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23.第三王子の訪問

 ユミラ夫人から酷評された身なりについては、朝食後、いっしょに席を立ったルシアンが、

 

「似合っている……ように、俺には思える」

 

 と言ってくれたために、マルグリットの不安はなくなった。

 満面の笑みで「ありがとうございます!」と答えたらルシアンが苦いものを飲み込んだような顔になっていたのが気にかかるところだが、励まそうとしてくれた気持ちを素直に受けとろうとマルグリットは決めた。

 

 着ているものが汚れてもいいドレスではなくなったので、手伝いをすることはもうできない、と謝ると、使用人たちはぶんぶんと首を振った。

 

「いえっ、もう妻にあんなことはさせるなと、ルシアン様からご命令ですのでっ」

「そうなのね」

 

 生活が劇的に変わった理由は、マルグリットをどう扱うかというルシアンの方針が劇的に変わったからだというのはわかる。

 だが、()()方針が劇的に変わったのかは、相かわらずわからないままだ。

 

(きっと、ルシアン様がとってもやさしいお方だからでしょうね)

 

 残念ながら、数年間にわたり人間関係が崩壊していた実家の影響で、適切な距離感というものがマルグリットには把握できなかった。モーリスやイサベラに比べれば、ほとんどの人間は「とってもやさしい」。

 そんなわけで、ルシアンから示されたものが厚意なのか好意なのかの区別は、マルグリットにはつかなかった。

 


 ノエル・フィリエ第三王子がド・ブロイ公爵邸を訪れたのは、そんな折りだった。

 

   *

 

 並んで出迎えたルシアンとマルグリットに、ノエルはにこりと笑いかけた。

 これまでほとんど表情を変えなかった第三王子のやさしい笑顔に不意を突かれたような気持ちになっていると、

 

「母上といっしょにいるときはなるべく影に徹しているんだ。目立たないように」

「そうなのですね……」

 

 たしかに、エミレンヌの勢いに圧倒され、ノエルについてはあまり印象に残らない。

 しかし自覚的にその立ち位置を確保しているのならば、ノエルもなかなかのくせ者であるということに思える。

 

(今日はどんなご用事でいらっしゃったのかしら……?)

 

 微妙な表情になったルシアンとマルグリットの内心を察したらしい、ノエルはぱっと笑顔を大きくし、両手を広げた。

 

「もちろん今日来たのも悪い話じゃないよ。個人的な結婚祝いも持ってきたし」

 

 ノエルの言葉にあわせて従者が直方体の包みをさしだした。開けてみる。

 数冊の本だ。

 

「か、海洋冒険譚上下巻セット……!! しかも別巻まで! 本当にいただいてよろしいのですか!?」

 

 歓喜の悲鳴をあげたのはマルグリットだった。驚いてふりむいたルシアンにも気づかず、本の表紙を眺めている。

 世界中の海にまつわる冒険の記録を集め、挿絵を施したという書物で、希少価値の高さゆえにド・ブロイ家の図書室にもなかった。ただ様々な本がこの書物を引用しているため、いつか読んでみたいと憧れだったのだ。

 

「でも、どうしてわたしがこの本を欲しがっていたと……?」

 

 誰にも言ったことがないはずなのに。

 不思議そうに見上げるマルグリットにノエルはふふっと笑いを漏らしたが答えてはくれない。

 

「ルシアンにはこれだ」

 

 ふたたび従者が包みをさしだす。今度は丸くて大きなもので、上部にリボンがついていた。

 

(それに、なんだか動いているような……?)

 

 中からがさごそと音がする。

 重みのありそうなそれを受けとると、ルシアンは緊張を表情に走らせた。中身の予想がついているようだ。

 と、ガサッとひときわ大きな物音が立ち、リボンから尖った耳がにゅっと飛び出した。

 

「にゃ~ん」

 

 顔を出したのは、青みがかった栗色の、長い毛のネコだ。くるりとした瑠璃色の目とピンと立った耳がかわいらしい。

 ネコは正面からルシアンを見つめ、もう一度「にゃ~ん」と鳴いた。

 

「ルシアン様……ネコちゃんがお好きなのですか?」

「……」

「ぼくからってことにすればユミラ夫人も文句は言えないでしょ。動物嫌いなんだよね、夫人」

「お気遣い、ありがとうございます……」

 

 ルシアンは顔を赤くして呆然としている。

 誰にも言ったことのない願いだったのだろうとマルグリットは思った。

 

(計り知れない方だわ……)

 

 王妃の陰に隠れて、いったいどのような情報収集をしているというのだろうか。

 恐れすら混じりはじめた二人の視線を受けつつ、ノエルはなんでもないことのようにほほえむ。

 

「あはは、そんな目で見ないでよ。言ったでしょ、悪い話じゃないって。少し、庭を歩こうか」

「はい」

 

 ルシアンは頷くと、執事に命じて人払いをさせた。

 ド・ブロイ公爵がとくに目をかけているという薔薇園の小径を三人で歩き、ノエルは咲き始めた薔薇のつぼみに目を細めた。

 

「すべてが花咲こうとしている気がするよ。実はね、君たちのおかげで隣国と友好条約を結べそうなんだ」

「それはようございました」

「ド・ブロイ家とクラヴェル家は武勇の家だ。その二家がついに手を組んだとあればしばらく隙はできまいと思ってくれたのさ」

「そうなのですね」

 

 緊張した面持ちでノエルの話を聞いていたマルグリットはほっと息をついた。

 クラヴェル伯爵領については、マルグリットも関わっていたことがある。家ではド・ブロイ家への恨みしか語らぬモーリスのせいで、イサベラはほとんど自領のことを知らない。

 どうなっているのかと心配していたが、隣国から一目置かれているなら大丈夫なのだろう。

 

「条約の締結までは気を抜かず、ふたりには睦まじくいてほしいのさ。この前のような晩餐会もいいが、マルグリット嬢の名で茶会をひらいてみるとかね」

「わたしの名で……でございますか」

 

 シャロンからも「お茶会でも」と言われたことを思い出し、マルグリットは呟いた。

 あのときは、ユミラからの許可が出ないだろうと思ったのだ。でもノエルの要請として、ルシアンも口添えしてくれるなら。

 

「まずは気のおけぬ仲間たちを呼べばいいよ。ぼくも呼んでくれると嬉しいな」

「承知いたしました」

 

 軽い口ぶりではあるがこれは命令に等しい。

 たしかに、王都の屋敷にいるというのにマルグリットはルシアンとともに外出をしていない。ならばせめて邸内で活動しておくべきだろう。

 

(ルシアン様にも相談して……えっ!?)

 

 考えつつ、ふとルシアンを仰ぎ見たマルグリットは驚きの声をあげそうになった。

 先ほどまではノエルにあわせるように頷き、ほほえみこそしないものの表情の動きを見せていたルシアンが、なぜかどんよりとした空気をまとい、視線は虚ろになっていた。

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