33.あたし、反省するわ
マルグリットの部屋にたどりついたイサベラは、その豪華さに唖然としていた。
イサベラを案内したアンナは使用人のくせに不躾な視線を投げつけてきて、明らかにイサベラを敵と見ていた。
クラヴェル家の使用人がそんな目をしたなら怒り狂うであろうイサベラは、
(普段のお姉様の扱いが知れるというものね)
とこのときばかりはアンナを許し、おとなしくその案内に従った。
そんな内心の笑みは、マルグリットの自室を見た瞬間に砕け散ってしまった。
ルシアンの部屋の隣にもうけられたという彼女の部屋は、クラヴェル家でのイサベラの部屋よりもはるかによい調度が置かれ、棚には名のある工房の宝飾品や食器が並べられ、奥には一部屋を使ったクローゼットが見えていた。
「なんなの……これ……」
「イサベラ!」
追いついてきたマルグリットの声にイサベラはふりむいた。
マルグリットは青ざめた顔で、部屋に足を踏み入れる。
「ノエル殿下になにを申しあげたの……? どうしてあなたがノエル殿下とやりとりをしているの」
焦った声に、呆然としていたイサベラの頬に血の気が戻る。
マルグリットの言葉は彼女に立場の優位性を思い出させた。
(あたしが何を言っても言い返さなかったお姉様が……)
反抗には腹が立つ。一方で、こわばった表情は、実家にいるときは何の反応も返さなかった姉が怯えていることを示している。
イサベラの口角がにやりとつりあがる。
「あたし、王家にお手紙を出したのよ。姉が不憫な目に遭っていないか心配でたまらないって。だって相手はあのド・ブロイ家ですもの」
「なにを……」
「お姉様が家を出てしまったせいで、お父様はとっても忙しくなってしまって、あたしにお小遣いもくださらないの。だからお姉様が帰ってきてくださったらいいと思ったのよ」
「まさか」
マルグリットは青ざめた。眩暈すら起こしそうな推測を、イサベラは軽い頷きだけで肯定する。
「お姉様がド・ブロイ家から使用人以下の扱いを受けていて、家に帰りたいと泣いていると、そうノエル様に申しあげたのよ」
「――!」
「でも違ったのね。お姉様はこんないい部屋で暮らしていたなんて……心配して損したわ」
心配などしていなかったことが見え透いた顔で、イサベラは肩をすくめる。
晩餐会からしばらくして突然ノエルがド・ブロイ公爵家を訪れた理由が、これでわかった。エミレンヌがわざわざ聞かないようにしてくれたユミラの陰口を、イサベラは脚色して王家に送りつけたのだ。
「イサベラ、あなた自分がなにをしたかわかっているの!? 王家の方に、虚偽の申し立てをしたことになるのよ!」
「虚偽じゃないわ。お姉様が話をあわせてくれればいいだけでしょ」
小うるさい虫でも追い払うようにイサベラは耳元で手を振った。
「それよりクローゼットを見せてよ。それにこの宝石も……もらって帰ってもいいわよね? いつもあたしの好きなものをくれたじゃない」
マルグリットの恐怖などどこ吹く風といったようにイサベラは室内を歩きまわり、ドレスや宝石を物色しようとした。
あれからもルシアンの贈りものは続いている。
毎日一輪ずつ贈られる花はマルグリットの部屋を飾り、芳香を放っていたし、外出した際にはめずらしい土産物や、香水などを求めてくることもあった。
マルグリット自身、増えていく持ち物に戸惑っていることは確かであったが、
「だめよ」
「どうして? 外聞を取り繕うためにド・ブロイ家が用意したのでしょう。少しくらい妹のあたしがもらっても――」
「イサベラ。室内のものに手を触れることは許しません」
気を抜けば崩れてしまいそうになる足に力を込め、マルグリットは背すじをのばした。
姉の強気な態度にイサベラは眉を寄せる。
「わたしがなんでもあなたにあげたのは、お父様からそう命じられたからよ。クラヴェル家のお金で買ったものだから、当主であるお父様の言うとおりにするのが正しいと思っていた」
それはマルグリットにとっても建前であったかもしれない。
渡さないと言えばイサベラは泣き喚き、モーリスはイサベラの肩を持ち、結局は取りあげられてしまうから、そう思い込もうとしたのだ。
――君はもう少し怒りを見せたほうがいいと思うけどね。
ふたたびノエルの声がよみがえる。
立ち向かうべきはユミラではなく、クラヴェル家なのだとマルグリットは気づいた。
(わたしがなんでも言いなりになっていたせいで、お父様もイサベラもこんなふうになってしまったのかもしれない)
なら、今から変わらなければならない。
「わたしはド・ブロイ公爵家の妻になったの。この部屋にあるものはすべて、ルシアン様からいただいた大切なもの。あなたにあげることはできないのよ」
「やっぱり公爵家に嫁いだからってあたしたちのことを下に見ているのね」
マルグリットの言葉を見当外れな方向に解釈し、イサベラは顔を歪めてマルグリットを睨みつける。
だがマルグリットは怯むことなくイサベラの視線を受けとめた。
数か月前まで、実家でのマルグリットであれば、逆らうことなどなかった。こうしてイサベラを正面から見据えることもできなかった。クラヴェル家は使用人に至るまで、マルグリットの味方などいなかったからだ。
「下に見てなんかない。姉妹としてわたしたちは対等よ。だから聞いて。ここにあるものは大切なものなの。軽々しく人に譲れるものではないのよ」
イサベラは眉をひそめた。
(どういうことなの? お姉様じゃないみたい……)
諦めきった顔をして、なにを言われても粛々と従っていたマルグリットはもういなかった。
しばらくの沈黙と対峙ののち、マルグリットに怯えがないと見てとると、イサベラは急に顔を俯けた。
しおらしい表情を作り、「うぅ……っ」と悲しげな声を漏らす。目には涙すら浮かんでいた。
「わかったわ……あたし、反省するわ。お姉様がいなくなって、だんだんうちのことがうまくいかなくなって……寂しかったの」
「イサベラ……」
マルグリットはイサベラの肩を抱いてやった。
ノエルには順調だと聞かせていたが、クラヴェル家の経営は悪化し始めているらしい。
「お父様にはイサベラしかいないのだから、あなたが支えてあげるのよ。領地の経済や交易は文書にまとめてあるから……」
「読んでもわからないわよ、あんなの……ううん、今度からは真面目にやるわ。だから、たまには家に戻ってきて、教えてくれる?」
「……ええ、わかったわ」
実家には愛着もある。現状がどうなっているのか、確認しておく責任があるだろう。
事情を説明すればルシアンの許可も得られるはず。
「あたしが頼れるのはお姉様だけなの……」
イサベラは健気な仕草でマルグリットの腕へ頬をすりよせる。
唇の端に小さな嘲笑を浮かべながら。






