7.涙もろくなってしまったの
使用人たちの無礼な態度は、当然ド・ブロイ家の人々が指示したものである。マルグリットが何を言おうがクビにされることがないと確信しているからこそ格上の人間にあんな態度がとれるのだ。
だが、企みはうまくいっていない。マルグリットは耐えきれず離縁を申し出るどころか、楽しそうに暮らしている。
「今日という今日こそははっきりと言わせていただきます。ルシアン様にあなたはふさわしくない!」
夕食時にキッチンを訪れたマルグリットを迎えたのは、例のメイドの怒鳴り声だった。
彼女の名がアンナであるということを、マルグリットは別のメイドから聞き出していた。なぜアンナがここまで居丈高に出るのか最初はわからなかったが、いまではわかる。
おそらくアンナの背後にいるのはド・ブロイ家の誰か。彼女自身の忠誠心を家の者に焚きつけられ、マルグリットをいたぶる急先鋒となっているのだろう。
(わかる。気持ちはわかるわよ、アンナ……!)
マルグリットは心の中で頷いた。
(ルシアン様に恋をしているのね)
先日はじめて間近で見たルシアンは、黒髪にダークグレーのジャケットというおちついた色彩の中にも堂々とした威厳があった。これまで晩餐会などの場があってもクラヴェル家はド・ブロイ家を避け、挨拶もしたことがなかったため、知らなかったのだ。
「聞いているのですか!?」
バンッとアンナがテーブルを叩く音が響く。その音にマルグリットは顔をあげた。
そばかすのあるアンナの頬は紅潮し、まなざしはきつく、寄せられた眉根も牙をむくようにひらいた口も怒りを表している。
「聞いているわ。ルシアン様にわたしはふさわしくないという話でしょう。わたしも先日ルシアン様とお会いしたの。たしかに家格も上だし、やさしい方だったし、わたしよりも美しいお顔をされていたわ。だからあなたの言うこともわかるなあって考えていたのよ」
妻とは思えない他人事のような評価だが、マルグリットの本心だ。
「やさしい方……?」
訝しげな顔になるアンナの手をマルグリットはとった。
「……!?」
アンナはマルグリットよりも一つか二つ年下、イサベラと同じくらいだ。
だが、ただマルグリットを見下し、どんな扱いをしてもいいと信じ込んでいるイサベラと違って、ひそかに想う相手のために敵を追い出そうとするアンナの気持ちは、マルグリットにはまっすぐで眩しかった。
やり方は間違っているのだろう。でも、強気な態度とは裏腹に、アンナの手はふるえている。その恐怖を抑え込んでマルグリットに立ち向かおうとしているのだ。
「な、なにを涙ぐんで!?」
「ごめんなさいね、最近暮らしが楽しいものだから、すぐに感情が高ぶって……涙もろくなってしまったの」
うっすらと滲んだ涙をハンカチで押さえ、マルグリットは首を振る。
「気持ちを押し隠し、主人がふさわしい相手と結ばれるのを見守っていこう……と思っていたのに、やってきたのは冴えない敵家の娘」
「な!? 何を言っているのですか!?」
「自分が隣に並びたいなどとは思っていない、ただあの人が幸せでいてくれれば……なのにあの人の表情は苦悩に沈んでいくようで、自分の進退を賭してでも敵を追い出さねばと健気な少女は決意した」
あふれそうになる涙を拭いながら言えば、アンナの顔が真っ赤になった。
マルグリットを泣かせてやりたいとは思っていたが、そういう意味じゃない。
「わかる。わかるわよ。なんて純真な心なの」
「違います! 違いますううう!! 図書室にこもって変な本の読みすぎじゃないですか!?」
「あら、そうかもしれないわ」
離れのほとんどを占有している図書室の蔵書は多い。一生かかっても読みきれないのではと思うほどだ。
本の内容も幅広く、博物誌もあれば歴史書や大辞典もあり、流行りの冒険小説や恋愛小説などもあった。一日のほとんどを暇にしているマルグリットは刺繍の手を休めるときはそれらを読み耽っていた。
ドキドキワクワクさせてくれる小説は、クラヴェル家で凍りついた心を溶かしてくれた。
代わりに、アンナの言うとおり、ちょっと妄想癖が出てきたかもしれない。
「もっ、もう、いいです!!」
アンナは手を振り払うとキッチンを去ってしまう。
あとに残された使用人たちは、なんとも言えない顔で食事を始めた。
***
翌朝、朝食のためキッチンへむかおうとしたマルグリットのもとへ、アンナがやってきた。
「ド・ブロイ家の皆様がお待ちです」
「……えっ」
さすがのマルグリットも声をあげた。
今朝は食堂へおもむき、ド・ブロイ家の面々と食事をしろということであるらしい。
あまりにマルグリットが平然としているので、使用人たちでは手に負えないと判断したのだろう。
(それはなんとも言い訳のしようがございません……)
自分の態度がド・ブロイ家の求める態度でないことはマルグリットにも理解できている。
(皆様から直々に叱責されてしまうのかしら……それでも離縁を申し出るわけにはいかないし、余計に怒らせてしまうわ……)
モーリスやイサベラに比べれば生ぬるい叱責だろうが、せめてしおらしい態度で受けとめよう、と明後日の方向に配慮を決意しながら、マルグリットは食堂へむかった。