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6.わたしもあなたを愛する気はありません

(そうなのね、ルシアン様は、そのことを不安に思われていたのだわ――わたしがド・ブロイ家に取り入ろうと、ルシアン様にまとわりつくことを)

 

 マルグリットは喜んでいた。その不安ならば、すぐに払拭してさしあげることができる、と。


「わたしもあなたを愛する気はありませんので、どうぞご心配なく」

 

 満面の笑みで頷かれ、ルシアンは絶句した。

 

「……」

「あら、なにか変なことを言ったでしょうか?」

 

 首をかしげるマルグリット。

 彼女にとってみれば、愛するつもりはないと言われたから、自分もそれに同意したことを伝えただけ。

  

「この結婚は、王家からの命による政略上のもの。ルシアン様とわたしは愛しあう必要はございません。これまでの両家の関係を考えれば好意を持てというほうが難しいでしょう」

 

 マルグリットの言うことは正しい。

 正しいゆえに、躊躇なく語られてしまえば、ルシアンのほうも反論ができない。

 

 実際、ド・ブロイ家の者たちがマルグリットに好意を持つことができないゆえに、マルグリットはこのような格好でこのような場所にいるのだ。

 

「ですから、愛していただかなくてけっこうです。もちろん式典などの場では王妃様のおっしゃったとおり、仲睦まじくすごすようにいたします。マナーなども、ひととおりは修めておりますのでそちらについてもご心配なく」

 

 マルグリットはにっこりと笑った。

 

「いまの暮らしを保証していただければ、ド・ブロイ家の体面を傷つけるようなことはいたしません」

 

 弾む声にも表情にも嘘はなかった。ルシアンから見て、マルグリットの態度が強がりだとは思えない。

 もちろん強がりではなかった。むしろ幸福感に我を忘れているほど。

 その点で言えば、マルグリットは浮かれていた。これまでの慎重な彼女なら、もう少しルシアンの表情を窺うことをしただろう。

 

「……」

「ルシアン様?」

 

 ようやくマルグリットは、ルシアンの様子がおかしいことに気づく。

 思いがけぬ言葉の連続に唖然としていたルシアンは、マルグリットから覗き込まれ、はっと顔をそむけた。

 

「――戻る」

「はい。お話しくださってありがとうございました」

 

 素っ気なくそれだけ告げるルシアンにもマルグリットは恭しく礼をする。型遅れの古いドレスをまとってはいるが、それは彼女が言ったとおり、マナーを修めた者の礼であった。

 

「……礼を言うとは、皮肉か」

「いいえ。価値観のすりあわせというのは、夫婦にとって大切なことですもの」

 

 たとえそれが仮面夫婦でも――否、仮面夫婦だからこそ、線引きは明確にしておく必要がある。ルシアンは察しろと押し付けることもなく、自身の希望を伝えてくれた。

 それに、冷たい態度をとろうとしてはいるが、ルシアンは他人を無下にする人間ではないとマルグリットは思った。

 

(お父様やイサベラならこの長さの会話は不可能だわ)

 

 マルグリットの対応にルシアンは困惑したようであったが、手が出ないし、罵倒を浴びせてもこないし、根はやさしい人物なのだろう。

 身近にいた家族が人でなしであったせいで、マルグリットの許容範囲は相当に広い。

 

 扉の前で、ルシアンはマルグリットをふりむく。

 マルグリットはルシアンを見送るために立ち、ほほえんでいた。

 

「ごきげんよう、ルシアン様」

 

 扉は音もなく閉まり、マルグリットを隔てた。

 ルシアンからの返事はなかった。

 

「――あっ、海へ連れていってくれるよう、お願いし忘れたわ!」

 

 一人になった瞬間にもっとも大切な希望を思い出したマルグリットが声をあげる。

 

「まあ、いま言ってもだめでしょうから、仕方ないわね。ルシアン様とはうまくお付き合いしていけそうな気がするし、次期当主の妻として領地に顔を出す必要もあるはず」

 

 何度か外に出て、マルグリットがきちんと妻としての役割を果たすとわかってもらえれば、ド・ブロイ領へ連れていってくれるだろう。

 マルグリットにとって現状は、相かわらず順風満帆なのであった。

 

   *


 一方のルシアンは、図書室を出て足早に歩きつつ、自分が困惑を抱えていることに苛立っていた。

 

(なんなのだ、あの娘は)

 

 突き放してやったつもりだった。家族のもとを離れ政敵のもとへ嫁いで、使用人たちからも見向きもされていない哀れな娘へ、もっとも頼るべき夫すら味方ではないのだと思い知らせてやろうと思った。

 なのにマルグリットは、曇りのない笑顔で、自分もまたルシアンを愛するつもりはないのだと告げてきた。

 

 同じ台詞を、なんの含みもなく返されて、ルシアンは自覚してしまった。酷い言葉を投げつけた己の身勝手さを。

 冷たい言葉を投げつけて、マルグリットが泣いて縋ればいいと考えていた、醜い優越感を。

 

 マルグリットのほうがよほど冷静に事態を見ている。

 王妃の命令で離縁することができないのならば、互いに割りきって距離を置くのが最適な選択なのだ。

 それでも心にわだかまりがあれば、つらい暮らしのはずなのに。

 

(どうしてあんなふうに笑える?)

 

 その答えは一つしかない。

 マルグリットはド・ブロイ家に敵対心を抱いていない――ド・ブロイ家のほうは、彼女を追い出そうと躍起になっているのに。

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