25.どうぞ、ご無理なさいませんように
朝、ルシアンはマルグリットの部屋のドアを叩く。
最初の日に迎えに行くと言ってしまったせいで、マルグリットとアンナはルシアンの迎えを待つようになっている。一言「勝手に食堂へ来い」と言えばいいだけなのだが、それを言えば突き放しているようで気が引ける。
ただ、現状でも、マルグリットからは「放っておけば来ないのではと疑っているためわざわざ呼び出しに行っている」と思われているだけだろう。それはルシアンもわかっていた。
(だが、どうすればいいのかわからない……)
(ルシアン様、今日も難しいお顔をされているわ……)
自室から食堂へと続く廊下で、ルシアンのあとに続きながら、マルグリットは心配げにルシアンを窺った。
同じとき、ルシアンが小さくマルグリットをふりかえった。いったいどんな顔をしてついてきているのかと気になったからなのだが、
「!」
視線を伏せているのかと思いきや、マルグリットは眉をさげながらルシアンを見ているではないか。
ルシアンの顔がカッと赤くなり、眉が寄る。
(やっぱり怒っていらっしゃるのかしら)
マルグリットは慌てて俯いた。自分に見られるのを嫌がっているのかと思ったのだ。
(俺と目が合ったとたんにうなだれた)
ルシアンもルシアンで、マルグリットの態度を自分のせいだと思い込んだ。
そのまま食堂へたどりついた二人は、無言のまま朝食を終えた。
*
朝食のあと、ルシアンを呼び止めたのはマルグリットだった。
「あの、ルシアン様」
名を呼ばれ、ルシアンの顔色が赤く、険しくなる。常よりさらに鋭い視線にマルグリットは一瞬言葉に詰まった。ルシアンがなにか言いたげだと感じたからだ。
窓からの光を遮るように、ルシアンの手があがった。
(叩かれる――?)
それもいいだろうとマルグリットは思う。
(いっぱつ叩いて気が済むのなら――)
だが、ルシアンの手はマルグリットの頬を張ることもなく、髪をつかむこともなく、肩を突き倒すこともなく。
アンナが編んで結ってくれた髪に、そっと置かれた。
「……?」
不思議そうに見上げるマルグリットを、赤い顔のルシアンがきつく眉を寄せて見下ろしている。
頭はいまだにずっしりと重い。男の人の手だ、と思った。大きくて厚みのある、骨ばった手が、マルグリットの頭にのっている。
(……?)
心の中に疑問符が湧いてくる。
やはり状況がわからない。
不意に、ルシアンの手が動いた。
整えた髪を崩さぬようにゆっくりと、やさしく、手のひらは髪を撫でる。
(これ……!)
ハッとマルグリットは気づく。
(〝いいこいいこ〟されている!?)
幼いころ、母親にしてもらったのと同じ。マルグリットの理解が正しければ、それは親愛の情を示すものだったはずだ。
マルグリットはもう一度ルシアンを見つめた。
ルシアンは視線を逸らしている。顔は赤い。眉が寄って、唇は引き結ばれ、……ルシアンのそんな表情が間近にある。
ふたたび、マルグリットの脳裏に、雷のような閃きがよぎった。
(ノエル様に言われたから、嫌々ながらに仲睦まじくしてくださっているんだわ……!!)
なぜかノエルはド・ブロイ家内の事情まで知っていた。もしかすると使用人の中に王家の息のかかった者がいるのかもしれない。
彼らに向けて、ルシアンは、家でもマルグリットを大切に扱っているのだとアピールしたいのだろう。
本意ではない行為をしているのだから、ルシアンが怒ったような顔になるのは当たり前だ。
「ルシアン様」
髪を撫でる手に自分から寄り添うように、マルグリットはルシアンに身体を近づけた。遠目に見れば、離れがたい恋人同士のように見えるかもしれない。
ルシアンの動きが緊張に止まる。
近くに人がいないことを確認し、背伸びをすると、マルグリットはルシアンの耳元で囁いた。
「どうぞ、ご無理なさいませんように。アンナもおりますし、邸内にも慣れましたから、明日からはわざわざ部屋まで足を運んでいただく必要はありません。これまで本当にありがとうございました」
にっこりきっぱり、それだけ言いきり、優雅な礼を見せて去っていくマルグリット。
(ルシアン様の負担を一つ減らすことができたわ)
いいことをした、と、マルグリットの心は弾んでいた。
その背中を見送りながら、自分が何を言われたのかをルシアンが理解したのは、数分の硬直ののちであったという。






