26.どうして彼女には伝わらないんだ
ルシアンがマルグリットの味方になると示したことで、ド・ブロイ家には微妙な緊張が走っていた。
よそ者をイビるだけだった嫁姑問題は、次期当主であるルシアンが参加したことで、家庭内の対立に発展してしまったのである。
「母上、マルグリットをド・ブロイ家の妻として受け入れてください」
「まあルシアン、あなたまでなんということを!」
「わが家がマルグリットにしてきたことを、王家は知っています。いま目こぼしをされているのはマルグリットが許しているからだ」
隣国との緊張が続く限り、両家の友好を演出したい王家は目をつむっていてくれるだろう。
だが、もし隣国との関係が和らぎ、ド・ブロイ家とクラヴェル家の婚姻が必須のものでなくなった場合。
(ド・ブロイ家に残るのは、王家の命に逆らい、やってきた妻を冷たく扱ったという事実だけだ)
仲睦まじく、というエミレンヌの言葉が表向きだけのことを指しているとしても、そんな解釈はあとからどうとでも捻じ曲げられる。
ド・ブロイ家が罰される可能性もあるのだ。
それ以上に、もし婚姻が不要になれば。
(マルグリットが離縁を願った場合、俺は止めることができない――)
ノエルの言葉でルシアンが気づき、蒼白になったのはこの事実だった。
マルグリットへの想いをユミラが理解するわけがない。そう考えたルシアンは、王家の命を口実にしてマルグリットの待遇改善を要求したのだが、
「あの娘のせいね! ルシアン、あなたはこれまで口答えなどしたことがなかったのに……!」
「違います、母上。マルグリットのせいでは……」
「ではどうしてあの小娘を見るたびに頬を赤らめるの! どうしてそんなに名を呼ぶの! どうして贈りものをして着飾らせているの!」
「!!!」
――マルグリット以外の人間には、ルシアンの恋心は正しく伝わっていた。
(ではどうして彼女には伝わらないんだ……!?)
「ほらごらん、わたくしの言うとおりでしょう! ああ、まったくあなたまで、ルシアン……」
愕然とするルシアンにユミラの怒りは限界に達し、ついには涙を流し始める。
母子の修羅場に、割って入れる者はなく。
使用人たちもただ遠巻きに、顔を青ざめさせながら見守るだけであった。
***
ルシアンとユミラの対立は、マルグリットからは見えないように隠されていたが、これまでとは種類の違うひりつきが空気に混じっていることを、マルグリットも感じとっていた。
(わたしのせいよね……)
ユミラは食堂に来るたび、恨めしげにルシアンを見てさめざめと泣いている。
ルシアンは苛立ちと悲しみといろんなものを混ぜたような表情で食事をするし、使用人たちも表情が暗い。
(わたしのせいなんだわ……)
とくに気まずそうな顔をしているのはアンナである。
マルグリットへの嫌がらせを率先して行っていたアンナは、ユミラ側の急先鋒だったはずだ。それが、彼女が実はキッチンメイドではなく侍女として仕える教養を持っていたために、今はまるでマルグリットの味方のようにふるまわざるをえない。
マルグリットの供として食堂へくるたび、アンナはユミラの視線を避けるように俯いていた。
(わたしはどうすればいいのかしら……)
自分のせいでド・ブロイ家が険悪な空気になるくらいなら、一致団結して嫌がらせをしていてくれたほうがまだよかった、と思う。
どうせマルグリットには仔猫の奮闘程度にしか見えない嫌がらせなのだから。
だが、ルシアンに、自分の敵にまわれなどとは言えない。
ルシアンも懸命に王家の期待に応え、マルグリットを大切に扱おうとしているのだ。
どちらも、家を大切に想うがゆえの行動である――と、マルグリットは思っている。
悩みながらも答えは出ないままに、今日もマルグリットはアンナを伴い食堂へ向かう。
食堂ではいつもどおり、ハンカチを目に当てるユミラ夫人と、腕組みをして不機嫌そうなルシアンがすでに昼食をとっていた。
マルグリットは頭をさげ、ユミラの横を通りすぎる。
「よくも普通の顔をしてこの場に出てこられるものね」
ユミラが恨みのこもった声で言う。胸は痛むが実害は何もないので、マルグリットにとっては決まり切った挨拶のようなものだ。
いつもと違ったのはそこからだった。
「――アンナ」
今日のユミラが鋭く名を呼んだのは、マルグリットではなく、その侍女であるアンナ。
アンナが弾かれたように顔をあげる。
「ッ、奥様……」
「育ててやった恩を忘れ、敵の娘に寝返るなんて」
「母上! 彼女は俺が侍女に命じたのです。母上こそ彼女にキッチンメイドの真似事など……」
「それはアンナが望んでやったことよ。ド・ブロイ家のために尽くすと言いながら、恥というものを知らないのかしら」
見開いた目から涙を流し、アンナはユミラを見た。責める言葉は、アンナも自分自身に対して感じていたこと。
ルシアンからマルグリット付きの侍女を命じられたとき、アンナは自分がマルグリットに敵対していたことをルシアンに言えなかった。言えばルシアンは彼女を疎んだだろうから――自分はマルグリットを疎み、仕える立場でありながらひどい言動を繰り返したというのに。
「も、申し訳ありません……」
「なにをしているの? 突っ立ってないで、謝る気があるのなら床に膝をつきなさい」
アンナはうなだれ、両膝を折ると、床に額をつけた。
「どうぞお許しください、お許しください、奥様……!」
その態度は、ユミラに仄暗い愉悦を与えた。
マルグリットを離縁させることもできず、ルシアンすら奪われた彼女にとって、アンナの涙は自分がまだ権威を持ち、ド・ブロイ家の女主人であることの証だった。
椅子から立ちあがり、つかつかと歩みよると、いつも手にしている扇を振りあげる。
「こちらを向きなさい。罰を与えねば」
「母上!」
ルシアンの制止も聞かず、扇は怯えるアンナの顔へと振りおろされる――。
重々しい衝撃が食堂に響いた。
金具とそこに嵌められた宝石が肌を叩く音。
だが、逃げることもできないまま目をつむって待っていたアンナの頬に、その衝撃は訪れなかった。
「……?」
おそるおそる目を開ければ、さしだされた腕が扇を受けとめている。
「――!!」
それはマルグリットの腕だった。






