21.夫の様子が変です(前編)
ニコラスの訪れた日から、ルシアンの様子がおかしい。
そっけないのは元からだったのだが、怒りっぽくなってしまった――と、マルグリットは思っている。
「おはようございます、ルシアン様」
キッチンを訪れたルシアンに挨拶をすると、ルシアンは眉を寄せて唇を歪めた。
このところ毎日、ルシアンは朝のキッチンを訪れる。理由はわからない。マルグリットが挨拶をするとぷいと顔をそむけて行ってしまう。
先日たまたま会ったときに「あの、なにかご用件がおありなのでは?」と尋ねたら、顔を赤くして激怒していた。
原因はわからない。距離は縮まっていたように思うのだが、ここへきて一足飛びにひらいてしまった。
(わたしの挨拶がなにか悪かったのかしら……)
あの日、帰りがけにニコラスが「君たちも大変だね」と肩をすくめていた。
一人で客人を見送り、後片付けのために応接間に行くと、なぜかルシアンはびしょ濡れで、腕組みをしたまま天井を仰いでいた。
「まあ! どうしたのですか」
驚いてハンカチをあてようとした手を握られた。
「自分でやる」
それだけ言うと、ルシアンはふらふらと立ちあがり、応接間から出て行ってしまった。
「俺は水をかけられたお前を放っておいたのに……」
とかなんとか言っていたから、マルグリットに見られたのが嫌で、本当は放っておいてほしかったのかもしれない。
仕方なくマルグリットはメイドたちといっしょに濡れたテーブルや床の掃除をした。
ルシアンがかぶった液体はぬるくなった紅茶だったが、ルシアンの紅茶は手つかずで残っていて、マルグリットは首をかしげた。
思い返してみてもやはり、ルシアンの怒りの原因はわからない。
そもそもなぜルシアンはニコラスの紅茶をかぶる羽目になったのか。
(ニコラス様との商談がうまくいかなかった……ニコラス様がルシアン様にお茶を……?)
だとしたらあれほどにこやかにニコラスが帰っていくのもおかしいし、ルシアンがなにも言わずじっと座っていたのもおかしい。
考えてもわからない、とマルグリットは首を振った。マルグリットがでしゃばってもよいものではないだろうから、そっとしておくのが一番だ。
けれどそのうち、ルシアンの態度はますます理解不可能なものになった。
*
「これを……わたしにですか……?」
マルグリットが呆然と見つめる先には、ドレスに靴に、髪飾りそのほかの装飾品、鏡台、化粧道具、戸棚、そのほかありとあらゆるもの。
そして、それらの前に立ち、憤怒の形相で花束を抱えているルシアンがいた。
ある昼下がり、例によって読書に耽っていたマルグリットの部屋にノックの音が響いた。
部屋へくるのは食事を知らせる使用人かルシアンかである。食事の時刻ではなかったから、マルグリットは慌ててドアを開けて、見たのであった。
ドアの前に山と詰まれた品々と、花束を抱えたルシアンを。
(これはいったい、どういうことかしら……)
状況を素直に受けとれば夫ルシアンから妻マルグリットへの贈りものなのだが、殺気だったルシアンの相貌がそれを否定していた。ルシアンの背後には、贈りものの山に囲まれながら、青ざめた使用人たちも立っている。
マルグリットはハッと気づく。
(王家の方々の目もある手前、わたしのために買い物をせざるをえないのだわ)
不本意な出費をさせられて怒っているのだろう。そう考えればそうに違いない気がした。
マルグリットに自由になる金があれば出費を穴埋めすることもできるが、そんなものはない。
(そうだわ、ドレスや靴は無理でも、ほかのものはユミラお義母様に使っていただくことができるかも)
そう考えたマルグリットは、まだ無言で彼女を睨むルシアンを見上げた。
「ありがとうございます。ルシアン様。とても嬉しく思います」
マルグリットが笑顔を見せるとルシアンの表情が和らいだ。
とても嬉しいのだ、という表情を維持したまま、マルグリットは困ったように眉をさげる。
「ただ、その、この部屋には入りきりませんので、家具などはユミラお義母様にお任せしてもよろしいでしょうか」
マルグリットの言葉に、ルシアンはいま気づいたというように部屋の中を見た。それから背後の品々をふりかえり、また部屋を見、マルグリットを見た。
と思えば、うなだれるように花束に顔を埋めてしまう。
「……だ」
「え?」
絞り出すような声が花束のむこうから聞こえた。なんだろうかと近よったマルグリットの耳に、今度ははっきりと、
「移動だ」
そう告げるルシアンの声が聞こえた。






