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50.なぜ呼ばれたか、おわかりかな

 エミレンヌ王妃を前に、モーリス・クラヴェル伯爵は、笑み崩れるのを止めることができなかった。

 

 イサベラが自信たっぷりに計画は順調なのだと告げたとき、彼は言いようのない不安に襲われたのだが、しばらくして王家からは隣国と和平条約が結べそうであること、クラヴェル家の働きに報いたいという意味の書状が届けられた。

 ここ数日姿を見せなかったイサベラは宮殿に滞在しているのだという。

 経営の傾きかけた領地から次々届く訴えの書類をひとまず忘れ、モーリスは浮かれながら宮殿へと赴いた。

 

 豪奢な部屋に通された彼を待っていたのは今を時めくエミレンヌ王妃。

 ノエルもエミレンヌの背後に控えていたが、モーリスは気にも留めなかった。

 

 組んだ両手に顎をのせた砕けた姿勢で、エミレンヌは笑顔を見せた。

 

「なぜ呼ばれたか、おわかりかな、伯爵殿」

 

 相かわらず仰々しい言葉遣いだと内心で思いながら、モーリスは首をかしげる仕草をした。

 

「はてさて……お褒めの言葉はお手紙にて頂戴いたしましたが、家臣の当然の務めでありますれば、このような僥倖に与る理由はわたくしにはとんと……」

 

 とぼけ顔を作りながらも、腹の底では宮殿へ来るまでの道のりで何度も妄想した報奨を指折り数えている。

 

(和平を成功させた褒美は金か領地か……領地が増えるのであれば爵位を賜るかもしれぬ。マルグリットも取り戻せよう。それにしてもイサベラ……いつの間に王家に深く取り入っていたのやら。やはり美しいイサベラを残したのは正解だった。もしや王族との婚姻も……)

 

 ゆるみっぱなしの頬を引き締めようと無駄な苦労をしつつ、モーリスは次の言葉を待った。

 王妃の笑顔は変わらない。褒美を口に出そうともせず、じっとモーリスを見つめたままだ。ノエルも彫像のようにほほえんだまま、直立している。

 その眼差しの中に冷たいものを感じたような気がしてモーリスは目を瞬かせた。

 

「うちのイサベラが、宮殿へ滞在させていただいているとか……」

 

 沈黙に耐えきれず、モーリスは別の話題を探した。

 彼にとってみればよろこばしい、光栄な話題を。

 

「そう、そのことなのだよ。今日伯爵殿を呼んだのは。実はここにいるノエルがイサベラ嬢と親しくしていてね」

 

 エミレンヌが頷いた。

 モーリスの顔に血色が戻ってくる。

 

(王家との婚礼か!)

 

「ノエルはね、イサベラ嬢の姉を想う気持ちに感銘を受けたと言っていてね。イサベラ嬢からは、姉がド・ブロイ家で除け者にされ、使用人のような扱いを受けている――実家に戻してやってほしいと、再三にわたって訴えがあった」

 

 先ほど感じた不吉な直感のことなどすっかり忘れ、モーリスは幸せな結末を確信した。

 イサベラは王家とのつながりを確保し、そのうえマルグリットもクラヴェル家に戻ってくるに違いない。

 何度も首を上下させ、モーリスは哀れっぽい声を作った。

 

「はい、はい、それはもう。あのような家に嫁がせるのは断腸の思いでございました。けれども王家のため、国の役に立つならと――」

「だがそれはすべて虚偽の申告だったのだ」

 

 自身の言い分を遮るエミレンヌの言葉が理解できなくて、一瞬モーリスはぽかんと口を開けた。

 

「……はい?」

「マルグリット嬢からは、ド・ブロイ家は自分を大切に扱ってくれたのだと反論が出てな。ノエルが調べたところ、どうもマルグリット嬢の言うことが真実らしい」

 

 エミレンヌはまだ笑っている。だがその笑顔が作り物にすぎないことを、モーリスは理解し始めていた。

 

「イサベラ嬢は、王家に虚偽の上申を行い、罪もない人間を陥れようとしたことになる。これは国政に叛く行為だ」

 

 土気色に変わってゆくモーリスの顔を覗き込み、エミレンヌは笑顔を消した。

 あとに残るのは射抜くように鋭いまなざしだけ。

 

「取り調べのため、イサベラ嬢には宮殿に滞在してもらっていた。彼女は自分の行為を認めたが、すべて父の命令だったと主張している」

「ありえません!!」 

 

 悲鳴のような声をあげ、モーリスは椅子を蹴り倒して立ちあがった。

 動転しているとはいえ王妃に対してあまりにも無礼な態度に、ノエルは眉をひそめる。

 

「イサベラには昔から手を焼かされてきました! あの子は嘘ばかりつき、マルグリットを陥れるようなことを繰り返し……昔からそうだったのです。自分の罪を人になすりつけて……」

「では、イサベラの所業を、モーリス殿は関知されていなかったと?」

 

 表情を戻し、ノエルは穏やかな声で語りかける。

 エミレンヌは扇で表情を隠した。ノエルがやさしく、柔らかな口調になっているときほど、彼の怒りが強いことを知っているからである。

 

「はい! 然様です。イサベラはなにも言いませんでした。ノエル様とお会いしていることも、今日はじめて知ったくらいで……」

 

 ノエルの言葉に、モーリスは必死で頷いた。

 自らに降りかかりつつある火の粉を払わねばならない、彼の頭の中はそれでいっぱいだった。

 イサベラを野放しにしていたのが自分であることを忘れ、身の潔白を言い立てる。

 

「そうですか。わかりました」

 

 ノエルはにっこりと笑った。

 

「後継ぎであるはずのイサベラ嬢の教育不足、無礼な態度、遵法意識の欠如――それらはすべて、モーリス殿の監督不行き届きのゆえということですね」

「あ……」

 

 ぽかんと口を開け、モーリスはノエルを見つめた。

 マルグリットが嫁ぐまで、家のことはモーリスとマルグリットが分担していた。難しいことはマルグリットに押しつけ、モーリスはただイサベラをかわいがっていればよかった。ド・ブロイ家との縁談が持ちあがりさえしなければ、マルグリットを家においたまま、その安泰が続くはずだった。

 

 ド・ブロイ家とクラヴェル家に縁談を命じたのは誰だ?

 ――エミレンヌ王妃だ。

 その王妃は、扇のむこうから目だけを細めてモーリスを見つめている。

 

「あなたとイサベラ嬢は、親子であり、伯爵と次期伯爵なのですよ。その自覚のない者に伯爵位は預けられません。そうですね、王妃陛下」

「ええ、そうね」

「身内から犯罪者を出しておいて、知らぬ存ぜぬが通るわけはないでしょう」

 

 ノエルの脳裏に、ルシアンとマルグリットの姿がよぎる。

 ド・ブロイ家を守るため、泣きながら離縁を申し出たマルグリット。その彼女を守るため、堂々と身の潔白を訴えたルシアン。

 彼らに比べれば、いまだに泣き喚いているイサベラやこのモーリスは、なんと身勝手なことか。

 

 へなへなと床に座り込むモーリスを見下ろすノエルは、もう笑ってはいなかった。

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