18.困惑は伝染する
数日後のド・ブロイ公爵邸では、ルシアンが、友人ニコラス・メレスンとむかいあっていた。
ニコラスはメレスン侯爵家の長男であり、いずれ当主を継ぐ立場にある。ルシアンの一つ上と歳も近く、幼いころから王都に暮らしている彼らは親しい関係だった。
ルシアンの結婚式にも、先日の晩餐会にも、ニコラスは顔を見せている。
「ふたりで会うのは久しぶりだな、お前から呼ばれるとは思わなかった」
ソファに背を沈めくつろぎながらニコラスは眉をあげて笑ってみせた。話したいことがあるという手紙を受けとったときは、驚いた、というのが半分、政敵の娘との慣れぬ結婚生活に苦労しているのだろうという推測が半分。
そしてそれは当たっていた。
ルシアンはわずかに頬を赤らめ、憮然とした表情で腕を組んで、ニコラスと目をあわせようとしない。
(こんなルシアンははじめてだな)
相当参っているらしい。どちらの意味にかはわからないが。
「ごにょごにょと世間話をしてもしょうがないだろう? さっさと用件を言えよ」
遠慮のない口調でニコラスが言うと、ルシアンは目を泳がせた。
「ちょっと待っていてくれ」
「?」
応接室のドアがノックされたのは、そのときだった。
「失礼いたします」
静かにドアを開けて入ってきたのは、妻マルグリットと、数人のメイドである。メイドたちが軽食と飲み物の準備をして立ち去ると、マルグリットも一礼をした。
空色と深青のコントラストの美しいドレスは、この日のためにという名目でルシアンがもう一着あつらえたのだが、もちろんニコラスには知る由もない。
頭をあげたマルグリットはにこりと笑った。
ニコラスとの挨拶はすませてある。夫の友人に対し、妻が姿を見せ、もてなしをするというのは、なにも不自然ではない。実際マルグリットの態度はそつなく、ニコラスも身体を預けていたソファから立ちあがると恭しく礼をした。
「お久しぶりでございます、ニコラス様」
「ええ、マルグリット様もお変わりなく……いえ、以前よりお美しくなられたかな」
「まあ、ニコラス様ったら」
笑いあうふたりにルシアンが顔をしかめた。
「もういい」
「はい、失礼いたしました。ごゆっくりと、ニコラス様」
不機嫌さのわかる声を気にした様子もなく、マルグリットはふたたび優雅に礼をすると、部屋を出ていった。
にこにことマルグリットを見送っていたニコラスは、ソファに戻り、友人の顔つきにぎょっとした。
ルシアンの周りの空気がどす黒い。皺の寄った眉間から細められた目にかけて、凶悪なオーラを感じる。
もともと整った顔立ちは冷たい印象を与えるが、これは明らかに不機嫌だ。
王命による政略結婚とはいえ悪くない妻だと思ったが、ルシアンには納得がいかないのだろうか。
「どう思う」
やがてゆっくりと口をひらいたルシアンが、押し殺したような声で尋ねる。
「なにが?」
「彼女のことだ」
「どうって……派手さはないけどおちついていて、君にはぴったりじゃないか?」
「そうか」
「……え?」
ニコラスは瞠目した。心なしかルシアンの頬が赤い。先ほどまでの殺気じみた凶相は消え、気まずそうに視線を逸らしている。
妻を嫌っているわけではないらしい。
こんなルシアンははじめてだ。二度目にそう思うに至り、ニコラスはおぼろげながら真実をつかみかけていた。
「王家からの命令で渋々結婚したんだろう?」
「そうだ」
「でも思ったよりはいい娘だ。べつにこっちを嫌っているわけでもなさそうだし、愛想もいい」
「そうだ」
「なんの問題もないじゃないか」
「ある」
またどす黒い殺気が戻ってくる。
「家で、悲惨な目に遭っていたらしい」
(……いや、それが君になんの関係があるんだ?)
喉元まで出かかった質問を噛み殺し、ニコラスは視線で話の続きを促した。
余計な茶々を入れてはいけないと、直感が告げていた。






