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36.妻を傷つけるなら容赦はしない

 ルシアンはコレットの手を振り払うとマルグリットの肩を抱いた。

 

「!」

「このドレスは俺が贈ったものだ。愛する妻の肌を他人に見せたくないという愚かな独占欲からな。なにか文句があるのか?」

「……いえ……っ!」

 

 きつく睨みつけられ、コレットは蒼白になって首を振る。

 マルグリットは状況についていけなかった。

 ルシアンはすでにコレットを見ていない。力強くマルグリットを抱き寄せ、怒りをたたえた視線でイサベラを睨みつけると、背後の取り巻きたちを睥睨する。

 

「妻を傷つけるなら容赦はしない。――ド・ブロイ公爵家を敵にまわす覚悟はあるんだろうな?」

 

「ひっ」と叫び声をあげたのはコレットだった。

 

(あたしはイサベラに言われたとおりにしただけなのに……!)

 

 ド・ブロイ公爵家に睨まれれば、金で男爵位を買った商家など吹けば飛ぶ塵のようなものだ。

 コレットはイサベラへ縋る視線をむけるが、イサベラは握りしめた両手をわなわなと震わせ、ルシアンからの糾弾に顔を歪めていた。

 

(どうしてよ……お姉様の結婚は王家の命令のはずでしょう!? ド・ブロイ家はお姉様が憎いはずでしょう!?)

 

 婚礼の場で見たルシアンは、美しい容貌をしていたが、クラヴェル家の者たちを明らかに軽蔑していた。晩餐会のユミラ夫人はマルグリットをいびり抜いていると鼻高々に語っていた。使用人もまたクラヴェル家の人間であるイサベラに無礼な態度をとっていた。

 羨ましく思った豪華な部屋も、体裁を整えるための道具だと自分を納得させたのに。

 

(なのにどうして、お姉様がルシアン様に愛されているのよ……!!)

 

 全身の血が燃えたように怒りが体内を駆け巡る。しかもそれをぶつける相手であるはずの姉はルシアンに守られ、手が出せない。

 牙を剥く獣のような凶相がイサベラの顔面に現れていた。

 ルシアンはイサベラを冷淡な表情で睨み返すと、マルグリットに「帰るぞ」とだけ告げた。

 

「見送りは要らぬ。今後このような不愉快な真似をするなら、こちらも相応の対処をさせてもらう」

 

 背を向け、ルシアンは広間の大扉へと歩いてゆく。寄り添ったままのマルグリットは、最後に不安げな視線をイサベラに投げた。

 その態度がまたイサベラの怒りに油をそそぐ。

 

(なによこの茶番は!!)

 

「ね、ねえイサベラ……ルシアン様の言ってたこと……」

「うるさいわね!! 黙っててちょうだい!」

 

 怒鳴りつけられ身を竦めたコレットは、いったい自分はどうなるのかと恨めしげに周囲を見まわしたが、集まった仲間たちは顔を背けて目をあわせないようにするだけだった。

 

   *

 

 夜の王都を、馬はかろやかな足取りで進んでゆく。

 馬車の中でもルシアンは眉間に深い皺を刻み、腕組みをして黙り込んでいた。

 マルグリットも何を言えばいいのかわからずに、ルシアンの隣に腰かけたまま、ちらちらと横目で窺うだけ。

 その顔はめずらしく真っ赤に染まっていた。

 

(愛する妻……って、おっしゃっていたわ。それにこのドレス……)

 

 マルグリットのドレスはすべてルシアンからの贈りものだ。自分で選んだのだということも聞いた。

 だがそのような意図をもって選んだものだと聞かされれば、いま身につけていることがなんとも気恥ずかしいような、くすぐったいような気分になる。

 

(いえ、自惚れてはだめよ。あれは王家のご命令に従ったまで。妻が侮辱されていれば庇うのは当然……)

 

 けれども、ルシアンは庇わなくともよかったのだ。あの夜会はド・ブロイ家の晩餐会と同じようにクラヴェル家内輪のもので、ルシアンがマルグリットに冷たい態度をとったとしても咎める者は誰もいなかった。

 なのに、ルシアンは庇った。それは彼の意志だったのだ。

 

 そのことをどう受けとめるべきなのかとマルグリットは混乱していた。

 ド・ブロイの家名まで出して、ルシアンはあの場の全員を黙らせた――と、そこまで考えて、重大な事実にハッとする。

 

「ルシアン様! もしかすると、イサベラがノエル殿下に訴えるかもしれません」

 

 招待されて行った夜会で、ルシアンはド・ブロイ公爵家の名を出し、〝敵〟という言葉を使った。これは王家の命に抵触するものではないだろうか。

 だがルシアンはマルグリットをふりむくと、怪訝な顔になる。

 

「それがどうした?」

「イサベラはノエル殿下にお手紙を送っているのです。今回のことも、都合のいいようにして殿下のお耳に入れるかも――」

「だから、それがどうしたと言っているんだ」

「え?」

 

 きょとんとするマルグリットを見、ルシアンは小さくため息をついた。

 

「ノエル殿下に事情を尋ねられたら、今夜あったことを話せばいいのだ。あれだけの証人がいる。君の妹も手はまわしきれないだろう。王家から尋問されれば彼らが口をつぐむことは不可能だ。そうなってもいいように、あの女に手をあげなかった」

「あ……」

 

 あの女、というのはコレットのことを言っているのだ。

 

「怒りを抑えるのに必死で、君にむかって暴言を吐かせてしまったが……すまない」

「いえ……」

 

 マルグリットは恐縮して身を縮めた。

 ルシアンがそこまで考えて行動しているあいだ、自分は呆然と成り行きを見守っているだけだった。元はといえばクラヴェル家の問題であり、マルグリットが火種になったようなものなのに。

 

「申し訳ありません……」

「なぜ謝る。謝る必要はないと言っただろう」

 

 顔をそむけ、ルシアンは窓の外へと視線を逸らしてしまう。

 マルグリットは俯いた。

 しかし、しばらくして顔をあげたマルグリットの目は、窓から差し込む明かりにキラキラと輝いていて。

 マルグリットの手がそっとルシアンの腕に触れた。

 

 ならば、謝罪ではなく感謝を。

 

「ありがとうございます、ルシアン様。……嬉しかったです」

 

 誰かに庇ってもらうことなど、はじめてだった。自分のために怒りをあらわにしてくれる人がいる。肩を抱き、あの家から連れ出してくれる人がいる。

 鼓動は弾むように跳ね、マルグリットの頬はふたたび赤く染まった。

 

 馬車は大通りを抜け、明かりの少ない路地へと入ってしまったから、ルシアンの頬も赤く染まっていることにマルグリットは気づかなかった。

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