22.夫の様子が変です(後編)
ルシアンの鶴の一声で、あっというまに部屋の移動が行われた。
といっても手間は運んできた贈りものを別の部屋に運ぶだけのもので、もとからマルグリットの私物はほとんどない。晩餐会用のドレスはこんなところには置いておけないとユミラの預かりになっているし、隠されたドレスや靴の半分はまだ見つかっていないので、嫁いだときよりもさらに身軽になっていた。
移動の途中、ほかの者には聞こえないようにそっと
「あの、ルシアン様、このようなことをしていただかなくともわたしはド・ブロイ家に不利になるようなことを言ったりしません」
と囁いたのだが、ルシアンは余計に眉を吊りあげて口をつぐんでしまった。
(とにかく黙って言うとおりにしろということね)
新しい部屋はルシアンの部屋の隣に定められた。
磨き抜かれた鏡台や戸棚がてきぱきと設置され、金装飾の施された時計が壁にかけられ、複雑な模様のえがかれたティーセットが硝子棚に飾られた。
クローゼットには数えきれないほどの衣装が詰め込まれていく。
「待て」
メイドを呼び止め、ルシアンは彼女の持っているドレスを検分した。
「これは肩が開きすぎている。だめだ。こんなに肌を見せるなんて……」
たしかに大胆なデザインのドレスだった。赤い薔薇をあしらった胸元を強調するようにして、肩や腕の露出も多い。地味なマルグリットには似合いそうにない。
メイドはドレスを持って部屋を出ていく。
その様子を見守っていたマルグリットと目が合うと、ルシアンはばつの悪そうな顔になった。
「……選んだときは、いいと思ったんだ……」
「ルシアン様が選んでくださったのですか」
「……」
答えはない。
(もしかして毎朝キッチンにきていたのは、このため?)
部屋のもう一方では宝石箱に指輪や耳飾りが収められてゆく。見ているだけで目が眩みそうだ。
イサベラもこんなに多くの宝飾品は持っていなかった。酒を飲んだモーリスは同格の家柄のくせにと管を巻いていたけれど、公爵家となるだけの力がド・ブロイ家にはあったのだ、といまさらながらに知る。
ドレスを検分し終わったらしいルシアンはマルグリットのもとへ歩いてくると、やはり凄みのある声で、一つのドアを指さした。
「あれは俺の部屋につながっている」
ルシアンがぐっとなにかを飲み込むような顔になる。
「開かないように鍵をかけておく」
「はい、わかりました」
「明日からは身支度をして食堂へくるように。……いや、俺が迎えにくる」
「ありがとうございます」
すべての準備は整ったらしかった。
使用人たちはそそくさと部屋を出てゆき、あとにはルシアンとマルグリットが残る。
部屋の中を見まわし、まるで夢のようだとマルグリットは思った。どこもかしこも磨き抜かれて煌めいた部屋は、マルグリットには見慣れぬもので、現実離れした美しさがあった。
両手を広げ、くるりとまわると、風を含んだスカートがやわらかくはためく。
弾む胸のままに、歌いだしたい、踊りだしたい気分だった――と考えかけて、ハッと気づく。
「も、申し訳ありません」
ルシアンは目を細めてマルグリットのよろこびように見入っていたのだが、深々と頭をさげられると、すぐに顔をそむけた。
「すばらしい部屋を用意していただきありがとうございます」
「礼には及ばない。……君は俺の、妻なのだから」
そのまま、顔をあげる前にルシアンは踵を返して立ち去ってしまったから、やはりマルグリットから真っ赤になったルシアンの顔は見えなかったし、赤くなった耳の先も、黒髪に隠れて気づかなかった。
(愛するつもりはないと言ったのに、愛してしまった)
口元に手をあて、ルシアンは足早に遠ざかる。
一方ルシアンを見送ったマルグリットは、
(わたしとお話をするたびに真っ赤になって眉を寄せるのは、怒っておられるのかしら……)
煌びやかな部屋の中で、胸によぎった寂しさに気づき、小さなため息をついていた。
***
マルグリットの生活は一変した。
次期公爵夫人らしくなった、と言ってもよいだろう。
「し、白い……!!」
新しい部屋の新しいベッドの前で、マルグリットは緊張に顔をこわばらせていた。
ベッドに敷かれたシーツは、これまでの少し埃っぽい薄汚れたシーツではなく、皺ひとつない純白のシーツだった。マルグリットのために買い求めたものなので、当然新品である。
(横たわるのが勿体ない……!)
嫁いできてはじめて、マルグリットは眠れぬ夜をすごした。
*
翌朝、いつもならばマルグリットをキッチンへ連れていくはずのアンナは、部屋の中へ入ってきて、マルグリットの着替えを手伝った。
終始しかめ面だったもののアンナの手際はてきぱきとしていて、彼女がキッチン付きのメイドではなかったのだということを、マルグリットはそのときはじめて知った。
「わたし、ルシアン様のこと、諦めませんから。いつか侍女頭になって、あなたより重宝されてみせます」
きっと睨みつけられ、だがそのあいだも手は素早く動き、マルグリットを美しく仕立てあげようと奮闘する。
アンナは仕事の手を抜いていない。そのうえで、正々堂々と勝負を仕掛けてきたのだ。
マルグリットの顔がぱっと輝く。
「うん!」
「だから、そんなだらしない顔を……」
嬉しくて笑顔になると、呆れたように肩をすくめられた。最後に花の飾りをまとめた髪に添えられて、
「ほら、できました。もうルシアン様がいらっしゃいますよ」
アンナのその言葉と同時に、ノックの音が響いた。
部屋を訪れたルシアンはマルグリットの姿に一瞬言葉を失ったようだ。
(アンナが髪型も整えてくれたし、自分では思いのほか似合っていると思うのだけれど……やっぱり変なのかしら)
不安げに見上げると、目があった瞬間にルシアンは眉を寄せ、視界に入れたくないとでもいうように顔をそむけてしまう。
美しいドレスを身にまとったマルグリットをお気に召さなかったのは、ユミラ夫人も同様だった。
食堂に現れたマルグリットを見るなり、キッと眦がつりあがり、手にした扇子はテーブルに叩きつけられて甲高い音を立てる。
「まあ、なんですのその派手なドレスは! これみよがしに宝石をくっつけて、いやらしい……! 伯爵家はあなたにドレスの選び方も教えなかったの!!」
「お義母様!」
あっと思ったときには遅かった。
これまで口答えをしたことのないマルグリットに呼びかけられ、ユミラ夫人は口をつぐむ。
一瞬の沈黙が支配した食堂に、
「それは……俺が買ったのです……」
悄然としたルシアンの声が落ちると、さすがのユミラも黙らざるをえなかった。
その朝、ルシアンはいつもより覇気のないように見え、マルグリットは嫁いできてはじめて、気まずい食事の時間をすごしたのだった。






