38.侍女の応援
ルシアンは落ち着かなかった。表面上はいつもどおりの冷静さをたもっていたため端から見れば気づかなかっただろうが、内心は常にそわそわとしていた。
ニコラスからの助言を受け、マルグリットに想いを伝える、と決めた。
決めたものの、当のマルグリットが姿を見せなくなってしまったのである。
(まさか俺のことを避けて……? 想いに気づかれた?)
そんなわけはないのだが、ルシアンはそれなりに切羽詰まっていた。
ときには嫌がるマロンを腕に抱きながら、屋敷内をうろうろと歩きまわっている。
ルシアンの変化に気づいている人物が一人だけいた。
だが、使用人は主人に話しかけてはならない。
悩んだすえ、彼女は使用人としてはかなり積極的といえる介入を試みることにした。
ルシアンの前を何度も横切ったのだ。
ぺこりと頭をさげてそそくさと通りすぎていく使用人の姿を、最初は気に留めなかったルシアンだが、彼女がマルグリットの侍女であることに気づくと思わず声をあげた。
「おい」
「はい、ルシアン様」
アンナはぴたりと足を止めた。
ルシアンに向き合い、頭をさげて指示を待つ。
「……」
「……」
だが、いつまでたってもルシアンからの指示はない。
無礼にならない程度に頭をあげ、そうっとルシアンを窺い見て――。
アンナの目が見開かれた。
「……マルグリット様でしょうか?」
思わず言葉が唇からこぼれ出た。ほとんど無意識だった。
そのくらい、ルシアンの表情はこれまでと違っていたのだ。
これまでのルシアンは、父であるド・ブロイ公爵にも、母であるユミラ夫人にも、心を許していないところがあった。もちろん使用人に対してもそうだ。
笑顔を見せず、弱った態度を見せることもなかった。
そのルシアンが。
気難しそうな表情はいつもどおりなのだが、頬はわずかに赤く染まり、窺うようにアンナに視線をむけている。
(わかっていたけど……わたしなんて、足元にも及ばなかったわね)
一瞬、アンナの胸にほろ苦い感情がよぎった。
「若奥様は図書室にいらっしゃいます。趣味の刺繍の図案を探されているようです」
ふたたび頭をさげて告げるアンナに、ルシアンは頷き、その場を離れようとした。
ルシアンの足がふと止まる。
粗相があっただろうかとよぎった不安は、次の言葉によって消え去った。
「……ありがとう、アンナ」
「いえっ、勿体ないお言葉です」
思わず裏返ってしまいそうになる声を抑え、アンナは深く頭をさげる。
そんなことを言われたのははじめてだった。
(名前……憶えていてくださったんだ)
もう認めないわけにはいかなかった。
マルグリットは、この家の誰にもできない方法で、ルシアンを変えた。
*
一方、ルシアンは、早足にならぬよう注意をしながら離れの図書室へと向かっていた。
(避けられていたわけではないらしい)
それだけで気持ちが浮ついてしまうのを抑えられず、我ながら単純な男だと眉が寄る。だが頬はゆるんでしまいそうになるのを必死にこらえていて、端から見ればおかしな顔になっているはずだ。
アンナの言ったとおり、図書室には人の気配があった。
そこでようやくマルグリットの本好きを思い出す。ノエルに本を贈られて喜んでいたマルグリットの笑顔。
アンナもマルグリットの趣味や居場所を知っていた。侍女だから当たり前のことなのかもしれないが、ルシアンはそれすらも知らないのだ。
「……」
ルシアンの表情が曇った。
本当にこんな自分から愛を告白されて、マルグリットは嫌がらないのだろうか。
(意識されるどころか……嫌われることもあるのではないか?)
その懸念は、次期当主として様々な可能性に目を配ってきたルシアンにとっては当然生まれてしまうものだった。
よかれと思って実行した施策が裏目に出るということはざらにある。
(いや、それでも彼女とすごす時間を増やさなければ)
弱気になりそうな自分を励まし、図書室の扉を開く。
マルグリットはいた。
正面のテーブルに座り、本を広げ、手元には刺繍道具を携え、ひと針ひと針、丁寧に手を動かす。
目は輝き、口角はわずかにあがって、楽しくて仕方がないといった様子だ。
このところ、ユミラとの対決から夫妻の領地への引っ越しの準備、茶会、夜会、当主交代の引継ぎなど、マルグリットは多忙を極めていた。
趣味の時間もろくにとれなかったのだ、と、そこまではルシアンにも理解できた。
扉の閉まる音で人の訪れに気づいたマルグリットが顔をあげた。
「ルシアン様……!」
途端、マルグリットの表情はこわばり、途中だった刺繍をぱっと隠した。
慌てて立ちあがるとルシアンのもとに駆け寄る。
「図書室に何か御用ですか?」
そう言われてしまえば、「お前とすごしたくて同じ部屋に来た」とは言えない。
「……領地の村で見慣れぬ獣が出たというので、図鑑と手記を見に来た」
こんなことだけは真顔ですらすらと言える自分を恨みつつ、ルシアンはマルグリットのそばを通りすぎると背をむけた。






