山あったわね」

 エミリー「そうね でもあんなことが起きてみんな失ってしまったわ でもいいんじゃない あれじゃあ洗い物をする度に、食器をどこに仕舞ったらいいか迷って仕方ないわ」

 ソフィー「ウフフ そうね エミリーったら いつも上手いこと言うわね」

 そこへファハルが現れて「二人とも大切な話があるから聞きなさい 甥のジャアジャアから聞いた話なんだが 近ごろPLOの動きが活発になって来ているらしい それに合わせるようにイスラエルが国境沿いに軍備を集結している シリアの動きも予断を許せない」

 ジャアジャアは、レバノン軍団を率いるリーダである。

 レバノンおよび周辺諸国の情勢が、きな臭い方向へと引き寄せられていることを憂欝いていた。

 ソフィーとエミリーは、数年前に起きたフィリピン革命の動乱を逃れて、ここレバノンにやってきた。

 当時のレバノンは、イスラエルとの停戦合意を結んだばかりだった。

 停戦合意後にフィリピンから来て、有力な宗教指導者の庇護の元にいるソフィーとエミリーには、ファハルの話が実感出来なかった。

 ファハルが続ける「ソフィー わかっているね?」

 ファハルは、ソフィーにアルベルトとの関係を決断しなければならないことを促していたのだ。 ファハルの屋敷は、ベイルート郊外にあり、広い庭には、緑の芝が敷いてあり、樹齢120年を超すオリーブの木に囲まれている。

 雲雀や雀が熟れた実を食べにやってきている。

 チュンチュン ピーピー 小鳥のさえずりが聞こえるベイルート郊外は、これから先も続く平和を予見させるようだった。



6. 求婚

 ファハルから情勢の悪化を伝えられて数日間は大きな出来事もなくベイルートは、人々が日々の営みを続けていた。

 アルベルトとソフィーは、ベイルート港に隣接するマーケットを歩いていた。

 湾内に目をやると水面を数十羽の大背黒鴎が漂っている。

 10月のベイルートは、一年の中でも一番過ごしやすい季節だ。

 側で桃色ペリカンが大きなくちばしを広げて魚屋のオヤジが投げ入れる粗を争って受け止めている。

 アルベルト「ソフィー 大事な話だからしっかり聞いてくれ」

 ソフィー「あら アルベルトったら何かしら? それにしても先日のファハルといい アルベルトといい このところ大事な話ばかりね」

 アルベルト「ソフィー 僕達のことだけど ちゃんとしたいと思うんだ」

 ソフィー「あら アルベルト 私達ちゃんとしているわよ 約束だってちゃんと守るし 仕事だってちゃんとしているわ」

 アルベルト「その仕事のことだけど… 僕は、このまま停戦が続くことが確認出来ればアメリカに帰ることになる その前に二人のことをきちんとしておきたいんだ」

 ソフィー「きちんとするって 貴方 まさか?!」

 アルベルト「そうだよソフィー 僕と結婚して欲しい 僕の気持ちはわかっていたよね?」

 ソフィー「あっはっは あらまあどうしましょう ちょっと貴方勘違いしないでちょうだい まさか貴方が本気だったなんて 私ね お金持ちがいいのよ 貴方には、話して無かったけどフィリピンでは、貴族だったのよ そうね ピエールなんかどうかしら? 彼お父様が銀行家だそうよ とにかく私のことは、諦めてちょうだい」


 その夜アルベルトは、嫉妬に狂った。

 アルベルト”畜生 ピエールの奴 ソフィーとそんな関係だったなんて そういえばあの時に どうもソフィーの様子がおかしいと思ったんだ あんなに怯てるなんて 今になって思えば… ソフィーもソフィーだよ 女ってヤツは、どうして無理矢理にでも自分のものにする男がいいんだ!!”

 アルベルトは、ジョニーウォーカーのボトルをホテルのドレッサーに映る自分に投げ付けた。

 鏡の中のアルベルトがバラバラに砕けた。

 

 ファハルの屋敷の自分の部屋のドアを後ろ手に閉めてソフィーは、床に崩れ落ちて泣いていた。

 声を押さえようとしても顔を覆った指から嗚咽が漏れる。

 ソフィー”あー アルベルト 私は貴方を愛しています だけどごめんなさい 私が貴方に愛される資格は、あの時既に無くしてしまったのに ごめんなさいアルベルト 私が貴方を愛するがあまりにこんなにも貴方を傷つけてしまった もっと早く別れていればよかったのに けど どうしても… 無理だった 貴方が優し過ぎるから離れられなかった… アルベルト 私の体は、貴方から離れてしまうけど 私の心は、全て貴方に捧げます 永遠に”



7. 家族のために

 ラフィク・ハリリ国際空港近くのビクトリアホテルの一室にケイコはいた。

 息子のアシールを抱いて窓からベイルートの市街地を見ている。

 所々にネオンサインが光る。

 戦争が始まる前のレバノンは、石油ビジネスが発達して中東地域における金融の中心地だった。

 西に地中海、東にレバノン山脈を望む風光明媚なこの地は、観光産業が発達して歴史的に、フランス統治下の影響もあり中東のパリと呼ばれた。

 ケイコ「この国でアシールは、育てられないわ 今は平和だけれど いつまた戦争がはじまるか? アシールには、十分な教育を受けさせたいし いい恋愛をして 家族を養って そうね 孫の顔も見たいわ アメリカに行って落ち着いたら一度日本に行ってみたいわね パパがよく話してたわね 日本人は、とても親切だって サムライやニンジャに会えるかもね”

 ケイコの父は、親日派だった。

 交流のある日本人に教えてもらい娘にケイコという名前をつけた。 


 そのころラファエルは、自分のオフィスのキャビネットから片端にドキュメントファイルをブリーフケースに詰め込んでいた。

 このドキュメントが自分と家族の生活を保障する。

 ラファエルは、愛する家族のために国を裏切り家族を連れてアメリカに亡命する。

 ブリーフケースの中身は、アメリカにとってどうでもいい資料だった。

 この国の高官達が市民から不正に賄賂を集めるためのシステムを受け継ぐ手順が記されてある。

 ラファエルは、アメリカから帰って来て短期間で事を進めた。

 胆略的なのは、自分にも解っていたがアメリカに着きさえすればどうにでもなると思っていた。

 部屋を出ようとドアを開けたとき上官が立っていた。

 上官「ラファエル君 きみの行動は、以前からマークしていたのだよ 君が家族を思う気持ちは、理解できる しかしだ 君はこの国の外務官だ この国の平和が続くように今の仕事を続けるのだ」

 ラファエルは、ブリーフケースを床に落とした。

 ラファエル「わっ 私の妻と息子は…」

 上官「奥さんと息子さんの安全は、我々が確保した 可愛い息子さんじゃないか 彼のためにも祖国を建て直そうではないか」

 ラファエル「あのアメリカ青年 アルベルト君は?」

 上官「彼の命は保障出来ない 我々には手の出しようが無いのだ 君が亡命を企てているという情報は、民兵組織に潜伏している政府側のスパイが掴んだものだ」



8. アルベルトの孤立

 翌朝 レバノン山脈の中腹。

 民兵組織のキャンプ。

 尾根と尾根の間に軍用テントが並んでいる。

 民兵組織は、麓から確認できない位置を野営地に選んだのだ。

 ここから見上げる山脈は、白い雪をたたえて尾根の上空には、隼が地上の雷鳥を狙って、ゆっくりと大きく円を描くように旋回している。

 凍て着く朝の空気は透き通り、山脈の稜線は、青い空と白い山を明確に区別している。

 民兵達は、各々のテントで休んでいる。

 機関銃やロケット砲、グルネード弾を積んだトラックが並ぶ近くのテントにアルベルトが監禁されている。

 後ろ手に縛られ、椅子に座らせられている。

 頭部を負傷して既に虫の息だ。

 

 アルベルトが民兵組織の情報をアメリカに持ち出そうとしていることは、街中に潜伏している民兵が嗅ぎつけていた。

 ラファエルを亡命させる計画は、情報戦略に疎いアルベルトの単独行動だった。

 それをいち早く察知したレバノンの情報筋がラファエルと家族を保護して、亡命を阻止したのだ。

 アルベルトの単独行動のためアメリカ政府と多国籍軍は、この情報を掴んでいなかった。

 アルベルトは、瀕死の重傷を負って完全に孤立していた。


 ズドーン ドーン 民兵達が休んでいる営倉地に怒号が響いた。

 突然の攻撃に対応出来ない民兵達に、容赦の無い砲撃が加えられる。

 早朝の冷たい静寂を切り裂いたのは、ピエールが率いるフランス軍の一個小隊が展開するアルベルト救出作戦だった。

 総勢20人が4台のジープと1台のトラックに分乗してやって来た。

 人数に劣るフランス軍だったが、圧倒的に勝る重火器と狡猾なピエールの戦略により、瞬く間に民兵組織のキャンプを制圧した。

 RPGの砲撃により片足を吹き飛ばされた少年兵が草むらを這いながらブッシュの影に隠れた。


 ファハルは、レバノン軍団のリーダで甥のジャアジャアからアメリカ人の拉致を聞いていた。

 ファハルがアメリカ政府側の味方をすれば力の均衡が崩れて常に緊張状態にあるレバノンの導火線に火を点けかねない。

 この作戦は、アルベルトの拉致をファハルから聞いたソフィーがピエールに懇願して実行されたものだ。

 ピエールは、作戦実行の許可をフランス軍から取っていたのでは間に合わないと判断して自分の独断で作戦を実行した。

 個性の強い男であるが、そのカリスマ性によって部下達はピエールに付いていき、迷わず作戦を実行した。

 ソフィーの機転によりアルベルトの命は助かり、レバノンの平和は守られたのだ。


  完

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ