42.話が違うわ
クラヴェル家の食堂をモーリスは苛立たしげに歩きまわっていた。
すでに席についているイサベラの前には料理が並べられているが、イサベラは顔をしかめて食べようともしない。
食堂には険悪なムードが漂っていた。
「いつになったらマルグリットは取り戻せるんだ?」
モーリスは自分の席を指さした。
「なんだこのスープは! 豆しか入っておらんではないか。パンも硬い、テーブルには汚れが!」
主人がそう怒鳴り声をあげても、駆けよってきて汚れを拭うメイドはいない。
マルグリットが嫁いだあと、マルグリットの残した資料をイサベラに渡したモーリスは、「こんなの簡単よ」と言った娘の言葉を全面的に信じた。
結果、ものの数か月でクラヴェル領からの税収は三割減となり、使用人たちを解雇せねばならなくなって初めて、モーリスは自分の教育が間違っていたことに気づいた。
イサベラでは領地の経営はできない。これほど家の財政が逼迫していながら取り巻きたちを呼んで夜会をひらいているほどの経済感覚である。
なお忌々しいことには、モーリス一人の手にも、全領土の管理は余るのだった。
マルグリットを呼び戻すほかはない、とモーリスは考えた。
イサベラもそれに賛成し、手を尽くそうと請け負ってくれた。王家にド・ブロイ公爵家の非道を訴えれば、ド・ブロイ公爵家を没落させ、マルグリットを取り戻すこともできる。
薔薇色の未来に、父娘は手を取り合ったのだが。
計画はうまくは進まなかった。
「お前が任せろと言ったから任せたのに、何も変わらないではないか。そのうえ夜会に金を使って」
「その夜会で、証拠をつかもうと思ったのよ!」
ルシアンが不貞を働くか、応対に激怒し、イサベラやその招待客に手をあげるか。いずれにせよ〝両家の懇親のため〟〝仲睦まじく〟という王家の命には逆らうことになるはずだった。
それを、ルシアンはいなしたばかりか、取り巻きからの羨望の念さえ奪ってしまった。
「話が違うわ。お姉様が、あんなに大切にされているなんて……!」
そのことがイサベラには悔しくてたまらない。
マルグリットがド・ブロイ家でどのような暮らしをしているかも、夜会での出来事も知らないモーリスは、これ見よがしな長いため息をついた。
「まったく、マルグリットではなくお前をド・ブロイ家に嫁がせればよかった」
それはイサベラにとってみれば最大の侮辱だった。
しかし同時に、羨望の的でもあった。
「あたしだってお姉様みたいな暮らしがしたかった!!」
癇癪まぎれに料理の皿をひっくり返し、イサベラが叫ぶ。
マルグリットがいれば、彼女のせいだと目の前で罵り、床に落ちた器やスープを片付けさせることができた。しかしマルグリットはいない。
すべてはマルグリットのせいだ。
自分が押しつけたことは、イサベラの中ではなかったことになっている。
(お姉様のせいであたしは幸せになれない……!! あの場所にいるべきはあたしだった……きれいなドレスと宝石に囲まれて……)
イサベラの表情に憎しみが満ちてゆく。
モーリスが思わず後ずさったほどに、イサベラは凶相を表していた。
「お父様のせいじゃない!! お父様がお姉様をド・ブロイ家に嫁がせたから!! 粗末な食事もお金がないのも、みんな考えなしのお父様とお姉様のせい!!」
「イ、イサベラ……」
コンコンと部屋の外から鳴らされたノックは、モーリスにとっては救いの響きだったかもしれない。
「入れ!」
イサベラの怒りが逸れることを祈って応じると、頭をさげて入ってきたのはメイドの一人。
恭しくさしだした両手には、手紙ののった盆を携えている。
封筒に捺されているのは翼を広げた不死鳥――王家の紋章だ。
イサベラは我に返ったように目を瞬かせた。
ついで、金切り声をあげていた唇はにんまりとたわむ。
(そうだわ、あたしにはノエル様がいるじゃない)
テーブルをまわり、イサベラはモーリスに近よった。びくりと震えるのもかまわずモーリスの手をとると、美しい笑顔を浮かべる。
「取り乱してしまってごめんなさい、お父様。あたしの計画は順調なの。すぐにこの家は元どおりになるわ」
モーリスからの返事はなかったが、イサベラは気にしなかった。
彼女の中ではもう父親の歓心はとるにたらないものであり、クラヴェル家すら興味の対象ではなかったのだった。






